魔王城―第2話―
窓から差し込む穏やかな朝日、窓の隙間からカーテンを揺らす爽やかな風、そして山々から聞こえてくる小鳥のさえずり。そんな爽やかすぎる、理想とも言える環境の中、勇者はゆっくり目を覚ました。ベッドの上で仰向けに寝転んだまま、差し込む朝日に眩しそうに目を細め、数秒ほどぼんやりと天井を見上げる。
次の瞬間、勇者はガバっと飛び起きた。寝癖のついた髪を片手で抑えながら、目を見開いて室内を見渡す。
「うっそ、もう朝?……完っ全に寝てた。熟睡だった。ここ魔王城、だよな?」
勇者は独り言を漏らしながら立ち上がって鏡の前に行くと、自らの状態を確認し始めた。防具の下にまとっていた水色の衣と履き慣れた丈夫な革のズボン、そして寝癖のついた髪。
勇者は髪を軽くこすり、頬をつねり、夢でないことを確認してから室内に視線を戻す。と、机の上に紙切れが1枚置いてあり、勇者は乱した髪の毛を直しながらそれを手に取った。
『ルガへ 寝てたのでご飯は食堂に置いておきます。起きたらこちらに食べに来てください。 マグラ』
走り書きの割にはキレイな字で、文の下には手書きの地図が添えられている。
勇者はそれを読み終わると、うわぁと顔をしかめて出入り口の方に視線を向けた。
「持ってきてくれたのに、気づかなかった……。悪いことしたなあ」
そう呟いた瞬間、勇者のお腹がぐうっと空腹を訴え、彼は靴を履いて部屋の外へ向かう。
廊下に出ると、換気のためか窓は開放され、爽やかな風が廊下を満たしていた。勇者は朝の風を浴びながら地図を頼りに食堂を目指す。
石造りの重厚な階段を下りて左に曲がると、一際大きなドアが姿を見せた。地図ではそこが食堂と記載されていて、勇者は何回か地図とドアを見比べたあと、恐る恐るドアに手をかけ押し開ける。
部屋に入った瞬間、部屋の奥から明るい声が聞こえてきた。
「おー、ルガ起きたー?おはよー」
勇者がそちらに顔を向けると、紺色ジャージ姿の魔王とエプロンを着たマグラ、そして昨日と変わらずシワひとつないシャツとベストを身に着けたタリートがいた。
「あ、おはよう。……リーグの普段着ってジャージなの?」
「うん。だってあれ仕事用だし。まあ座りなよ、どこでもいいよ」
魔王に促され、勇者は魔王の正面の椅子に腰掛ける。
と、早速マグラが水を持ってきて、勇者はそれを受け取りながらマグラに話しかけた。
「ごめんね昨夜、夕飯作ってくれたのに。寝ちゃった」
「え?あ、いや良いっすよ。むしろあれだけリラックスしてくれて良かったっす。怖くて寝られねえ、とか言われたらどうしようかと思ってました。じゃあこれから用意するんで、ちょっと待っていてください」
マグラはカラッとした笑顔で答える。それを聞いていた魔王が、ホットサンドを頬張りながら大きく頷いた。
「俺もあの後爆睡してさあ、久々にこんな時間に起きたんだよ。仲間だな」
「あ、そうなんだ」
「そうそうそう。たまにはこんな時間に起きるのもいいもんだな。涼しいし、小鳥めっちゃ鳴いてるし」
「ご主人様?食べながら喋らないでください」
タリートに注意され、魔王は手元のお茶で口の中のものを流し込むと、はいはーいと気だるそうに言う。
一方、水を飲んだ勇者はキッチンへ戻っていくマグラの背中に声をかけた。
「俺のやつ、昨日食べ損ねたやつ温めるだけでいいよ」
「え?あ、それ俺のご飯にしたんで大丈夫っすよ。全然、心配しなくていいですから」
「ほんとに?うわ、ごめん……」
「何で謝るんすか。むしろ昨日は余り物の処理だったんで、あれが初めてのご飯にならなくて良かったっすよ」
マグラはそう言って笑いながら、手際よくご飯の準備をしていく。と、タリートが勇者へ穏やかに声をかけた。
「ルガさん、コーヒーは飲めますか?お茶にしますか?」
「あ、えーっと、コーヒーでお願いします」
「ミルクとお砂糖は?」
「いや、何もいらない。ブラックで大丈夫」
勇者の答えに、魔王は驚きの声を上げた。
「え!?ルガってブラック飲めるの!?」
「あ、うん。朝食にコーヒー出してくる宿も多いし」
「えー……。勝手に同類だと思ってた……」
言葉の意味が掴めず、勇者はキョトンとした表情を浮かべる。すると、タリートはポットからお湯を注ぎながら、勇者の方へ苦笑いを向けた。
「ご主人様、ブラックコーヒー飲めないんですよ。百何十年も生きてきたんですけどね。今も甘いミルクティーですし」
「えっ、飲めないの?あんな黒ずくめの格好しといて?」
勇者が素直に驚きの言葉を口にした瞬間、魔王はムッとした表情になった。
「見た目関係ねえし。あんな苦いもん飲めるわけねえだろ。苦くてちょっと酸っぱい黒い水だぜ?何が楽しくて、あんな罰ゲームみたいなもん飲まなきゃいけねえんだ」
「えー、いや関係ないけどさ。魔王のあの格好でミルクティー飲むより、ブラックコーヒーの方が絵になるよ。それに慣れると美味しいって。山菜とかだって苦みを楽しむものだし」
「……んなの分かってるよ!ブラックコーヒー飲んでかっこつけたい気持ちはあるんだけどさあ!」
魔王は言いながら頭を抱えてしまった。タリートがゆっくりコーヒーを淹れながら、そんな魔王を優しく見つめる。
「ご主人様、確かに憧れていた時期ありましたね。ベランダにテーブルと椅子を出して、わざわざコーヒーミルで豆から挽いて淹れてみたことがあるんですけど、苦い無理という言葉とともに私に全部回ってきましたね。最終的には、ワイン飲めるからいいもん、と言い張って酔っぱらってましたが」
