第4話 火の竜

 うろこに覆われた、長大な赤い身体。一般的な二階建ての家より大きい。手には、鮮やかな赤の鋭い爪。伸びたヒゲ。枝分かれしている二本の太い角。

 そこにあるのは、魔法書などに載っていた絵の竜とほとんど変わらない姿だ。

 昔は、こんな生物がもっと多くいたと聞く。いや、単に今は人間の目を避けて生きているだけで、その数は実は減ってなどいないのかも知れない。

 竜は、絶滅なんてしていない。姿を見なくなったのではなく、人間には「見えなくなってしまった」のだろう。

 それとも、ズィードの話を最初に聞いた時のタッドのように、見ようとしなくなったのか。

 存在することを知っていて、でも黙っている人もきっといるのだろう。

 こうして本物の竜を目の当たりにすると、そう思える。

 とても美しい生物だ。なりゆきだったとは言え、いると思わなかった竜をこうして見られたことは幸運だ。タッドが魔法使いになりたいと思ったのは、こういった不思議で魅力的な生物と関わりたい、というのが理由の一つだったのだから。

 しかし……。

「フェオン」

「何だ?」

「これは……竜はどういうことになってるんだ?」

 次第に竜を見たという感動もおさまり、タッドは現実に目を向けた。

 普通では見られないのは竜の姿だけでなく、その状態もだ。

 フェオンが火の竜だと言ったその生物は、その身体を自分よりも大きな岩に釘付け状態にされ、凍りかけているのだ。

 長い身体の胸辺りに、太く透明な氷の剣が刺さり、竜を岩に縫いつけていた。身体の上半分は岩にもたれるように、下半分は力なく伸びて。人間なら、岩を背に足を前に伸ばして座っているようなもの、だろうか。

 胸から血の流れた跡が身体が赤くてもはっきりわかり、見ていても痛々しい。頭やヒゲなどには、うっすらと雪が積もっている。

 本当ならきっと明るい炎の色であろう身体は、今ではすっかりくすんだ色になっていた。悲しい彫刻みたいだ。

「氷の刃に胸を貫かれ、竜珠を奪われた」

「竜珠? 聞いたことがあるような……」

 竜は各々が竜珠と呼ばれる宝玉を持ち、その力を発揮すると聞いた……気がする。

「竜にとっての全てだと言っていい。命と魔力の元となる珠が手元にないため、竜は自力で復活できない」

 この状態を見ればわかる。竜はさっきからピクリとも動かない。

 竜珠がないせいもあるだろうが、あの氷の剣が火の竜に大きなダメージを与えているのだ。

「こんな火山に、氷の剣が飛んでくるはずはないから……」

「異世界から現れた、魔物の仕業だ」

 フェオンの顔が苦々しく、つらそうなものになる。姿は子どもなのに、その表情はひどく大人びて。

 フェオンの話では、十日くらい前のこと。

 竜程ではないが、銀色の巨大なモノが火の竜の前に現れたのだと言う。形は人間に近いが、明らかに人間ではない。だとすれば、人型の魔物なのか。

 幼いフェオンはもちろん、竜さえも知らない存在のそれは、空から突然降りて来ると、煙を吐き出した。

 よくないものだと感じた竜は、その煙をすぐに吹き飛ばす。

 しかし、いきなり現れた銀色の存在に虚を突かれ、自衛がわずかに遅れてしまった。

 竜は身体にしびれを感じ、動きが緩慢かんまんになる。完全ではないが、相手にはそれで十分だったらしい。

 右の腕がパカッと音をたてて割れ、中から氷の剣が現れた。銀色の魔物は動きのにぶった竜の胸に、ためらうことなくその剣を突き立てる。火の身体に氷の剣が触れた瞬間、落雷のような空気を裂く音が響いた。

 氷の剣は竜から容赦なく力を奪い、岩に張り付けた状態にして動けなくしてしまったのだ。

 そんな竜のそばに銀色の魔物は近付くと、竜の手にあった竜珠を奪う。力の源でもある竜珠を失い、竜は本当にその場から動けなくなってしまった。

 目的を果たしたのか、竜珠を奪うと銀色の魔物は再び空へと消える。竜にとどめを刺すことなく、やりたいことだけをやって消えたのだ。

 フェオンは抑揚よくようのない声で、竜の身に起きた事実だけを説明する。

 だから、封じられ、奪われた、なのか……。

「あとは知っているだろう。この山からは火の気配が消え、周辺は冷たくなった」

 祖父達が話していたように、このドリープ火山は本当に竜によってその力をコントロールされていたのだ。

 それが、フェオンの言う銀色の魔物のせいで竜は力を失い、さらには山の火のエネルギーさえもが封じられてしまった。

 火山の近くにあるジャンティの町が冬のようになったのは、竜がこんな状態にされてしまったからなのだ。

「んー、それにしても銀色の魔物って……何だろう?」

 魔法使いが持つ知識として、タッドも精霊や魔物のことはそれなりに知っている。だが、今の話を聞いている限りでは、魔物……生き物と言うよりはメカのように思える。

 この目で見た訳ではないから断定はできないが、生き物の腕が割れるなんて考えられない。

 もちろん、未知の魔物という可能性はあるが、フェオンの話を聞いていると金属っぽい姿に思えるのだ。

 もしそれが、本当にメカだったとすれば。

 それは魔物ではなく、人間の仕業、ということになりはしないか。機械を動かすのは、人間だけなのだから。

 冗談じゃない。人間がやったんだとしたら、誰が何のためにこんなことを……。竜の存在を知って竜の力を奪い、世界を支配しようとしてる、とか?

