勇者パーティーの冒険―第2話 後編―
「……い、おーい?生きてるー?」
頭上から降ってくる声で、レンジャーの意識は微睡みの淵から戻ってきた。なぜか身体は鉛のように重たく、手足が思うように動かない。
それでもどうにか手を地面に押し付けると、爪の間に土が入り込んできた。冷たく湿った感触が、やけに不快な感覚を与えてくる。
「生きてるか。でもこんなとこで寝てるなんてどうしたー?」
頭上から再び男の声が聞こえてきた。レンジャーは無理やり頭を持ち上げると薄目を開き、ぐらぐら揺れる視界の中、大柄な体格の人間の姿をどうにか捉えて声を振り絞った。
「……だれ」
「ああ、よかった。生きてた。いや、通りすがりの者だよ。こんなところで寝てる人がいるのかと心配になってねー」
男は丸々とした顔に、にっこりと人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。そしてしゃがみこみ、レンジャーの方へ手を差し伸べる。
「大丈夫かい?魔物にでも襲われた?」
「……いや」
レンジャーが素直に手を伸ばすと、男はその手を力強く引っ張り上げた。同時にレンジャーの意識も深淵から引き上げられ、彼はふらつきながらもどうにか立ち上がると、かすむ視界で周囲を見渡した。木々の隙間から燃えるような真っ赤な日が差し込み、草木を赤く染め上げている。
「森、だよな」
「うん。首都へ向かう近道の森だよ」
「夕方?」
「うん。もうすぐ日が暮れるよ」
「……ああ」
レンジャーは頭を軽く押さえてから、改めて男に顔を向けた。丸々としたにこやかな顔に、これまた丸々としたお腹を隠せていない布製のローブ、パンパンに荷物が詰め込まれたリュック、丈夫そうなブーツ。そして武器として短めの棍を腰元に差していて、まさに冒険者と商人を足して2で割ったような恰好をした男だった。単独行動らしく、周囲に他の人の姿は見当たらない。
レンジャーは汚れていない肘のあたりで顔をこすると、目の前の男に向かって軽く頭を下げた。
「……ありがとう」
「無事ならいいんだ。目の前で死なれたら目覚めが悪いからねー」
「ああ。……そうだ、戦士と魔法使いは!?」
レンジャーはそう叫んで森の方へ振り返ると、真っ赤な木々の隙間に、赤い光を反射する銀色の鎧が見えた。レンジャーがよろけながらもそちらに駆け寄り、商人風の男も不思議そうな顔で追いかける。
「戦士、戦士!?」
レンジャーが叫んで近寄るが、戦士は草の上で横たわったまま反応を返さなかった。どうやらすっかり意識を失っているらしく、鎧に包まれた身体はピクリとも動かず、赤い光に照らされた顔は少し白く見える。
レンジャーは近くに落ちていた袋を回収しつつ、続いて別の切り株の方に視線を向けた。するとそこには、魔法使いが寄りかかるようにして倒れていて。
「魔法使い?起きろ、起きてくれ!」
レンジャーが言いながら魔法使いの肩を揺するが、彼女もスヤスヤと寝息を立てたまま起きようとはしなかった。2人を必死で起こそうとするレンジャーへ、商人風の男が訝しげに声をかける。
「どうした?眠らされた、か?」
「……同行者に一服盛られて」
「あー、流行りの冒険者強盗ってやつだねえ。そうかそうか、引っかかっちまったか。災難だったなあ」
商人風の男は気の毒そうな声色で言うと、戦士のそばにしゃがみ込み、身体を揺すって起こし始めた。レンジャーも魔法使いの身体を揺する作業に戻る。
数分呼びかけていると、先に魔法使いがうめき声を上げた。彼女は眠たそうに目をしょぼしょぼさせながらも、どうにか意識を取り戻す。
「私……」
「起きたか。動けるか?」
「うう……。身体が重い……」
魔法使いが掠れた声で呟く。と、戦士を起こしていた商人風の男が、レンジャーたちに向かって声をかけた。
「睡眠薬は強制的に身体の動きを弱らせるからねえ。10分は休ませてやりなー。そこの兄ちゃんもまだそこまで動けないだろう?」
「あ、ああ、確かに……」
