魔王城―第3話―

 翌朝。目を覚ました勇者が食堂に行くと、そこに魔王の姿はなかった。代わりに、相変わらずパリッとした黒ベスト姿のタリートと、エプロン姿のマグラが勇者を出迎える。

「あ、おはようございます。さすが勇者、早いっすねー」

「おはよう。リーグはまだなんだ」

「さすがにまだ起きないと思いますよ。本人も言ってましたけど、昨日は特例だったんで」

 マグラはそう言うと勇者に水を渡した。食堂内の大きな置型の時計は、7時半を指している。

 勇者がテーブルの端に腰掛けると、マグラがフライパン片手に寄ってきた。

「主人起きるまで時間ありますし、何か好きな料理あれば作りますよ。主人、魔王とか名乗ってるくせに、好き嫌い多くて大変なんすよ。野菜苦手だニンニク料理嫌いだハーブ嫌いだーって。あまりにも好き嫌い多すぎるんで、主人が苦手なもんは朝食に食べているんです。なんでルガも何かあれば、オーダーしてもらって構いませんよ」

「んー、好きな料理かあ……。朝食は普段肉か魚かって聞かれる程度だったからなあ。あまり思いつかないや」

「何でもいいっすよ。手の込んだ料理でも待っていてもらえるなら作りますし」

「んー……」

 勇者が悩んでいると、黙ったままだったタリートが助け舟を出した。

「あまり急に聞かれても困るでしょう。主菜の種類と苦手なものやら味付けやら聞いて、あとはマグラのおまかせコースにしたらどうですか?」

 その提案に、勇者はパッと顔を輝かせた。

「あ、それいい!俺それがいいな。昨日3食ごちそうになって分かったけど、マグラめちゃくちゃ料理上手いし」

「まあそりゃ100年くらい、専属料理人やってますからね。じゃあ何系がいいっすか?」

「年季が違うね……。じゃあ、お肉のガッツリ系で。朝だから、あんま辛味とか酸味が多くない食べやすい味付けがいいな」

 勇者が言うと、マグラは一瞬だけ考え込んだ後、了解っすとだけ返事をして厨房に戻っていく。

 と、不意にがちゃりというドアの開く音が響き、タリート、勇者、そして厨房に戻りかけのマグラが中途半端な姿勢で振り向いた。

「あれ?主人?早すぎないっすか?」

 食堂の入り口に立っていたのはジャージにボサボサの寝癖をつけた姿の魔王だった。彼は眠そうにあくびをしながらも、しっかりとした足取りで食堂内に入ってくる。

「いや、一昨日?疲れ果てて早寝しちゃったじゃん。それで生活リズムが狂ったんだか正常に戻ったんだかで、健康的な睡眠時間になっちゃって……」

 その返事に、タリートが満足そうに微笑んだ。

「それは健康的ですね。素晴らしいと思いますよ」

「そうだけどさあ、魔王が健康的な生活ってどうなんだよ。むしろ昼間寝て夜起きるのがちょうどいいんじゃね?」

 魔王が首を傾げながら聞くが、タリートは笑みを崩さないまま答える。

「なら聞きますけど、魔王様夜目は効きますか?暗闇で対象物の検知をする術を持っていますか?」

「……いや、ないけど」

「魔王と言えど、結局は魔力を持った魔族、引いては人間に近い種族であることに変わりはありません。昼行性なんです。この時間に起きてください」

「……うっわ論破するなよ。魔王だぞ俺」

「魔王って口下手な人多いんじゃないですか。そりゃ論破されるでしょう」

「えー……。確かに喋りまくる魔王って、なかなかいねえけどさあ」

 論破された魔王が、顔をしかめながら勇者の正面に座る。と、マグラが厨房の入り口から魔王に向かって問いかけた。

「主人ー。今ルガのオーダー料理作ってるんで、飯もうちょい後でいいっすか?腹減ってますー?」

「別にいいけど、え、ルガのオーダー料理?俺も食っていい?」

「野菜いっぱい使いますけど」

「じゃあいいや。パス。いつも通りホットサンドで」

「諦めんの早いっすね」

 マグラは呆れたような声で応じると、調理に集中し始めた。魔王は勇者の方に向き直って口を開く。

「ルガおはよー。寝れた?」

「おはよう。うん、ベッドメイクまでしてもらったから、快適だったよ」

「清掃は私達の仕事ですので」

 タリートが飄々と答え、勇者がありがとうと口にした瞬間、不意に城内に勇ましい行進曲のような音楽が大音量で響き渡った。勇者が身をすくめながら天井を見渡す。

「え、何?えっと……。起床の時間?」

「そんなのはありませんよ。こんなんで起こされたら、魔王様は今頃放送設備ぶっ壊してますね。……敵襲の合図です」

「て、敵襲?」

 戸惑う勇者をよそに、魔王はのんびりとスピーカーを見上げながらタリートに指示を出す。

「タリート、人数とか見てきて。もし軍隊組んで攻め込んできてたらちょっと本気出すわー」

「承知しました」

 タリートは食堂を出ていく。勇敢な行進曲が鳴り響く中、勇者は恐る恐る魔王に尋ねた。

「これ、何?」

「ん?いや、山のふもとから誰かが山に登って来たって合図。大丈夫、いくら手練れでも2時間はかかるから、飯食って着替える時間はあるよ」

「そうなんだ……」

 会話の間に音楽は止まり、厨房で鳴る調理の音がクリアに聞こえるようになった。中途半端な空白が生まれ、勇者が会話の糸口を探していると、ちょうどマグラが2人分のスープを運んできた。2人はすかさず熱々のスープに口をつける。

「これコンソメスープ?めっちゃ美味い」

「そうっすね、ベーコンとレタスのコンソメスープっす。口に合ったようでなにより。ルガのも主人のも今焼いてるんで、ちょっと待ってくださいね」

 マグラはまた厨房に引っ込んでいく。入れ替わりになるように、タリートが外から戻ってきた。

「見てきました。どうやら冒険者パーティーが山を登ってきているようですね。3人組でした」

「3人組?普通パーティーって4人だろ?珍しいな」

 平然と答える魔王の前で、勇者の食事の手が止まった。彼は乱暴にスプーンを置くと、タリートへ飛びかからんとする勢いで尋ねる。

「ねえ、その3人って特徴分かる?」

「特徴ですか?女の魔法使いっぽいのと、あと男2人というのしか……」

 タリートはそこまで答えてから、戸惑うように勇者を見つめた。

「もしかして、お仲間ですかね?」

「……かもしれない。女1と男2の3人組ってそこまでいない気が。……いや、でもまだここに来て3日目の朝だろ?朝から山登りってことは昨日の夜にはふもとの村に着いているはず。24時間ちょいしかないのに、向こうの街から首都通ってここに来るなんて、馬車をずっと借りっぱなしじゃないと、到達できない距離ではあるけど……」

 魔王は呟く勇者の顔をじっと見つめてから、隣で控えていたタリートに指示を出した。

「タリート、とりあえず近づいてくるパーティーの解析頼む。勇者のパーティーは女の魔法使いと、男の戦士、レンジャーだったはずだから。そいつらか別パーティーかで、また対応の仕方考えよう」

「かしこまりました。また分かり次第、魔王様の部屋に伺います」

 タリートはそう言い残して去っていった。魔王はその背中を見送った後、ぶつぶつ呟いている勇者に声をかける。

「どう?3人組って勇者の仲間の可能性ある?」

「……分かんない。いや、ごめん」

 勇者は正面に座る魔王から目を逸らし、明後日の方を向いた。

「何か複雑なんだ。仲間でもそうじゃなくても、俺のことを助けに来てくれたんだ、っていう嬉しさと、わざわざこんな危険なところまで来なくていいのに、って心配とさ。ごめん、まだちょっと整理できてない」

「あー……。そうだよな、ごめんな。無神経なこと聞いた」

「リーグが謝ることじゃないよ。本来こんなこと言える立場じゃないと思うんだ、俺。一応捕まった身だし」

 勇者はそう答えながらも腕を組んでじっと考え込み始めた時、不意に目の前にがたんと大きな鉄板が置かれた。勇者が顔を上げると、そこには鉄板の上でジュージューと音を立てている大きな肉の塊と、申し訳程度に添えられた温野菜があり。

