勇者パーティーの冒険―第3話―

「うー、頭痛い、気持ち悪い……」

 翌朝、宿のロビーのソファで、魔法使いが頭を抱えながらうずくまっていた。その隣では、レンジャーがぐったりと背もたれにもたれかかっている。

「分かる。超だりぃ……。頭がぐらぐらする」

「ほんっとに……。飲み過ぎた……」

 そんな2人へ、カウンターから戻ってきた戦士が面倒くさそうに水の入ったコップを手渡した。受け取った魔法使いとレンジャーは、それを一気に飲み干してまた頭を抱える。

「飲みすぎなんだよ。ベロンベロンに酔っ払いやがって。昨日の記憶ある?」

「……最初の方しかない」

「俺も。飯が美味かったのは覚えてっけど……」

 頼りない2人の回答に、戦士もまるで二日酔いかのように頭を抑え顔をしかめた。

「お前らなあ……。明日だぞ?明日のこの時間には魔王城に攻め込んでいるんだぞ?前日からそんな調子で大丈夫なのかよ。今日だって朝早く経とうとしたのに、お前らが起きないもんだから結局この時間だし」

 戦士の視線の先には、10時を指す時計があった。レンジャーが重たそうに頭を持ち上げつつ言い返す。

「だって、せっかく俺らが金出すなら、楽しみたいじゃん」

「……ほんっとうに覚えてねえんだな。結局お金も払ってもらったんだよ。これから魔王に挑みに行く人に払わすわけにいかないって」

「えっ、そうなの?うっわ、最高じゃん。もっと飲んどきゃよかった」

 レンジャーが言うと、その隣でぐったりしていた魔法使いも頷いた。

「ほんと、君と出会った奇跡に乾杯、明日は酔っ払い、ってやつ……」

「あのなあ……。曲の歌詞みたいなこと言う余裕があるなら、そろそろ行くぞ」

 戦士が呆れたように荷物を持ち上げ、魔法使いは丸まりながら、うーという唸り声を上げた。

「余裕がないからこんなこと言ってるんだけど……」

「はあ……。じゃあまず、市場で二日酔いの薬探すか。首都だから何でもあるだろ。ほら、行くぞ」

「ふぁーい……」

 魔法使いとレンジャーが重たそうに身体を持ち上げる。戦士はそれを見て軽くため息をつくと、カウンターにコップを返してとっとと歩き出した。魔法使いとレンジャーも重たい足取りでそれを追いかける。

 外に出ると、首都は昨夜のギラギラとはまた違った顔を見せていた。レンガで舗装された道の上を、荷物満載の馬車、車、そして人々が絶えることなく行き交い、街のあちこちからはお客さんを呼び込む声が響き、夜の喧騒とは違う、昼の明るい活気が城壁の中を満たしていた。

 3人が市場通りに足を向けると、馬車の往来がより激しくなった。通りの脇には露店がずらりと立ち並び、たくさんの商人がバリエーション豊かな商品を店先に並べている。

 カラフルな露店と活気ある掛け声につられたのか、戦士は店先を覗き込みながら少しだけ弾むような声を出した。

「にしても色々あるな。見てると欲しくなって困る。これだけあるなら、魔王討伐用の有用な武具も売ってて欲しいんだけど」

「あー、それ欲しいわね……。投げつけるだけで魔王が消滅する薬とか、コマンド入力したら魔王の能力が全部ゼロになるリモコンとか……。上上下下左右左右BA……」

「何それ呪文?魔法使い、まだ酒残ってんのか?」

 不思議な文字列を発する魔法使いに、戦士は軽く呆れた声をかけてから、薬を扱う露店の前で足を止めた。店主らしい40代の男は、戦士を一瞥するとすぐに口を開く。

「筋力増大の薬はうちにはねえぞ」

「いや、二日酔いの薬探してるんだ。連れが飲みすぎて」

「連れ?」

 店主はそこでようやく戦士の後ろに立っている魔法使いとレンジャーに気づいたようだった。彼は瞳にわずかに呆れを宿したが、すぐに並んでいる薬の一番端っこの品物を指差してぶっきらぼうに言う。

「それだ。1回飲めば30分くらいで効くはずだ。1包600ローフ。2つセットならまけて1000」

「ああ、じゃあセットでもらおう。水で飲めばいい?」

「そう、水で流し込めばいい。粉末状になってるが、苦いから一気にな。……どうも」

 戦士はお金と引き換えに、白い紙で包まれた茶色の粉末状の薬を受け取った。それを2人の元へもっていき、荷物に入っていた水筒とともに手渡す。

 早速魔法使いはフラフラと粉末を流し込み、思いっきり顔をしかめながら水を流し込んだ。

「にっがぁ……。これ本当に治る?」

「さあ。まあ身体に悪いもんは入ってねえだろ」

 魔法使いが思いっきり舌を出す横で、レンジャーはまだ粉末を手で弄んでいた。戦士がそれを咎めるように言う。

「レンジャーも飲めよ。お前らが調子悪そうだったから買ったんだぞ」

「えー。だって苦いんでしょ?」

「普段そこら辺の野草プチプチちぎって食ってるやつが、何言ってんだか」

「それはあれ、レンジャーとしての訓練の一環というか」

「じゃあそれも訓練だ。しかも身体に良いことは証明済み。さあ飲め」

「えー……」

 レンジャーは嫌そうな顔のまま、渋々粉末を口の中に流し込み、水で一気に飲み干した。だが、勢いが良すぎたのか、彼は眉間にシワを寄せながらむせ返り始めた。そばにいた魔法使いが背中を擦り、戦士は呆れたように視線を逸らす。

 と、その逸した視線の先に、鎧をいくつもドーンと飾っているひときわ目立つ店があり、戦士は思わずその店先に足を向けた。そこは鎧を専門に扱っているお店で、店先に現れたごつい鎧姿の戦士を見た店主が、嬉しそうに話しかける。

「おっ、お兄さんまたえらい鎧着てはりますねえ。そんだけ大きいと重たいんちゃいます?」

「ああ、まあな」

 店主はまだ若い20代から30代くらいの青年で、この辺りではなかなか珍しい方言を操っている。

 そのリズム感のいい方言を使いながら、店主は戦士に向かって畳み掛けてきた。

「ごついのもええですけど、やっぱ最近の流行りは機動性と柔軟性。つまり硬さだけやなくて、動きやすくそれでいて防御の高い鎧が人気なんですわ。お兄さん、それ結構年数経ってるんちゃいます?」

「年数か。そうだな、もう3年くらいか。身体に馴染んでるから買い換えるのもな」

「3年?ほんならちょうど替え時やないですか!やっぱり現役の冒険者の方の鎧って、いくらきれいに手入れしてても、細かい傷とか魔物の酸とかで劣化してきはるんですよ。でも外見の変化はほぼなくて、中からじわじわ悪くなっていくことが多いんですね。それに気づかんまま使い続けると、ある日そこまで強くない魔物の攻撃を受けたダメージがトドメになって、パリン!なんて。……怖ないですか?」

 大げさな身振りで説明する店主に、戦士は情景を想像しながら確かに、と頷いた。彼の瞳の中では、魔王と対峙したときに鎧が砕ける最悪の映像が展開されている。

 やから、と店主はそんな戦士に向かって近くの鎧を指差した。

「今が買い替え時なんですよ。身軽なら、その分咄嗟のピンチにも対応出来ますし。後ろから不意打ちしてきた敵、勝手に攻撃を始める味方、そして急所を狙ってくる強敵!これ全部、素早さがものを言う場面やないですか。そんなときに役立つのが、この機動力を重視した鎧なんです!」

「ほう」

 戦士が指さされた鎧を見ると、確かに今着ているものよりも関節部分の装甲が薄く、飾りも全体的にシンプルで簡略化されている。

 戦士はそんな鎧を眺めながら、少し渋い顔をした。

「機動力って言うけど、攻撃を受け止められるものじゃないとしんどいぜ。これこそ壊れそうじゃねえか」

 その質問に、店主は自慢気な笑顔を見せた。

「もちろん魔物との戦いを想定した実験をし、牙の攻撃100万回耐久テストをクリアしとります。実力は折り紙付きです!」

「でも俺ら魔王に挑むんだけど。あんま薄すぎると魔法が貫通してきそうでな」

「魔王に挑む!お兄さん、めちゃくちゃ実力者やないですか!それなら尚更ですよ。魔王は軽装な分素早いですから、鈍重な鎧じゃ近づくことすら出来ません。鎧を軽くして動きを軽快にすれば、戦法も広がるってもんですよ」