レンジャーが返すと、商人風の男は休んでな、とだけ言って戦士を起こす作業に戻った。言葉に甘えて、レンジャーは近くの切り株で寄っかかりつつその作業をぼんやりと眺める。
数分後、ようやく戦士も意識を取り戻し、彼は地面に寝転んだまま眩しそうに商人風の男の顔を見上げた。
「……どこだ、ここ」
「ああ、起きた?兄ちゃん、戦士さん起きたみたいだよー」
「あ、戦士、大丈夫?」
レンジャーが近寄ると、戦士はレンジャー、とだけ呟いてから起き上がろうとして、思いっきり顔をしかめた。
「ダメだ、全身がいてえ……」
「そんな硬い鎧で寝たら大変だよねえ。動けるようになるまで座ってたほうが良いよ」
商人風の男はそう言って、戦士の身体を引っ張り上げた。戦士も素直にそれを受け入れ、切り株に寄りかかって座る。
と、ようやく復活してきた魔法使いが、その商人風の男を眺めながら口を開いた。
「ところで、あなたは……?」
「ああ、私はただの通りすがりの旅のもんですよ。そこの兄ちゃんが寝てたもんでね、おせっかいで」
「すみません、助かりました」
「良いよ良いよ。強盗にやられたんでしょ?最近流行りだからねー、あれ。良い人そうなふりして旅の仲間に紛れ込んで、油断させて、こうして襲って金目のもんを奪い取る。……でも兄ちゃんたち、武器までは取られてないようだね、運が良かったねー」
商人風の男がからっと笑う。と、戦士もどうにか顔を持ち上げて、彼の顔を見て笑顔を浮かべた。
「ありがとうございました。こんな道で人が通るなんて思ってなくて」
「そうねー、普通の商人は通らないかなあ。まあ僕はお宝ハンターだからね。洞窟とか今は使われなくなった廃墟を攻略して、お宝をゲットする仕事なんだ」
「そうですか。……お礼したいけど、手持ちが」
戦士が袋を取り出そうとして手を止める。と、レンジャーがその戦士に向かって袋を放り投げた。
「あいつ、鏡と石1つは餞別だっつって置いていったけど。ったくムカつく野郎だ」
「ああ……。すみません、盗られたばかりで手持ちが心もとなくて」
戦士が謝ると、商人風の男はニコニコしながら首を横に振った。
「いいよいいよー。行き倒れの人を助けるのにお礼期待しているわけじゃないし。それより、もう動けそうかな?早く行かないと日暮れちゃうよー」
そう言って彼は立ち去ろうとして、荷物を再び担ぎ上げた。それを見たレンジャーが恐る恐る声をかける。
「あの、これから首都に向かうんですよね」
「ん?うん。首都で宿取るよー」
「もし現地ついてまた会ったら、ご飯奢らせてください。俺らもすぐ追いかけるので」
「あはは、そうだね、もしまた会ったらご一緒させてもらおうかな。じゃ、まったねー」
彼は朗らかに笑うと立ち去っていった。その姿を3人は座り込んだまま見送る。
足音はすぐに森のざわめきに紛れて聞こえなくなり、森の中も徐々に濃紺の空気に染まり始めた頃、ようやく魔法使いが立ち上がって悲しそうに呟いた。
「剣士、強盗だったんだ。だから仲間を探すふりして私たちに着いてきて……」
「ああ。……レンジャーが警告出してくれたのに、それを無視した俺らが悪い。すまなかった」
「……上手く言語化出来なかった俺も悪かった。でも、イケメンには気をつけろよ」
レンジャーはそれだけ言うと立ち上がり、手足の動きを確認し始めた。戦士も重たい身体をどうにか持ち上げ、軽く全身を伸ばしていく。
「動けるな。もう日が暮れてきた。さっきの彼も首都への道だって言ってたから、さっさと抜けちゃおう」
「ああ、2人が大丈夫なら俺も大丈夫。行こう」
全員立ち上がり、置いてあった武器を再び背負った。魔法使いは鏡を背負うか迷っていたようだったが、ゴミを森に捨てるわけには行かない、というレンジャーの言葉に従って再び背負いなおす。
魔法使いの魔法を明かり代わりに、戦士、魔法使い、レンジャーの順でけもの道を歩き始めた。もうすっかり森は濃紺色に染まり、通り抜けた風が葉を揺らして心がざわめき立つ音を立てていく。
魔法使いは闇に染まっていく木々を見渡し、そっと自らの二の腕をさすった。
「さすがに暗いね……」
