第4話

 季月は弟と約束した通り、十日後には胡月の邸を出ていた。


 供も連れず、たった一人で麻袋に藁蓑わらみのに笠を被り、草鞋を履いた旅装である。明け方近くの薄暗い中、見送る人もいない。季月は深呼吸をすると邸を後にした。


 あれから、幾日も歩き続ける。宰相の邸は王都の外れにあり、ひたすらそこを目指した。


(実の母上は如何しておられるだろう、今頃は空を飛んでいるのか)


 そんな詮無い事を考えながらも足は休めない。胡月の邸から出て、早くも五日が過ぎていた。食事と睡眠をとる以外は歩き続けた。


 旅立ってから、七日が経っていたが。季月はやっとの思いで王都の外れまで来ていた。もう、足には幾つか肉刺まめができていて潰れてしまっている。そこから出血もしていて、じくじくと痛みを放っていた。季月は馬無しの旅がここまで大変だとは、予想していなかった。自身の見通しの甘さに呆れ返ってしまう。


「……おや、そこの御仁。いかがなさった?」


「あ、俺は」


「ふむ、見たところ。旅の方のようだな」


 不意に声をかけてきたのは中年と思しき男性だった。白い物が髪に混じっているが、背はしゃんとしていて隙がない。切れ長な目も鋭さを秘めている。茶色の長衣に同系色の羽織、群青色の帯と目立たない格好だが。仕立てなどはよく見ると、なかなかに上等な衣を着ている。髪もきちんと結い上げていた。


「旅の方、足が痛いんじゃないか?」


「何故、わかるのですか?」


「先程から、足元が覚束ないからな。それに額に汗が浮かんでいる、かなり痛むだろう」


 男性はそう言うと、季月の腕を掴んだ。いきなりの事に驚きを隠せない。


「何、悪い事は言わない。儂の邸に来なされ」


「え、ですが」


「いいから、あなたの事は放っとけん。来なさい」


 男性に半ば強引に、邸へと連れて行かれた。季月はされるがままになるしかなかった。


 男性の邸にまで来ると、門番は怪しむ事なくすんなりと通した。引っ張られながらも邸の全容を掴もうと目だけを動かす。かなり、広大な邸だ。庭も綺麗に整えられている。中でも、前栽に植えられた松が立派だ。


「……帰ったぞ!」


 男性が一声掛けると奥から、幾人もの女性が出てきた。中で年かさの女性が前に進み出る。


「お帰りなさいまし、旦那様。あら、そちらの殿方は?」


「いや、帰り道の途中で拾ってきた。かなり、弱っているようだったから。放っておけなんだ」


「まあまあ、旦那様。拾ってきたなんて人聞きが悪うございますよ」


 ころころと女性が笑う。男性は頭をかきながら、言った。


しの、悪いが。この御仁の世話を頼みたい。かなり、足が痛むようでな。後で医師も呼んで、手当てをするように言ってほしいんだが」


「……確かに、顔色が随分とお悪うございますね。わかりました、後の事はお任せください」


「助かったよ、じゃあ。御仁、また後でな」


 男性は飄々と言うと、どこかへ行ってしまう。篠と呼ばれた女性は、季月を見て苦笑いした。


「……若君、旦那様を見て驚かれたでしょうけど。いつも、あんな感じなんですよ」


「はあ」


「さ、上がりなさいな。今から、お湯殿を使いなさい。お食事もね。足も見せてもらいますよ!」


 篠はてきぱきと言うと、季月を客室に引っ張っていった。こうして、男性の邸に厄介になるのだった。


 あれから、すぐに篠はお湯殿へと連れて行ってくれる。季月はざざっと髪や体を洗う。しゃぼんという洗浄料を使わせてもらった。不思議な事にお湯につけると泡立つし、いい香りがする。見かけはただの白い四角い石なのに。

 季月は驚きながらも、浴槽に浸かる。ほうと息をついた。ざばりと上がると用意された麻布で体の水気を拭った。


 新しい衣に着替え、帯を締める。まだ、髪には水気があるので専用の紐で緩く束ねた。脱衣場の外には、篠と二人の女性が待ち構えていた。


「あ、上がったのですね。今から、客室に案内しますよ」


「ありがとうございます」


「お礼は良いのですよ、お食事を用意していますから」


 それに頷きながら、客室へと向かった。

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