「魔法の耐久テストは?」

「もちろんしとります。ただ魔王の力は桁外れなので、そこまでは分からんのですけど……」

 店主の声が自信なさそうに小さくなった。戦士は鎧の装甲を触りながら、慌てて言葉を付け足す。

「ああ、別に魔王の魔法を防ぐ鎧をくれっていうわけじゃねえ。とりあえず普通の魔法を防げるレベルなら考えようかなって意味だ。今着ている鎧も、魔法に対しては弱いしな」

「ああ、そういうことでしたか。なら試します?普通の魔法は耐えられる設計になってますので!」

 店主は、普通の、をやたらと強調して言う。戦士は一通り鎧を触ってから、人混みの向こうに見える魔法使いの後頭部に呼びかけた。

「お、じゃあ試そうかな。おーい、魔法使いー」

 その声は人混みの中でもよく通り、一発で気づいた魔法使いが気だるそうな足取りで近寄ってきた。頭を抑えているレンジャーもセットだ。

 まだ薬が効いていないのか死にそうな顔をしている2人に、戦士は真顔で問いかける。

「……魔法撃ってもらおうと思って呼んだんだけど、そもそもその状態で使えんのか?」

「それは平気。……ちょっとコントロールは怪しいけど」

 魔法使いが覇気のない口調で答え、戦士は面倒くさそうにため息をつく。

「静止している鎧に当てる自信は」

「んー……。9割」

「9割もありゃ上出来だ。耐久テストしていいらしいから、ちょっとこれに向かって撃ってくれ。簡単かつ弱めでいい」

 戦士が鎧を指差しながら言うと、魔法使いは一瞬気だるそうな表情を浮かべた後、すぐに杖を掲げて詠唱に入った。そして二日酔いとは思わせない彼女の軽やかな声が、周囲に響き渡る。

「レッドマジック、ファイアーボール!」

 魔法使いにとっては基礎中の基礎である、小さい火の玉が杖の先から撃ち出され鎧に衝突し、ジュワッという魔法特有の攻撃音が響き渡った。

 わずかに立った白煙は風に流され、すぐに攻撃を受けた鎧の表面が姿を見せる。するとそこには、ちょうど魔法と同じくらいの穴がポッカリと空いていた。穴の周囲にはまるで血の跡のような、禍々しい赤紫色の魔法の残骸がべったりとへばりついている。

 戦士は一瞬唖然とした後、店主に向かって声を荒らげた。

「おいおい、魔法全然だめじゃ……」

「あー!ちょっとお客さん、うちの売り物に何してはるんですか!」

「……は?」

 文句を途中で遮られた戦士が、少し間抜けな声を出す。だが店主は、戦士などいなかったかのように無視して鎧に駆け寄り、ポッカリと空いた穴を何回も撫で回した。

「ああ、お客さん!鎧にこんな穴を……!うちの大事な売り物ですよ?何てことしてくれはったんですか!」

「は?いや、俺らはお前の勧めに従ってテストを……」

「いやいやいやお客さん、そちらの魔法使いの方、体調悪いでしょう?魔力制御もせずにフルパワーで撃たれちゃ、耐えられませんよ。物理攻撃には強いですけど、その分魔法に弱いのは定石やないですか」

「いや、魔法使いはだいぶ抑えて撃って……」

 戦士の言葉も無視して、店主は大声と大げさな身振りで商品がダメになったアピールを繰り返す。と、その商人の特徴的な喋り方につられて、通行人が戦士たちの方を見てヒソヒソし始め、その声でようやく戦士たちは自らの置かれた立場を理解した。商人に喧嘩を売る武器を持った冒険者と、商品を傷つけられて泣く丸腰の商人。こいつらは若い商人をいじめ、言いがかりをつけているやばい冒険者、というレッテルが通行人の視線によって背中に何重にも貼られていく。

 戦士は突き刺さる冷たい視線に冷や汗をかきながらも、自身の感情を必死でコントロールして怒りを鎮め、大げさな演技をし続ける店主に一歩近づく。と、店主は鎧を抱きかかえるようにしながら戦士の顔をわずかに見上げた。

「ああ、何も使われとらんのに、こんな穴が空いて可哀想に!でも修理するには穴が大きすぎて……。ごめんなあ、捨てるしか選択肢がないんや。1回も使われんまま捨てちゃってごめんなあ。……ねえお客さん、もちろんこれ弁償してくれはるんですよね?当然ですよね、自分たちで撃った魔法ですもんね。鎧に対してフルパワーで撃ったらこうなるの、分かっていたでしょう?」

「弁償?いや、全然フルパワーじゃ……」

「当然弁償してくれはりますよね?だって僕魔法使えませんもん!なのにこの傷。……誰に傷つけられたんでしょうねえ。魔物に襲われるわけでもないこんな首都のど真ん中で、ねえ?」

 店主は鎧に語りかけるような口調で言いながら、ちらりと戦士に視線を向けた。戦士は怒りで身体を震わせつつも、どうにか平静を装って言葉を絞り出す。

「お前、もしかして最初から、それ狙いであんなトークを……」

「あーあ。これ仕入れ高かったんですよ。対モンスター用や言うたのに、こんな対人みたいな真似事せんでもええんちゃいますかー」

「てめえ……」

 コントロールのかいもなく、戦士の顔が怒りで赤くなっていく。と、商人は穴が出来た鎧で身を守りながら、戦士に向かってにっこりと笑いかけた。

「まあ売り物っちゅーことですし、5万ほど支払っていただければ、ねえ?」

「5万?買う必要もないこんな薄っぺらい鎧に、5万?」

「薄っぺらいて。薄く加工するの大変なんですよー。安いほうですって。実店舗やと、なんだかんだ10万するようなものもありますから。素直に支払って嫌なことは綺麗サッパリ忘れましょ。ね?」

「物は言いようだろ。5万の価値もねえよ、せいぜい5000」

「傷つけといて値切るのはあかんちゃいますー?しかも10分の1」

「お前が試していいって言うから撃っただけだろうが!」

「やからって、魔王に挑むほどの実力の持ち主が全力出したらあかんのちゃいますかー?」

「だっかっらっ……」

 戦士が必死で言い返す。だが目の前に穴が空いた鎧がある以上、戦士の立場が悪いのは明白で。

 店主の口からポンポン飛び出てくる言葉に押され、戦士は思わず助けを求めるようにレンジャーと魔法使いの顔に視線を向けた。が、レンジャーも魔法使いも二日酔いのせいかそれとも商人の言葉のせいか、真っ青な顔でただただ黙り込んでおり、唇が動く気配はない。

 戦士は助けを求めるのを諦め、言葉を並べ続けている店主の顔をじっと睨みつけた。それでもまだ店主の言葉は止まらない。

「おっと、脅さんといてくださいよ。僕、武器持ってないんですよ。まあ5万っちゅーのは慰謝料も入っとるんで、あんま値切られても困るんですけど、もし心の底からの謝罪があるならちっとは考えてもええですけどね」

「謝罪?」

「分かりますよね。最上級の謝罪のポーズ」

「……土下座しろってことか?」

「まあ真っ直ぐ言うとそうですね。そうしたら減額、考えときますよ。反省の色が見られるっちゅーことで」

「……てめえ」

 戦士は怒りで震えながら店主の顔を睨みつけた。だが店主は涼しい顔をして、鎧の影に隠れたまま鎧に空いた穴を撫でている。

 戦士は地面に視線を向け、どうやってこの場面を切り抜けようか脳内で何回もシミュレーションを繰り返し始めた。だがどの選択肢をとっても、お金を払うかプライドを捨てるかという、最悪の展開にしかならなくて。

 彼が全てを諦めて地面に膝をつこうとしたとき、横から男の声が割り込んできた。

「おいブイン。まだそんな阿漕な商売やってんのか?やめろって言ったよな、俺」

 戦士が声の方を見ると、そこにはごく普通の布服を身につけた青年が立っていた。年の頃は店主と同じくらいで、黒髪に平均的な体格と特筆できる特徴はない、至って普通の青年だ。

 そんな彼は店主の前まで歩いていくと、正面から彼の顔を見つめた。

「薄っぺらい実戦では使えない鎧ばっか並べて、テストさせて傷つけたら弁償金、なんて言って冒険者から金を巻き上げる。そんな手口がここで通用すると思ってるのか?」

「うるさいねんトイマ。俺の稼ぎの場、邪魔せんといてくれる?」

「こんな詐欺まがいの手法、やっぱり見逃せねえよ」

 戦士は驚きながらただただやり取りを見守る。と、トイマと呼ばれた男が振り返り、戦士に向かって軽く頭を下げた。

「すみません、この商人ブインって言って俺の友人なんです。あ、俺はトイマって言います。冒険者向けの消耗品の卸業してます。彼、口は回るけど仕入れがクソ下手で、いつも贋作とか失敗作とか、粗悪品ばかり掴まされてくるんです。だからこうして偽物並べて嘘八百言って破壊させて、最終的にお金をもらうっていう詐欺みたいな行為を繰り返していて」

 トイマの説明に、ブインはムッとした表情でトイマを睨みつけた。

「でも壊されたのは本当やんか」

「ブインが素直に本当のこと言っていれば、この人も買う気にならなかったよ。見てよこれ。表面に金属の板貼り付けて、裏地に布を貼り付けただけの鎧。緩衝材も何もなくて、金属はただのアルミ。合金じゃなくて単一素材だから、強度も足りてない。剣で殴れば凹むし、魔法で殴れば溶ける。事実をしっかり説明していれば、試し行為もせずにどっか行っていたよ」