「ああ、全部あいつのせいだな。次あいつにあったら、顔面ぶん殴ってやらねえとな」
戦士が無感情な声で言い放ち、すかさずレンジャーもそれに同意する。
魔法使いだけはその話題に反応せず、木々の隙間から覗く濃紺色の空を見上げた。
「こんなとき勇者がいてくれたらなあ。ドンマイとか言いつつ、すぐに立ち直って歩き出してたんだろうなあ」
「……あのリーダーシップ時々鼻についたけど、でも仲間のことを第一に考えてくれてたもんな」
「まあな。ノリ良かったしな」
そこまで話して、全員黙り込んでしまった。静かな森に3人分の足音が響き渡る。
そこから会話もなく、黙々と歩き続けること2時間ちょい。不意に戦士が歩く速度を上げた。レンジャーが前を見ると、そこには木々の隙間から明かりが零れ落ちていて。
「……首都?」
「ああ、予想以上に早かったな」
3人の歩行ペースが自然と上がる。その間にも木々の隙間から零れ落ちる光は徐々に強くなり。
森を抜けた瞬間、戦士たち3人の視界に、濃紺の空を背景にそびえたつ巨大な城壁、存在感のある青と白を基調としたデザインの立派な城、そして煌々と灯された光の下で活動する人々が一気に飛び込んできた。この国で一番巨大な都市、首都だ。
魔法使いは眩しそうに首都を見上げると、強張らせていた表情を緩めてようやく微かな笑顔を見せた。
「ようやく着いた……。早く休もう」
「ああ、さっさと中入って宿探すか。飯屋併設されているような宿が良いな」
そう言って3人は城壁内へ入るための手続きの列に並ぶ。と、レンジャーは列の前方をひょいと覗き込んでから、急に列を抜けて前方へと走っていった。戦士と魔法使いが不思議そうにその背中を見守る。
レンジャーは迷うことなく城門の前まで駆け寄ると、何やら見覚えのあるシルエットの人を捕まえ、引き返してきた。
「いた。さっき助けてくれた人」
「あはは、追いつかれちゃったかあ。さすが早いねえ。一流の冒険者は回復速度が違うなあ」
そう朗らかに笑ったのは、自称お宝ハンターのあの商人風の男だった。戦士たちは彼に慌てて挨拶し、少し待っていてほしいと告げる。と、商人風の男は、分かったよーと言いながら城門の向こうに消えていった。
戦士たちもすぐに手続きを終えて城壁の中に入る。すると彼は約束通り、城門の横の通路でニコニコしながら立っていて、戦士たちを見つけるやいなや朗らかに話しかけてきた。
「あ、来た来た。無事で良かったよー」
「いえ、こちらこそ先ほどはありがとうございました」
「いやいや、そんなろくなことしてないよー。声かけただけだし、そんな気にしないで」
「まあでも何かの縁ですし、先ほどの約束通り、お食事どうですか?」
「そうだねえ。……行こうか。でも、今日の戦利品の換金だけしてきていいかな?」
彼が問うと、戦士はこくりと頷いてからパッとレンジャーの方を振り向いた。
「そうだ、俺らもあれお金にしないと手持ちないんじゃねえか?」
「あー、そうだな。換えてきちゃう?」
と、その会話を聞いていた商人風の男が、ニコニコしながら口を挟む。
「なら僕の知り合いのところ行くから、一緒にやるー?」
その提案に、3人は顔を見合わせた。あんなことがあったばかりなのに、この男を信用していいのかと視線で会話をする。
だがすぐに、レンジャーは商人風の男に向かって頷いた。
「じゃあ俺らも、そこでお金にしようと思います」
「あ、本当に?声かけといてなんだけど、別に無理しなくてもいいんだよ?また待ち合わせすればいいし」
「いえ、普段こういうの手に入れる機会がなくて、換金出来るところ知らないんです」
「そっかー、なら行こっか。大丈夫、信頼できるとこだよー」
商人風の男は笑顔を保ったまま歩き出した。3人はその広い背中について歩く。
外は濃紺色の空に覆われすっかり暗くなっていたが、この城壁の中はまるで別世界のようだった。道路には街灯が所狭しと並び、立ち並ぶ店先からは陽気な音楽が絶えることなく流れ、人々は夜の訪れを楽しむように出歩き、その隙間を小型の自動車がパーッと通り過ぎていく。