「……ばらすなよ」
魔王が不機嫌そうに顔を上げた。タリートは反省する素振りもなく、まだアニメにハマる前の話でしたね、と言ってから勇者に淹れたてのコーヒーを渡した。周囲にコーヒーの豊かな香りが立ち込める。
「ありがとう。すごくいい香り」
「ええ、こだわってますよ。私とマグラはコーヒー大好きで、ご主人様が値段分からないのを良いことにお金かけてますから」
「まあその分俺の酒は良いもんだけどな。絶対お前らには飲ませねえから」
魔王が負け惜しみのように言い放ち、勇者は苦笑いを浮かべる。と、マグラが白いお皿を運んできて、勇者の目の前に置いた。
「どうぞ。まあ朝食は毎回似たようなメニューなんっすけど、ハムとチーズのホットサンド、ポテトサラダ、ミニトマト、あとコンポタっすね。お口に合えばいいんすけど」
目の前に置かれた白くて平べったいお皿の上には、三角に切ったホットサンドが2つ、それにポテトサラダとミニトマトが2つ盛り付けられ、右上のへこみには温かいコーンポタージュが入ったスープの器が置かれている。
綺麗にワンプレートでまとめられた朝食に、勇者はすごい、と声を漏らした。
「バイキングでもこんな朝食出ないよ。さすが魔王の家……」
「まあ冷めないうちに食べちゃってください。あ、俺とタリートはもう食事済ませているんで、お構いなく」
「あ、うん。いただきます」
勧められるまま、勇者はホットサンドを口に運ぶ。サクッという小気味のいい音が響くと同時に、勇者の顔がほころんだ。
「何これ、めっちゃうめえ……。チーズもトロトロだし、え、本当にマグラが作ったの?」
「もちろん。いやそこまで褒めてもらえると嬉しいっすね。主人も料理上手い上に比較する対象がないんで、あんま感想言われないんすよ」
そう言ってマグラは魔王の皿を下げようとして、不意に大声を上げた。
「あ、主人!ミニトマト残さないでくださいよ。1つしか添えてないんですよ!?」
「……だってミニトマト、というか野菜嫌い」
魔王が不貞腐れながら言うが、マグラは器用にトマトのヘタの部分を掴んで魔王に押し付けた。
「1つくらいは食べるって約束でしたよね!ほら、口開けて!」
「えー、だって食べ終わった……」
「これ食べない限りは終わらないっす!ほら早く!」
渋々口を開けた魔王の口に、マグラがミニトマトを押し込む。
そんな攻防を眺めながら、勇者はホットサンドを勢いよく腹の中に収めていき、あっという間に1つがなくなった。その食べっぷりを見ていたタリートがニコニコと話しかける。
「やっぱルガさんお腹減ってますね。おかわりの用意もした方がいいでしょうか」
「おかわりしていいの?いやもう、普通に美味しすぎて手が止まんない。……うわスープもうめえ、まじで店開けるよこれ」
「……だろ?美味しいんだよ。野菜はそこらへんのスーパーの宅配だからそこまでなんだけど」
魔王がミニトマトをどうにか飲み込みながら言う。その言葉にマグラは、新鮮なやつ取り寄せているのに好き嫌いしすぎなんすよ、という小言を残してキッチンへと去っていった。
タリートはニコニコしたままその光景を眺めた後、渋い顔でミルクティーを飲んでいる魔王に話を振る。
「それよりご主人様、今日のこと、ルガさんに相談するんですよね」
「ああ、そうだ。早いうちに聞かなきゃ」
魔王は一つ頷くと、ポテトサラダを口に詰め込んだ勇者へ向け、ゆっくりと話し始めた。
「いや、昨日勢いで口走っちゃったんだけどさあ、俺ら1日1回放送乗っ取らなきゃいけないわけよ」
「……うん」
「その上、俺はルガをいじめなきゃいけないわけじゃん?それをどういう風にやろうかなって。本気でぶん殴ったら死んじゃうし、俺もそんなことやりたくないし。……まあ素直に聞くと、ルガ、どこまで演技できる?」
魔王が勇者の顔を見ながら言うと、勇者はごくんと口の中のものを飲み込んでから腕を組んだ。
「そっか、そういえばそうだった。……昨日は必死過ぎてあんま内容覚えてないんだけど、俺は絶対映らなきゃいけないんだよね」
「うん、もちろん。だからどこまでやれっかなーって。平手打ちとか?いやでもさすがに痛いよな……」
魔王が平手打ちを素振りしながら呟く。勇者はホットサンドをもぐもぐと頬張りながらしばらく考え込んでいたが、やがてパッと顔を上げて魔王の顔を見つめた。
「リーグ、昨日やってたあの見せかけみたいな魔法?って、他にないの?」
「あー、まああるにはあるよ。見せようか。タリート、ちょっと身体貸して」
魔王はタリートを少し離れた場所に立たせると、いくつかの魔法をタリートに向けて放った。禍々しい赤茶色の弾、ピンク色のハートや音符が舞う可愛らしい弾、そしてトランプカードのように見える弾。
勇者はいつの間にかご飯を食べ終わり、コーヒーをすすりながら魔法を眺めていたが、やがて一通り終えた魔王が勇者の方へ振り返ると、勇者は頷いてカップを置いた。
「最初の赤茶色のやつ、俺に向かって放つとかはどうかな?やられたふり、というか攻撃を受けたふりするからさ」
「あ、やってくれる?」
「もちろん。ご飯もベッドもお世話になってるんだから、やれることはやるよ」
「うっわ助かるわー、ありがとね。じゃあそれで行こう。タリートが原稿起こしてくれるはずだから、あとでちょっとやってみようか」