「どっか行ったら、俺の稼ぎにならんやん」

「でも隣の店で品物卸しながら聞いていたけど、この人達魔王に挑むんでしょ?そんな人相手にそんな売り方していいと思ってるの?ブインの説明を信じて鎧を装着したら一発で倒されるし、下手したら魔王城にすらたどり着けないかもしれない。ブインのせいで、人が死ぬんだよ」

 トイマの冷静な言葉に、ブインはハッとした表情を浮かべてから、すぐに気まずそうに視線を逸した。少しの空白が2人の間に漂う。

 黙り込んでしまったブインに代わり、トイマは再び戦士たちの方へ向き直ると、深々と頭を下げた。

「すみません、変なことに巻き込んで。僕が謝るのも変ですけど、こんなのでも友人なので許してください」

「あ、ああ……。おい、ブインとか言ったな。お前ずっとこんなことやってんのか?」

 戦士がブインに問いかけると、彼はムスッとした顔のまま首を横に振った。一転して何も喋んなくなったブインに代わり、またトイマが口を開く。

「ずっとではなく、彼はもともと真面目な商人でした。けれど、来る日も来る日も不良品粗悪品失敗作贋作ばかり掴まされて、仕入れ値の半分で売れれば良い方、みたいな状態だったんです。ならこれでお金を稼いでやるって、自分で修理やら補強やらするのかと思いきや、こんな詐欺まがいの商法に手を出し始めて……。まだ一週間くらいしかやってないんですけど」

「ああ……。占いとか分かんねえけど、生まれた星が悪い、ってやつか」

「まあそんなところです。とにかく運が悪いんですよ。だからって、冒険者さん相手に吹っかけていいわけじゃないんですけどね」

 トイマはそう言ってから、ブインに向かって謝るよう促した。ブインはまだムスッとしていたが、やがて渋々戦士の前に立つと、小さな声ですみませんでした、と頭を下げた。

「魔王討伐行くほどの実力者なんて、正直金持ってそうやから、ちょっとくらいええかな、って思ったんです」

 ブインの言い訳めいた言葉に、戦士はゆっくり首を振って言い聞かす。

「逆だよ。魔王討伐行くやつらほど金はねえんだ。魔王なんて簡単に倒せねえし、移動に時間かかるから依頼もポンポン引き受けられねえし、でも武具は揃えなきゃいけねえから金だけ飛んでいくんだ」

「そうやったんですね……」

 本気で反省したらしいブインが、か細い声で答える。と、トイマがパッと顔を上げ、戦士を見つめた。

「すみません。お詫びさせたいんですけど、こいつさっき言った通り仕入れ下手で、金も物もないんです」

「ああ、まあ俺らも実害はないとはいえ、時間と魔法使いの魔力を消費させられたのはまだ腹が立ってる。明日魔王に挑みに行くんだ」

「明日?……そうだ、ならお詫び代わりと言ってはなんですが、これを持って行ってください」

 トイマはそう言うと、近くに置いてあった彼の荷物から何やら小さいビンを1つ取り出した。戦士が受け取り不思議そうな顔で眺める。

「何だこれ」

「最近出た新しい回復薬です。ほら、魔王が勇者を人質に取ったでしょう?それで各社が色んな製品の発表を早めたんですよ。それもそのうちの1つで、飲むと魔法の傷の回復と魔法に対する抵抗が一時的に上がります。まあ効果は10分ほどなんですが」

「……本物なんだろうな」

 戦士がビンを眺めながら低い声で言うと、トイマは慌てて両手を振った。

「本物です!ってまあ信用できないのも分かりますけど……。僕この街の冒険者ショップに品物卸しているので、あとで覗いてみて頂ければ、本物だと確認取れるはずです!」

「ふうん……。分かった、この話はこれで終わらそう。いい友達持ったな、でないと危うく切り殺すところだった」

 戦士がビンをしまいながら言うと、その横でようやく顔色を取り戻してきたレンジャーがぽつりと呟いた。

「しないくせに。今切ったら首都出れないから」

「良いんだよ、本心なんだから。というか二日酔いで死んでたくせに、今さら回復してんじゃねえよ」

「今薬効いてきたんだよ。ようやく。だいぶ楽になったわ」

「なら良かった」

 そう会話を交わす戦士たちへ、トイマが恐る恐る問いかける。

「あの、そういえば明日魔王を倒しに行くって、そのー。勇者を救うため、ですよね」

「ん、ああ。そう。それで今最後の準備してるんだ」

「討伐隊とか組んでいくんですか?その……。強いんですよね、魔王」

 その問いかけに、戦士は少し戸惑うようにレンジャーと魔法使いを見た。すると、ようやく顔色を取り戻した魔法使いが、普段通りの強気な表情を浮かべて口を開く。

「いや、3人で行く。あの捕まっている勇者は私たちの仲間なの。他人は所詮他人、助けられなきゃ撤退、なんて生ぬるい考えの持ち主がいたら最悪だから」

「あ、そうなんですね。確かに今朝、魔王城への公的な派遣は行わないってテレビで言ってましたね。……ブイン、もう一度謝っとけ。あれは勇者助けに行く人達には、絶対にしちゃいけない行為だった」

「……すみませんでした」

 ブインは、今度は深々と頭を下げた。戦士が首を振って答える。

「たとえ魔王を倒さない冒険者でもやっちゃだめだからな。……その演技力、俳優でも目指したほうが良いんじゃねえの。口も立つようだし、芸人とかでもいいかもな」

 戦士の提案に、ブインはなぜかハッとした表情を浮かべた。だが彼が何かを言う前に、レンジャーがぐいっと話に割り込む。

「それよりよ、2人とも商人なんだろ?都市移動とかする?」

「あ、ええ、まあ」

「ならよー、ここから魔王城ふもとの村まで安く行ける馬車とか知らねえか?俺ら3人乗れる、今日出発のやつ」

 その問いかけに、トイマとブインは顔を見合わせた。だがすぐに、ブインが名乗りを上げる。

「なら俺の馬車、乗って行ってください。無料で大丈夫です」

「え、まじ?でも詐欺してきたやつの馬車とかなあ、乗るの怖くね?」

 レンジャーが言い放つと、ブインは気まずそうに視線を逸した。なら、とトイマが進み出る。

「もう今日の仕事は終わったし、僕も同行します。道中は3人の指示に従います。それでどうですか?」

「お、まじ?それなら、まあいいか。どうよ戦士と魔法使い、ただで良いらしいぜ」

 レンジャーが振り返って言うと、戦士は少しだけ渋い顔をしていたが、すぐにこくりと頭を振った。

「それなら乗せていってもらうか。ちなみに場所は分かる?」

「それは大丈夫です。僕はよく品物の仕入れに行きますので」

 トイマが間髪入れずに答え、魔法使いも安堵の表情を浮かべた。

「なら安心ね。連れて行ってもらおうよ」

「ああ。じゃあお願いしようか。ここから村までだと、大体どんくらいかかる?」

「飛ばせば3、4時間とか。徒歩だと半日くらいかかりますよね、あそこ」

「4時間か……」

 戦士は悩みながら空を見上げたが、すぐにトイマたちに視線を戻した。

「じゃああの北の門の近くに街頭テレビあっただろ?15時前にあそこに集まって、魔王の乗っ取りの放送見て、見終えたらすぐに出発でいいか?」

「なるほど、15時ごろに馬車持ってあそこに行けば良いんですね」

「ああ。馬の準備とかもあるだろうし、俺らも用事あるし、時間に集まってくれれば良い。……それでいいか?」

「分かりました。大丈夫です」

 トイマの快活な答えに、戦士は満足気に頷き、また後で、と店から離れた。ブインの店は人混みに紛れてすぐに見えなくなる。

 市場をぶらつきながら、魔法使いが嬉しそうに呟いた。

「ラッキーだったねえ。粗悪品の鎧ぶっ壊しただけで、移動手段も手に入るなんて」

「口を慎め。……でもまあ、結果オーライだったな。さてじゃあ、軽く市場見て回ってから、工房寄ってどうなったか聞くか」

「はーい」

 そして3人は、市場の人混みへと消えていった。


 市場を見て回ったものの結局めぼしいものは見つからず、戦士たちは早々に市場を出て工房の前にたどり着いた。時刻は11時半ごろ。気が早い人間はもう昼食を食べに外に出てくるような時間だ。

 工房の前に立った戦士は、少し緊張した面持ちで無骨な工房のドアを見上げる。

「職人系って、気難しい人間が多いんだよな。ちゃんと交渉できるかな……」

 珍しく躊躇する戦士の横から、レンジャーが焦れたようにドアノブに手を伸ばした。

「大丈夫っしょ。昨日見た限り、無口だけど優しげな人だったぜ。しかも、下手すりゃ戦士より年下じゃねえの?」

「年下の可能性はあるな。それでも、市場で何も手に入らなかった以上、対魔王の道具としては最後の頼みの綱だ。そこを突かれて法外な値段要求されたら、たまったもんじゃねえ」