上を見ると、レールにぶら下がるようにしてモノレールが走り、駅に着いた瞬間たくさんの人が吐き出され、そして吸い込まれてを繰り返していた。魔法使いはそんな景色を眩しそうに眺め、ぽつりと呟く。
「いつ来てもほんっと賑やかだね……」
「往来の要だからねえ。全部の道は首都に繋がっているって言うし、裏を返せば、ここに来ればどこへだって行けるし」
商人風の男はそうニコニコと答えてから、不意に路地裏へと足を踏み入れた。3人は一旦路地裏を通り過ぎかけ、慌てて引き返して彼を追いかける。
そこは車が通れないほどの細い通りで、街灯が少ない薄暗い通路に小さい飲み屋などが軒を連ねていた。軒下に吊り下げられた提灯が薄ぼんやりと、暗闇と行き交う酔っ払いたちを照らしている。
そんな道を商人風の男はスルスルと通り抜け、やがてとある店の前で足を止めた。金品等売買、とだけ書かれたシンプルな外見の小さいお店だ。
「ここだよ。僕の知り合いで、お世話になっているんだあ」
「へえ、こんな裏の飲み屋街に……」
「まあ店構えは小さいけど、腕は確かだからね。すっごい助かっているんだよねえ」
彼はそう言うと、遠慮なく店の中へと入っていった。3人も恐る恐る後に続く。
シンプルな外装とは裏腹に、店の中は雑然としていた。棚が所狭しと並べられ、売り物かそれとも展示品なのかよくわからない品物がずらっと並ぶ。
と、商人風の男は誰もいないカウンターの上にリュックを置き、おもむろに店の奥に向かって声をかけた。
「おーい、ダイグー、来たよー」
その声に応じて店の奥から出てきたのは、無精髭にロン毛の男だった。垂れ下がった眠たげな眼をしているがそれは生まれつきのようで、その無防備さがかえって男の神秘性を強調しているようだった。
「ダナーンじゃねえか。おかえり。……お?珍しくパーティーで行ったのか?」
「いや?道で行き倒れてたからちょっと声かけただけだよ。彼らも換金したいものがあるらしくて。えっとねえ、この人が店の店主のダイグ。見た目はこうだけど、腕は確かだから、信頼してよ」
ダナーンと呼ばれた商人風の男がニコニコしながら店主を紹介し、戦士たちは慌てて頭を下げる。と、店主は3人の姿をぐるっと見渡し、口の端に笑みを浮かべた。
「姿見る限り割と上位の冒険者だろうに、行き倒れとは珍しいな」
「まあちょっと、盗賊の被害に遭いまして……」
戦士がモゴモゴと言葉を濁すと、店主は軽く笑ってから、カウンターの上に置かれたダナーンのリュックを手に取った。
「にしてもいっぱい詰めてきたなあ。どこまで行ったんだ?」
「ちょっと山の中まで。誰も手を付けてない洞窟があるって聞いて行ってみたら当たりでさー。魔物が大量に溜め込んでたから、不在の時狙って持ってきたんだ」
「さすが魔物の空き巣専門家だな」
「へっへー、戦闘になるとそこまで強くないからね、僕。で、そこのお三人さんは何を売るの?」
ダナーンにそう聞かれ、戦士が慌てて袋を取り出す。
「俺らは宝石とー、あとこの鏡も、もし値がつくなら売りたいんだが」
「ふむ、宝石か……」
店主は、差し出されたピンク色の宝石ときれいな鏡を手に取る。最初は宝石を眺めていたが、すぐに興味は鏡の方へ移った。
「この鏡……」
「魔物が溜め込んでいたんだ」
「ふむ……。女の魔法使いがいるようだが、使わなかったのか?」
店主の問いかけに、魔法使いは首を振って否定の意思を示す。すると店主は鏡に視線を戻してから、戦士の手に鏡をぽんと置いた。
「売らないほうが良いな」
「え、何で?値段がつかないガラクタってことか?」
戦士が尋ねると、店主は首を横に振った。
「いや、逆だ。逆に貴重すぎて値段がつけられない」
「どういうことだ?確かにきれいな鏡だとは思うけど……」
ピンと来ていない戦士に、店主はふむ、と呟いてからダナーンの方に視線を向けた。
「ダナーン、あんた光の魔法使えたよな?」
「ああ、弱いやつねー。ちょっと眩しい程度の閃光の魔法」
「ちょっとそれを、この鏡に向かって撃ってくれないか?」
