第9話  買っちゃった


 せーの、で僕らは一緒に出てきた。

 僕は魔女の部屋の押入れから。魔女は廊下から、彼女の四畳半へ。


 魔女は微笑み、小さく何度も拍手した。女の子らしい、白く小さな手。

「おぉ~、良い、良いではないか! 似合うな!」


 買ってきた服をそれぞれお披露目ひろめ。二人だけのファッションショー。

 いや、ショーというにはあまりに地味だ、僕の方は。


 僕が着ているのは浴衣だ、男ものの地味な。紺色に薄あい色の線が縦に入った柄。

 要は彼とお揃いを着たかったのだけれど。同じものが見つからず、妥協したのだ。


 それはともかく、僕も彼女に笑顔を向ける。

「君こそ似合うよ」

 ふわりと膨らんだシルエットのロングスカートは、黒地に白く有刺鉄線の柄が映える。肩の辺りが丸く膨らんだ、スカートと同じ印象を与えるシルエットの黒い上着。その腹と背には血に濡れたギロチンが陣取っていた――そういう柄だ――。

髪には南瓜かぼちゃ薔薇ばらと、小さな棺桶をあしらった大振りなカチューシャ。攻めた感じのゴシックロリータ。


 僕は大きくうなずいた。

「すごく、君らしい」


「で、あるか」

 彼女は満足げに小さく笑う。それから、歯を見せてもっと笑った。


 魔女は両手でそっとスカートの裾を持ち上げ、片脚を引いて貴族的に礼をする。それから、その場でくるりと回った。その動きにつれて、羽根の軽さで浮かぶスカート。


 無理に回転を続けた彼女は――楽しくなってきたらしい――、そのうち目を回したか、バランスを崩し。脚をもつれさせ、倒れ込んできた。


 僕はとっさに手を伸ばし、彼女の背と腰を支える。

「ちょっと、大丈夫?」


 魔女は目を瞬かせていたが、やがて僕につかまりつつ、自力で立つ。

「すまぬ……助かったわ。やー、ご苦労ご苦労」

 それから不意に顔を上げ、手を一つ叩いた。

「これはそうか、あれか! 男子に初めて抱かれちゃった日か今日! 赤飯炊こう赤飯!」


 色々間違っているが、その色々を指摘するほど僕は親切ではない。


 彼女は腕組みをし、しみじみとうなずいた。

「やー、とうとう我も中古かぁ……年貢の納め時というやつだな」


 何をどこへ納めるんだお前は。

 そう考えつつ、ふと思った。


 僕が普通の――という言い方は変かもしれないが、他に呼び方が分からない――、男子だったら。こんなことでも、恋に落ちてしまうのかもしれない。落ちないかもしれないけど。


 それもいいな、と思う。

 女の子に恋をするなら、彼女みたいな子がいい。

 彼女は素直だ、他人ではなく自分に対して。猫みたいに。いつも自分に正直で、見たいものだけを見て。それで、他人に嘘をつくこともない。全てに対して正直だ。


 いつか僕だって、女の子に恋する日も来るかもしれない。ずっと昔、幼稚園の頃なんかは、女の子が好きだったこともあった――同じ組の目のきれいな子、いや、先生の方が先だったか、あれは恋でよかったのかな――。

 そんなときは、彼女のような子を好きになれたらと思う。


 そうだ、彼がもしも、誰か女の子とつき合うなら。やっぱり彼女みたいな子がいい。

 それならそう、僕も認める。祝福させてもらう、全力で。

 心の底で許すかは別として、だ。


 そこまで考えて、ふと気づく。

 もしかして、だが。僕は、彼女のようになりたいのだろうか――いや、あるいは。彼女になりたいのだろうか。

 小さな手、白い肌、小さな顔とくるくるとよく動く目。笑おうが唇を尖らせようが、それぞれに華やぎのある表情。

 問答無用の可愛らしさだ――服のセンスを抜きにすれば――、そこに在るだけで価値のある美しさだ。花のように、在るだけで。


 僕は自分の手に目を落とす。来る日も来る日も竹刀を振るい、ハンドグリップを握り、ダンベルを持ち上げてきた手を。節くれ立った指、肉の、筋の、盛り上がった腕を。固い竹刀だこのできた掌を。彼女とあまりにも違うその手を。

 それはたとえ鍛えていなかったとしても、骨の太さ、骨格からして違う。男の手だ。



 そんな考えを知るよしもなく、彼女は無邪気に口を開く。

「しかし、それはそれで良いのだが。他に可愛い柄はなかったのか、浴衣。もっと華やかなものの方が良かったのではないか」


 僕は全身の動きを止めたが。


 彼女は構わず言う。花のように微笑んで。

「そうしたものの方が似合ったと思うぞ、華やいで。そなたはきれいだからな」


 僕は未だ、固まったままでいたが。

やがて鼻から息をつき、全身の力を緩める。


 彼女は花じゃない。彼女の本当の価値は、美しさじゃない。

 彼女は嘘をつかない。自分に対して。それと同じく、全てに対して。

 彼女が似合うと言うのなら、きれいだと言うのなら。間違いなく、そうなのだろう――彼女自身の服装のセンスは、考えないことにしよう――。



 僕は息をこぼして笑う。

「ありがとう。でも、これが安くてさ――」

 本当は彼のものに近い柄が欲しかったからだ。それに――

「――他に、買いたいものもあるし」


 改めて彼女に向き直り、聞いてみる。

「何かこう、和のテイストを取り入れられるものってないかな。和柄の服とか……そういうの好きな人がいてさ。そのうちプレゼントできたらな、って」


 魔女は両手を握り合わせ、嬉しそうに目を見開く。

「何と、楽しそうな話だな! そういうことならいくつか見た覚えが――」


 本棚から引っ張り出してきたのは彼女御用達ごようたし、ゴシック系のファッション誌で。気持ちは嬉しいが――髑髏のついたかんざしだとか、全面に蜘蛛の巣柄をあしらった羽織風コートだとか、そういうのはあったが――、彼の好みに合いそうなものは見当たらない。


「ちょっと違ったか……いや、何かなかったか、和の――」

 腕組みしていた彼女は、不意に一つ手を叩いた。

「そうだ、良いものがあったぞ! 我が祖母の部屋に――」


 気持ちは嬉しいが、やっぱり当てになりそうにもない。


 彼女が一人走り出た後、誰もいない部屋で。

 浴衣の裾を横にずらして広げ、わざと着崩した後で。

 僕はくるり、と回ってみる。そのまま素早く、裾が浮き上がるまで。スカートのように浮き上がるまで。


 目を回す前に止まった後。裾を――僕の手、武骨な両手で――持ち上げ、脚を引いて。小さく、礼をしてみる。


 不意に廊下のずっと向こうから、ふすまごしに間延びした声が響いた。

「そういえば新しいハーブティー買ったんだ、飲むかー? たぶんマズいぞ」


 何で買ったんだ、お前。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る