 不安そうに眉をひそめる戦士とは対照的に、レンジャーは明るく笑った。

「向こうも人間だしどうにかなるって。ってかさっさと行こうぜ、時間がもったいない」

「本当に適当だな……」

 戦士の小言を受け流し、レンジャーが勢いよくドアを開ける。と、熱気が部屋の中から外にもわっと吐き出され、レンジャーが思わず顔をしかめた。

「こんにちはー。うっわ熱い、暖房でもつけているのかよ」

「んなわけねえ、作業しているだけに決まってんだろ。……それにしてもこの熱気はすげえな」

 レンジャーと戦士が顔をしかめながら足を踏み入れ、魔法使いがその後ろから顔だけ覗かせる。と、その声に反応した職人が部屋の奥から出てきた。

「ああ、来たか。ちょうどよかった、さっき出来たところだ」

「オヤイノさんすみません、勝手に入ってきちゃって」

「いや、いい。ノックされても応答が面倒だ」

 職人らしい淡々とした受け答えの後、彼は部屋の奥から何やら見覚えのある円形のものを持ってきた。入り口から覗いていた魔法使いが、思わず店の中に足を踏み入れ声を上げる。

「あ、それ壊れていた鏡!」

「直した」

 職人は少ない言葉で応じると、戦士たちの目の前にそれをドンと置いた。彼の言葉の通り、魔王に突き破られていた中心の鏡部分には、新品のごとく磨かれたきれいな鏡がはめ込まれている。

戦士は恐る恐るそれを持ち上げ、うわっと慌てた声をあげた。

「見た目に反して軽いですね」

「そりゃな。女でも背負えるものに鏡をはめ込んだだけだから」

「それもそうか……。盾というよりは、対魔法専門の防具ってところですかね?」

「ああ、そうだ。……ところで、その背負っている鋼鉄の盾、ちょっと貸してほしい」

 職人に言われ、戦士が背負っていた盾を手渡すと、職人は盾に何やらドロッとした半個体状のものを盾の表面に流し、磨き始めた。説明もなく盾をいじられ、戦士の顔が少し引きつる。

「な、何してんですか」

「変なことはしない。ちょっと待ってろ」

 職人は手を止めないまま淡々と言い放った。決して盾を破壊するわけではなく、静かに盾の表面を磨き上げていくその手付きに、戦士は口を閉ざして作業を見守る。

 数分後、職人はようやく作業の手を止め、預かっていた盾を戦士に返した。磨き上げられた盾の表面は、まるで鏡のような光沢を放っている。

「出来た」

「何だこれ、すげえ、鏡面みたいに磨き上げられている……」

 戦士が盾の表面をうっとりした表情で眺める。職人はそれには答えずに、そばに置かれていた鏡の盾を改めて持ち上げた。

「ところで、この鏡は魔法使いが持つのか?」

「あ。ああ、そうですね、魔法使いでいいか。この軽さなら持ってても苦にはならないだろうし」

 我に返った戦士が、少し恥ずかしそうに盾を背中にしまった。魔法使いも今までと同じように鏡を背負う。今まで邪魔なゴミを背負っていた背中に、完全な形での鏡の盾が戻ってきて、こころなしか少し嬉しそうだ。

 職人はそんな2人を眺めた後、不意に立ち上がり出入り口の方へ歩き出した。

「ちょっとついてこい」

「え?あ、はい」

 言われるがまま、戦士たちは職人の背中について街中を歩く。するとすぐに、広めの空き地みたいな場所にたどり着いた。職人はその空き地にずかずか入り、道端でうろうろしている戦士たちの方へ振り向いた。

「ああ、遠慮しなくていい、ダナーン所有の土地だ。好きに使っていいと言われている。昔店を構えていた残骸だな」

 そう言われて、3人はようやく敷地の中に足を踏み入れた。草は程よく手入れされていて、ふかふかした感触が靴を通して伝わってくる。

 戦士は広めの公園ほどの土地を眺めながら口を開いた。

「へえ、ダナーンさんの……。そういえば商人やってた、って言ってましたね」

「ああ。ここなら怒られないだろう。というわけでそこの2人、盾を構えてみろ」

 職人に言われ、戦士はすっと戦闘体勢を取った。魔法使いは慣れないながらも、左手で盾を握ってどうにか鏡を真ん前に構える。

 と、職人は不意に呪文を唱え、盾に向かって魔法を撃ち出した。戦士は慣れた様子で魔法に盾を向けるが、魔法使いは反射的に盾の後ろに身を隠しギュッと目をつぶる。

 そんな2人の盾に、魔法の弾が襲いかかった。戦士の盾に着弾した魔法はすぐに霧散し宙に散り、魔法使いの盾に着弾した魔法は盾に吸い込まれるように消えていく。

 その様子を眺めていたレンジャーが驚きの声を上げた。

「すげえ、今魔法使いの盾、魔法吸い込まなかった?」

「ああ。思った通りだ」

 職人が頷く中、魔法使いはようやく目を開けると、不思議そうな顔で周囲を見渡した。

「何の話?魔法の衝撃は何もなかったけど……。魔法は盾に命中したんだよね?」

「鏡ではなく装飾部分に当たった。その鏡の装飾の土台、割と良いものだ。鏡の部分は月日を経て劣化したか、もしくはまがい物がはめられていたと思うが、土台はちゃんとした魔力を持った職人が作った一流品だ。だから魔王の攻撃を受けた際、魔力の一部を土台の中に吸収していた。魔王の桁外れの魔力を受け、装飾自体が少し変質し、魔法に対する抵抗力を持つようになった、と言ったところか」

 話を聞いていた魔法使いは、握った盾を見つめながら首を傾げた。

「あ、あんま分かんないけど……。とりあえず魔王の魔法が込められたすごい品物ってこと?」

「そう捉えてくれて構わない。魔法を跳ね返す鏡と、魔法を吸収する土台で出来た盾。中央で受ければ魔法を弾き、周囲で受ければ魔法の魔力を吸収、その吸収した魔力は、持ち主本人に還元される。まあ俺の魔力は強くないからまだ分からないだろうが、魔王と対峙したとき分かるだろう。ただ、魔王の強すぎる魔力にまた耐えられるかどうかは分からないが」

 職人は一気に喋ると、疲れたように一呼吸置いた。そして今度は戦士の盾に視線を向ける。

「で、土台を加工する際に出来た屑は溶かして、その戦士の盾にコーティングさせてもらった。土台はただの金属だから吸収とかは出来ないが、魔法に対しての抵抗力は跳ね上がったと思う。今までは、魔法の威力がそのまま盾の使い手にダイレクトに響いていたが、衝撃をいくらか和らげるから使い勝手は良くなったはずだ」

「確かに、さっき魔法を受けたとき、衝撃は全然来なかった……」

「ああ、まあそういうことだ。説明は以上。気になるならこの空き地使って練習してくれて構わない。とりあえず戻るぞ」

 職人はそう言うと、スタスタと来た道を戻り始めた。戦士たちは盾をしまいながら慌てて追いかける。

 職人の工房に4人で戻ると、職人は暑そうに窓を開けてから工房の隅のテーブルを勧めた。

「どうぞ、茶とか出せなくて申し訳ないが」

「いえ、そこは全然。品物受け取りに来ただけなので」

 戦士が首を振ると、職人は表情1つ変えずに頷いてから、自らも椅子に腰掛けて話を切り出した。

「ところで、肝心の料金だが」

「ああ、はい」

「素材は全部持ち込みだったし、加工料ということで3万。全部込みで3万でどうだ」

「え、3万でいいんですか……」

 戦士が絶句すると、職人は不思議そうに目を細めた。

「何だ?不満か?」

「いえ、そういうわけじゃなくて。……その、昨日ダイグさんから宝石くらいの値段は飛ぶけど、って言われてて。そして鏡の土台買った時も10万くらいしたので、その程度はするのかなって思ってました」

「10万?そもそもその鏡の土台、どこで手に入れたんだ」

 職人の問いかけに、魔法使いが苦笑いを浮かべて答えた。

「いやー、ちょっと前かな?魔王城に乗り込む準備で地方回って依頼こなしてお金貯めてたんですけど、立ち寄った地方都市で露店やってた商人から、魔王に挑むならあった方が良いって口車に乗せられて……」

