第3話 ドリープ火山

 町の中ほどではないが、山の地面にもうっすらと雪が積もっていた。

 竜の力うんぬんはともかく、火山のエネルギーがあるから、その地熱である程度は溶けているのだろう。少なくとも、雪で歩きにくい、ということはなさそうだ。

 ざっと見回す限り、他の山と特に違いはない。つまり、普通の山だ。木があって、草が生えている。

 しかし、ここは「竜がいる」神聖な場所。人が入ることのない山なので、まともな道らしい道はない。

 今までハイキングコースのような道しか歩いたことがないタッド。必死になってこんな場所を歩いていると、安っぽい映画の夜逃げシーンみたいな気がする。

 後ろを見れば、わずかに残る雪にタッドの足跡だけが点々と続いていた。

 普段は暖かいこの山で芽を出し、生長する植物。予想もしなかったであろう空からの冷たい落とし物に、すっかりうなだれてしまっている。

 動物はどこかで凍えているのか、タッドが歩いている限りではその姿がどこにもない。鳥の声すらも、聞こえてこなかった。

「どこまで登ればいいんだろ。本当にこの山のどこかに竜はいるのかぁ?」

 ジークや町の人達は、この山に竜が本当にいる、と信じている。

 だが、ここ数十年以上、世界のどこかで竜の存在が確認されたという話は聞かないし、すでに絶滅したのではないか、という学者がいたりもする。

 魔法使いにとって、竜は一般人よりも近しい存在ではあるが、現実にはその姿を見ることはない。たぶん、学院の先生だって、見た人はいないのではないか。

 先生に限らず、タッドが生まれて現在に至るまで、そんな話は聞いたことがない。たまに、竜もどきのような小さい魔物はいたりするが、それは竜ではない。

 それが、こんな身近にいたなんて、タッドとしてはにわかに信じがたかった。

 本当にいればそれはすごいと思うし、魔法使いの世界でもとんでもないニュースだ。

 タッドだって、本当にいるのなら見てみたいと思うのだが、祖父達の言葉をそのまま使えば「竜に何かが起きた」はず。

 そうなると、本当にいたら自分が竜のために力になれるのだろうか、と今度は別の不安が生まれる。その場合、タッドに相談相手は存在するだろうか。

「……もしこの山に竜がいなかったら、ぼくはどうすればいいんだろ」

 何の情報もなしに戻って、町の人達が納得してくれるだろうか。探し方が足りない、と文句を付けられたり、そんなはずはない、と言われ、もう一度山へ入る羽目になったりするのではなかろうか。

 言い方が直接的でなくても、丸め込まれて再び来ることになりそうな可能性は大……な気がする。

 ぐずぐずと考えながら、それでもタッドは歩き続けた。これという気配も感じない。

「あーあ、疲れた。……ちょっと休憩しようかな」

 タッドは、目に入った岩の上に腰を下ろした。目的地もわからずに歩く、というのは疲れるものだ。

 いると信じていても、誰もこの山へ入ったことがない。だから、どこにいるのかわからない、というのは仕方ないと思う。

 とは言え、こうして探す身としては、せめて目印になるようなものがあれば、と思ってしまうのはどうしようもない。

 マーラが入れてくれた水筒の熱いお茶をすすりながら、空を見上げてみた。

 木々の間から見える空は曇っているものの、雪は降ってこない。

 町を出た時も、雪はやんでいた。降ったりやんだりを繰り返しているらしい。山にいる間は降らないでほしいな、と思いながら水筒をリュックに入れた。

「竜っていうのは……いわば魔法のかたまりみたいなもののはずだから、本当にいるならもっと何かの気配を感じてもいいはずなんだけどな。よくないことが本当にあって、竜の魔力が消えてるから感じないのか。やっぱり本当は竜なんていないのか。ぼくに力がなくて感じ取れないっていうのも、可能性としてはあるよなぁ。そんなこと、あんまり考えたくないけど。それより……これからどうしようかなぁ」