魔王が安堵の表情を浮かべながら椅子に座る。と、ちょうどタイミング良く、マグラがおかわりのホットサンドを持って戻ってきた。
「中身チョコっす。デザート代わりにどうぞ。主人も」
「うわ、美味しそう。ありがとー」
「やった。いただきまーす」
マグラはタリートにもホットサンドを渡し、最後に残った1枚を自分の口に運びながら椅子に座る。そして甘いチョコに顔をほころばせてから、勇者に向けて話しかけた。
「いやほんと、勇者としてルガさんが来てくれて良かったっす。心配してたんすよ、魔王に味方するってことは人間に敵対するってことなんで、やってくれない人はやってくれないだろうなって」
「あー……」
勇者が口を動かしながら首を傾げる。と、ミルクティーでホットサンドを流し込んだ魔王が口を開いた。
「まあそうなったら、本気で監禁して本気で殴るだけだ」
「主人じゃなく俺らが手を下すことになりそうっすねそれ。最後殺すんですよ?」
「来る人数が減るなら何でも良いんだよ。別に非協力的でも、殺したふりして眠らせりゃいいし、魔王城に来たやつは皆こうなるぞって知らしめりゃいいんだから」
「まあそうっすけどねー。そういやルガさんの仲間って、今までと同じように街に帰したんすよね。今どうしてんでしょう。来るんすか?」
その素朴な疑問に、勇者は驚いた顔をして動かしていた口を止めた。そしてごくりと口の中のものを飲み込み、魔王の顔を見つめる。
「来るかも。ニュースになってるとは思うし」
「一応出来る限り遠くに飛ばしたけど……。来るかな」
「だって俺ら、魔王討伐を最終目的にして旅してきたし、来ない理由はないと思う」
「そうか。まあ来たら来たで今まで通り倒すだけよ。遠いから移動に時間を割かれて、そこまで準備できないだろうし」
魔王がこともなさげに言い放ち、勇者は魔王の顔からようやく視線を外した。
「……そっか。強いね」
「まあな。こんな感じで100年間ずーっと相手してたし。大丈夫、殺しはしないよ。さてー……。タリート、今日のスケジュールは?」
魔王がミルクティーを飲み干してから尋ねると、タリートはティッシュで口元を拭ってすっと立ち上がった。
「午前中、ご主人様は仕事が溜まってるのでそれを処理してください。ルガさんはその間にお風呂へとご案内します。替えの服も用意しますので着替えてください。そして昼食、休憩を挟んで放送乗っ取りの準備。15時目安で乗っ取りを開始します。後は、もし魔王城に来る人影があったら適宜対処いたします」
「おっけー。ルガも大丈夫?」
「あ、うん、大丈夫」
勇者はコーヒーを飲み干し、こくりと頷いた。じゃあ、と魔王がタリートとマグラの顔を交互に見つめる。
「案内役はどっち?」
「うーん、特に決めてませんが……。お互い急ぎの仕事もありませんし」
「じゃあルガ、どっちがいい?タリートかマグラか」
魔王が唐突に勇者に尋ね、勇者は慌てて聞き返す。
「え、ど、どっち?」
「うん。どっちがいいか選びなよ」
「え、どうしようかな。じゃあ……。リーグ」
勇者が言うと、魔王は唖然とした表情を浮かべた。
「え、お、俺!?俺が好きなの?それはちょっと……。もう1度考えたら?」
「え、何で慌ててるの?そんな結婚申し込んでるわけじゃないんだから」
「だって俺魔王だよ?魔王に道案内させるの?」
「選びなよって言われたから……」
「選択肢出したのに!なんで選択肢に入ってないやつにわざわざ話しかけるんだよ!マグラかタリートだって!」
何故か少し怒っている魔王に言われ、勇者は2人の顔を見比べた後、軽く首を傾げた。
「どっちでもいいよ。暇そうな方」
「どっちも暇」
「ええ……。じゃあマグラで」
勇者が言うと、マグラは少し嬉しそうに立ち上がった。
「お、俺が案内係っすね。大浴場あるんすよ、この城。行きましょうか」
数時間後、お風呂や昼食を済ませた勇者は魔王の部屋にいた。魔王とおそろいのデザインの赤いジャージを来て、魔王とともにモニターに向かって画面を見ている。
次の瞬間、モニターにWINとLOSEという文字が表示され、魔王が手に持っていたコントローラーを投げ出した。
「うっわ、うっわまじ、ルガ強すぎ。何その腕前」
「へっへー、元ゲーム廃人引きこもりなめんなよ」
「称号が不健康すぎるだろ。……あー、でも悔しい。もっかい!もっかいやろう!」
魔王が放り投げたコントローラーを拾い上げつつ言うと、勇者はニヤリとした笑みを浮かべた。
「いいよ、何回来ても一緒だけどね」
「今回こそは勝ってやるわ!」
そんな2人の背後で、タリートとマグラが少し呆れた表情で立っていた。マグラがタリートに話しかける。
「仲良くなりすぎじゃね?あと主人をゲームで打ち負かす人、初めて見たし」
「そうですね。皆ゲームで勝敗決められれば、世の中は平和なんですけどねえ……」
「まあな。それより主人ー、ルガー。何回も言ってますけど、そろそろリハしましょうよー。時間来ちゃいますよ?」
マグラの呼びかけに、魔王はモニターから目を離さないまま答える。
「ちょっと待って、今いいとこ……。うわ!?ちょ、おまそれずるい!」
「隙あり!」
「え、まじかよやっば。……うわ負けた。今のはマグラが話しかけてきたせいだわ。うわー」
「こっちに責任転嫁しないでください。それより主人もルガも、着替えすらまだじゃないっすか。魔王と勇者にならなきゃダメなんすよ?分かってます?」