「勇者が決めちゃったんだよな。絶対あった方がいいよ、買おう買おうって。まあ実際魔法使いの魔法は弾いたから、信じて持っていった結果があれなんですけど」

 戦士が言葉を引き継ぐと、職人は表情を変えずにふうんと頷いてから、戦士の方に視線を戻した。

「じゃあますます。素材を購入するのと加工費が一緒になるわけにいかない。3万でいい」

「すみません、ありがとうございます」

 戦士はお金を払って立ち上がった。工房を出ていこうとする3人に、職人は受け取ったお金に視線を固定したまま、ぶっきらぼうな口調で言う。

「仲間の無事を祈っている。うまくいくといいな」

「……ありがとうございました」

 3人は工房から出た。熱気から解放され、魔法使いは涼しい風を入れるように袖をまくりつつ、遠い目をして呟く。

「良い人で良かった。でも、懐かしいなあ。あの勇者と組んでから半年程度だけど、結構まがい物つかまされたよね、私たち」

「ああ。鏡が一番でかい買い物だったけど、やたらと伸縮性の悪いシャツとか、呪いの剣とか、急に発火する杖とか。よく生きてこれたな俺たち……」

「確かに勇者が選んでくる品物、大体ハズレだったもんな。さっきの防具屋と勇者、実は兄弟なんじゃねえの」

 それぞれ懐かしそうに感想を呟きながら、手頃なご飯屋を探してふらふらと街を歩く。

 人が誰もいない路地裏に足を踏み入れたとき、不意にレンジャーが小声で呟いた。

「魔王、倒せんのかな。確かに倒さなきゃって思ってずっと旅してたけど、勇者を人質にとられて、圧倒的に不利じゃねえか?勇者がこの世界に1人だけならともかく、紹介所に登録すりゃあまた新しい勇者来るし……」

 レンジャーは途中で言葉を濁したが、言いたいことを察知した戦士が低い声で聞き返す。

「つまり今の勇者は諦めて、新たな勇者を迎え入れて万全の体勢で挑みたい、ってことか?」

「うん。……だって魔王は勇者にしか倒せない。正確には、魔王を殺すことが出来るのは勇者だけなんだろ?俺らが攻め込んだことに気づかれて勇者が殺されでもしたら、俺らは魔王を倒せないまま不毛な戦いを続ける羽目になる。うまく逃げられりゃいいけど、最悪勇者と一緒に殺されるかもしれねえ」

「……本気で言ってるの?」

 魔法使いがレンジャーの顔を睨みながら言うと、レンジャーは緩く首を縦に振った。

「4人でも無理だったのに、3人で、しかも人質がいて、助け出せるかどうかも分からなくて、その上相手は魔王。勝ち目が無さすぎるだろ。……俺、まだ死にたくねえんだよ。止めるなら今が最後だと思って」

「言い方を変えれば戦略的撤退、か……」

 戦士が呟く横で、魔法使いはレンジャーに掴みかからんばかりに詰め寄った。

「じゃあ勇者は?私達が助けなきゃ誰も助けないでしょ!」

「だからって分が悪すぎるだろうが。こんないい盾貰っても、殺されたら元も子もねえよ。魔王がぶっ壊して終わりだ。全部リセットなんだよ!」

「殺されないためにこうして準備整えてきたんじゃない!」

 激高する魔法使いに、レンジャーは冷たい視線を向けた。

「冷静に考えろよ。魔王城に行って、勇者を殺されないように立ち回りつつ魔王を無力化して、動けるかわからない勇者にとどめを刺してもらうんだ。しかも相手は魔王だけじゃない、手下の奴らもいるだろ。それだけの人数を相手できる自信があるのか?」

「それは……。そう、だけど」

 魔法使いの言葉が弱くなった。と、言い争いを黙って聞いていた戦士がゆっくり口を開く。

「正直どっちの言い分も分かる。わざわざ死地に乗り込みたくないっていうレンジャーも、勇者を助けられるのは俺らだけだから行かなきゃいけない、っていう魔法使いも」

 その言葉に2人は頷いた。首都独特のうるさいくらいの喧騒も、3人の周りを避けて響いていっているようで、3人の間に沈黙が訪れる。

 その沈黙の中、戦士は低い声で話を続けた。

「レンジャーの言うことは最もだ。行ったところで勇者に剣が振れる力が残っているか怪しいし、こうしてイレギュラーなことが起こってしまった以上、今まで通り女神像前に飛ばされるわけではなく命を失う可能性だってある」

「ああ」

 レンジャーはこくりと頷いた。戦士は冷静な眼差しのまま、今度は魔法使いに視線を向ける。

「一方で。もう上層部は救出のための派遣を行わないと明言している。救出に行く冒険者も、物好きが数組いるかもしれないが、力を持ったパーティー程この時期は避けると思う。だから俺らが行かなきゃ勇者は助けられない。そのために準備を進めてきたし、何を今更怖がっているんだっていう魔法使いの気持ちもわかる」

「そう」

 今度は魔法使いが頷いた。と、戦士はそんな2人の前に立ち、顔を眺めながら言葉を続けた。

「だから、優先順位を決めようと思う。がむしゃらに命を懸けて突っ込め、なんて俺に言う権利はないし。ただ魔王城には行く。そこだけは頼む」

「……わかった」

 レンジャーが小さく頷く。それに戦士も応えるように頷いてから、じゃあ、と2人の顔を見渡した。

「まず第一に、自分たちの命優先。手に負えない量の魔物が集まっていたり、道中やられて回復が尽きたら撤退も選択肢に入れる。魔法使い、いいな」

「……うん」

「続いてが勇者の奪還。魔王と戦わずに助けられたら一番いいと思うが……。まあ城が広すぎるから、そこはまた考えよう。とりあえず無事なまま連れ戻すのが第二の目標」

「ああ」

「最後が魔王の討伐。勇者の安全を確保出来次第、もしくは確保するために倒せれば一番いいけど、一筋縄じゃいかないだろうな。とにかく、魔王討伐は努力目標だ。無理して倒す必要はない。……この順番を頭に入れた上で魔王城に乗り込む。それでいいか?」

 戦士の言葉に、魔法使いもレンジャーも真剣な顔で頷いた。それを見た戦士が、ようやく表情を緩める。

「よし、決まりだな。とりあえず魔王城は目指すぞ。……飯食って、消耗品整えて、そして北の城門に行こう。もちろん心の準備も整えてな」

「うん」


 数時間後、ご飯を食べ買い物も終えた3人は、北の城門近くの広場に設置されたテレビの前にいた。昨日とは比べ物にならない人の量に、近くにいた警備員が慌てて追加のテレビモニターを設置するが、そちらのモニター前にも一瞬で人が押し寄せて画面を覆い尽くす。

 そんな人でごった返す広場を眺めながら、戦士がポツリと呟いた。

「すげえ人の数だな。これ全員商人とか冒険者とかか……?」

「北に行く人は動向が心配なんだろうな。見る限り商人が多いっぽいけど」

「こんだけ人が多いと、あいつらと合流するだけでも一苦労だな」

「そうねー、ぐずぐずしてると始まっちゃうかも」

 魔法使いがそう言った瞬間、広場に設置された数枚のモニターの画面が一斉に切り替わった。ざわめいていた広場が一瞬で静まり返り、無数の視線がモニターに集まる。

 モニターはザーッという砂嵐を数秒吐き出した後、パッと画面が切り替わり、石造りの冷たい壁、立ち並ぶ鉄格子、そして中央でニヤニヤする魔王の顔を一斉に映し出した。聴衆が一斉に怯えと怒りの入り混じった声を出す。

「始まった。勇者、無事かな……」

「くそ、今すぐぶっ飛ばしに行きてえな」

 魔法使いとレンジャーが呟く中、画面の中の魔王はゆっくりと喋りだした。

『やあ諸君、魔王だ。毎回同じ場所からではそろそろ飽きられると思ってね、今日は特別に違う場所からお届けしよう』

 魔王はニヤニヤとした笑みでそう告げると、ゆっくりと歩き出した。カメラは魔王の横顔を追いかけ、背景の鉄格子が流れていく。

『ここは歴代の魔王が使ってきた地下牢だ。当然魔力で強化されているから、人間であろうと魔物であろうと打ち破ることは出来ない。これまで数多の人間や魔物がここで命を落としてきた。もちろん、魔王に歯向かった罪を背負ってな』

 不意に魔王は足を止め、鉄格子の方を向いた。カメラがゆっくりと引いていくと、その鉄格子の中には、ボロボロの水色の衣を身にまとった勇者の姿があった。彼は、申し訳程度の薄っぺらい茶色い布の上に背中を向けた体勢で寝っ転がっていて、右足首には鎖が巻きつけられ、鎖の反対側は牢屋の中に設置されたベッドの足に固定されている。

 モニター前の聴衆たちは、そんな勇者の姿を見て悲鳴に近い声を上げた。

「嘘でしょ、あんなボロボロになって……」

「……ああ」

 魔法使いたちが言葉を失う中、魔王は勇者の背中を見下ろし、軽い笑い声を上げた。

『そして明日。こいつもそのうちの1人になる。ああ、勘違いしないでほしい、私は無差別に人を殺したいわけではない。ただ、魔王城に自ら乗り込んできた挙げ句、私に負けた敗北者がどのような運命を辿るのか。それをゆっくりとお見せしたいだけだ。死にたくないやつは、ここに近寄らなければいい』

 魔王はそうあざ笑うと、勇者と視線を合わせるようにゆっくりしゃがみこんだ。画面には、檻の中を覗く魔王の横顔と一言も喋らないボロボロの勇者の背中が映し出される。

 一切の反応を示さない勇者の背中に向け、魔王は軽く笑いながら声をかけた。

『ほら勇者、全国の皆さんにご挨拶はしなくていいのか?明日はお前の処刑の映像が生で配信される。最後に元気な姿を見せておいたほうがいいんじゃないのか?』

 それでも勇者は何も喋らない。魔王は呆れたように首を横に振って立ち上がると、鉄格子に向けて一歩足を踏み出した。次の瞬間、魔王の姿は鉄格子の中に一瞬で移動し、魔法使いが小声で、転移魔法だ、と呟いた。