その言葉に、ダナーンも戦士も首を傾げる。が、すぐにダナーンは戦士に向き直ると、鏡に向かって詠唱を始めた。すぐに彼の手から、光の弾が飛び出し鏡へ一直線に向かっていく。
鏡に着弾しようとしたその刹那、鏡は魔法を弾き返し、弾かれた光の弾は魔法を放ったダナーンの方へ猛スピードで舞い戻っていった。そのまま弾は彼のポヨンとしたお腹に着弾し、激しい光を撒き散らして消える。
ポカンとその光景を見ていたダナーンたち4人へ、店主は面白そうな顔で、な?と言った。
「良いやつだ。ダナーンの放った魔法が攻撃魔法だったら、確実に食らってただろう」
「すげえ……。こんなすげえ鏡だったのか……」
レンジャーが感嘆の言葉を漏らす。だがダナーンは、苦笑いしながら店主の方を向いた。
「でも小さすぎて、利便性悪そうだねえ。今はわざと鏡に向けて撃ったけど、この手のひらサイズの鏡を魔法にぶち当てるって、簡単じゃないよ?」
「そうだな。でも、ただ俺の仕事はそれを鑑定するだけ。それの使い方を考えるのは俺の仕事じゃねえ」
「わー、無慈悲だなあ。知ってるくせに」
ダナーンが茶化す。と、戦士は鏡を持ったままダナーンとダイグの方に向き直り、真剣な目で2人の顔を見据えた。
「これの活用方法、知っているんですか」
「まあな、やるのは俺じゃねえけど」
店主が少しぶっきらぼうに応じると、戦士は真っ直ぐ力強い眼差しで店主の顔を見つめた。
「お願いします、教えてください。これの活用方法」
「んあ?なんかやけに真剣だな。それ跳ね返すの魔法だけだぞ。魔法を使う魔物なんて滅多にいないはずだが」
「その滅多にいない魔物に、挑みに行くんです」
「ふむ……?」
店主は少し考え込むように俯いていたが、やがてパッと顔を上げると、3人の姿を順繰りに見つめた。
「もしかしてあれか?魔王を倒しに行くのか?」
「……そうです」
「この時期に?魔王って確か勇者捕まえているんだろ?救出目的でもなけりゃあ、わざわざこの時期に行く必要は……」
店主は言葉の途中で口を動かすのを止めた。そして再び3人の姿を順番に見つめる。
「もしかして、3人パーティーか?」
「……はい」
戦士のそのわずかに間を空けた回答で何かを察したのか、店主は手に持っていた宝石をそっと布の上に置くと、戦士たちの顔を眠たげな瞳で見つめた。
「分かった。ただ、加工するにはこの宝石くらいの値段が飛んでいくぞ。覚悟はあるか?」
「それで足りるなら構わないです」
「そうか。……ダナーン、おやっさんの出番だな」
「んー?ああ、話まとまった?」
ダナーンは会話に飽きていたのか、店内のディスプレイに気を取られていたようだった。店主は少し呆れた顔をして突っ込む。
「話聞いてたか?」
「あはは、聞いてたよー。この人たち捕らわれた勇者の仲間で、魔王へ挑みに行くんでしょ?」
「……ダナーンは、全部を言わない無言のコミュニケーションという美学を知らないんだな」
「何それ?ダイグは時々難しいこと言うねー」
すっとぼけるダナーンに店主は呆れていたが、すぐにカウンターに置かれたリュックをポンポンと叩いて言う。
「まあいいや。その3人、おやっさんの元へ案内してくれねえか?その間にダナーンの荷物の鑑定と、この宝石の正式な鑑定額出しとくから。ああ、冒険者さん、支払いは気にしないで。おやっさんは後払い制だから」
戦士たちが神妙な面持ちで頷く中、ダナーンだけはのんきな声で言い返す。
「ああ、はいはい。なるべく高く頼むよー。命懸けだったんだから」
「いつも高めに出してんだよ。ダナーンは知らないだろうけど」
「僕だって、結構命張って取ってきてるんだよ?ダイグは知らないだろうけど」
「知らん。それよりさっさと案内しろ。夜なんだから疲れているだろ?早く終わらせて寝かせてやれよ」
「あ、そうだったそうだった。まあすぐ近くなんだけどね。ここの裏手。着いてきてー」
ダナーンはそう言うと、呆気に取られている3人に向け手招きをしながら店を出ていった。気を取り直した3人はダナーンの後に続く。