「あー分かってるって。分かってるから、これラスト!」
「そう言ってもう30分経ってるんすよ!」
マグラを無視して、魔王はコンティニューのボタンを押した。画面に再びバトル画面が現れる。
「あ、ちょっと!主人!」
「ラストだって!」
「その言葉100万回聞いたんすよ!」
マグラはそう言ってわざと2人の目の前を横切ると、モニター脇にあるコンセントに手をかけた。
「それで最後っすよ。コンティニューしたら電源引き抜きますよ」
「えー。……うわ負けたし!まじルガ強すぎ!」
「終わりましたね?」
「止める!止めるから!乱暴に扱わないで!」
慌てながらゲームを片付ける魔王と、仁王立ちで怒るマグラ。その様子を見ながら、勇者は遠くの方を見るような目つきになった。
「懐かしいなあ、友達の家みたいだ……」
「あ、人間界でもこんなバトルあります?」
タリートが応じると、勇者はこくりと頷いた。
「もちろん。ちょっと厳しい家だとゲームは1時間とか言って、お母さんに怒られて止める、みたいな。子どもの頃の話だけどね」
「つまり魔王様は子どもレベルってことですね?」
「……まあ、そうなるかな」
その会話を聞きつけた魔王が、コードを箱にぶち込みながら叫ぶ。
「おい誰が子どもだ!?俺魔王だぞ!」
「いやそこで魔王っていうのは子どもっぽい。それに俺は勇者だし」
「変わんねえじゃねえか!何だ、俺は世界の半分をやるから味方になれとでも言えばいいのか!?」
「でも世界征服はしないんでしょ?それなら城の半分もらうことになるけど……」
「勇者なら断れよ!」
「主人、口動かしてないで早く片付けてくださいよ。ほら手動かして」
「今やってるって!」
まるで子どものようなやり取りに、タリートは呆れた表情を見せてから、勇者を部屋の出入り口の方へ誘導した。
「まあこちらはこちらで準備しますので、ルガさんも着替え終わり次第、昨日のあの大広間に来て頂けますか?場所分かります?」
「あ、うん。場所は大丈夫」
「では準備をよろしくお願いします。また後ほど」
にこやかに言うタリートの背後では、子どもよりひどいとマグラが小言を言い、それに魔王が言い返すという光景が繰り広げられていて。
勇者はそれに苦笑いを浮かべてから、お邪魔しましたー、とそそくさと部屋を出ていった。
10分ほど後、水色の胸当てと篭手、すね当て、羽の飾りのついた冠という普段の格好に着替えた勇者が大広間のドアを開けると、黒ジャンパーのマグラ、黒ベストのタリート、そして黒い衣を身に着けすっかり仕事モードに戻った魔王が出迎えた。
「あ、魔王だ」
「おう勇者、遅かったな」
「やっぱ服装変えると違うね。ジャージよりも貫禄がある」
勇者が言うと、魔王は、だろ?と嬉しそうに言ってから手に持っていた紙を勇者に手渡した。
「とりあえずこれ台本。とは言え、ルガは苦しそうにしてればいいはずだけど」
「なるほど」
手渡された紙にざっと目を通していく勇者。と、魔王はそんな勇者を見つめ、苦笑いしながら腕を組んだ。
「たださあ、ルガさっき風呂入ったじゃん?昼飯も食ったじゃん?服こそ少し汚れてるけど、キレイすぎるんだよな」
その言葉に、勇者は自分の身体を見下ろした。確かに魔王の言う通り服こそ汚れているものの、肌はツヤツヤで苦労した気配など微塵もなく。
そうだよな、と呟く勇者へ、魔王は笑いかけた。
「だからちょっと汚れてもらうわ」
「汚れ?どうやって?泥でもかぶる?」
「それはさすがにやりすぎ。部屋汚れるの嫌なんだよ。掃除するの俺なんだから」
魔王はそう言うと、軽く手を振った。次の瞬間、魔王の手元にいくつかの小物が現れる。
「え、何それ」
「転移魔法使った。それよりこれね。タリート、マグラ、頼んだ」
魔王の指示に従って、タリートは勇者を抑え込むように両肩に手を置いた。少し怯える勇者の真ん前に、魔王から小物を受け取ったマグラが近づく。
「な、何するの?」
「いいからいいから、動かないでくださいね」
戸惑う勇者の顔に向け、マグラが手を伸ばした。
30分後、マグラとタリートは満足気に手を離した。魔王も勇者の顔を見て、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「いいじゃん、うん、これぞまさに捕まってる感じ」
「ルガさん。鏡あるのでこちらへどうぞ」
タリートに言われるまま、勇者は全身鏡の前に立つ。すると鏡の中に映ったのは、ボサボサの髪の毛、血色の悪い肌、ところどころ煤けた顔と身体と、ボロボロになった勇者自身だった。
勇者は驚いた表情で鏡の中の自分を見つめてから、ニヤつく魔王たちの方へ勢いよく振り返る。
「いつの間に!?」
「いい感じだろ?何か拷問受けてたっぽい」
「確かにそれっぽいけど……。何この肌色。化粧品?よく用意できたね」
勇者が3人の元へ戻ると、マグラがニヤつきながら小物を取り出した。
「化粧品じゃないっすよ。頭のワックスは木の実のオイルで、肌はドネクスライムっていう魔物の体液を粉末にしたもの。で、汚れは炭っす」
「体液……」
勇者はマグラの手に握られたアイテムを見つめて絶句してから、不安そうに尋ねた。
「悪影響ないよね?」
「多分?スライム自体に毒はないんで、平気だと思います。戦ったことありますよね、ドネクスライム」