 タッドが少々怖い想像にいきついた時、わずかに竜が動いた。

 どきっとして顔を上げたが、その巨体は動かず、腕が少しばかり震えただけだったらしい。

 そう思って、ほっとしたのも束の間。

 ゆっくりと竜のまぶたが開き、くすんだ赤い瞳が現れてこちらを向いたのだ。

 その視線は、確かにタッドの方へ向けられている。竜はタッドを見ているのだ。

 竜の視線を感じ、タッドはどきどきしてきた。まさかこんな間近で、竜と見つめ合うことになるとは。

「お前は……魔法使いか?」

 かすれた低い声が問う。だが、その声は……人間にあてはめるなら、女性のものだ。

「いや、あの……見習い魔法使い、です」

 お願いだから、みんなして「魔法使い」だと決めつけないでもらいたい。

「意識が……まだあったんだ」

 まさかこんな半氷漬け状態で目を覚ますなんて、思ってもみなかった。

「頼む……」

「え……」

 ここでも頼まれごと。しかも、相手がこんな状態の竜であれば、これから何を言われるかは想像がつく。

 竜の言葉に、タッドは思わず身構えてしまった。

「竜珠を我が手に……」

「え……ぼ、ぼくがぁ?」

 身構えていたはずだが、あまりのセリフにタッドは声がひっくり返った。

 だいたい、魔物の正体すらわかっていない。こういうことをするからには、相手には絶対に悪意がある。

 そんな魔物から奪われた竜珠を取り戻して来るなんて、無茶もいいところだ。

 それに、タッドはまだ「魔法使い」ではない。

「そんなこと言われても……。あ、そうだ。その氷の剣を溶かせば、少しは何とかなるんじゃないかな。やってみる」

 手掛かりもない。どこへ消えたのかもわからない正体不明の誰かを捜すより、まずは目の前にある問題を消した方がいいはず。氷が溶ければ、竜も多少は快方へ向かうだろう。

 そう思って、タッドは火を呼び出す呪文を唱えた。

 とにかく、竜をこんな状態から解放してやらないと、見ているだけでも痛々しい。竜の身体が大きいので剣は小さく見えるが、きっとタッドの身体より長いだろう。

 氷なら火で溶けるはずだし、竜は火の竜だから直接火が触れたとしても平気なはず。万一、火傷をしたとしても、今のままよりはずっといい。

 タッドは出せる限りの力で大きな火を出し、氷の剣に向けた。

「あ……れ?」

「無駄だ」

 氷の剣はわずかにしずくをたらしたが、すぐにそのしずくすらも凍ってつららになってしまう。

 結果的に、剣はほとんど変化していなかった。当然、竜もそのままの姿だ。

「人間には溶かせぬ。凍てついて抜くこともかなわぬ。それより」


 竜珠を見付けてほしい。


 火の竜は、かろうじて残っている意識をつなぎとめつつ、タッドにそう懇願こんがんした。

 どんなに持ち堪えようとしても、命は残り数日。その数日も、どこまで意識を保てるかはわからない。相反する力である氷の剣で封じられているため、時間があまりない。

 竜は自分の命の期限を、タッドに伝えた。そして、自分が消えてしまえばドリープ火山を中心にしたこの地帯は、冷たい冬だけが支配する土地に変わってしまうのだ、と。

 誇張でも何でもない。竜が真実を告げているのは、いやでもわかった。

 まだ竜の命も意識もある状態で、町には降らないはずの雪が降っている。この竜が死んでしまえば、ジャンティや近隣の町も雪と氷の地域になってしまうだろう。その影響はどこまで広がるのか。

「私が死ねば、私の子も恐らく……長くは生きられぬ」

 竜には子どもがいて、親の庇護ひごなしではまだ生きられない程に幼いらしい。

 子どもはまだ竜珠を持たず、時期を見て親が自分の竜珠から小さな新しい珠をつくり出すという。だが、親の竜珠がなければ、当然子どもの竜珠もつくれない。

 銀色の魔物はこの竜だけでなく、何の罪もないその幼い子や、町の人間までも苦しめているのだ。

「タッド、お願いだ。火の竜の願いを聞いてくれ」

 フェオンが真剣な表情でタッドを見上げる。

「そ、そんなことを言われても……」

 四つの赤い瞳が、上からと下からと同時にタッドを見つめる。

 正体も行き先もわからない魔物を追い掛けるなんて、はっきり言って無茶だ。情けないが、そんな実力はない、と自信を持って言えてしまう。

 タッドにとっては、難題すぎるのだ。

 かと言って、あっさり「ぼくには無理です。それじゃ」と言って帰れない。崖っぷちに追い詰められている竜をこの目で見ているのに、知らん顔をして自分だけが暖かな部屋へはとても戻れない。

「ぼく、何が起きたのか調べてくれって、じぃちゃん達に言われただけだったのに……」

 ジャンティの町へ来たのは、追試続きで落ち込んだ気分を晴らすためだけだった。

 それなのに、これは何なのだ?

 来た途端にドリープ火山へ行ってくれと言われ、山へ来れば本当にいるとは思っていなかった竜が冗談抜きに存在し、さらには瀕死の状態で大変な頼み事をする。

 今の時期にジャンティの町へ来たのが、言葉は悪いが、運の尽きだったのかも知れない。

 ここから走って帰れる程、非道にはなれないタッド。あきらめのため息をつく。

「ぼく、竜が期待するような実力なんて、ないんだよ」

 そう言いながら、結局引き受ける形になってしまった。

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