 唖然とする勇者をよそに、マグラは横にバケットと調味料の入った小皿を置きながら言う。

「お待たせしました。マグラ厳選ステーキっす。これガーリックバターなので、食べるときにのっけてください」

「ええ……。あ、朝からすごいね」

「がっつり系って言われたので。あ、食べきれませんか?」

 マグラが笑いながら聞くと、勇者は首を横に振った。

「いや、大丈夫。ちょっとびっくりしちゃって。いただきます」

「いっぱい食べてください。あ、これ主人のホットサンドっす」

 マグラが魔王の前に白いお皿を置くが、魔王の視線は目の前の勇者のお皿に釘付けになっていた。

「すげー……。こんな時間にステーキかよ」

「魔王様もこっちが良かったっすか?」

「いや、ルガ若いなーって。俺もうこんな年だよ、食えないって」

「あはは、それもそうっすね」

 マグラは厨房に引っ込んでいった。そしてまだ肉塊に圧倒されている勇者へ、魔王が声をかける。

「まあ食べようぜ。食べて脳みそに栄養送って、それから色々考えよう」

「……うん、そうするよ。たまたま魔王城にたどり着いちゃった他人なら、こんなに悩まなくて良いわけだしね。よし、いただきまーす」

 そして勇者は、肉の塊に勢いよくかぶりついた。


 2時間半後、仕事着に着替えた魔王と勇者は、ともに魔王の部屋にいた。魔王は仕事依頼の紙と睨み合いながら仕事を進め、勇者は床に寝っ転がって漫画を読んでいる。

 と、不意にドアがノックされ、室内にすっとタリートが入ってきた。

「魔王様、あのパーティーの件で」

「ああ、はいはい。今どこらへん?」

「現在、城から数百メートルのところで休息に入りました。詳細は分かりませんが、ローブを着た女と鎧を着た男、そして小柄な軽装の男の3人組です」

 それを聞いた勇者の顔が曇り、手に持っていた漫画冊子をパタリと閉じた。魔王も少し唸りつつ、勇者の方に視線を送る。

「勇者の構成と似てんな。……分かった。俺は玉座で迎えるから、ルガとタリート、マグラは奥の控室で待機しててくれ。場合によってはルガに出てきてもらうかも」

「……俺?何しに」

 名指しされた勇者の顔がますます曇る。魔王はそんな勇者を安心させるように、カラッとした笑みを浮かべた。

「そんな不安そうな顔すんなって。殺しはしねえよ。協力してくれそうなら説得するし、そうじゃなきゃ徹底的に怖がらせて戦意を削ぎつつ遠くに飛ばそうと思っているんだけど、そんときにちょっとやられたフリしてもらって、怖がらせの片棒担いでもらおうかなーって」

「え、やられたフリ?そんな一発本番は無理だって。しかも仲間の目の前でしょ?」

「へーきへーき。ルガの演技力なら問題ねえよ。昨日だって大丈夫だったじゃん」

 魔王の脳天気な言葉に、勇者は思わず言葉を失う。と、タリートが呆れた顔をして魔王に突っ込んだ。

「ご主人様、無茶なこと言わないでください。演劇を見に来ているお客さん相手にしているわけじゃないんですよ?勇者と寝食をともにした人を相手にするのに、そんな小手先の芝居が効くわけないでしょう」

「えー。ダメ?ルガの演技力ならどうにかなるでしょ。騙せるって」

「ダメです。やるならもう少し詰めてください」

 タリートに一刀両断され、魔王は拗ねて口を尖らせた。

「分かったよー……。じゃあ、協力を得られそうなら勇者に出てきてもらう。ダメなら記憶消して遠くに飛ばす。これでどう?」

 その提案に、勇者はホッとした顔になった。タリートもその隣で頷く。

「それなら良いと思います。魔王様、あまりルガさんに負担をかけないでください。100年魔王をやってる貴方とは違うんですから」

「はいはい、分かりましたよーっと。じゃ、俺先に玉座行っとくから。ルガはタリートに中継映像見せてもらって。あそこカメラいっぱいついてんだ」

 魔王はそう言うと、黒いマントを翻して部屋を出ていった。黒い角に黒いマント、黒いブーツと、後ろ姿だけ見れば完璧な魔王で。

 勇者はその背中をじっと見つめてから、漫画を棚に戻して立ち上がった。

「うーん、魔王だなあ……。作戦の雑さとか、見た目とか、そういうのも全部ひっくるめて魔王だなあ。武力で全部解決してきた感じがする」

「改めて認識してますね。あと雑なのはあのお方だけだと思います。基本は頭良いですから」

「タリート。その言い方だと、まるでリーグが頭良くないみたいだけど」

「い、いえ、基本魔王様も頭は良いですよ。ただちょっと、性格が子どもじみているってだけで」

「まあ確かに子どもっぽい。さっきまでも結構うるさくてさ、仕事したくねー、とか、ルガー、今何読んでるのー、とかずーっと言ってたんだよね」

「そうですね。引きこもりのくせして子どもっぽくて寂しがり屋ですからね。さ、それでは私達も控室に行きましょうか。案内します」


「まだ来ないよね」

 さらに数十分後、薄汚れた水色の防具を身に着けた勇者は、落ち着かない様子であちこちに視線を向けながら呟いた。そんな彼の目の前には、玉座に座る魔王を映し出したモニターがあり。

 モニターの中で暇そうにあくびをしている魔王を眺めつつ、タリートが答える。

「こちらに来た3人組は先程城内に入りましたので、まもなく来ると思いますよ」

「うん。……本当に、俺を助けるために来てくれたのかな。わざわざ危険な場所まで」

 勇者は寂しそうにポツリと呟き、その隣でマグラが腕を組む。

「にしたって、何でわざわざ乗り込んでくるんすかねー。昨日魔王様、強調してたじゃないっすか。無駄だから攻め込んでくんなって」

「まあまあ。仮に私が勇者に捕らわれて、処刑する、なんて言われたら、何と言われてもマグラと魔王様は取り返しに行くでしょう?魔王様はそのリスクを背負った上でこんな作戦を取っているんですよ」

 タリートが言うと、マグラは不満そうにしながらも納得し、腕を組むのを止めた。

 一方の勇者はまだ気持ちを消化できていないようで、会話には応じないままじっとモニターを見つめていた。

「俺の仲間であっても、リーグは絶対殺さないよね」

「ええ、誰も殺しませんよ。これまでの100年も、そしてこれからの100年も。信じて見守っていてください」

「……ありがとう」

 タリートの力強い言葉に、勇者はようやく姿勢を正してモニターを見つめた。モニターの中に映る魔王は、相変わらず気だるそうに肘掛けに頬杖をついている。

 と、不意に魔王がパッと立ち上がり、3人の間にぴりりと緊張が走った。モニターを注視し続ける3人の顔は、不安、期待、戸惑いがそれぞれ違う割合で入り混じっている。

 魔王が立ち上がってから5秒後、重厚なドアがゆっくりと開き始めた。ドアの蝶番が軋む音がまるでファンファーレのように鳴り響き、ドアの外に立つ3人組のシルエットを映し出す。

『来たか』

 立ち上がった魔王が迎えると、3人の影は部屋の中に歩いて入ってきた。ドアがゆっくりと閉まり、外からの光を遮っていく。

『魔王!倒しに来た!』

 中央を歩く鎧を着た男が鋭い声を発した。ドアが閉まると同時にタリートの操作でカメラが切り替わり、3人の顔がはっきりとモニターに映し出される。

 そこにいたのは、鈍色の鎧を着た無精髭に短髪、小太りな男と、くるくる巻いた茶色い天パの髪の毛に革製の篭手とすね当てをつけた男、そしてピンク色のぶかぶかなローブを身にまとい、黒のミディアムヘアーをハーフアップにした女だった。

 勇者はその3人を凝視してから、深い深いため息を吐き出した。

「良かった。俺のパーティーじゃない……。全っ然違う人たちだ」

「そうっすね。勇者の仲間はもうちょいスタイリッシュでしたもんね」

 マグラが相槌を打ち、タリートも頷いてから疑問を口にした。

「あれ?ならお知り合いとかですか?」

「いや、全然知らない。……少なくとも俺は、何も関係性ないと思う」

「へー、じゃあこんな時期に何の用っすかね。放送見て義憤にかられて、とか?にしてもここまで乗り込んでくるとは。一番乗りっすよ」

 一気に緊張感が解けた室内で、マグラがモニターを見ながら首を傾げる。画面の中では、ゆっくり広間を進む3人組へ、数段上がった玉座から魔王が声をかけているところだった。