彼は細い路地裏のさらに細い路地に入り、丸々とした身体ギリギリの通路を抜け、1本隣の通りへと出た。路地裏も1本違うとまさに別世界で、そこは工房などが立ち並ぶ職人界隈の街になっていた。どうやらあの飲み屋街は、こうした職人たちに向けて開かれているお店らしい。
ダナーンは慣れた様子で通りを歩き、やがてとある工房の中に足を踏み入れた。戦士たちが入り口からそっと中を覗くと、ダナーンが中にいた男の背中に向かって話しかけていたところだった。
「おやっさーん、ちょっと話せるー?」
「あ?……何だ、ダナーンか」
炉の前に座っていた体格のいい男性が振り向いた。彼はおやっさん、なんて愛称に反してまだ若々しく、20代から30代くらいの精悍な顔つきの青年だった。頭にはタオルを巻き、身体はタンクトップに作業着のズボン。見えている上半身は筋骨隆々で、とてもたくましい印象を持つ、まさに職人肌と言っていい男性だ。
ダナーンはそんな彼にニコニコとした笑顔で近づくと、入り口から様子を伺っている戦士たちを指差した。
「ちょっと依頼があってねー。冒険者さん、連れてきた」
「ああ……。どうぞ、汚いけど中へ」
「あ、すみません、お邪魔します」
戦士たちは店の中に入ってドアを閉める。と、途端に店内には熱気がこもってきて、魔法使いがたまらずドアを少しだけ開けた。
どうやらここは金属製の武具などを作る工房のようで、店の一番奥には真っ赤に熱された炉があり、周囲には材料であろう鉱物や木材、そしてハンマーなどが雑然と並べられている。
そんな狭い工房の中央で、ダナーンは額に汗を浮かべながらも、ニコニコと職人の男を指差して言う。
「彼はこの工房の店主で、職人のオヤイノさん。まだ若いけど、こうやって独立できるくらい優秀な人なんだよ。おやっさん、彼ら冒険者。依頼があって連れてきたんだ」
「……何でしょう」
職人は口数少なく答えると、じっと戦士の顔を見つめてきた。戦士は手に持っていた鏡を彼に手渡す。
「この鏡、魔法を跳ね返す鏡なんですけど、こちらで加工できると教えてもらいまして。魔王に挑むために、どうしても必要なんです」
「ふむ……。なるほどな。ちなみに、そこの女性が背負っているのは盾?」
「あ、いや。この前魔王にぶっ壊された鏡……」
戦士が口走ると、職人の顔が険しくなった。魔法使いは慌てて背負っていた鏡を下ろして職人に渡す。
「元々、真ん中に鏡みたいなのが埋められていたんですけど、魔法でぶち破られたんです」
魔法使いの説明に、職人はさらに顔を険しくした。渡された鏡の土台の装飾をじっくり見渡し、鏡と見比べ、そして素材を確認していく。
何も喋らない職人に4人が不安の色を濃くし始めた頃、職人はようやく鏡と土台を床に置き、戦士たちを見上げた。
「この2つ、預からせてもらう。急ぎか?」
「はい。明日の午後にはここを出る予定で……」
「……分かった。じゃあ明日の正午あたりにまた来い。お金はまた後で話す。悪いようにはしない」
職人はそう言うと、戦士たちに背を向けて鏡をいじり始めたようだった。ぽかんとする3人へ、ダナーンが笑いかける。
「任せておけば平気だよー。ほんとに腕だけは一流なんだ。僕の武器も、彼に鍛えてもらったやつだし」
ダナーンはそう言うと、腰に差していた棍を取り出した。ダナーンの手に持ち手が収まった瞬間、棍はシュンと伸び、人の身長以上の高さに伸びる。
唖然とする3人へ、ダナーンは明るい笑い声をかけた。
「おやっさんは魔法も扱えるからね。だからこそ、こんな若いのにこうして工房をやっていけるんだけど」
「すげえな。男で魔法扱える人が2人もいるとは……」
レンジャーが思わず言葉を漏らすと、ダナーンは笑いながら棍をしまった。
「あはは、まあ魔法を使える人は、男性は20人に1人くらいっていうよね。女性は3人に1人くらいの率でいるらしいけど、首都はとにかく人が多いからねえ。僕みたいに、魔力がちょっとあるから冒険者になるって人も多いし」
「なるほど……」