 急に真横に現れた魔王に対しても、勇者はピクリとも身体を動かさなかった。魔王はそんな勇者の身体に手をかけ、ゆっくりと抱き起こし、鉄格子の外にあるカメラの方向へ身体の向きを変えていく。

 やがて画面に大写しされたのは、赤紫に染まった目の周り、切れて血が流れる唇、青白い頬、そして焦点のあっていない虚ろな目の勇者の顔だった。モニターの前の聴衆から今日一番の悲鳴が響く。

「ゆ、勇者!?嘘でしょ、そんな……」

「これが魔王かよ。くっそ、ひでえ……」

「ボロボロじゃねえか……」

 思い思いに呟く彼らの言葉は魔王には届かず、魔王は勇者の身体を抱きかかえたまま、嬉しそうにカメラの方向を指差した。

『ほら、全国の皆が見ているぞ。これがわざわざ魔王城に乗り込んで魔王様に刃を向けたものの末路でーすって、なあ?』

 言いながら魔王は勇者の腕を握り、人形遊びをするかのようにカメラに向かって手を振らせた。勇者はかろうじて胸は上下しているものの、それ以外の反応を一切示さず、魔王のされるがままになっている。

 やがて魔王は人形遊びに飽きたのか、勇者の身体から手を離した。糸が切れた人形のように床に倒れ込む勇者に背を向け、一瞬で鉄格子の外へ出てきた魔王がニヤリと笑う。

『明日の午後1時、こいつの処刑を魔王城の大広間で行う。生中継だ。直接観覧に来たやつは全員殺す。皆テレビの前から、勇者の末路を見るが良い。……これから勇者になろうとしているやつ、魔王に挑もうとしているやつは、こうなる覚悟を持った上で来るように。以上だ。それじゃあ、明日を楽しみにしているよ』

 ニヤリと笑った魔王の顔で画面が止まり、すぐにカラーバーに切り替わった。放送は終わったものの聴衆のざわめきは収まらず、皆広場にとどまったまま互いに顔を見合わせている。

 戦士たちも広場の隅で、何の感想もなく呆然と突っ立っていたが、やがて魔法使いが身体を震わせながらポツリと呟いた。

「勇者、無事だよね。無事でいてくれるんだよね……?」

「……どうだろうな。あんな状態じゃ、今日1日持つかどうか」

 戦士が何とか言葉を振り絞ると、魔法使いはキッと顔を上げた。

「急ごう。急いだほうが良い。午後1時とか言ってたけど、勇者の体力が切れたら元も子もない。早く村について、早く寝て、そして朝っぱらから山登りしよう。もうそれしか方法はない」

「……まあそれはそうだな。でもさっき決めた優先事項は忘れるなよ」

「忘れないよ。でも行けるところまでは行くんでしょ。もう私、魔王のこと一生許さない」

 魔法使いはそう言い放つと、ブインとトイマの姿を探し始めた。

 広場の人波をかき分け探すと、城門のすぐ横にひときわ目立つ大きな馬車と、その側で待っているブインとトイマの姿を見つけた。彼らは戦士たちを見つけるやいなや、泣きそうな顔で駆け寄ってくる。

「魔王にあんなボロボロにされて……。勇者は大丈夫なんですか!?」

「魔王ひどすぎる……。俺、途中から画面見れませんでした。勇者が、あんなボロボロにされて、逃げ出すことすら出来んくて。ひどい……」

 そんなトイマたちに向け、戦士が落ち着いた声で応じた。

「ならなるべく急いでほしい。勇者が無事なのか俺らにはわからない。今できるただ一つの方法は、なるべく早く魔王城に入ることだ」

「そうだ、そうですよね……。分かりました、急ぎます。馬車は用意したのでこちらへ乗ってください!」

 ブインが指し示す先には、少しボロいものの幌がついた立派な馬車が用意されていた。馬は2頭繋がれていて、2頭とも元気そうに鼻をブルブルと鳴らしている。

 戦士たち3人が馬車に乗り込むと、ブインとトイマは御者席に座り、早速城門を出た。馬車は道の先に見える峻厳な山岳地帯に向けて勢いよく走り出す。

「おーすげえ、2頭だとさすがに早えな」

 戦士の声を聞いたトイマが、手綱を握りながら振り返る。

「知り合いの商人から借りたんです。ちょっとボロいですけど、乗り心地は保証します。馬は俺のとブインのです。また近くなったらお知らせしますね!」

「ああ、助かるよ」

 トイマは再び馬の操作に戻った。戦士たちはしばらく外の景色をぼんやりと見ていたが、やがてレンジャーが椅子に座り直し、戦士と魔法使いの顔を見て口を開く。

「ところで、今日の勇者の動画なんだけど」

「あ、気になったところあった?」

「あれもしかしたら、勇者を痛めつけてんのは魔王じゃなくて手下がやってんのかもな。しかも放送直前に」

「何で?」

 魔法使いが首を傾げると、レンジャーは、だって、とゆっくりとした口調で話し始めた。

「あれだけ殴られるってことは、勇者はある程度抵抗したんだと思う。いくら転移魔法あるとはいえ、昨日言った、縛りっぱなしじゃないってことも考えれば、地下牢に閉じ込めていた可能性の方が高い」

「そうね」

「ただ、床見たか?勇者の下に敷かれていた布切れは湿ってなかったし、床もかなりきれいだった。いくら室内にトイレついているとはいえ、あんな虚ろな状態で、トイレの前まで行って、ズボン下げて、用を足してなんて出来るはずないんだよ。ベッドもフレームだけだったからベッドの上で用を足したわけでもない。つまり、勇者は直前までは元気だったけど、放送前に殴られて、意識が朦朧とした状態のまま出演させられた。俺はそう見てる」

 レンジャーが話し終えると、魔法使いは少しだけ悩んでから、つまり、と口を開いた。

「生中継のために演出された、ってこと?」

「ああ。最低最悪な演出だけどな。勇者の足首、あそこに鎖巻き付けてあったろ。あれだって地下牢にいたらわざわざつける意味がない。ああやって朦朧となる直前に、数人が檻の中に出入りして勇者に何かやった。ってことだろうな」

「そっか、扉が開いていても、逃げ出せないように……」

「ああ。しかもあの傷、殴られた痕だ。魔王が物理で手を下すとは思えない。だから数人の手下にやらせた、とみている。手下なら転移魔法は使えないだろうしな」

「……最低ね」

 息を吐き出しながら魔法使いが呟くと、腕を組みながら外の景色を眺めていた戦士もゆっくり頷いた。

「ああ、さっさと助け出して傷の手当してやらなきゃな」

「本当に魔王、許せない。人を苦しめるだけ苦しめて、自分はのうのうと城の上に居座るなんて、許されると思うなよ……!」

 魔法使いがぐっと杖を握りしめる中、レンジャーは不思議そうに首を傾げた。

「でもよー、なんで魔王がいるのに物理なんだろうな。昨日は魔法で痛めつけてたし、それこそ拷問魔法とかいうジャンルもあるのに」

「拷問魔法か……。そういえばそうね、中々マニアックだから使う人少ないらしいけど、でも魔王なら使えるか。確かに何で魔法じゃないんだろう」

 魔法使いが首を傾げると、それに戦士が静かに答えた。

「拷問する必要はないからだろ。何かを聞き出す必要はない。ただ痛めつけられた姿を全世界に見てもらえれば、それで魔王の目的は達成されるんだから」

「それで手っ取り早いのが、顔をぶん殴ること……」

「ああ。まああれだけボロボロだったし、防具も脱がされていたし、顔だけじゃないんだろうとは思うけど」

 戦士の言葉に、レンジャーがすかさず答えた。

「身体は魔法だろうな。服に魔法を撃ち込まれた痕が見えた」

「なるほどな……。使い分けているのか、それとも手下に武闘派がいるのか」

「いたら厄介ね。肉弾戦している間に魔王から魔法撃ち込まれたら、たまったもんじゃない」

「肉弾戦か……。相手の戦力が分かんない以上、作戦立てるのも厳しいな。普段なら俺が引き付けている間にレンジャーが遠距離職を処理するんだが、魔王相手だとそれも厳しいしな」

「私と戦士の2人で魔王対処して、それ以外はレンジャーに処理してもらうしかないかも。レンジャーの負担大きくなるかもしれないけど」

「レンジャーは盾持ってないし、魔法使いが俺とレンジャーの援護するのが一番理想的な割り振りだな。その前に勇者を救えればいいけど、でもそれだとあいつをかばいながら戦うことになるのか」