『わざわざこんな山の上までご苦労。この私に何の用だ?』

『お前が、あの勇者を捕らえていた魔王だな』

『そうだが。何だ、返還の交渉か?』

『簡単に言えばそうだ』

『それは無理な交渉だな。そもそもお前ら、勇者のパーティーメンバーではないだろう。義援隊か?』

 魔王も顔を見て気づいていたのか、勇者たちと同じ疑問を口にする。

 すると3人は部屋のちょうど中央らへんで立ち止まり、ピンクのローブを着た女性を中心に置いた。少しぽっちゃりとした頬、苦労が滲む鋭い目つき、そして低めの身長と、あまり美人とは言えない顔つきの女性だ。

 それでも鎧を着た男は、女性の肩に手を置きながら魔王を睨みつける。

『俺らは、彼女の生き別れた兄を探して旅をしている。彼女は、あの放送で映った勇者が兄だと確信した!だからお前から勇者を救い出し、彼女に幸せな家庭を取り戻してやるんだ!』

 数拍置いてから、控室の中で勇者とマグラの驚く声が上がった。タリートだけは冷静に、勇者に向かって尋ねる。

「ルガさん、もしかして生き別れの妹さんが?」

「えっ、いない、いないよ!そもそも似てないでしょ!?俺童顔って言われるし」

「まあ確かに、雰囲気は全然違いますね。でも似てない兄妹っていますし」

「限度があるでしょ!絶対違うって!そもそも妹が顔覚えているなら、兄は絶対覚えてなきゃだめでしょ!」

 慌てる勇者をよそに、マグラは腕を組んでうんうん頷いた。

「いい話っすねえ。生き別れた兄を探して魔王城に乗り込む妹。ドラマチックじゃないっすか」

「俺が本当の兄ならね!?俺には姉しかいないし、田舎には両親と結婚した姉夫婦暮らしてるし!仲良いし!」

「もしかして異母兄弟とか」

「それはそれで別の修羅場になるから止めて!?聞いたことないよそんな話!」

 騒ぐ勇者とマグラをよそに、モニターの中では魔王が3人に向かって困惑するように問いかけていた。

『生き別れの兄、か……?私が預かっている勇者が……?』

 すると女性は、泣き出しそうな顔をしながら何回も頷いた。

『そう!兄は私が10歳のとき、急に魔王を倒すと言い残して家を出ていってしまって……。それから両親は兄を探し続け、私も独り立ちと同時に兄を探す旅に出ました。テレビで見たとき気づいたんです。あれは、当時15歳の兄が勇者になった姿だって』

『……ちなみにそれ、何年前の話だ?』

『15年前。ああ、こんなに間が空いてしまったのね。時間がかかった、本当に……』

 女性は泣き崩れ、それを鎧の男と天パの男が慰める。その光景を、魔王はどうにか無表情を保って眺めていたが、よく見ると、その瞳には困惑と疑問が渦巻いていて。

 マグラはそんなモニターを眺めつつ、指を折って計算する。

「15年前ってことは、今は彼女が25歳で、兄が30歳ってことっすね。あれ?ワンチャンありません?ルガ何歳っすか?」

「26だよ!俺に勝手に妹を増やさないでくれ!あと俺ゲーム廃人だったから、家を出るのと真逆のことしてたし」

「実はそれはルガのゲーム内での記憶で、実際は勇者になるため家を出ていたとか」

 マグラがからかいを込めて言うと、勇者は驚きで目を丸くした。意外な観点だった、という驚きではなく、何でこんなことを言い出しているんだ、という困惑から産まれた驚きだ。

「え、俺はゲームとリアルの2種類存在するの?そんなに家族に見える?似てないのに?」

「いやー、だって良い話じゃないっすか。事実ならドラマ化決定っすよ。生き別れた兄を探す妹。やがて見つけた先は、魔王が捕らえた勇者を見せびらかす画面の中だった――」

「絶対止めて。無理。少なくとも俺でやらないで」

 勇者が呆れた声で返し、タリートとマグラが楽しそうに笑う。そんな楽しげな控室をよそに、モニターの中では魔王が困惑の声を漏らしていた。

『あの勇者はお前の兄、だと』

 泣き崩れる女性の代わりに、天パの男が言い返した。

『そうです!そして魔王。今対峙して分かりました。あなたは……。貴方は、生き別れた僕の兄ですね』

 新たに紡がれたその言葉に、魔王の口から素の、は?という声が漏れた。戸惑う魔王をよそに、天パの男は言葉を続ける。

『僕の兄は、昔から悪いことが好きでした。タバコは投げ捨てるし、馬は盗むし、近所の家の植物は引っこ抜くし。そんな兄は、僕が子どもの頃、手下を引き連れて魔王ごっこをする、と山に行ったまま帰ってきませんでした。でも兄は、目をつけたものは絶対に自分のものにする人間だったんです。どんな手段を使ってでも。……まさか、本当に魔王になってしまったなんて!』

『はあ……』

 困惑の声を漏らし続ける魔王をよそに、天パの男は大げさな身振りで訴えかけた。

『でもいくら魔王になっても、兄弟の縁は切れないんだよ!僕のこと覚えてるでしょ、お兄ちゃん!父さんも母さんもお兄ちゃんの帰りをずっと待っているんだ!もう魔王は十分楽しんだでしょ!?だから早く帰ろう?』

『はあ……。お前ら、家族と生き別れすぎじゃね?生き別れた同士で旅してんの?』

 魔王が戸惑いながらもどうにか質問をひねり出す。と、その質問に答えたのは鎧の男だった。

『いや、俺は結婚相手を探している。2人の家族が一気に見つかるのはありがたいが、すると俺が1人になっちまう。なあ、取り残されている女とかいねえか?勇者の連れとか。結婚出来るなら誰でもいい』

『……いねえよ。ここで探そうとしねえで首都行けよ』

 魔王の口から至極真っ当なツッコミが漏れた。先程までの無表情は完全に崩れ、呆れと戸惑いが全面に押し出されている。

 そんな魔王へ、天パの男が近寄りながら叫んだ。

『お兄ちゃん!思い出してよ、人間だった頃を。家でもずっと暴れてたけど、いなくなったらいなくなったで悲しいって、お母さんは毎日壁の穴撫でてるんだ!また帰ってきて、壁に穴開けてよ!』

『別に俺、人間だった時代ねえけど。というか穴開けちゃダメだろ。俺ですら開けたことないのに』

『お兄ちゃんがいなくなってから、皆平和になったって喜んでいるんだ。僕のゲーム機も壊れないし、友達が怖がって帰っていくこともない。悪の権化であるお兄ちゃんが、そんなこと見過ごしていていいの!?』