納得の声を上げる戦士をよそに、ダナーンはおやっさんまたねーと言い残すと、とっとと外へ出ていってしまった。戦士たちは職人に会釈し、慌てて追いかける。
4人で買取店に戻ると、そこにはすでに眠たげな顔でタバコを吸っている店主の姿があった。
「おかえり。ダナーン、鑑定出てるけど、全部売却でいい?」
「あ、いいよー」
「じゃあリュック含めて、18万ローフ」
「ちょっと、ダイグ!?リュックは返してよー!」
ダナーンがカウンターに駆け寄ると、店主は笑って空のリュックを差し出した。
「冗談だよ。リュック抜きで18万」
「あー良かった。でも18万かー、まあまあそんなもんかー」
ダナーンは残念そうに呟きながらリュックを受け取る。店主はそれには応えず、入り口の近くにいる戦士たちに顔を向けた。
「で、そこの冒険者さん。この宝石の鑑定額は13万だ。売却でいいか?」
店主の提案に、レンジャーは少し意外そうな顔をした。
「そんなにもらえんの?確かにきれいな石だけど大して大きくないし、せいぜい行っても10万かと」
「ああ、いい鑑定眼持っているな。言う通り実際は10万前後、店によっては9万って言うかもしれない。だけどまあ、勇者を取り返しに行く勇敢な戦士たちへ、俺からの餞別よ。ダナーンの鑑定からもその分のお金抜いてるし」
あっさり言い放った店主へ、ダナーンが驚きの声を上げる。
「え!?僕お金出すなんて、一言も言ってないよー」
「だって俺が決めたもん。半々な」
「えー……。まあいっか、そのお金でご飯奢ってもらえるし」
ダナーンのマイペースな言葉に、店主が呆れたような顔をする。すると、タイミングよく魔法使いのお腹がぐうっと鳴り、彼女は顔を赤らめた。
「あ、ご、ごめんなさい。ご飯って聞いたら、お腹減っていたの思い出して……」
「ああ、なら行ってきな。お金はもう用意してある」
店主がカウンター下から札束を取り出した瞬間、ダナーンは慣れた様子で、現金の束を引っ掴んだ。
一方の戦士たちは慣れない様子で現金を受け取り、戦士の胸元のポケットに慎重にしまっていく。と、ダナーンがニコニコと音がついていそうな程の満面の笑みで、戦士たちの方へ振り向いた。
「よし、じゃあ行こうか。オススメの店あるんだ!」
「お待たせしました、ケイブライ草と川魚の香草焼きでーす」
数十分後。戦士、レンジャー、魔法使い、そしてダナーンの4人は居酒屋の中にいた。仕事終わりの人々で混み合う店内で、ダナーンが頼んだ料理が次々と運ばれてくる。
「きたきた、これ美味しいんだよー。食べて食べて」
ダナーンがニコニコしながら料理を取り分け、魔法使いたちは料理をがっつき舌鼓を打つ。
「やばい、これ美味しい!お酒がすすむーっ」
魔法使いは魚とジョッキを左右の手に持ちながら叫び、戦士が苦笑いで諌める。
「行儀悪いなあ。あと飲みすぎるなよ。明日に影響する」
「飲まなきゃやってられないわよこんなん!勇者は捕まって無駄に魔王城行く羽目になるし、昏睡強盗にはやられるし!あー、勇者!さっさと逃げ出してこーい!迎えに行くからー!あとあの無駄なイケメンいつか倒す!もう今度は騙されねー!」
酔っ払う魔法使いに、戦士は頭を抱えながら、酒乱、と呟く。だがダナーンだけは、ニコニコしながら魔法使いへお酒を注いだ。
「大変だねえ。パーティーはパーティーなりの悩みがあるんだねえ」
「ほんとだよもう。何で俺たちなんだよー、魔王に挑んだパーティーなんてまあまあいるのにさー」
レンジャーも酔っ払ってきたのか、グラスを片手に文句を垂れ流す。そんな彼にも、ダナーンはニコニコしながら相槌を打った。
「たまたま選ばれちゃったんだねえ。勇者も災難だ」
「そうっすよー、まじ。逃げらんねえのかなあ、俺あいつに挑みたくねえよー。強すぎんだもんー」
「ボーッとしてる勇者が悪いんだ!城ん中いるの3人だぞ?3人!魔王入れて3人!他にもいるのかもしれないけど会ったことあるのは3人!とりあえず、檻なんて魔法で突き破って逃げ出してこーい!」
全く違う酔い方をするレンジャーと魔法使いに、戦士は少しだけ頭を抱えてからダナーンの方へ向き直った。