 そこからポツポツと戦略について会話し、沈黙し、再び考えた戦略を披露し、という時間が続く。

 1時間ほど経ち議論もだいぶ煮詰まってきた頃、不意に魔法使いが遠い目をしながら言葉をこぼした。

「勇者がいた頃もこうして戦略考えていたけど、全部ぶっ壊されてたね」

「……確かにな。魔王戦も全部あいつが勝手に飛び出していったし」

「猪突猛進って言葉がピッタリだったよね」

 3人はしばらく黙り込んだ。ガタゴトという街道を進む馬車の物音と、時々ブインとトイマが小声でひそひそと会話する声だけが流れてくる。

 たっぷりの間を空けてから、魔法使いが言葉の続きを喋り出した。

「でも、それが楽しかったというか、ちゃんと勇者を生かすために強くならなきゃって、頑張ってた気がする」

「剣振るうときもいちいち技名叫んでいたしな。それこそアニメのようだった。見ていて飽きなかったし」

「うん。……連携は正直いない方がスムーズなんだけど、単調すぎてつまらない、かな。あの叫び声が聞こえないとちょっと寂しい」

「毎回ちょっと違うんだよな。記憶力ねえのかわざとなのかは知らねえけど。……たまにからかうのも楽しかったし」

 魔法使いと戦士が頷き合う。と、レンジャーが外の景色を眺めながら独り言のように呟いた。

「案外、勇者がいない方が魔王を倒せたりしてな」

「ね。にしても、何で魔王を倒せる人と倒せない人がいるのかな。勇者って戦闘うまいわけじゃないし、何が私達と違うんだろう」

 魔法使いの素朴な疑問に答えたのは、御者席に座っていたトイマだった。彼は手綱をブインに任せ、馬車の中を覗き込んで答える。

「あ、それ俺知ってます。魔王というか魔族の生命の源って、魔力なんですよ。体内の」

「そうなの?」

「そうです。人間は魔力がなくても生きられるようになってますが、魔族は取り込んだ栄養を一回魔力に変換し、それを体内で循環させて生活しているんです。血液みたいなもんですね。だから傷ついても、一定量の魔力が貯まれば回復出来るんです」

「へー、初めて知った」

 魔法使いが素直な反応を見せると、トイマは満足気な表情になった。

「それで、その魔力の流れを断ち切ることが出来るのが一部の人間、つまり勇者ってことですね。彼らは剣を通して魔力を凝固させることが出来るんです。固まった魔力は、血管内にできた石のように魔力をせき止める。これを使いこなすには訓練が必要ですけど、勇者は養成所でその方法を身に着けているはずです。剣がなくても、例えば首を締めたりとかでも出来るらしいですよ。あそこら辺固めちゃえば、すぐに臓器に栄養行かなくなりますから」

 淀みなく説明をするトイマに、魔法使いはそっと拍手を送る。

「すごい、詳しいねー」

「えへへ、仕事柄、薬を開発する方とよく話すので。こんな雑学覚えていると、取引してもらいやすいんです」

「なるほど」

 トイマは話すだけ話して、顔を引っ込めて再び前を向いた。話を聞いていたレンジャーが、へえ、と意外そうな顔で呟く。

「倒すには訓練がいるのか……。魔力が血液ってことは、傷つければその分魔力は減る。つまり魔法の威力は弱まっていく、ってことなんかな」

「かもしれないね。仕留められこそしないけど、極限まで弱らせることは出来るのかも。数時間なら。私の魔力の回復速度はそれくらい。魔王だからもう少し早いのかもしれないけど」

 魔法使いの言葉に、戦士はこくりと頷いた。

「なら十分だ。助けるのに10分もいらんだろ。……決まったな。もし最初勇者を助けられなければ、魔王と当たるときに盾の具合を確認しよう。それで耐えられそうなら、魔法を乱射させつつダメージを与えて魔力を削ぐ。耐久戦だ」

「それしかないね」

 魔法使いもレンジャーも真面目な顔で頷いた。


 その後は会話もなく、各々武器の手入れなんかをしながら順調に道を進んでいた。やがて日が傾いてきた頃、トイマが再び馬車の中を覗き込んできた。

「村にだいぶ近づいてきました。このペースなら、後30分程度で着くと思います」

 それに戦士が片手を上げて応じる。

「ありがと。着く頃には日が暮れるか」

「そうですね、暗くはなってると思います」

「2人は向こうで泊まるのか?」

「その予定です。ここら辺の魔物、魔王城の近くなんで強いんですよ」

 トイマは言うだけ言うと、首を引っ込めて前を向いた。もうすっかり地平線は赤く染まり、反対の空からは濃紺色がゆっくりと迫ってきている。

 戦士がその景色の綺麗さに見とれていたとき、快調に走っていた馬車の速度が落ちた。レンジャーが御者席を覗き込む。

「どうした?」

「いえ……。何か路上に人が立ってて」

「人?」

 レンジャーがトイマとブインの間から道の先を見ると、茜色に染まる道の上に、人影が3つ見えた。シルエットでもはっきり分かるくらい違いがあり、1つは丸々と大きく太った身体、1つは痩せ型で背が高い身体、そして最後の1つはスポーツマンのようながっちりとした引き締まった身体。

 馬車がその人影から十数メートル離れたところで止まると、道の上の人影たちはすかさず馬車に近づいてきた。

「おうおうおう、何やお前ら、この道がどこに続いているか知ってて通ってんのか」

 声を発したのは丸っこい影だった。声量があり、離れた場所からでも声がよく通る。語尾はブインのそれに近いもののイントネーションは戦士たちと全く同じで、レンジャーが小声で、エセか、と呟いた。

 そうこうしている間に影はようやく馬車の前にたどり着き、夕陽がはっきりと3人の姿を照らしだした。

 それは全員男で、丸っこい体にひげと豊かな黒髪を蓄え、手に棍棒を持ったリーダー格、痩せ型でメガネをかけている神経質そうな頭脳系、そして筋肉質な身体にタンクトップ、片手に斧を持っている武力系の3人組だった。

 丸っこいリーダー格の男が、威嚇するように棍棒を振りかざしながら言う。

「ここはなあ、魔王様のいる魔王城へと続く道や!大事な時期や、無断では通れないんや!」

「通れない?」

 トイマが聞くと、相手は大きく頷いた。

「そうや。勇者を処刑するっちゅー大事な仕事を控えとるんや。俺らは魔王様の手下で、ここで見張りをしとるんや。せやなあ、10万もありゃあ俺らは何も見なかったことにできるんやけどなあ」

 その言葉に、戦士は御者席へ続く布をまくらないまま独り言のように呟く。

「魔王軍を騙った物取りだ。襲われないうちに倒すか、逃げるか。まあ普通に戦っても倒せそうではあるが。相手防具ないし」

「あー……。どっちでもいいですけどー……」

 トイマが間抜けな声で答える。と、その声をどう勘違いしたのか、丸っこいリーダー格は威嚇するように棍棒で地面を叩いた。

「聞いているんか!?金よこせ言うとるんや!」

「……何かムカつくんよなあ。地元でもない輩に、威嚇のためにその言葉使われんの」

 男の怒鳴り声に対し、ブインが静かに応じた。その本物の訛りに、相手が少しだけギョッとした顔になる。

「う、うわ、地元の人間……」

「そやで。まあガラが悪いのは認めるけど、悪いことには使うてほしくないんよなあ。脅すための言葉やないねんから」

「……ええい!ならもう普通に言う!金寄越せ!10万だ!」

 方言を諦めた丸っこい男が普通の言葉で叫ぶ。だがブインは、それに動じた様子もなくケタケタと笑った。

「そんな大金持ってへんよ。持っとるわけ無いやん。この時期に魔王城のすぐそばまで行く人間やで?命以外全部置いてきたに決まってるやん」

「なっ、い、命以外全部……?」

 相手の男が分かりやすく動揺した。それに追い打ちをかけるようにブインが早口でまくし立てる。

「当たり前やん。あんな勇者の姿見といて、貴重品いっぱい持ってこー、なんてならへんよ。なるわけないやん。むしろ親しい人に全部あげてきたわ。勇者を助けて勇者になるか、魔王に殺されるかの二択やねんから」

「……お前ら、勇者を救うために行くのか?その格好で?」

 武力系の筋肉質な男が、ブインの姿を見て不思議そうに尋ねる。それにブインは笑いながら頷いた。

「もちろん。でないとこの道通らんやろ」

「……俺でも殺せそうなほど弱そうなくせに、魔王に挑むのか?」

「お?見た目で人を判断するん?そんなこと言うてたら、俺から見たらこいつはデブって動きトロそうやし、こいつは力なくてヒョロヒョロで戦闘なんて向いてなさそうやし、自分に至って防御力ゼロやん。タンクトップて」