『むしろお前、何で帰ってきてほしいの?』

 と、今度は女が涙混じりの声で叫んだ。

『魔王!早く私の兄を返してよ!昨日、画面の中から訴えてたもの、早く家に帰りたいって!私にだけ伝わる言葉と身振りで!』

『訴えてねえって。特に昨日は、絶対』

『嘘!なら一目だけでも会わせて!私は、兄に会うためだけに人生全てを捧げてきたんだから……』

『嘘ついてねえし、多分兄じゃないから止めといたほうがいい』

『この城内に女はいねえのか!?』

『お前は帰れよ』

 魔王は律儀に突っ込んでから、相変わらず近づいてくる天パの男に向かって気だるそうに手の平を向けた。

『とりあえずお前、それ以上こっち来んな。止まれ』

『何でよお兄ちゃん。僕とまた遊んでよ!』

『だから人間が魔王になるわけじゃねえんだって。弟いねえんだよ』

『ああ、人間だった頃の記憶を全部忘れているんだね……。僕が思い出させてあげなきゃ……』

『ねえ、話聞いてる?』

 魔王の静止も聞かず、天パの男は段差下までたどり着いた。そのまま彼は、腰元の剣に手をかけながら言葉を続ける。

『お兄ちゃんが何も覚えてないなら、僕が、弟が責任を持って魔王を倒す!』

『あー、はいはいはい。悪の道を歩んだ兄と正義の道を歩んだ弟スタイルね。熱い展開だよね、弟が兄を超えるってね。……俺はお前の兄じゃねえけどな』

『お兄ちゃん……。いや、魔王を倒して、彼女のお兄さんを助け出すんだ!そして結婚相手も見つけるんだ!』

『……俺を倒しても結婚相手は出てこねえよ』

 魔王の言葉も聞かず、天パの男は剣を抜くと、段差を駆け上がろうとした。魔王はため息をつきながら魔法を撃ち、そんな男の身体を弾き飛ばす。

 ゴロゴロと床を転がってからどうにか体勢を立て直した男へ、魔王は気だるそうに声をかけた。

『もう話は全部?終わらせていい?』

『くっ、さすがお兄ちゃん。強すぎる。でも僕は、そんな兄を超えるために特訓を重ねてきたんだ!』

『……いやだから兄じゃねえから。超えるな』

 魔王が呆れた声を出しながら、水色の魔法の弾を打ち出した。それが天パの男に直撃した瞬間、彼は意識を失いふらりと倒れ込む。

『なっ。お、おい、大丈夫か!?』

 鎧の男が慌てて支える中、魔王は気だるそうに口を開いた。

『眠らせただけだよ。命の危険はない』

『くっ……。でも私も、兄を助けるために鍛えてきた!魔王なんかに負けない!』

 杖を持ちながら女が立ち上がった。鎧の男もそれに呼応して剣を抜く。

『ああ!俺も魔王を倒して、美人の若い女と結婚するんだ!』

『ああ、面倒くせえ……。何か鎧の男がまともに見えてきたな……』

 魔王は言いながら、水色の弾を続けて2つ撃ち出した。それはそれぞれ無防備な女と鎧の男に着弾し、彼らはすぐに意識を失って倒れ込む。

 魔王はそれを確認してから、カメラに向かって話しかけた。

『おーい、モニター見てるルガたちー、出てきてー』

 その呼びかけに、3人は慌てて立ち上がって玉座の間へ続くドアを開ける。するとそこには、モニターで見ていた通りの光景が広がっていて、ドアの音に反応した魔王が安堵の言葉を吐き出した。

「ああ、来た」

「魔王様、感動的な再会でしたね。生き別れた弟と刃を交わすなんて……」

 マグラがわざと芝居がかった声で言い、魔王は思いっきりマグラを睨みつけた。

「弟いねえよ。お前が一番知ってるだろうが」

「魔王様なら魔力で作り出していてもおかしくないっすよ」

「それじゃあ弟じゃなくて子どもだろ」

「あ、確かに」

 マグラが楽しそうに笑い、魔王は頭を抑えてから勇者に向き直った。

「一応確認なんだけど、この女、ルガの身内じゃないよな」

「違うよ。俺勇者になるまで、家から出てねえもん。妹いないし」

「だよなー。あの別れた当時の話聞いて、絶対違うって確信したけど一応」

 魔王はそう言ってから、床に転がる3人組を見てため息をついた。タリートが穏やかな声で尋ねる。

「遠くに飛ばします?」

「うん。飛ばすし、記憶も消す。余計なことまで喋りすぎた」

「魔王様、ツッコミ上手でしたね」

「変なとこ褒めなくていい」

 魔王は照れ隠しするように言いながら、倒れた3人組に向かって何やら呟きつつ手をかざした。すると、彼らの姿は次々とかき消え、城内に静寂が訪れる。

 魔王は静かになった広間を見渡した後、気だるそうな動きで勇者に視線を向けた。

「全くの無関係な奴らで良かったな」

「うん、それは良かったけど……。え、魔王ってこんなぶっ飛んだやつらの相手してたの?」

 その質問に、魔王は一瞬マグラたちと顔を見合わせてから、首を傾げた。

「まあ……?まともというか、ルガみたいな正統派勇者の真似が4割、歩いてたら魔王城来ちゃっただりぃーみたいな尖った奴らが3割、俺に告白やらさっきみたいな家族主張やらの討伐以外が2割、それ以外が1割」

「それ以外?」

「道に迷ったりとか、魔物に追い立てられて逃げてきたりとか」

「……意外と大変なんだね、魔王って」

 勇者の同情する視線に、魔王は疲れた表情のまま頷いた。タリートも遠い目をしながら何回も首を縦に振る。

「魔王様、昔から変人に好かれやすいですもんね。類は友を呼ぶと言うか……」

「タリート、一言余計だ」

「すみません。色々思い出しちゃったもので。魔王の熱狂的ファンの女の子とか、ツーショットを撮るために山登りしてきた40代のこじらせたおじさんとか、いじめられて魔王城にパシらされた少年とか」

 タリートの口から出た言葉に、勇者は何か聞きたそうにうずうずし始めた。だが彼が口を開くよりも早く、魔王は手を振りながら控室の方へと足を向ける。

「あー、もう変なもん思い出させんな。若い女にストーカーされたりとか、少年に同情しちゃってちょっとお土産持たせたりとか、思い出したくもねえんだ。おじさんに至っては思い出せねえし」

 3人は魔王と一緒に歩き出し、タリートは少しいたずらっ子っぽい表情を浮かべた。

「話しましょうか?勇者よりも魔王に魅せられてしまったおじさんの話」

「いいって!思い出したくねえんだってば!それよりタリート、今日の乗っ取りの脚本どうすんの?考えた?」

 魔王が話を変えると、タリートは苦笑いをしてから頷いた。

「考えてはいます。同じ展開だと芸がないので、場所を変えようかと」

 話が変わったことに勇者は落胆の表情を見せたが、すぐに感情をリセットして尋ねる。

「場所を変えるって?」

「地下牢があるんですよ。ですのでそこを舞台にしようかと」

「地下牢……?」

 勇者が途端に少し怯えだし、魔王も嫌そうに顔をしかめた。

「あそこ怖えから行きたくねえんだよ。幽霊出そうだし」

「魔王が幽霊怖がらないでくださいよ。一応週1で換気はしてますので、いつでも使えはしますよ」

「魔法効かないやつが一番怖いんだよ」

「そう言いますけど、あそこ実際使ったことないじゃないですか」

 タリートの言葉に、魔王はバツが悪そうな顔をして、まあな、と応じる。その魔王の横顔に、勇者が驚いた声をかけた。

「え、使ったことないって?」

「あー……。俺の父親の代で魔王城建て替えてんだよ。俺の転移魔法で、ネットの繋がるとこに飛ばした結果がこの山の上なんだけどさあ。でも地下牢使ってたのは恐怖政治だった祖父の代までだから、一応存在はしてるけど未使用」

「なるほど……」

 納得した勇者に向かって、マグラが呑気に言う。

「まあ見るだけ見に行きません?んでタリートの話聞いて、それで軽く練習までしちゃえばいいじゃないっすか。どうせやることもないし、2人とも衣装だし」

「衣装じゃねえよ。制服とか戦闘服って言え」

 魔王はマグラの言葉を訂正してから、階段を指差した。

「まあ、これだけ人数いりゃ幽霊も出ないだろうし、見るだけ見に行ってみる?」

「うん、行く」


 地下牢は、かなり深い階段の先にあった。魔王たちが石造りの螺旋階段を下りていくたびに冷気と湿度が強くなり、照明は薄暗くなっていく。勇者は癖で腰元に手を伸ばし、剣がないことを思い出して誤魔化すようにベルトの位置を調節した。

「薄暗いね……」

 勇者が呟くと、魔王は少し考えてからニヤリと口角を上げて答える。

「ああ、帰れない魂がさまよっていて、電気を点けてもすぐ暗くしちゃうんだ。だからここら辺は、いつまでも暗いままなんだよ」

「……地下牢って未使用なんでしょ?何、魂って」

 勇者が聞き返すと、魔王は少しだけ笑い声をあげた。

「バレたか」

「バレるよ!さっき言ってたじゃん。電気のスイッチとかないの?」

「あるよ。あるにはあるけど、今ブレーカーごと切ってるから、一度完全に下りなきゃいけないんだよな。普段使わねえから、非常灯しかつけてねえんだよ」

 と、ちょうど一番下に到達したらしく、魔法でライトをつけていたタリートがゆっくりとドアを押し開けた。途端に冷気がぶわっと舞い込んできて、勇者は思わず二の腕をさする。

