第26話 フェオン

「……え……うわっ」

「きゃっ、タッド!」

 思ったよりも、いや、思った以上にあっさりと剣は竜の身体から抜け、力を込めていたタッドはその反動で剣をしっかり抱えたまま、地面へ向かって落下してゆく。

 そのままだと、竜の身体にかすりながら地面に激突……となるはずが、タッドの身体はすぐに何かに受け止められた。

 タッドの何倍もの長さだった剣は、いつの間にか人間が持つような普通の長さになり、片手で掴める太さになり、氷の冷たさは消えている。

 ありがとう……。

 心の中に、そんな声が響いた。中性的な声だ。

 なぜか、今の声は剣から聞こえたんだ、とタッドは確信していた。

 きっと、剣自身もこんな使われ方をしたくなかったのだ。

 本来は悪しき力から人間を守るために竜がその身を変えたのに、何の罪もない火の竜を、ひいては守るはずの人間を苦しめることになってしまったのだから。

 それが、タッドに抜いてもらうことにより、そのつらい思いから解放されたのだ。その喜びがさっきの声なのだろう。

 タッドは直感でそう思った。

 不思議だと思いながら、ふとタッドが上を見ると、竜の赤い瞳と目が合った。

 何が起きたのかすぐには理解できず、タッドはしばし竜と見つめ合う。

 しばらく誰も口をきかず、いや、きけず、そこだけ時間が止まったようにも思えた。

「我が竜珠、確かに受け取った。心から礼を言う、魔法使い」

 この前聞いた時よりずっとしっかりした、そして美しい声が響く。少し低めだが、落ち着いたおとなの女性を感じさせる声。

 目を……覚ましたんだ。じゃあ、復活できたってこと?

 見れば、竜の手には竜珠があった。どうやったのか、フェオンが竜に返していたのだ。

 剣と同じで、竜の手にある珠は竜の大きさに見合うまでに変化している。あのままなら竜の爪よりも小さいはずの珠が、今ではその手に十分なサイズに大きくなっていた。

 そして、その力は確かに竜の身体を覆っている。タッドがさっき送り込んだよりも強い力で。

 そのためだろう。以前に見た時はくすんだ赤だった竜の瞳が、今では鮮やかな赤になっている。

 身体の色も目に見えて明るく、鮮やかな色へと変化しつつあった。まるで地平線から上る朝日のように、美しい色だ。

 同時に、周囲の雪がどんどん溶け出している。竜と同時に封じられていた火山の力も、その復活と共に戻りつつあるのだ。

 竜はその手でタッドの身体を受け止め、落下から救ってくれていた。先に竜珠の力を竜の身体に導いていたおかげで、竜も素早く動くことができたのだ。

 タッドは、静かに地面へ降ろされた。ティファーナが、そばへ駆け寄って来る。

「タッド、何ともない? 落ちた時はびっくりしたんだから」

「うん、大丈夫だよ。……えっと、ぼくの方こそありがとう。ケガせずに済んだよ」

 タッドも竜に礼を言った。受け止めてもらわなければ、打ち身程度じゃ済まない。

「……少し自分を信じられるようになったらしいな」

「え? そ、そうかな。自分じゃよくわからないけど。……あれ、フェオン?」

 今までティファーナ達のそばにいたはずの、フェオンがいない。

 ふと見上げれば、竜の肩に座っている。

「魔法使い、そちらの二人は普通の人間か。みなには我が子を守ってもらい、礼を言う」

 竜のそんな言葉に訳がわからず、三人の目がしばらく点になった。

 竜にとっての、我が子。竜の子。……フェオンが竜の子どもだってぇ?