 このまま、闇雲に山を歩いていいものだろうか。適当な所でUターンした方がいいだろうか。

 あまり知らない山へ深入りして迷ったり、雪が降って閉じこめられても困る。

 タッドは山登りを趣味にしていないから、山のどういうところが怖いのか、よくわからない。何にしても、素人しろうとが歩き回るのはよくない気がする。

 祖父達は、魔法使いを万能だと思い込んでいないだろうか。そんなことは、特にタッドについては、絶対に違うのに。

 あれこれと思い悩むタッドの耳に、かさっという音が聞こえた。

 どきっとして、素早く音のした方を振り向く。動物が餌を求めて近付いて来たのかも知れない、と少し身構えながら。

 小動物ならともかく、肉食獣だったりしたら、あまり戦いたくない。でも、自分が餌になったりするのはまっぴらだ。

 だいたい、ここにどんな動物がいるのかなんて、聞いてない。

 だが、振り向いたタッドは、現れたものを見て少々拍子抜けした。

「え……きみ、どうしてこんな所に?」

 そこには、肉食獣などではなく、小さな子どもがひとり、立っていたのだ。

 かろうじて肩に届く、ややくせのある赤い髪。断定はできないが、見た目の雰囲気からしてたぶん男の子。恐らく、十歳にも満たないだろう。

 幼いが、とてもきれいな顔立ちをしている。この冷たい空気の中で、白の薄い衣だけをまとい、そのせいか顔が青白い。

 どうしてこんな所に、小さな子どもがいるんだ? まさかとは思うけど……捨て子、じゃないよな。よりによって、こんな火山に捨てる親なんて……。

 そう思いかけて、タッドは子どもの持つ空気と瞳の色が普通ではないことに気付いた。

 光の具合によって黒っぽく見えるが、瞳の色は赤だ。人間ではありえない色。まるでルビーみたいだ。

 一見すればただの子どもだが、人間とは違う気配をまとっている。普通の人間なら気付かないような空気だが、魔法を勉強するタッドには感じ取れた。

「きみは……えーと、もしかしてこの山の精? あ、それとも火の精霊、かな」

 髪や瞳が赤く、ここが火山であるということを考えれば、その方が納得できる。

「お前は何をしに来た? この山に用があるのか」

 タッドの問いには答えず、子どもはひどく淡々とした口調で、子どもらしからぬ言い方をする。それだけでも、やはり普通の子どもではなさそうだ。

 しかし、声はその姿に見合った、子どもらしい高さ。声から性別を判断するのは難しい。

「ぼくは……ジャンティの町の人達に頼まれて、この山の竜に異変が起きたのかどうかを調べに来たんだ」

 嘘やごまかしをしても、精霊ならきっとすぐに見透かすだろう。

 そう考え、タッドは聞かれたことに正直に答えた。

「竜を助けてくれるのか」

「助け……ええっ?」

 子どもの言葉に、タッドの方が驚いた。

 今の言い方では、明らかに竜が実在している、ということになるではないか。

 だが、精霊が嘘をつくとは思えない。

 ということは……竜がいるという話は、町の人達の思い込みなどではなく、本当だったのだ。この世界に、竜は確かにまだ存在しているのである。

 竜って……いるんだ。今のこの時代でも。

 そんな場合ではないが、タッドは少し感動していた。

 竜が実在するなんて、これは大発見にもつながるのではなかろうか。

「お前は魔法使いなのか?」

 思いがけないなりゆきに呆然としているタッドに、子どもが尋ねた。

「まだ正式になってないけど……」

 魔法使いという言葉を聞くたびに、追試のことを思い出してしまう。

「魔法使いなら……何とかできるかも知れない。火の竜はこっちだ」

「え、あの……」

 タッドの返事を待たず、子どもはさっさと歩き始める。ちゅうちょしたものの、タッドはその子どもの後を追うことにした。

 竜がいるのならこの目で確認したいし、子どもの「何とかできるかも」とつぶやいた時の表情が気になったのだ。

 異変が起きているのは、竜のはず。なのに、まるでこの子ども自身に異変が起きて苦しんでいるような、どことなく思いつめたような表情を放っておけない気がした。

「あ、あの、ねぇ。きみの名前を聞いてもいいかな。ぼくはタッド」

 子どもの後ろについて歩きながら、タッドは尋ねた。精霊に名前を尋ねて教えてくれるかなぁ、と思いながら。

「……フェオン」

 思いがけず、短いが答えは返ってきた。

「そうか。よろしく。ねぇ、フェオン。その……火の竜はどういう状況なのかな?」

「力を……封じられ、奪われた。このままでは危ない」

「えっと、封じられたの? 奪われたの?」

 今ひとつわからず、タッドは問い返した。

「両方だ。復活するだけの力を封じられ、さらに力の源となるものを奪われた」

 な、何か、どんどんぼくの手に負えないような状況に向かってない? ぼくはあくまでも状況を調べるだけ、だったはずなのに。何とかできるかも、なんて言われたし……。う、やばいなぁ。これ、深みにはまってるぞ。状況を客観視すると、自分で自分を追い詰めてる気がする。

 今なら、きっとまだ間に合う。

 回れ右をし、町へ戻って竜は見付からなかった、と言ってさっさとロロックの街へ戻ってしまえば。

 正規の魔法使いに改めて来てもらえば、この問題だってタッドがやるよりもすぐに解決する。

 だが、自分の意志で、自分の足で、タッドはフェオンの後を追っていた。

 わずかな瞬間だったが、さっきフェオンが見せた表情がやっぱり気になるのだ。

 だいたい、考えてみれば相手は普通の子どもではないとわかっているのだし、今になってタッドが回れ右をしたところで簡単に帰してもらえるか、なんてこともわからない。

 フェオンは獣道のような道なき道を進み、タッドはその後を必死について行く。

 伸び放題の草木や大小の石が転がる地面を歩くのはかなりきつい……と思ったのは、そんなに長い時間ではなかった。

 フェオンが立ち止まり、転ばないように下を向いて歩いていたタッドは、顔を上げてそのまま動けなくなる。

 そこには、人間の住む家よりも大きな生物が確かにいたのだ。

「これが……竜?」

「そう、火の竜だ」

 質問した訳ではなかったが、フェオンはタッドの言葉にうなずいた。

 他に言葉が見付からない。

 タッドはしばらくの間その場に立って、ただ呆然と目の前にいる巨大な竜を見ていた。

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