「うっわ、寒いね……」

「空調も切ってるからなー。でも正直ここ空調あんま効かないから、ちょっとインナーか何かで調節してもらうことになるけど」

 タリートの背中に続いて魔王と勇者も地下牢に足を踏み入れた。一番後ろを歩いていたマグラがブレーカーを復旧させ、パッと地下牢全体が明るくなる。

 電気が点き見渡せるようになった室内は、真っ直ぐ続く廊下の両脇にずらっと鉄格子が並んでいるようなつくりだった。壁は頑丈な石で出来ていて、ところどころ苔が生えている。

 勇者が鉄格子の中をひょいっと覗き込むと、簡素なベッドフレーム、水洗トイレ、そして壁に取り付けられた拘束用の鎖と鉄の輪が見え、彼は思わず顔をしかめた。

「未使用とはいえ、気分の良いものではないね……」

「まあな。ベッドに関してはマットレスねえし経年劣化ひどいし、使えないだろうな。湿気もすごいし。トイレは定期的に水流しているんだっけ」

 魔王がタリートに尋ねると、タリートは頷いた。

「一応週1の換気の際に流してます。ばっちり使えますよ。ご主人様、上のトイレ壊れたらこちらで用を足してくださいね」

「やだよ。あんな長い階段下りてたらその間に漏れるわ」

 魔王は軽く笑いながら言うと鉄格子を開け、躊躇うことなく牢屋の中へと入っていった。

 彼は部屋の中心に立って室内をぐるっと見渡してから、ブレーカー周りでごそごそするマグラへ声をかける。

「マグラ、ここって地下だけど電波届くの?ちゃんと乗っ取って映像流せる?」

「ああ、それはケーブル引っ張ってきますよ。遠いっすけど、空き部屋に機材置けるんで1時間もあれば」

 マグラがブレーカー周りを整理しながら答え、魔王は頷いてから勇者の方に視線を向けた。

「じゃあ、勇者もここでいい?」

「うん、構わないけど……。うっわ、怖いなー。牢屋なんて初めて入るよ」

 勇者が牢屋の中に足を踏み入れながら言い、魔王は意外そうな顔をした。

「え?初めてなの?勇者って、魔物に騙された王様を正気に戻そうとして、王様の怒りを買って牢屋にぶち込まれる経験するもんじゃないの?」

「……ないよ。ゲームのしすぎじゃない?勇者が1人ならともかく、今は養成所システムがあるから、そんなことしてたら多分牢屋足りないよ」

「まじで?そうか、今どきの勇者は量産システムなんだっけか……」

「……昔の勇者は大変だったんだね」

 鉄格子の強度を確かめるように揺すりながら、勇者がため息をつく。と、そんな2人を微笑ましく見つめていたタリートが、ゆっくりと近づいてきた。

「では、一応構想だけお伝えしますね。昼ごはんやら休憩やらの間に脚本を仕上げるので、細かいセリフはまた後ほどになりますが」


 諸々打ち合わせを終え、ついでに昼飯も食べ、魔王と勇者は魔王の部屋に戻ってきた。魔王がマントを外しながら、疲れたようにベッドに座り込む。

「あー、にしても今日来た奴らまじなんだったんだよ。魔王のイメージってもんがあるのに、目の前で堂々とボケるの止めてくれねえかな」

 魔王の愚痴に、勇者は苦笑いで答える。が、彼はすぐに顔を上げ、魔王の顔を真っ直ぐ見つめた。

「そういえばリーグ。改めて思ったんだけどさ、集団でいっぱい攻め込んできたらどうすんの……?いくら強いとはいえ、限度はあるでしょ?」

「ん?いやそんな来ないよ。へーきへーき」

「でも……」

「何心配してんの、俺は魔王だぜ」

 魔王はそう言ってニヤリと笑うと、部屋の隅に置かれた機械を指差した。勇者が不思議そうにそれを見つめる。

「それ何……?」

「掲示板への自動投稿で世論を調節するための機械。俺さあ、冒険者と一瞬しか会わないわけじゃん?で、冒険者側はもちろん俺のパーソナルな情報なんて知らない。だから今まで色んな噂流れてきたんだよ。魔王は実は小心者とか優しいとか人見知りとか、魔王のムスコはミニマムサイズとか皮被りとか。うるせえお前よりかはでけえわ!」

 突然の下ネタに、勇者は唖然としたまま魔王の顔を見つめる。魔王はそんな勇者の顔を見て、咳払いで発言を誤魔化してから、機械に視線を戻した。

「まあそういうのが広まると困るから、色んな文脈で魔王の怖さとか諸々をネットに流してるのよ。襲ってきた勇者を容赦なく串刺しにしたとか、泣いてすがる子どもを窓からぶん投げたとか、魔王のムスコは魔王サイズとか」

「……最後のは何?見栄?」

「見栄じゃねえよ、事実だよ!……んまあそんな感じで、俺1人で大多数の意見に見えるように工作してるのな。今なら、勝手に攻め込んで捕まってる勇者が悪いから、いちいち助けに行って犠牲を増やさなくていい、的な。あ、当然そんなこと思ってねえよ!世論誘導というか、そんな感じ!本心じゃねえから!」

 何故か慌てて勇者をフォローする魔王に、勇者は苦笑いを浮かべてお礼を言ってから、続きを促した。

「それで、それは成功しているの?」

「もちろん。魔王討伐っていったって、そんな数日間で大勢の軍だか冒険者だかを集めるだけでも一苦労だろ?その上、量産型勇者を救うためだけに数十人の命を差し出す覚悟なんて、指導者にも冒険者にもあるわけがない。山登りだってきついし、到着したところで倒せるか怪しいし。そんなところにこんな世論が流れれば、飛びつくに決まってるだろ」

「……魔王っていうくらいだから魔力でどうにかするのかと思ってたけど、案外アナログな手法なんだね」

「いくら魔力があるって言っても、電子機器には通用しねえしなあ。やっぱ魔王はこういう手法で戦うのが一番だよ。昔は村に下りて行って仲違いさせたりしてたらしいけど、今はネットがある上に人を殺す必要もないんだから、良い時代になったもんだわ」

 魔王は遠い目で言ってから、それでも、と誤魔化すようにはにかんで勇者の顔を見た。

「こうは言ってるけど、限度があったから結局こんな手法取ってんだけどな。ネット人口そこまで多くないし」

「うん、ネット上の声を世論として流す番組も増えてきたけど、まだまだメジャーとは言えないもんね」

「そうなんだよなあ。まあ今回の作戦で、ふらっと魔王城来ちゃった、みたいな奴らが減ってくれれば一番いいんだけどな。さっき見ただろ?結婚相手探しに来たおっさん。信じられるか?ここ魔王城だぜ。怖い怖ーい魔王様と処刑されかけてる勇者がいる、山の上の巨大なお城だぜ。ったくよー。疲れたー」

 魔王は言いながらベッドにポスッと倒れ込んだ。勇者は苦笑いを浮かべたまま、まあまあ、なんて曖昧な返事を繰り返す。

「リーグ、素の優しさがにじみ出ちゃっているのかもね。さっきも謎に俺のフォローしてくれたでしょ。そういうとこが出ちゃってるんじゃない?ほら、リーグは魔王を上手に演じているのかもしれないけど、勇者と魔王の間に台本なんてないしさ」

 勇者の言葉に、魔王は上体を起こして眉をしかめた。

「えー?こちとら芸歴100年だぜ?でもなあ……。俺、他人が苦しんでいる姿、見たくねえもん。前にコバエが飛んできてさあ、たまたま熱された電球に当たって熱でやられてシュウウウって死んでいった瞬間見たんだけど、俺叫んじゃってさあ。電球が俺の魔法で、コバエが人間だったらって考えるともう……。うわうわうわ、無理だわー。コバエが死ぬだけでも無理なのに、人間が死ぬとこなんて絶対直視できねえよ」