「えー、ちょっと待ってよ。ねぇ、タッド。フェオンって精霊じゃなかったの?」

「竜の子だなんて、聞いてないぞ。そんなこと、タッドだって言わなかっただろ」

「だって、竜の気配なんかしなかったし、ぼくもてっきり精霊だとばっかり……」

 タッドがそう言ったから、正体を見抜くことなんてできない二人も、フェオンは精霊だ、と思っていた。普通の人間でないのなら、そういう存在なのだろう、と。

 だが、よく考えてみれば、フェオンは今まで一言だって「自分は精霊だ」とは言わなかった。

 竜である、ということも言わなかったが。

 フェオンが言ったのは、自分の名前と竜珠を取り返して竜を助けてほしい、ということだけ。

「すまない。この子にも危険が及ぶと思い、とっさに術をかけていたのだ」

 竜の動きをあっさり封じた相手だ。たとえ相手が子どもでも、竜だというだけで何かよくない術を仕掛けてくるかも知れない。

 そう考えた竜は子どもの姿を変え、さらにその正体がわからないように魔法をかけた。

 タッドやあのドゥードルにさえわからなかったのも、無理はないのだ。竜の魔法だから、人間には簡単に見破れない。

 そして、フェオンが自分の正体をタッドにすら話さなかったのも、万一のことが起きないよう、話せない魔法がかかっていたためだった。

「確かに、安全を考えればそうした方がいいよね。あの時点では、相手の目的もわからなかったんだし」

「だましたような形になってしまったな。みんな、すまなかった」

 フェオンが申し訳なさそうに謝る。

「謝らなくていいよ、フェオン。だまされたなんて思ってないから」

 こちらが勝手に精霊だ、と勘違いしていただけ。

 よくよく考えてみれば、この山にいる精霊はひとりだけではないはず。フェオンの他にも、竜のために動く精霊がいてもおかしくない。

 でも、ずっと一緒にいたのは、フェオンだけだった。フェオンが竜の子なら、親のために必死になるのもわかる。

「もしかして、俺達は滅多にできない経験をしたってことなのか?」

「そういうことみたいね。フェオンが竜でなくたって、十分すごい経験だったけど」

「うん。魔法使いにだって、こんな経験はそうそうできないよ。自慢できるかな」

 みんなで笑い合う。終わりよければ全てよし。終わってみれば、笑って話ができる。

 一番いい落着の仕方だ。

「あの……今回のこと、魔物じゃなくて人間の仕業だったんだ。後でフェオンに詳しい話を聞いてもらえれば、わかると思うけど」

 竜はどこまでわかっているのだろう。もうすでに、全てを見透かしているのだろうか。もしくは、フェオンを通して伝わっているのかも知れない。

 たとえわかっていたとしても、これはやはり自分達の言葉で告げなくてはならないこと。

 そして、ここへ来ることになった人間の代表として、謝らなければ。

「ごめんなさい。あなたにも、幼いフェオンにもつらい思いをさせてしまいました。同じ人間として、謝ります。だけど……虫がいい話だって怒られるかも知れないけど、人間を嫌わないでほしいんだ。全ての人間が、こんなことをしでかす奴ばっかりじゃないって」

 あまりにも愚かな願いを抱いたクオーリア。彼女の心ない行為とあきれ果てるその理由に、タッドでさえいきどおりを覚えた。

 当事者の竜にすれば、怒り心頭になっても当然だ。その気持ちは、被害をこうむった竜でなくても、いやという程に理解できる。

 それでも。そんなことを考える人間ばかりではない、ということも知っていてほしい。ひとまとめにして見てもらいたくはない。

 こんなひどいことをするのは、ほんの一握りなのだ、と。

「ああ、わかっている」

 竜は穏やかな口調で応えた。

「私があのような状態になったのは、人間のため。だが、こうして元に戻れたのも、人間のおかげ。魔法使い、お前の言いたいことはわかっている」

「よかった……」

 竜の言葉で、タッドは胸のつかえが取れたような気がした。

 フェオンが何か竜に耳打ちし、竜は小さくうなずく。その表情はかすかに笑っているように思えた。

「魔法使い。この子はまだ魔法を使うことはほとんどできないが、すぐに覚える。その時、お前と共に世界をもっと見てみたいと言っている。かまわないか?」

「は……?」

 竜の言葉に、タッドは驚きすぎてすぐには返事ができなかった。

「すぐに大きな力を持つのは無理だが、近い将来、お前の力になれるだろう」

 お前の力になれる。

 つまり、その時フェオンは、魔法使いタッドと契約を交わす、という意味になる。

 魔獣や妖精、精霊と契約を交わせば、彼らが属する魔法が有利になったり、他にも色々とメリットがある。だから、契約を交わす魔法使いは多いが、その相手が竜となれば……。

「ぼ、ぼくの、力……?」

「そう。タッドの、だ」

 フェオンが微笑む。

「私は昔、人間に助けられた。その頃はこの山もよく噴火を繰り返し、多くの犠牲を出していた。私はこの山の力を抑えることでその人間と、その子孫に対して感謝を表しているつもりだ。だが、私の子までが、この山に縛られる必要はない。外の世界へ行き、その広さを経験し、人間達と共に仲良く歩んでもらいたいのだ。この子もそれを望んでいる。お前なら、安心して我が子をまかせられる」

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