「まあ確かに……。草食の大人しい魔物だよね。たまに食堂の激安メニューで並んでいた気がする。食べたことないけど」
「あー、人間も食うんすね。なら大丈夫だと思います。それじゃ準備も出来たことだし……。魔王様はセリフ覚えました?」
マグラが尋ねると、魔王は急に慌てだし、ばさばさと手に持った紙を振った。
「ごめん、あんま覚えてない」
「もー、この30分何してたんすか」
「今覚える、すぐ覚える。いや俺魔王よ?こんなん余裕だって」
「なら1分後にリハしますね」
「ごめん嘘、10分ちょうだい」
「じゃあ間とって5分すね」
「……仕方ねえな」
魔王はぶつぶつとセリフを唱え始めた。と、タリートが勇者にそっと近づき、部屋の中央へ誘導する。
「では、ルガさんは昨日と同じ感じで。最初は魔王様とカメラの導線確認するので、棒の前で立ってるだけで大丈夫です」
「結構準備するんだね。こう、勢いでやってるのかと」
「勇者が来たときの対応はともかく、素はあれですからね。準備しないと化けの皮が剥がれちゃうんですよ」
「それもそうか」
会話の間に2人は中心部にたどり着いた。勇者は気だるそうに棒によりかかり、隣でタリートがそっと控える。
「ルガさん。乗っ取り中も私はここで待機しているので、何かあれば私がお守りします。でも、基本はこちらには話しかけて来ないでくださいね」
「分かった、ありがとう。何となくストーリーは入っているから、後はリハで確認するよ」
「よろしくお願いします。昨日の演技かなりお上手でしたので、期待してますよ」
タリートの褒め言葉に、勇者は照れ笑いを浮かべる。
と、部屋の前方から魔王の芝居がかった声が聞こえてきた。そんな魔王の目の前では、マグラがカメラの準備をしている。
「魔王様、セリフ覚えたようですね。導線確認して、リハーサルしたらそのまま本番です。緊張しなくても大丈夫です、魔王様に任せておいてください」
「……うん」
「……よし、セリフも問題なさそうっすね。じゃあこのまま勇者も用意してもらって、リハして本番ですか」
マグラの声に応じて、タリートがどこからか鎖を取り出した。と、魔王が気だるそうに言う。
「昨日、乗っ取るのに結構時間かかったじゃん?そのせいで勇者に2回くらい短期催眠かけたし。今のうちに乗っ取り用意しとけば?」
「ああ、そうっすね。じゃあちょっと……」
マグラはそう言うと、部屋の隅にある機械へと駆け寄った。その間にタリートは、勇者と木の棒を鎖で縛り付けていく。
最後に南京錠で鎖を留めると、タリートは勇者の正面に立って問いかけた。
「よし、とりあえずこれで。痛みとか大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
「違和感あったら教えて下さい。私達も痛めつけたいわけではないので。……ところで勇者さん、防具つけてますよね」
「え?うん」
勇者が怪訝そうな顔のまま頷くと、タリートは急に呪文を唱え始めた。そして慌てる勇者に向けて、呪文を放つ。
次の瞬間、勇者の目の前で、ジュン、という魔法が当たった独特の音が響き、鎖に魔法攻撃特有の紫色の汚れがついた。勇者は口の開閉をただただ繰り返していて、タリートに抗議しようとしているが言葉にならない、といった表情をしている。
そんな勇者に向け、タリートは微笑みながら口を開いた。
「驚かせてすみません。弱い魔法なので、特に痛みはないかと思うんですけど、演出としてちょっと模様つけたくて」
「い、いや大丈夫だったけど……。怖かったー、言ってよ」
「すみません。そろそろ緊張感持ってもらおうかと」
タリートが笑った瞬間、部屋の隅からマグラの叫び声が聞こえた。
「何これ!?」
「何、どうした?」
「めちゃくちゃガード緩くなってて、その……。あと30秒で乗っ取り開始します」
「……え!?」
全員に緊張が走る。が、すぐに魔王はすぐ立て直すと、先程確認したばかりの位置についた。
「仕方ねえ、一発本番だ。勇者、頼んだ。俺も頑張る」
「え、あ、うん」
「マグラ、位置ついてカウントダウンよろしく。動き一緒で。タリートは勇者の補佐。何かヤバそうだったら眠らせて」
テキパキとした指示に、タリートとマグラはすぐに動揺から立ち直り、指示通りの位置についた。勇者だけはまだ動揺していたが、タリートに何事か耳打ちをされると、すぐに表情を取り繕って視線を床に向ける。
静まり返った室内を、マグラのカウントダウンする声が駆け抜けていく。20秒前、15秒前、10秒前、5秒前。
マグラは3、2、1と指で出してから、魔王に向け手を振った。その合図とともに、魔王が喋り出す。
「やあ諸君。1日ぶりだな、魔王だ。また放送を乗っ取らせてもらった。多少なりとも反響があったようで、嬉しいよ」
張りのある声に、人々をあざ笑い見下すような笑み。そこには完璧な魔王を演じる魔王がいた。
彼はカメラのレンズをまっすぐ見つめながら、落ち着いた低いトーンで続ける。
「ところで諸君らが気になっている勇者だが、存分に可愛がっている最中だ。安心してくれ、まだ殺しはしない。私は約束を守る男だからな」
魔王はその言葉とともにあざ笑うような笑みを浮かべると、ゆっくりと歩き始めた。カメラは魔王の横顔を追いかけていく。