 頭を抱える魔王に、勇者はまた苦笑いを浮かべる。と、ベッドに座ったまま魔王は不意に顔を上げ、床で体育座りしている勇者の顔を見つめた。

「今日は違ったけど、やっぱり勇者の仲間って乗り込んできたりするんかなあ。明日の時間ギリギリに来たりして?」

「……どうだろう。何か色々考えてたんだけど、考えれば考えるほど、正直自信なくなってきちゃったんだよね。来ないかもしれない」

「自信?」

 魔王が聞き返すと、勇者は視線を伏せながら話を続けた。

「うん。俺はいっつもこんな感じでノリで生きているんだけど、俺以外の3人は皆冷静で、その分損得で考える人間だからさ。ほら、魔王って勇者の素質持った人間じゃないと倒せないじゃん?だから無理に俺を助け出すより、新しい勇者を連れて魔王城に乗り込んだ方が確実なわけでしょ。俺なんて引きこもりだったから体力もそこまでだし、剣技が強いわけでもないし、魔法も使えないし、魔王を倒しきることが出来ない状態でわざわざ挑みに来るかなって」

「あー、そういう……。まあ俺の立場からしたらそりゃあ、ねえ。来ない方が嬉しいけど」

 魔王はそう言ってからベッドから下り、ポンポンと勇者の背中を叩いた。

「でもルガが初日に言ってたけど、良い奴らなんだろ?助け合いながらここまで旅してきたんだろ?ならきっと来てくれるって。んで、俺は怪我させずに無力化するし、ルガもパーティメンバーも全員無事に返す。記憶の操作はするかもしれないけどな」

「……うん。やっぱリーグ、優しすぎるって。本当に魔王?」

 でもありがとう、と勇者が笑いながらお礼を言った瞬間、不意にドアが開き、タリートが顔を出した。

「ああ、ルガさん。ちょっと早いですけどリハーサルもあるので、先化粧などしても大丈夫ですか?昨日より、もうちょい手の込んだことをしたいので」

「あ、はーい。もうそんな時間か」

「ええ。魔王様、こちら原稿です。セリフ覚えといてくださいね。喋ることはないですけど、ルガさんにも渡しておきます」

「はいはーい、さんきゅー」


 数時間後、魔王たちはあの地下牢にいた。マグラが手でカウントダウンをしていき、ゼロになった瞬間に魔王が喋りだす。

「やあ諸君、魔王だ。毎回同じ場所からではそろそろ飽きられると思ってね、今日は特別に違う場所からお届けしよう」

 魔王はそう言うと、地下牢の通路をゆっくりと歩き始めた。その横顔をカメラを持ったマグラが追いかける。

「ここは歴代の魔王が使ってきた地下牢だ。当然魔力で強化されているから、人間であろうと魔物であろうと打ち破ることは出来ない。これまで数多の人間や魔物がここで命を落としてきた。もちろん、魔王に歯向かった罪を背負ってな」

 不意に魔王は1つの檻の前で足を止めた。しっかりと鍵がかけられたその檻の中では、ボロボロの水色の衣に身を包んだ勇者が、床に敷かれた布切れの上で横になっていた。右足首には鎖が巻きつけられ、それは数メートルほどの余裕を持たせて、備え付けのベッドの足に結ばれている。勇者はぴくりとも動かず檻に背中を向けていて、顔を見ることは出来ない。

 魔王はその勇者の背中を見下ろし、軽い笑い声を上げた。

「そして明日。こいつもそのうちの1人になる。ああ、勘違いしないでほしい、私は無差別に人を殺したいわけではない。ただ、魔王城に自ら乗り込んできた挙げ句、私に負けた敗北者がどのような運命を辿るのか。それをゆっくりとお見せしたいだけだ。死にたくないやつは、ここに近寄らなければいい」

 魔王はそう言うと檻の前でしゃがみこんだ。カメラは斜め後ろから檻の中を覗く魔王の横顔と、一言も喋らない勇者のボロボロの背中を映し出す。

「ほら勇者、全国の皆さんにご挨拶はしなくていいのか?明日はお前の処刑の映像が生で配信される。最後に元気な姿を見せておいたほうがいいんじゃないのか?」

 それでも勇者は何も喋らない。魔王はやれやれと言わんばかりに首を横に振って立ち上がると、檻の方へ一歩足を踏み出した。次の瞬間、魔王の姿は檻の内側に一瞬でワープする。

 魔王は寝ている勇者の肩に手をかけると、そのまま抱き起こしてカメラの方に身体の向きを変えた。勇者は人形のようにぐたっとしながら、されるがまま檻の外に顔を向ける。

 その勇者の顔は、赤紫に染まった目の周り、切れて血が流れる唇、青白い頬と、元気とは程遠い姿だった。虚ろな目でカメラを眺める勇者とは裏腹に、魔王は嬉しそうにカメラのレンズを指差す。

「ほら、全国の皆が見ているぞ。これがわざわざ魔王城に乗り込んで魔王様に刃を向けたものの末路でーすって、なあ?」

 それでも勇者は何も喋らない。魔王は人形のように勇者の手を掴んで振らせていたりしたが、やがて飽きたのか少し乱暴に勇者の身体から手を離すと、檻の外に出てきた。その背後で、勇者の身体は糸が切れた人形のようにどさっと床に倒れ込む。

 魔王は勇者の方には振り返らず、カメラを見据えたままニヤリと笑った。

「明日の午後1時、こいつの処刑を魔王城の大広間で行う。生中継だ。直接観覧に来たやつは全員殺す。皆テレビの前から、勇者の末路を見るが良い。……これから勇者になろうとしているやつ、魔王に挑もうとしているやつは、こうなる覚悟を持った上で来るように。以上だ。それじゃあ、明日を楽しみにしているよ」

 魔王はそこで動きを止めた。マグラが手に持った機械を少し操作してから、カメラを床に向ける。

「オッケーです、乗っ取り終わりました。もう中継切れてます」

「うっし。良かったー、噛まずに言えたー。ルガ大丈夫?生きてる?」

 魔王は一瞬で素に戻ると、安堵の言葉を漏らしながら檻の鍵を開けた。勇者はすでに起き上がっていて、二の腕を軽く擦りながら答える。

「生きてるよ。さすがに石の床は硬いね」

「ああ、すまんな。あまり適当な布がなくて。……ってか本当にひでえ顔だなあ。魔王にやられたみたい」

 魔王が軽く笑う。タリートが足元の鎖の鍵を外す中、勇者は苦笑いしながらタリートの横顔を見つめた。

「タリートとマグラがはりきっちゃったんだよ。何か化粧セットとか大量に用意しててさ。絶対仮装大好きでしょ」

「バレました?実は毎年イベント時にはゾンビメイクしてまして。昨日の化粧品もそれの名残です」

 タリートが鎖を巻き取りながら言うと、勇者は少し笑った。

「魔族のゾンビ?何それ、ちょっと見てみたい。角生えてるから似合いそうだね」

「ええ、まあご主人様はやってくれないんですけどね。なので毎年私たちが仮装して、ご主人様にお菓子をねだりに行くところまでがワンセットです。っと、大丈夫ですか?さっき床に身体打ち付けてましたけど」

