第11話

 季月は起き上がると、伊笹に気まずげに視線を送った。


 先程に見た光景が忘れられない。思ったより、白い伊笹の肌が瞬時に浮かび上がる。首を振って打ち消した。


(いや、忘れろ。邪念は持つな、邪念は持つな……)


 仕方なく、念仏のように唱える。季月は歯磨き用の道具などを持って井戸に急いだのだった。


 歯をざざっと磨き、口を何度かゆすぐ。手拭いで軽く拭いてから顔を洗う。また、手拭いで水気を拭き取る。

 ふうとため息をつく。胡月の屋敷に戻るまでには後三日は掛かるだろうか。そんな事を思いながら、部屋に戻った。


 伊笹は既に荷物の整理をしていた。朝餉が用意されている。


「季月さん、朝餉を仲居さんが持って来てくれたわ」


「ああ、本当だな」


 頷くと、季月は道具類を風呂敷きの中に仕舞う。着替えを出して手早く帯を解いた。長衣や襦袢を脱ぐ。伊笹は反対側を向いて朝餉に手をつけている。その間に季月はささっと替えの襦袢を羽織った。紐で括ると長衣を同じようにして、帯を締める。袴も履いて腰紐をきゅっと締めた。


「伊笹、俺も朝餉を食べるよ」


「ええ、わたくしはもう粗方食べてしまったから。待っておくわ」


「すまない、急いで食べるかな」


 季月はそう言って、着替えた衣類を風呂敷きの中に仕舞う。そんな事をしてから、朝餉に手をつける。姫飯に味噌なる物を使った汁物、沢庵漬け、川魚の干物といった献立だ。季月は姫飯を気に入っていた。味噌の汁物は独特な塩味と芳醇な味がなかなかだ。沢庵漬けもさっぱりとしている。干物も焼いてあり、ふっくらと柔らかい。塩味もよく効いていた。


「うん、美味いな」


「本当ね」


 二人で言い合いながら、食事を進める。季月は完食したのだった。


 一通りの身支度も終わり、草鞋わらじを取り替えもした。季月は伊笹と二人で旅籠を出立する。ゆっくりと歩きながら、季月は辺りを見渡した。伊笹は結い上げた髪を頭巾で覆っている。手には杖を持っていた。肩には風呂敷きを担いでいる。


「伊笹、気をつけて行こう」


「そうね」


 言葉遣いは昨夜に言ったのが効いたのか、伊笹は敬語や様呼びをやめていた。季月はほっとしながら、歩みを進める。

 ぴちちと小鳥が囀った。


 三日が経ち、季月は無事に何とか胡月の屋敷に辿り着いた。胡月や弟の桂月が侍女達と共に出迎えてくれる。


「お帰りなさい、季月様」


「お帰りなさい、兄上」


「只今、帰りました。胡月殿、桂月」


 二人に挨拶をすると、胡月は涙ぐんだ表情で桂月は嬉しそうに笑っていた。季月が傍らにいる伊笹に目配せをする。伊笹は頷くと、深々とお辞儀をした。


「お初にお目にかかります、わたくしは卯木様の侍女で名を伊笹と申します。以後、お見知り置きを」


「あらまあ、あなたが。卯木様からの文にありましたよ。季月様と良い仲の方がいるとかで」


「ご存知でしたか、確かに季月様とは想いを交わしております」


 伊笹がはっきりと言うと、胡月はにっこりと笑う。


「そうでしたか、良うございました」


「あの、わたくし。元々は侍女としてやっていますから。何かご用向きがありましたら、おっしゃってくださいまし」


「いえいえ、お客人にお願いする事でもありませんから。伊笹殿はゆっくりとしていてください」


 胡月が言うと、桂月は苦笑いする。


「伊笹殿、何かなさっていないと落ち着かないでしょうが。我が家ではのんびりとなさって構いませんよ」


「……分かりました、ゆっくりとさせていただきます」


「うん、兄上。さ、入ってください」


 桂月に促されて、季月は伊笹と一緒に屋敷に入った。やっと、ほっとできたのだった。


 屋敷に入り、季月は自身が使っていた部屋に向かう。伊笹は客間に案内されたようだ。


「久しぶりにお帰りになりましたね、若様」


「ああ、本当に久しぶりだよ」


「若様、胡月様も心配なさっていました。体調を崩されていないかと」


 侍女が言う事に季月はそれはそうだろうなと思った。胡月は今まで、自分や桂月を養育してきてくれた人だ。義理とはいえ、母として自分達を扱ってきてくれた。


「そうか、しばらくは滞在するつもりだから。胡月殿の恩に少しは報いないと」


「そうなさいませ、では。昼餉をお持ちします」


「頼む」


 季月が言うと、侍女は頷く。自身の部屋に入ると息をついたのだった。

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