第7話

「大丈夫よ。分かっていたことだもの」

「まあ、そうだな。あと、陛下がお呼びらしい。ここまでの状況をお知りになりたいそうだ」


 ああ、と気づいて振り向くと、一斉に視線が逸れる。分かりやすい。


「陛下がお呼びなので参りますが、どなたか一緒においでになりませんか。私が余計なことを申し上げないよう、監視役が必要では?」


 上着のフードを被りながら掛けた声に、視線は一斉にエメリヤへと集まる。小さく聞こえた舌打ちは、間違いなく本人だろう。


「お前ら、覚えてろよ」


 エメリヤは恨み言を投げつけたあと、不機嫌さを隠さずに歩いてくる。私と行くのがいやなのか、陛下の元へ行くのが気後れするのか。その両方かもしれない。


「では、参りましょうか」

 辿り着いた監視役を迎え入れ、フードの前を少し引き下げた。


 教会では引きずって歩く長さの装束だが、外出用は短くて動きやすい。とはいえできるだけ露出を避ける教えのとおり襟は首元まで詰まっているし、手袋は食事の時以外は外さない。脚はロングブーツで隠され、膝も装束がきちんと隠している。それでも濃紺の官服や臙脂の軍服など、濃色に溢れる宮廷では白一色はかなり目立つだろう。フードを深く被るのは、教えを守るためだけではない。


「オリナ!」


 兵士のあとに続く歩を止め、振り向く。鳶色のくせ毛に赤銅色の瞳、ひょろりとした背格好に、角のない柔和な顔立ち。馴染んだ姿を見て、再びフードを下ろした。


「キリム。久し振りね、元気?」

「ああ、元気だよ。オリナも変わりない? 相変わらず綺麗だ」


 大きく腕を広げたキリムに応えて抱き締め、挨拶を交わす。背は私よりずっと伸びたが、笑顔は昔のまま変わらない。眉尻と目尻が一緒に下がる、人懐こい笑みだ。


「ドルスも変わりなく見えるな、いい毛並みだ」

「ああ、元気だよ。ありがとう」


 私から離れたあと、兄の毛に埋もれながら挨拶を交わす。キリムは兄の三つ下で、私がキリムの三つ下。幼い頃はよく叔母と一緒に屋敷へ来て、一緒に遊んだ。お互いの母を亡くしてからも、労り合って育った仲だ。叔父との関係は決して良いとは言えないが、キリムとはずっと円満でいる。


「今日はどうしたの? 皇宮に用事?」

「いや、オリナが来るって父さんに聞いたから。いろいろ大丈夫かなって」


 理由を話しながら、キリムはエメリヤを一瞥する。形式的な挨拶を交わしたあと、再び私を見た。


「大丈夫よ。まだ来たばかりで慣れてないけど、これから馴染んでいくわ。お兄様もいてくれるし。何かあれば、ここならあなたに助けも求められるしね」


 官服の襟につけられているのは、法務省所属を示す糸杉の徽章だ。隣とはいえそれなりに距離はあるが、教会よりは近い。


 私の言葉に、心配そうだったキリムの表情がぱっと明るくなる。ぴんと立った犬の耳とぶんぶん振られる尻尾が見えたような気がした。


「そうだね。隣にいるから、何か困ったことがあったらいつでも来て」

 嬉しそうに答えたあと、エメリヤに軽く頭を下げて帰って行く。


「さすが、犬を手懐けるのがお上手だ」

「兄は狼です」


 皮肉に言い返し、フードを被り直す。兄を軽く撫でて、再び歩き出した兵士に続いた。


「陛下の無実は聖女様が確かめてくれ。一官吏には敷居が高い」

「皇宮法務局は、相手が陛下であっても真実を追求するための独立機関でしょう」

「建前だ」


 当たり前のように返して隣を歩くエメリヤを、思わず見上げる。


「気骨のないこと」

「仕方ないだろう。我々は、聖女様のように全てを与えられているわけじゃない」

「オルジロフ検事正」


 口を挟んだ兄に、頭を横に振る。兄は少し間を置いて、諦めたように俯いた。


「承知しました。私がお話いたします」


 本当は「あなたは置き物のように大人しく」と付け加えたかったが、それをするとさっきの二の舞いになってしまう。


 口を噤み、カーテンの取り払われた窓や何も置かれていない花台を眺めながら歩く。魔鉱晶が灯すランプも最小限だから、昼でも仄暗い。魔鉱晶なら潤沢にあるのだから室温調整と灯りくらい維持すればいいのに、どちらも許されないのだろう。


「今朝、教会に教皇庁の方々が見えて来年度の予算の話をしました。来年度は一割減で頼みたいと。また軍が新たな兵器を作るようですね」

「海戦に備えてらしいな。海に潜って攻撃する船だとか」


 近くにいる分、詳細な情報が入ってくるのだろう。ここまで知られているのなら、他国にも流れているはずだ。「防衛のため」を額面どおり受け止める国がどれほどあるのか。それに、この国にはクーデターがつきまとう。


「国を守るために軍事力が必要なのは分かります。ただ、軍に力を持たせ過ぎるのは感心いたしません」

「進言すればいいだろう」


 素っ気なく返すエメリヤに、小さく苦笑する。もちろん進言しているが、受け入れられないのだ。奪ったものは奪われ、覆したものは覆される。我が国の歴史は、そうして綴られてきた。深呼吸をして、ペンダントを握り締める。小さく祈りを捧げて、薄暗い廊下を曲がった。

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