「ただ、勇者を助けようなんて無駄な努力は捨てるべきだ。私の魔力は君たちの数十倍、数百倍にもなる。その気になれば街1つ、いや、国ごと吹き飛ばせるレベルだ。それを勇者1人の命で買えるなら、安いと思わないか?こいつを助けるためだけに数十人数百人の犠牲を払うような、能無しばかりで国を動かしているわけじゃないだろう?」
魔王はそう挑発するように言うと、勇者の前で立ち止まった。勇者は木の棒に鎖で縛り付けられたままわずかに俯き、ボサボサの前髪の隙間から魔王の顔をじっと睨みつけている。
その視線を魔王はあえて受け止めてから、半笑いで流した。
「何だその顔は。まだ諦めてないのか?」
その言葉に勇者は応えず、ただただ魔王の顔を真っ直ぐ睨みつけている。その顔に、魔王は余裕たっぷりの笑みをぶつけた。
「ほほう、とりあえず反省はしてなさそうだな。全く、ここまでやられてもまだ諦めを見せないとは、生に執着して醜い男よ」
そう言うと、魔王は手の中に禍々しい赤茶色の弾を作り、それを勇者に向かって撃ち出した。弾は真っ直ぐ勇者の方へ飛んでいき、ジュドンという音とともに勇者の下腹部に禍々しい赤黒い模様を残す。
勇者はグッという小さい呻き声を上げ、歯を食いしばって下を向き、足を少しだけバタつかせた。彼の口から漏れる呼吸が荒くなり、空気を突っかかり気味に吸い込んではむせ返っている。
魔王はその姿を満足気に見つめてから、勇者に背を向けてカメラの方へ向き直った。
「本日は以上だ。処刑まであと2日。私に挑まなければこうはならなかったのに、残念だな。見ている諸君の賢明な判断を望むよ。それではまた明日、この時間に会おう」
魔王はそう言い放つとニヤリとした黒い笑みでカメラを見つめた。数秒間、マグラ以外の誰も動かない空白が生まれる。
マグラは何やら手元で機械を操作していたが、やがてカメラを下に向けながら嬉しそうに頷いた。
「オッケーです、中継終わりました。放送戻ってます」
その声で、魔王はようやく表情を崩し、大きく天を仰いだ。
「あー、良かったー!ちゃんと出来たー!」
「すみません魔王様、そして勇者。まさか乗っ取られる前提になってるとは思わなくて……。時間も想定よりだいぶ早かったと思います」
マグラが申し訳なさそうに頭を下げながら謝ると、魔王は手を横に振った。
「良いよいいよ。ほら、俺ら素人だから、何回も同じ演技やると飽きるだろうし。放送も結局、正規のプログラムじゃなくて乗っ取りだからな。あと、勇者やっぱり演技うめえ!助かるわ!」
魔王が勇者の方へ振り返りながら言うと、タリートが鎖を外している最中だった。勇者は軽く頭を振ってから苦笑いを浮かべる。
「いや、リーグほどじゃないよ。何というか……。ちゃんと自分のものにしてるね」
「俺は、魔王っていうキャラを100年以上やってるベテランだからな。けど勇者は違うだろ?」
会話の最中にようやく鎖が外れ、勇者は軽く腕をさすりながら首を傾げた。彼の下腹部についていた赤黒い模様はすでに消え始めている。
「演技の経験自体はないけど……。でも俺らさ、パーティー組んでから今まで、ずっと役職で呼び合ってたんだ。勇者、とか、戦士、とか。だから自然と勇者らしい振る舞いというか、世間が求める勇者像を演じていたのかも、とは思う。旅の最中もピンチになる場面なんていっぱいあったしさ。仲間をかばってみたり、攻撃を受けてわざと大げさに痛がってみたり、アニメの真似してカッコつけて技使ってみたり」
「そうか。……何だかんだ魔王も勇者も一緒なんだな。まあでも、そのおかげで助かったわー。この調子であと2日よろしくな!じゃあ自由時間かな、いやー疲れたー。休憩休憩」
魔王はそう呑気に言うと、マントを外しながら部屋の外に出ていった。それをマグラが慌てて追いかけていく。
勇者はそれを無言で見送ってから、近くでニコニコとしているタリートに視線を向けた。
「やっぱりキャラ違いすぎない?本当に魔王?あれ」
「そこら辺は、先代の魔王様、つまりご主人様のお父上の影響が強いですね。魔力はそこまで強くなかったんですが、カリスマ性がある御方で、配下として従えていた魔物の数も群を抜いていました。真似とまでは言いませんが、ご主人様の魔王の演技を見るとお父上を思い出させます」
「へえ……。子供には受け継がれなかったんだな」
「ルガさん。それ、本人ちょっと気にしているので、絶対に目の前では言わないでくださいよ」
珍しくタリートが語気を強め、勇者は何度も首を縦に振る。
と、入り口から魔王がひょこっと顔を覗かせ、中にいる勇者とタリートに声をかけてきた。
「あれ?来ないの?何してんの?」
「いや、ちょっと話してただけ。それより、リーグはどうしたの?」
「ああ、仕事しようと思ったんだけど、何か新しい依頼来てないらしくて、時間空いちゃったのよ。というわけで、今度こそ勇者、お前をゲームで倒す!風呂入ったら俺の部屋まで来い!秘密兵器を出して相手してやる!」
魔王がビシッと勇者を指差した。それに勇者は少しだけ迷うような表情を浮かべた後、すぐにニヤリと口角を上げて応じた。
「秘密兵器ねえ、そんなもんで俺をどうこうできるなんて思っているのか?」
「あ、そのセリフ……!くっ、勇者め、今度こそお前を倒す!」
「これはこれは魔王御一行様、俺にゲームで勝てるとでも?」
勇者が魔王の声真似をして返すと、魔王は芝居がかった動きで一歩下がった。
「うっわ……。勇者が魔王のセリフ言ってるとか引くわ。リアルじゃ俺に勝てねえくせに」