「すみませんうるさくて。ダナーンさんは、ずっと1人なんです?」
「んー、そうだねえ。危ないところ行くときは護衛代わりに冒険者パーティーと行ったりするけど、基本は1人かな。人数いると取り分減っちゃうからねえ」
「あ、じゃあ冒険者ではあるんですね」
「うん、登録上は冒険者だよー。魔物の空き巣専門、もしくはかっこつけてお宝ハンターって名乗ってるねえ。昔は商人やってたけど、こんな性格だからあまり商売向かなくって」
ニコニコと答えるダナーンに、戦士は軽い相槌を入れつつお酒に口をつける。と、そこに新たな料理が運ばれてきた。
「キンカンチョウのから揚げと、ドネクスライムの薬草包み、そしてパールサワーおかわりでーす」
「……魔物料理?」
聞き慣れない料理名に戦士の手が止まる。だがダナーンは、ニコニコしながらから揚げに手を伸ばした。
「そう、ここ魔物料理に力を入れている居酒屋でねー、安くて美味しいんだよ。食べてみ?」
「キンカンチョウって、あの山とかにいるギャーギャーわめき散らかす鳥の魔物、ですよね……」
「そうそうそう。対面すると最悪だよねー。まあでも味は美味しいから!」
そう言われた戦士はから揚げに手を伸ばし、恐る恐る齧ってみる。と、衣の間からジュワッと肉汁が溢れ出し、戦士は慌てて左手で汁を受け止めつつ一口で頬張った。
「うっま。すごいジューシー、何だこれ」
「でしょー?冒険者に納品依頼も出してて、冒険者の仕事を増やしつつ冒険者の胃袋を満たす!いやあ、強いよねえ」
朗らかに笑うダナーンの隣で、届いたばかりのパールサワーでから揚げを流し込んだ魔法使いが叫ぶ。
「うめー!勇者はこんなの食えてないんだろうなあ!ざまあみろ!」
「だー、てめえうるせえよ。酔いすぎ。キンカンチョウかよ……」
「酒だー!今日は酔うぞー!勇者、悔しければ逃げ出してここまで出てこーい!」
「もうダメだ……。情報収集しようと思ってたのに……。鏡だけじゃ魔王に立ち向かえねえよ」
頭を抱える戦士をよそに、ダナーンはニコニコしながらメニューを差し出した。
「まだまだいっぱいあるよー」
およそ2時間後、そこには真っ赤な顔してぶつぶつ言っているレンジャー、酔い潰れて寝ている魔法使い、魔法使いの肩を揺らしながらため息をつく戦士、そして顔色一つ変えずにジョッキを空にするダナーンの姿があった。
いくら揺すっても起きない魔法使いに、戦士は諦めて手を離し、ダナーンの方へと向き直った。
「うるさくてすみません。魔法使い、酒癖悪すぎて」
「いやいや、楽しかったよ。やっぱお酒の場はあれくらいはしゃがないとねー」
「ほんとすみません……。じゃあ約束通り、お会計は俺らが」
そう言いながら戦士は店員を呼び出して、お会計、と伝える。だが店員はキョトンとした顔で、ダナーンを指差した。
「もう頂いてますよ」
「えっ!?」
戦士が振り向くと、ダナーンは涼しい顔でジョッキを飲み干し、そして笑った。
「僕からの餞別。さっきダイグは僕の鑑定からお金出したって言ってたけど、あれ嘘なんだよね。全部彼の持ち出しなんだ。気を使わせないようにって思ったんだろうねえ。腐っても元商人だから、大体の鑑定額くらい分かるよー」
「いや、でもここまでお世話になってそれは」
「だって魔王倒すんでしょ?命懸けだよー。そんな人からお金取れないって。それより、魔王倒して世界平和にしてよ。そしたら僕自慢するから。魔王倒す直前の戦士たちに奢って力をつけさせたのは、この僕だって」
ダナーンが胸を張り、戦士は少しばかり考えてから頭を下げた。
「すみません。ご馳走になります」
「いいっていいって。でも、そろそろお開きにした方がいいね。宿までは行ける?大丈夫?」
「はい、こいつは俺が担いでいきますので」
「そうかー、じゃあまたねー。吉報を待ってるよ」
ダナーンは朗らかに言うと、残ったから揚げを口に放り込み席を立つ。戦士はその背中へ、深々と頭を下げた。
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