第10話

 季月は伊笹と共に、屋敷を出てから野宿は控えようと考えた。


 なるべく、まずまずの旅籠はたごに泊まるようにする。宿代は掛かるし、日数も掛かるが。背に腹は代えられない。安全面や賊に狙われたりなどを吟味したら、そうならざるを得なかった。


「季月様、本当にすみません。わたくしのせいで色々とご迷惑をかけていますね」


「伊笹は気にしなくていいよ、女人が一人旅をするよりはましだから」


「……そうですね、季月様が一緒ですから。わたくし一人よりは良いでしょうね」


 伊笹はそう言って、苦笑いする。ちなみに今は旅籠にて寛いでいた。時刻は夕刻になっている。


「湯浴みも済ませたし、後は食って寝るだけだな」


「そうですね、けど。宿代はどうしたのですか?」


「その、卯木殿が銀貨をこっそり渡してくれてな。だから、何とかなったんだ」


 季月は小声で言った。伊笹は成程と納得する。


「そうだったのですか、卯木様には感謝しないといけませんね」


「だな、さ。夕餉が運ばれてくるから、待っていよう」


「分かりました」


 伊笹は頷く。

 しばらくして、旅籠の仲居達が夕餉のお膳を二人分持って来た。季月がちゃんと代金を払っているからか、献立はまずまずだ。

 仲居はお膳を二人の前に置くと「ごゆっくり」と言って、部屋を出て行った。伊笹はお箸を取ってお碗を持つ。

 強飯ではなく、姫飯ひめいいという柔らかく炊かれたご飯がよそってある。また、小魚の身を解して団子状にし、煮込んだ汁物もあった。他には赤い梅干しや珍しい貝の佃煮がある。食べてみたら、姫飯は柔らかくてなかなかに食べやすい。また、噛めば噛む程に甘味が出てきて汁物や佃煮、梅干しとよく合う。

 汁物もひしおの他に旨味を感じさせる何かが入っているようだ。梅干しは酸味が強いが、ご飯と一緒だと美味だと気づく。伊笹は気がついたら、完食していた。


「お屋敷で食べる物とはまた、一味違う感じですね」


「この旅籠は、隣国との国境線に近いからな。そのおかげで都とはまた違う料理や文化があるとか聞いたよ」


「そうなんですか、赤い梅干しは初めて見ました」


「だな、あちらだと白い梅干しが普通だったな」


「ええ、貝の佃煮も見た事がない代物です」


 季月は笑いながら、頷いた。伊笹と話しながら和やかに夕餉は進んだ。


 夕餉が終わり、就寝となる。旅籠の仲居が布団を敷いてくれた。彼女達がまた、去って行くと季月は向かって右側の布団に入る。伊笹は左側に入った。


「んじゃ、お休み。伊笹」


「お休みなさいまし、季月様」


「……伊笹、俺の事は呼び捨てでもいいぞ」


「何でですか?」


「外で誰かに聞かれたら、変に思われるからな」


 季月はそう言って、起きあがる。ふっと行灯あんどんの火を吹き消した。辺りは一気に真っ暗になる。月明かりだけが障子戸越しに部屋の中を照らし出す。季月は布団に再び、潜り込む。二人はそのまま、眠りについた。


 翌朝、伊笹が先に起きた。やはり、侍女としての習慣が身に付いているせいか、明け方近くに目が覚める。仕方ないので、部屋を出た。旅籠の仲居が既に起きていたので小声で井戸の場所を訊く。仲居はやはり、こちらも小声で教えてくれた。礼を述べて部屋に一旦、戻る。歯を磨く用の道具や手拭いを持って井戸に行った。手早く歯を磨き、口をゆすいだ。洗顔も済ませたら、手拭いで水気を拭き取る。後始末もしたら、急いで部屋に向かう。

 風呂敷きの中に使い終わった道具類を仕舞い、伊笹は備え付けてあった鏡の前に座った。簪を外して結っていた髪を解く。髪紐も同じようにしたら、懐から櫛や香油を取り出す。

 香油の小瓶の蓋を開けて手のひらに出し、温めた。髪に塗り込んでいく。手早くしたら、蓋を閉めて懐に仕舞いこんだ。櫛で何度もかしていく。艶が出てきたら、髪紐で一束ねにする。慣れた手付きで簪を挿し、伊笹はくるくると巻き付けた。綺麗に結い上げたら、頷く。櫛などを風呂敷きに仕舞ったりしてから、いそいそと浴衣を脱いだ。季月が起きない内にと襦袢じゅばんなどを出す。着付けていく途中にふと、呻る声が聞こえた。伊笹が振り返ると季月が瞼を開けてこちらを見ていた。しかもまじまじと目を開いてだ。伊笹は驚きながらも、襦袢を羽織り紐を結わえ付ける。すぐに長衣に袖を通して帯を最後に締めた。

 が、季月の視線が突き刺さる。伊笹は顔が熱くなりながらも着替えを終えたのだった。

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