「魔王が勇者ぶってる方が引くわ。ついさっきまで、やあ諸君、魔王だ、とか言ってなかった?」
「だって俺世界征服とか考えてないから、別にいいもーん」
「何その言い訳」
そうやり取りしながら2人は部屋を出ていく。タリートはその場に残ったまま、ぽつりと呟いた。
「仲良くなりすぎるのも、考え物ですね」
夜、紺色のジャージを着た魔王と赤色のジャージを着た勇者は、魔王の部屋の中にいた。2人の目の前のモニターにWINという文字とLOSEという文字が踊り、魔王がコントローラーを投げ捨てる。
「うっわ何回やってもルガに勝てねえんだけど100戦100連敗って何だよ!せっかく秘蔵の限定カラーコントローラー出したのに!」
「へへへ、だって俺、このゲームで地区大会優勝したことあるもん。全国大会は場所遠すぎて行かなかったけど」
「まじムカつくー……。あー、もういいや!終わり終わり!強すぎるやつは敵に回すより味方にする!というわけでルガ、俺の仲間になれ!協力プレイするぞ!」
魔王はそう言うと、カセットの詰まった箱に手を伸ばした。そんな魔王の背中へ、勇者は困惑した声を投げかける。
「え、もう仲間確定?普通、はい、いいえって選択肢出さない?」
「出さない!だって俺魔王だぞ。いちいち選択肢出すほど善人じゃねえ!……じゃあ、この横スクロールアクションゲーやるか。ルガはやったことある?」
魔王はソフトを手に取ると、ゲーム機のカセットを入れ替え始めた。勇者はその作業を眺めながら尋ねる。
「ないかも。どんなゲーム?」
「ん?単純だよ。勇者が魔王にとらわれた姫を助けに行くゲーム」
「あ、リーグもそういうのやるんだ」
「もちろん。面白ければやるよ、アクションゲー好きだし。……あれ、ソフト立ち上がらねえな」
ゲームの起動に苦戦する魔王の背中を眺めながら、勇者は不意にぽつりと呟いた。
「ねえ、リーグってさ、魔王に生まれたこと、どう思ってるの?」
「ん?どういうこと?」
魔王が手を止めて振り向いた。そのキョトンとした顔に向けて、勇者は言葉を探しながら話を続ける。
「いや、だからそのー……。そういうゲームとかアニメとかでもさ、魔王って悪い存在じゃん。姫は連れ去るし、魔物を駆使して人々を苦しめるし。リーグは選択肢もな く、生まれた時から魔王になること決まってたんでしょ?だからー……。人々から憎悪の視線ばかり向けられて、辛くないの?」
その質問に、魔王は少しばかり腕を組んで考え込んでから、勇者の正面に改めて座り直した。
「つまり、俺が自身の生まれや育ちを憎んでないかってこと?」
「うん、まあそういうこと。自分で決めたわけじゃないし、悪いことしたわけでもないのに一方的に悪って決めつけられて、辛くないのかなって」
「悪、なあ……」
魔王は腕を組んだまま宙を見上げていたが、やがて勇者の顔に視線を戻すと、自嘲するような笑みを浮かべた。
「まあ人間界から見ると、俺は圧倒的に悪い奴かもしれないな。祖父の代は大量虐殺繰り返していたし、親父の代でもちょっと殺したらしいし」
「……うん、それは習った。だから魔王は悪だって」
「だろうな。でも人間は知らないだろうけど、魔界の中じゃ俺は象徴的存在で、崇拝されているし慕われているんだぜ。この巨大な山脈を超えたところにタリートやマグラみたいなやつらが暮らしている街があってさ。人型以外にも獣型とか魚型とかいるんだけど、俺はそいつらの王だから魔王。……まあとはいえ数は少ないし、皆長生きだから結構バラバラに生活してて、生活のための交流みたいなのすらあんまないけどな。だから種族としてのまとまりはないし、文明の発展もないし、人間側に来ないと電気もガスも水道もネットも使えない。その代わり魔法があるから普段は困んねえけど」
「へえ、初めて知った……」
「ああ。そういうところから仕事が来るから、こうして辺鄙なところでも生活出来ているんだ。……まあ魔界では王様として振舞うことなんてほとんどないから、じゃあ人間に対してちょっと演じてみるか、くらいに割り切ってるし、やってみると案外楽しいもんよ。それで実際に魔王が完全なる悪として描かれている作品を見るたびに、ああ、ちゃんと自分がイメージした通りに演じられているな、って思うし」
魔王はそう言って笑ってから、それに、とあぐらをかいて座り直した。
「そりゃずっと憎しみだけを受け続けていたら話は別だけどな。タリートやマグラみたいに慕ってくれる奴がいるから、魔王としてではなく、リーグラッシュと言う個人を知ってくれる奴がいるから、こうして余裕を持って悪を演じることが出来るというか。RPGでもそうだろ?最初に圧倒的な悪がいるから、主人公は必死で修行して強くなっていくように、俺と言う圧倒的な悪がいるから、人間も必死で新しい技術を生み出して武器を作る。文明や化学が発展していく。暮らしが豊かになる。大勢の人が楽になる。そして俺はそれを上から眺めつつ、少しだけ恩恵を受ける。……な?悪くないだろ?」
魔王はそう言ってゲーム機をポンと叩いてから明るい笑顔を見せた。
「まあちょっと発展しすぎたからこうして減らそうとしてんだけど、最初のルガの質問に答えるとしたら、辛くはない、だな。直接慕ってくれるタリートとマグラ、頼りにしてくる魔族、そして個性豊かな勇者たち。そりゃ世界の圧倒的大多数は人間が占めているから、そこから見れば俺らは悪側なのかもしれないけど、存在しちゃいけない悪じゃない。世界から必要とされている悪なら、まあそれに応えようかな、って思うんだよ。それが俺の生まれた理由だろうし、こんな力を持った代償だろうし。これが百何十年も生きてきた俺の導いた結論」
魔王が少しだけかっこつけて答えると、勇者は少しだけ寂しげな表情を浮かべた。
「……そっか。強いんだね」
その寂しそうな言葉に、魔王はキョトンとした表情を浮かべた。
「どうした?何で俺よりルガが落ち込んでんの?」
「いや……」
勇者はそこで言葉を区切り、自らの言葉を探すように宙を見上げてから、ゆっくりと話しだした。
「そりゃ俺も魔王を倒そうとしていた1人だけどさ、魔王は世界を飲み込もうとしている悪い奴、ってずーっと教えられてきたから倒そうとしていただけでさ。考えてみたら、魔王に家族や友人を殺されたって人、見たことないんだ。当たり前だよね、リーグは100年以上誰も殺してないんだもん。なのにどうして、魔王は悪い奴だって決めつけちゃったのかなって。リーグは気にしてないみたいだけど、一方的に我慢する必要もないと思う。もっといい方法があると思うんだ。お互い幸せになれるような、そんな方法が」
勇者が力強く言い切ると、魔王はその言葉を神妙な面持ちで聞いてから、不意に柔らかい笑みを見せた。
「ありがとな。ルガは優しいな」
「……俺は別に。リーグが優しすぎるんだよ」
「そっか。でも本当は、こうやって勇者とゲームしたりするのもあんま良くないんだよな。実行に移す前に、タリートからは何回も言われたんだよ。勇者と魔王が仲良くするなんてあり得ない、どうせ殺されるのがオチなんだから、無駄なことせず今まで通り圧倒的な力で来た奴らを倒す方がいいって。まああいつは、俺の決めたことには真っ直ぐ従うから、もう何も言わねえと思うけど」
魔王はそう話しながら再び勇者に背を向け、カセットを差しつつ話を続けた。
「でもな、正直に言うと、いつまでもああやって魔法一発で倒せるとは思えないんだ。実際に戦っているのは俺なんだから、実感があるんだよ。武器や防具の性能はどんどん良くなって、人間の身体も大きくなって力が強くなっている。俺と戦うことで、攻略の研究も進んでいる。今は良いけど、そのうち俺でも対抗できない武具が出てくるかもしれないし、そしたら相手を殺さずに無力化することなんて出来なくなる。俺らが死ぬか、相手が死ぬかの2択だ。相手を殺したくはないけど、俺らが死ぬのも嫌だ。……だからそうなる前に、手を打ちたかったんだよ。まだ俺に余裕があるうちに」
魔王がゲーム機を起動すると、画面に一瞬だけ会社のロゴが出てから、すぐにノイズが入って先に進まなくなった。何回電源を入れ直しても、同じ場所で止まってしまう。
「親父が死んだのも、相手が圧倒的な身体能力を持っていたっていうのと、人数を4人に増やしてきたっていう理由だったんだ。それまでは2人とかしか来なかったからな。だから俺も何回も考えた。正直、この作戦は賭けだよ。そっちの国のトップが全勢力を集めて取り返しに来るかもしれない。勇者が悪い奴で、俺は背中を向けているこの瞬間に切り殺されるかもしれない。仲間想いの優しい勇者の仲間たちが、死に物狂いで特攻してくるかもしれない」
魔王は何回かカセットを抜き差ししながら話を続けた。画面はロゴが乱れた状態でフリーズしている。
「それでも、今の段階だったらまだ誰も殺せずに鎮圧できる可能性がある。そしてこの作戦が成功すれば、勇者の来る頻度が下がって、俺はもっと楽に生きられる。そりゃ俺の一族は人間を殺しまくってたこともあったし、こんなんで罪がなくなるわけじゃないけど、せめてちょっとでも長生きさせてほしい、楽しく暮らしたい、ってのは俺のエゴかな」
魔王は諦めたように電源を切った。そしてわずかに目を潤ませている勇者へ、優しく笑いかける。
「ゲーム動かねえや、また明日で良い?明日も時間あるっぽいし」
「ああ……」
勇者はわずかに俯いてから、首を横に振った。
「ごめんリーグ、変なこと聞いて」
「いや良いよ。むしろそこまで好意持ってもらえるのはありがたかった。ほら、マグラとタリートも仲良いけど、結局は上司と部下って関係だしさあ。俺、友達ってもん、ゲームとアニメの中にしかいなかったから」
魔王が言うと、勇者は目元を拭ってから軽く笑った。
「俺と一緒だ。俺もずっと引きこもってたから、ゲームの中にしか友達いなくて。冒険のパーティーも、結局はビジネスパートナーみたいなもんだし」
「そっか……。何か案外、似た者同士だな。勇者と魔王って、てっきり陽と陰くらい違うものだと思ってた」
「そうだね。俺もそう思ってた。……ねえ、リーグ」
勇者は何か言おうとしたが、その言葉はガチャリと開いたドアの音で中断された。2人が振り返ると、ドアの前にはタリートが立っていた。
「ああ、ルガさん、こちらにいらっしゃったんですね。そろそろ夜も遅いですし、魔王様に付き合うと朝までコースになりますので、お休みになってください」
「……そうだね。戻るよ。じゃあまた明日」
「……ああ、おやすみ。タリート、部屋まで送ってあげて」
タリートは頷いて、勇者とともに部屋を出ていく。魔王はそれを見送った後、無言で電気を消しベッドにもぐりこんだ。
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