「うん、一応鍛えてはいるから大丈夫。ありがと」

 タリートの手を借りて勇者が立ち上がる。すると、片付けしていたマグラがそんな勇者の全身を見て、笑みを浮かべた。

「いやでもほんと、捕まってるようにしか見えないっすね。服も魔王様の古着だけど、ルガが身につけていた服そっくりだし。魔王様が本気出したみたい」

「俺はまじで何もしてねえけどな。大体俺が怖がられているのって、魔力が異常に強いからだぞ?これじゃあ杖で物理で殴ったみたいじゃん。俺力弱いのに」

 魔王が呆れた口調で言うと、マグラはケラケラと笑った。

「だって顔面に魔法ぶつけたら死んじゃいますよ。今主人が実際に拷問するとしたら、絶対杖で殴りますって。最終的に」

「殴らねえよ。拷問する気もないし。拷問魔法ってジャンルあるらしいけど、習得してねえし。ってかいちいち足に鎖巻く必要ある?」

 魔王が聞くと、タリートは勇者とともに牢の外に出ながら答えた。

「それっぽいじゃないですか。演出として」

「だって閉じ込めているのに、さらに拘束する必要なくない?」

「視覚効果ですよ。それくらいひどい扱いされているんだ!って思わせないと。現実は真逆なんですから、それをかき消さないといけませんし」

 タリートが飄々と答える。魔王はあまり納得してない顔で、そうか、と呟いてから勇者の方に視線を向けた。

「それより勇者、風呂行く?いや、そんな格好でウロウロされるとこっちが困るから、とっととメイク流してほしいんだけど」

「そう?俺は別にこのままでも困らないけど。結構面白いし」

 勇者が顔を軽く触りながら言い返すと、魔王は驚きで一瞬目を見開いてから、慌てて勇者の腕を掴んだ。

「俺が困るの!暗闇からそんな顔した勇者が出てきたらたまったもんじゃない!ほら風呂行くぞ風呂。片付けは任せていいから」

 掴んだ腕を引っ張りながら、魔王は階段を上り始めた。勇者も慌てて魔王の後ろをついていく。

 と、魔王は掴んでいた手を離し、薄暗い照明の下でぼんやりと浮かび上がる勇者の顔を見て、ため息をついた。

「それにしても今日でこれなら、明日どうなってんだよ。特殊メイクにでも手出すんじゃねえか?」

「えー、原型留めてないのはちょっと……。あ、でも魔王って回復魔法も使えるんじゃないの?」

「使えるよ。正直、その傷が本物だったら一瞬で治せる。まあ本物じゃないから、今から風呂にぶち込もうとしてるんだけどな」

 魔王の答えを聞いた勇者は、軽く笑みを浮かべた。メイクが不気味に曲がり、魔王は慌てて勇者から目を逸らして階段を上っていく。

「なら明日傷がなくなっていても、一応言い訳は出来るね」

「そうだなー。というか演出として、顔には傷がない方がいいよな。そもそも、今日あんな虚ろな目で意識失いかけていた人間が、明日まで持つのかよって話だけどさあ。ちょっとやりすぎたかなあ」

「うーん、俺はちょっと楽しかったけどね。タリートたちも楽しそうだったし。まあ整合性取るなら、歩きとかは一切無しで大広間から始めてもらうしかないかも」

「だよなー。ちょっとタリートと相談するわ、今のままだと5分で終わりそうだし。ワンチャン死にかけから回復魔法撃って、そこから連れ出してって手も……。いや長えか。地下牢遠すぎるし。でももうちょい近い場所からスタート出来るなら……」

 魔王はしばらく独り言でぶつぶつ言っていたが、ようやく階段を上りきって廊下に差し掛かったとき、不意に勇者の方へ振り返った。

「そうだ。明日終わったら適当な田舎に飛ばすって言ったじゃん?どこか行きたい場所考えておいてよ。国内じゃなくても全然いいからさあ。何か外国の海の近くとか山の近くとか、温暖な気候のところとか。ルガの部屋に旅行ガイドみたいなのあるはずだから、考えといて」

「……そっか、もう明日かあ」

 勇者が少し寂しそうな口調で言う。が、魔王はその哀愁には気づかなかったのか、明るい調子で言葉を続けた。

「長かったよなー、ごめんな、ここまで協力してもらって。いやー、まじルガでラッキーだったわ。演技うめえし、話合うし。普通の勇者だったら、そんなメイクされた瞬間に怒るかビビるかしそうなもんだけど、ルガは本番にも強いし。いや良かった良かった。後はこれで来る量が減ってくれれば……。あ、ほら、そこ風呂。ゆっくり入ってきなよ、俺は部屋戻って仕事してくるから」

「あ、うん。ありがと」

 勇者の返事も待たず、魔王はマントを取りながら廊下の奥に消えていく。勇者はその背中に向け、明日か、と呟いてから浴場の中へ入っていった。


 その日の夕飯、4人分の食事が並んだ席に、ジャージ姿の魔王、同じくジャージ姿の勇者、エプロン姿のマグラ、そしていつも通り黒ベスト姿のタリートが席についた。今日のメニューは五穀米、魚の竜田揚げ、グリーンサラダ、味噌汁、根菜の漬物。魔王の席には、サラダの代わりに魚の南蛮漬けが置かれている。

 挨拶もそこそこに竜田揚げを一口で頬張った魔王は、口の中のものをすぐに飲み込んで口を開いた。

「明日どうする?正直さあ、今日煽りすぎた感ねえか?」

「そうですか?脅すなら徹底的にやれ、はご主人様のお父上から引き継いだマインドですが」

 タリートが箸で器用に竜田揚げを切り分けながら答えると、茶碗を持ったままのマグラも会話に加わった。

「そうっすよ。主人が神様で俺らが天使ならやばいかもしれないっすけど、敵対している人間相手に流す警告動画っすよ。嘘八百並べ立てて、脅すだけ脅して、何なら可愛い女の子とか生贄に要求しても文句を言われない立場っすよ」

「それ、魔王ってよりオロチとか怪物の手口だろ。さすがにそこまでやるのは面倒くさい」

「理由がプライドとかじゃないのが主人っぽいっすね」

「だって女の子を生贄にって、迎えて世話して、何なら話聞いてやる必要あるだろ?万が一惚れてきたらどうすんだよ。俺にはウルフナちゃんっていう嫁がいるのに!」

 熱がこもった魔王の言葉に、サラダをつついていた勇者が驚いたように魔王の顔を見つめた。

「え、嫁?リーグって結婚してるの?」

 その質問に答えたのはマグラだった。彼は軽く笑いながら、南蛮漬けをがっつく魔王を横目で見る。

「違いますよ。オオカミ少女とヒツジ少年っていう魔王様が一番好きなアニメで、それの主人公の女の子の名前っすね。ウルフナちゃん。まああれっすよ、誰々は俺の嫁!とかいうオタクワードっすね」

「オタクワードとか言うなよ!まじで可愛いんだから!」

「うわ、主人食べながら話さないでくださいよ。あと夕飯時にオタク語りしないでください」

「ったく、まじ偏見だわー。ほんと俺の趣味に対して理解がない」

 魔王はぶつぶつ言いながらご飯をかき込む。と、タリートは困ったような笑顔でポツリと呟いた。

「私達はそのアニメを見ているわけじゃありませんが、グッズ類にいくらお金を使っても何も言っていないので、そこで満足してほしいんですけど」

「でも結局俺が稼いだお金じゃん?」

 魔王が言い返すと、すかさずマグラが口を開く。

「うわ、それ経済DVする人が言うセリフっすよ。俺らがいないと主人生活出来ないんですから、常に感謝を忘れずに生活してくださいよ」

「常に感謝を忘れずにって、金稼いでくれてありがとうって聞いたことないけど、俺」

「だって主人、この城はもっと魔族の街に近いところにあったんすよ。主人がわがまま言ってここに持ってきたんですから、俺らが働きに出れなくなった以上、わがまま言った本人に頑張ってもらうのは当然じゃないっすか」

「あーもう分かったって!はいはい、いつもありがとー!」

 あっという間に魔王が論破され、勇者は思わず笑い声をこぼした。

「本当に仲良いね。んでリーグ、言い合い弱すぎ」

「っせーよ。俺はこの世で最強の魔王だからいいのー。本気出せばこの世の統一なんて一瞬なんだから。タリートもマグラも勇者もぼっこぼこだし、骨すら残らねえし。殺されないだけ感謝してほしいね」

 魔王が負け惜しみを口走り、3人は笑い声を上げた。魔王はその笑い声が心外だとでも言うように、口をへの字に曲げたまま、竜田揚げを口いっぱいに頬張る。

 と、ようやく笑いが収まった勇者が、ことりと箸を置いて目を拭った。

「本当に面白いなあ」

「どうしたんすかルガ、食欲ないっすか?それとも今日の演技でどこか傷付きました?魔王様に何かされました?撮影にかこつけて叩かれました?暴言囁かれました?」

「あ、いや、そういうわけじゃない。そこは何もない、うん、大丈夫」

 マグラの言葉を勇者は早口で否定してから、少し寂しそうな顔で手元に視線を落とした。

「いや、友達出来た事がほとんどなかったからさ、この3日間、びっくりしたけど楽しかったことだらけでさ。最初は戸惑ったけど、提案を受け入れてよかったなあって」

「なら良かったっす。俺らもルガを苦しめたくてやってるわけじゃないっすから」

「うん、それはありがとう。……あの、それでさ、明日以降もここにいちゃ、ダメかな」

 勇者の言葉にマグラもタリートも、そして魔王も食事の手を止めた。数秒の空白の後、マグラがゆっくり聞き返す。

「それは、この魔王城に住みたいってことっすか」

「住みたい、とまではいかないけど、もう少しくらい……」

 勇者の回答を、タリートの鋭い声が遮った。

「ルガさん、それはいけません」

「……ダメかな」

「ダメです。本来人間と魔族は相容れない種族なんです。魔王様はたまたまこんな性格ですが、それ以外の魔物は何百年にも渡り人間と戦い続けています。その確執は、数年単位では決して解消出来ません。人間と魔族が共同生活する、というのは超えてはいけない一線なんです。ルガさんは普通の人間で、私たちは魔族。人間は人間同士で、魔族は魔族同士で暮らさなきゃ、結局は誰も幸せにならないんです」