 煽りまくるブインに、戦士とレンジャーはヒヤヒヤした面持ちで武器に手をかけた。万が一襲ってきたら馬車からすぐ飛び出せるように、姿勢を低く保っている。

 だが筋肉質な男は案外素直にブインの言葉を受け入れ、斧を地面に突き刺した。

「それもそうだな。じゃあ聞こうか。どんなふうに戦うつもりだ?俺は百戦錬磨の強盗だ。だがパーティーで挑んでも、魔王には全く歯が立たなかった」

 素直にぶっちゃけた男に、丸っこい男と痩せ型の男が、おいバカ、と慌てる。魔王様の手下という設定を保っていたかったようだ。

 そんな慌てる2人を無視し、ブインはニヤリと不敵な笑みを浮かべながら答えた。

「魔王とか言うとるけど、相手は超合金野郎やないねん。絶対に体力の限界はある。やから俺は細かい魔法を乱射して、魔王を動かしていって、物理的に疲れさすんや。で、ヘトヘトになったところに一気にドーン、や。魔力勝負は敵わへんけど、体力勝負ならあんな城に閉じこもってる陰気なやつに負けるわけない。耐久戦に持ち込んで勝つつもりや」

「耐久戦か……」

「そうや?投げるためのナイフも持ってきた、回復薬も持ってきた。使えるもんは何でも使うてやる。それがあの勇者を助け出す唯一の道やねんから」

「……なるほどな」

 筋肉質な男は呟くと、道に刺していた斧をズボッと抜き、まだ慌てている残りの2人に声をかける。

「こいつらは止めとこう」

「はあ!?何でだよ!こんなでかい馬車引いてんだぞ、お宝積んでる可能性だってあるだろ!中身まだ見てねえし!」

 丸っこい男が叫ぶと、筋肉質な男は首を横に振った。

「こんなちゃんとした作戦を持ってる人間、かなりの手練だろう。襲ったら俺らの命が危ないし、魔王にぜひ打ち勝ってほしい」

「そう言って昨日も3人組を見逃したじゃねえか!勇者の妹とかいう女を連れた3人組を!」

「あれはあれで、早く兄を助けたいって女が泣くから」

 勇者に妹なんていたっけ、と魔法使いが小声で尋ねると、戦士もレンジャーも首を捻った。多分いないんじゃない……?と戦士が自信なさそうに答え、レンジャーも末っ子気質だよな、なんて応じる。

 馬車の中の不思議な空気をよそに、丸っこい男は筋肉質な男に向かって声を荒らげていた。

「3日間張って、やっと2組目だぜ!魔王の手下になりきって、魔王城に行く途中の人間を捕まえようって言ったのお前だろ!」

「金の力で解決しようとするやつが通ると思ったんだが」

「その言葉を信じて俺らもついてきたのに、全然通らねえじゃん!」

「首都の人間は、これだから軽薄って言われているんだ」

「さも自分に原因がないみたいな言い方やめろ!そもそもこの前だって……」

 2人の言い合いは続く。ブインもトイマも、そして馬車の中の3人も何も言えずにただただ喧嘩を見守っていると、今まで黙っていた痩せ型の男が不意に大声を上げた。

「あー!もううっさいうっさい!喧嘩は向こうでやれ!おいお前ら!」

 急に睨みつけられたブインとトイマが、そして喧嘩していた2人が身体を硬直させて男を見る。と、彼はメガネの奥の目を見開きながら大音量で叫んだ。

「俺はなあ!魔王よりも強い魔力の持ち主なんだ!今の魔王が死んだら次期魔王と呼ばれているくらいの!魔法を撃たれたくなければ、金目のものを置いてけ!」

「ま、魔王よりも強い魔力を持った人間……?」

 ブインがわずかに震える声で返す。と、男は不敵な笑みを浮かべながら大きく頷いた。

「ああそうだ!怖いだろう!だからほら、日も暮れるし早くものを置いて……」

 その男の言葉を遮り、ブインはニヤリと笑って口を開く。

「ならちょうどええわ。対魔王の予行演習したかったんや。早速戦術を試そうか」

「え、な、予行演習……?」

 痩せ型の男は、今度は驚きで目を見開いた。一方のブインは御者席を下り、肩を回しながら男の顔を眺める。

「やって次期魔王なんやろ?お前を倒しゃ現役も倒せるってことになるやんか」

「そ、それは、ほら、一応まだ魔王じゃないし……」

 男は何やらもごもごと言っていたが、すぐに威勢を取り戻し、道のそばのなだらかな丘の上に立つ1本の木を指差した。

「いいのか?俺が本気出したら、あの木だって一瞬でボロボロの粉々だぞ!」

「お、そうなん?なら見してや。俺眺めとくわ」

「お、おう、分かった、見せてやるよ」

 売り言葉に買い言葉で、男は強い調子で答えて木の方へと歩く。トイマも、そして男の仲間2人も口を出さずにじっと男を見つめている。

 と、男は数歩も歩かないうちに振り返り、少し引きつった顔でブインを睨みつけた。

「ほ、ほんとにいいんだな!?後悔しないよな!?」

「え、何で?別にせえへんけど。見してくれるんやろ?最強の魔力」

「見せるけど!でもあの木だって、地元の人間から愛されている木かもしれないだろ?」

「いや知らんし。俺には関係あらへんし、雷落ちて燃えることだってあるやろ。一緒や」

「これだから首都の人間は!本当に冷淡だな!」

「どこが首都出身や!こんだけ絶対違うって確信を持てる喋りしとんのに!」

「出身は関係ない。結局首都から来た人間は皆冷淡なんだよ!」

「うっわ。人種差別よりもひどいこと言うとるで自分。それよりはよ見せてや。最強の魔力とやらを」

 ブインが急かすと、男はようやくノロノロと数歩進み、そしてまた振り返った。

「見せたいところだが、これから夜だから、あの木を燃やすと危ない獣が寄ってきてしまうかもしれない」

「逆やろ。野生の動物や魔物は火を怖がって近づかへん。普通に安全や」

「変な人間がのろしと勘違いして寄ってくるかもしれない」

「いやもうお前らが変な人間やから。大丈夫や」

「木が倒れることによって、誰かが怪我をするかもしれない」

「一瞬でボロボロの粉々なんやろ?怪我する要素ないやん」

「火が草に燃え移って大火災になるかもしれない」

「水の魔法あるやろ?ボロボロの粉々にしたあとそれで鎮火すりゃええやん」

 即座に論破された男の顔が段々赤くなっていく。と、様子を黙って見ていた丸っこい男が急に動き、そんな彼の腕を掴んで道端に引っ張り始めた。

「おい、もうやめとけ。きょ、今日のところはこれくらいで退散してやる!魔王様にボコボコにされてくるがいい!」

「あ、まだその設定生きてたん?」

「うるせえ!さらばだ!」

 丸っこい男が痩せ型の男を引きずってどこかへ消えていく。筋肉質な男もマイペースにそれを追いかけながら、討伐頑張れよ、なんて言い残して歩き去っていく。

 もうすっかり日は暮れ暗闇に包まれ始めた道の中で、御者席に戻ったブインが深いため息をついた。

「何やったんや、あいつら……」

「分かんないけど、さすがだねブイン。ハッタリだけは強い」

 トイマが褒めると、すかさず戦士が馬車の中から声をかけた。

「でもあいつら武器持ってたじゃねえか。襲われたらどうするつもりだったんだ?」

「え?手練れの冒険者がいらっしゃるやないですか」

「……護衛術は?」

「最低限は習得しとりますけど……。まあ普段なら馬飛ばして逃げてますね。今日は心強い味方がいるので、いけるかなと」

「……今日はどうにかなったけど、程々にしとけよ。俺らは同族を切りたくないんだ」

 戦士は呆れた様子で会話を打ち切った。ブインは、へへ、なんて愛想笑いを浮かべてから再び馬を走らせる。

 暗くなった道を馬車は順調に進み、およそ30分後、ようやくふもとの村に入ることが出来た。魔王城へ挑む拠点として存在しているこの村は、冒険者向けの宿、鍛冶工房、アイテムショップなどがかなり充実している。だが、夜ということもあってか店はほとんど閉まっていて、外を出歩く人の姿もない。

 トイマたちは村の中心部まで馬車を走らせると、1件の宿を指差した。

「僕は普段あそこで泊まるんです。ここに最後卸しに来て、翌朝品物を仕入れてまた首都に戻るってことが多くて。皆さんはどちらに?」

「あー、俺らも過去4回あそこに泊まったっけ?」

 戦士が聞くと、レンジャーがこくりと頷いた。トイマたちが嬉しそうに言う。

「ならあそこで決まりですね。翌朝は何時出発予定ですか?」

「9時くらいには出たいな。まあ天候とかと相談だな。遅くても10時には出る」

「分かりました。部屋は空いてると思いますけど……。一応聞いてきます!」

 トイマとブインは馬車を止めると、パーッと宿の中に入って行く。戦士たちは馬車から下りながら、闇に包まれた山を見上げて呟いた。

「明日か……。ここまで来たからには、絶対助け出さなきゃな」

「うん」

 魔法使いも山を見上げて静かに頷く。と、宿からトイマが戻ってきた。

「空いてました!何かいい魚が入ったらしくて、ご飯めっちゃ豪華らしいですよ」

「お、ならちょうどいいな。豪勢なもん食べて力つけるか」

「うん!」

 5人の姿は宿の中に消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る