第8話
執務室で待っていた陛下は私達と共にテーブルへ着き、早速魔鉱晶に保存魔法を掛けた。一般的に保存魔法は掛けた物体そのものを劣化なく保存するものだが、魔鉱晶に限っては、文言を工夫することで保存魔法が掛かり切るまでの時間を設定できる。
例えば三十分と設定したなら、魔鉱晶はその三十分の間周辺の光景と音を記録し、魔法の終了を以って保存するのだ。非常に便利だが、神力を扱う教会内では魔力源でもある魔鉱晶を利用できない。そのため、聖下を始めとした上位職の部屋には記録係が控えてタイプを打っているわけだ。
「それで、現時点での容疑者は誰だ?」
エメリヤから現在までの状況を聞き遂げた陛下は、磨かれたテーブル上の魔鉱晶を指先で弄びつつ切り込む。今年で御年五十五歳、皇后とは七歳、ウルミナとは十六歳離れている。肖像画で見る先帝はがっちりとした厳つい体格だが、陛下は中肉中背でそれほどではない。ノルヴィリエフ家らしく青みがかった濃い灰色の髪に、それを薄くしたような色味の瞳を引き継いでいる。肩につく長めの髪を耳に掛け、口周りと顎の髭は短い。若かりし頃は美丈夫と評判だったらしい顔立ちは年相応に衰えてはいるが、滲む渋みが良い味だ。張り出した眉骨が目元に影を落として、物憂げにも見えた。
「最も疑われるのは、昨晩会っていたと思われる『N』ですが」
「ネストルだろう。ウルミナと関係があったのは知っている」
切り出したエメリヤに、陛下はあっさりと答えを与える。知っていたのか。
「調べれば分かることだが、私はユーリが死んで以来ウルミナの部屋で夜を過ごしたことはない」
「それは、皇后陛下からお守りするためですか?」
怯んだ様子のないエメリヤが、大人しい声で尋ねる。陛下は魔鉱晶から指を離し、テーブルの上でゆったりと手を組んだ。野太くも骨っぽくもない、先の丸い指だ。優雅な所作に焦りは見えない。
「私はソフィアを愛しているが、だからといってウルミナがどうなっても良いとは思っていない。ソフィアは素晴らしい女性だが気性が激しく、揺れやすい。ウルミナに寂しい思いをさせたのは分かっているが、ほかに策がなかった」
陛下は直接には答えず、訥々と言葉を継いで視線を落とした。
西方の大公国よりルイーズ・モニック大公女がツァナフへ来たのは三十一年前、十七歳の時だ。改宗を経て名をソフィア・セメラヴィチと変え、翌年には皇太子妃となった。ルイーズが選ばれたのは大公国が高い食料生産力を誇っていたからだと言われているが、愛らしい顔立ちの彼女に陛下が恋をしたのは明らかだ。ただ今はその見た目より、気性の激しさで有名になってしまった。
その実情は、私も知っている。皇后は私が聖女で陛下と親子ほど年が離れていると分かっていても、陛下に近づくのを厭うのだ。
――あなたの考えていることは分かってるわ。カリュニシンのその顔で、卑しくもイヴェルの寵を乞うつもりでしょう! なんてふしだらな娘なの!