 タリートが語気を強めて言うと、魔王もゆっくりと首を縦に振った。

「ああ。申し訳ねえけどタリートの言う通り、そこは超えちゃいけない一線なんだ。俺もルガと遊べて嬉しかったし、まだまだ語りたい漫画やアニメはいっぱいあるし、これからも一緒に過ごせたらどれだけ楽しいかとは思ったけど……。でも俺にはルガを殺せる力があるし、ルガは俺を殺せる力がある。そして互いに、倒してほしいって願っている同胞が何千人、いや何万人といるんだ。お前の田舎の両親や親族がもし魔王を殺してほしいと懇願して来たら、それを突っぱねて二度と人里に戻らない選択ができるのか?葬式にすら出れないんだぞ」

「……それは」

 勇者が言葉を濁した。そんな勇者の顔を見て、魔王は優しげな笑みを浮かべる。

「だろ?で、俺も同じように、勇者を殺してくれってタリートに頼まれたら、断り切れる自信はない。……タリートの父親は、先代の魔王、つまり俺の父親の側近だったんだ。分かるだろ?」

「……確か、先代の魔王が勇者に倒されたとき、側近も大多数が一緒に」

 勇者が思い出すように呟くと、タリートはこくりと無言で頷いた。勇者は自らの手元をじっと見つめてから、首を振って箸を手に取る。

「ごめん。そもそも俺も、最初は魔王を倒しに来たんだよね。調子良すぎた。魔王を倒す力を持った人間をわざわざ勇者って呼んでいるような場所から来たくせに、一緒に過ごしたいとか言ってごめん」

「いや、あー、まああんま落ち込むなって。俺もルガくらい若かったら、絶対残ってくれって言ってたし。これも難しい話でさあ、どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、それぞれの正義があるっつー話?人間は昔同胞を魔王の一族に殺されているから、今も魔族全体を恨んでいるし、で、魔族ももっと広いところで生活したいから人間を襲う。そして、俺はゲームで言えば、もはやステージ1のど真ん中に王の城を置いているような状態だからさ、そりゃあ相手は全員こっち来るわな。……そういう世界なんだよ。誰が悪いも良いもないんだよ。ルガが、自分を責める必要はないんだよ」

 魔王がつっかえつっかえ声をかけると、マグラが少し茶化すように笑った。

「主人、やっぱり良いことは言い慣れてないっすね。いっそ、魔王のキャラでやった方が言いやすいんじゃないっすか」

「キャラって言うなてめえ。あー、そうだな……」

 魔王は咳ばらいをすると、真っ直ぐ勇者の顔を見つめて口を開いた。

「魔族には魔族の理想があるように、人間には人間の理想がある。俺は、自らの手でエデンを作り出して見せる、そう誓ってこの世の荒波を乗り越えてきた。だから、貴様も頼ってばかりではなく自らの手で未来を切り拓いていけ。その道は、もしかしたら俺らや他の種族の道と重なることもあるだろう。その時は互いに全力で刃を交えよう。……こんな感じ?」

「いや正解は知らないっすけど……。魔王って言うより長老っぽいっすね」

 マグラが再び茶化し、魔王は疲れたように首を振ると箸を手に取った。

「まあなんだ、とにかく無理なもんは無理。ルガが辛いようだったらここでの記憶をすっぽり抜いて、偽物の記憶植え付けて帰す。俺が出来るのはそれくらいだ」

「リーグのこと忘れちゃうのか……。それはもっと嫌だな」

 勇者が悲しそうに言うと、魔王は一瞬手を止めてから、無表情で南蛮漬けを口に入れた。

「忘れた方が色々幸せだと思うぜ。こんな城に引きこもってる、誰かを殺す度胸すらない魔王の相手に貴重な人生使うよりも、気の合う仲間を見つけて遊んだり、仕事したり、趣味見つけたり。そっちの方が絶対ルガは幸せになれるはずだ」

 魔王のぶっきらぼうな、それでいて愛のある言葉に、勇者は一瞬魔王の顔をじっと見つめてから、不意に涙をこぼした。魔王も、そして勇者自身もその涙に驚いた様子で、慌てて手の甲で涙を拭う。

「あれ、泣くつもりじゃなかったのに。……やっぱリーグも、もちろんマグラもタリートも、優しすぎるって。……うわ、ごめん、止まらない」

 突然の涙に、マグラも魔王も慌ててティッシュを差し出したりする中、タリートだけは穏やかな瞳で勇者の顔を見つめた。

「この一瞬だけでも、そう思って頂けて幸せです。魔王様の素の優しさが伝わる機会なんてそうそうないですから。今すぐは無理でも、これから数百年後、もし互いの種族がもっと発展して歩み寄れる日が来たときに、我々の子孫が橋渡しの役目を出来ればいいですね」

「……うん」

 勇者がぐずぐずと鼻を鳴らしながらも頷くと、勇者にティッシュを渡していた魔王がタリートの方を振り向いた。

「お前、さらに勇者のこと泣かせるんじゃねえよ。あー、何か俺まで泣きそうになってきた……」

「泣けばいいと思いますよ。涙はストレス発散って言いますから」

「優しいんだか冷たいんだか分かんねえな!……ああ、本当に、ルガ、生まれ変わったら今度タリートの子どもにでもなってくれ。俺ら寿命の差があるから、ルガが寿命で死んでもまだ十分実現できる。そしたら語り明かそう。俺と、俺の子どもと、ルガと、タリートと、マグラで」

 魔王もつられて涙声になり、勇者はティッシュで鼻をかみながらうんうん頷いている。マグラも手で目を拭う中、タリートだけは涼しい顔で竜田揚げを頬張った。

「勝手に私の子どもにしないでください。そもそもご主人様が城の位置を動かさない限り、私もマグラも出会いがないんですから」

「そんな現実をわざわざ口に出すなって。……あー、ルガ約束だからな。絶対!子孫は一緒に暮らせる世の中にするから!こっそり魔王のイメージ変えていくから!アイドルユニットを作る!アニメを作る!キャラソンを出す!サイン会も開く!音楽イベントもやる!」

「自分の欲望を紛れ込ませないでください。そもそもご主人様、歌えるんですか?」

「うるせえタリート!歌くらい魔法でどうだってなるわ!現実主義者、冷血漢!」

「どうにもならないから聞いてるんですが……」

「どうにでもなるんだよ!」

「ラジオ体操もリズム取れてなくて、最後の方動きが高速化してるじゃないですか」

「魔王なんだから、口パクでも影武者でも何でも使ってやるわ!ルガ、絶対また会おうな!来世でも、転生でもどっちでもいいから!約束だからな!」

 魔王と勇者は熱い抱擁を交わした。マグラが涙を拭きながら、主人良かったっすねえ、という横で、タリートは呆れた笑みを浮かべたまま味噌汁をすする。

「泣くのはいいですけど、せっかくマグラが作ってくれたご飯冷めますよ」

「タリート!今良いところなんだから邪魔するな!飯はまた温めてもらうから」

「あと明日早起きしてもらいますから。早く食べてお風呂入って寝てください」

「分かってるって!ちょっとくらい平気だろ!なあルガ、絶対皆が幸せになる世界作ってやるよ!」

 魔王が両手で勇者の手を握りながら叫ぶ。その姿を横目で見たタリートは、軽く肩をすくめた。

「あんま感情移入すると、辛いのはご主人様ですよ。勇者の記憶は消せても、ご主人様の記憶は消せませんから」

 その声は、魔王と勇者の泣く声にかき消された。

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