聖女となり初めて向かった皇宮で、皇后は十三歳の私に熱い紅茶を浴びせた。そして私が少しの被害も受けない様子を見ると、事もあろうに「悪魔」だと罵ったのだ。当時はそれなりの大事になって、最後には大公国から教会へ詫びの書状と品が届いた。
「その代わりとして、大公殿下との仲を容認したと?」
確かめるエメリヤに、陛下は視線を落としたまま頷く。皇后をどうにもできない以上、ウルミナに我慢を強いる以外方法はない。長年の寂しさがネストルとの恋で埋まるのならば、か。気持ちは分からなくはないが、複雑だ。
「ウルミナ様が、皇后陛下がユーリ様を毒殺した証拠を掴んだと仰ったことはご存知ですか?」
「ああ、知っている」
「知って、どうなさいましたか?」
エメリヤが重ねた問いに、陛下は溜め息をついて頭を緩く横に振った。
「何もしていない。ウルミナが口走ってしまっただけだと思ったからな」
「皇后陛下は、どうだったのでしょう。侍女の話では、これまでは一度も口にされたことのない内容だったとのことです。我々はその点において、皇后陛下の関与も疑っております」
追求で陛下を黙らせたエメリヤが、私へ視線をやる。ここで引き継ぐつもりか。驚いて見返すと、エメリヤは目を細めて薄く笑った。
仕方ない。胸の内を整えるよう深呼吸をして、陛下と対峙する。
「ここからは私がお尋ねいたします、陛下。念のため、昨夜の行動をお聞かせ願えますか」
控えめに向けた視線に応え、陛下は小さく頷いた。
「午後七時から十時過ぎまでは、医療省の者達と食事しつつ話をしていた。その後は深夜二時過ぎまで、ここで一人で仕事をしていた。侍従は日付が変わる前に下げていたから、証明できる者はいないがな」
陛下の言葉に、背後に控えていた侍従が認めるように小さく頭を下げる。
「承知いたしました」
頷いて受け入れたあと、隣へあとを託す。
「陛下、大公殿下並びに皇后陛下への捜査をお許し願えますでしょうか」
「ああ。身内であるからと捜査をおざなりにすれば、教皇派が黙っていないだろう。セルゲイに邪心が向くことだけは避けねばならん」
陛下と皇后の間に産まれたセルゲイは今年十二歳になる。陛下によく似た美貌を持ち才気煥発で、「戦争ごっこ」を好むらしい。
先帝がクーデターを起こした時、即位したばかりの皇帝は十四歳の少年だった。父親の早すぎる死が誰かの目論見によるものだったのかは定かではないが、ともかくも彼は後ろ盾も十分にないままその座に就き、一週間も経たないうちに母親もろとも殺された。
でも、この国では繰り返されてきた歴史だ。「少年皇帝は殺される」と、皆が知っている。だから皇帝は我が子が育ちきるまでは、なんとしても盤石であるように見せ続けなければならないのだ。それが虚構であっても。
「承知いたしました。では、失礼いたします」
「永久に、神のご加護がありますように」
挨拶をして、執務室を後にする。
「お二方の捜査ですが、私は大公殿下の方へ参ります。エメリヤ検事正は皇后陛下をお願いします」
来た道を戻りながら切り出した分担に、エメリヤは気づいたように私を見下ろした。
「そうか、そういえば相性が抜群だったな。外交問題に発展するほどに」
「ええ。また大公国の方々が青ざめることになりかねませんから」
嘲笑交じりで思い出された過去に苦笑する。五年前なら、エメリヤはまだ大学の頃か。
「しかしまあ、陛下ご公認の上に『N』の証拠だ。部屋のタイプライターであの文章を打ってもらえば、すぐに分かるだろう。大公殿下なら魔力量は上の中、犯人像にも当てはまる」
「確かに、そうですが」
「N」とタイプライターの証拠、そして昨晩の行動内容が揃えば「ネストルになる」のだろうが……すんなりとは納得できない。
「手紙をその都度タイプライターで打って送り消去魔法で痕跡を消すほどの方が、自身のタイプライターを使用するでしょうか。それに、あの方は」
「道ならぬ恋で恐れるのは、誰が出したのかがバレることだろ? なら、筆跡が分からないタイプライターを使って送り主の痕跡を消せば、辿り着かれることはない。最初から殺すつもりじゃなきゃ、他人の部屋に忍び込んで使うような危険な橋は渡らないだろ」
最初から殺すつもりでなければ、か。ぼんやりと脳裏に浮かんだ皇后を打ち消して、一旦ウルミナの部屋へと戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます