第9話

 チーム分けの結果、内閣府にあるネストルの執務室には私と兄、検事のイワンとブラトが向かうことになった。イワンは三十過ぎでエメリヤよろしく長身痩躯、ブラトは四十半ばの厳つい男で、どちらもオルジロフ家の人間だ。ブラトとエメリヤは遠縁らしいがイワンは従兄弟らしく、道中では頼んでもいないのにエメリヤのことをよく喋った。


 幼い頃から冷ややかで皮肉屋だったエメリヤは、大学で「氷刃の貴公子」と呼ばれていたらしい。忍び笑いの口元を隠すのも難しくなってきた頃、ネストルの執務室へ到着した。


 ネストルは陛下の補佐を行うと同時に、内閣府七省トップの内閣官房長官を務めている。公安局と皇宮法務局は独立機関だから検事達の上司には当たらないが、それはそれとして緊張するのは仕方ないことだ。


「追求は、聖女様にお任せしてもいいですかね」

「イワン!」


 従兄弟とよく似た台詞を、ブラトが窘める。


「構いません。官吏に踏み込みづらい相手なのは確かです」


 私も下手なことを言えば教会の予算を更に削減される可能性はあるが、仕方ない。聖下は許してくださるはずだ。


 ドアの前で一息つき、フードを下ろす。


「やっぱ『本物』は、間近で見ると迫力がありますね」


 感嘆交じりの感想に苦笑した時、兄が割り込むように私とイワンの間に身を滑らせた。


「どうぞ、じっくりと御覧ください。埋もれていただいても構いません」


 兄の目線はちょうどイワンと同じ辺り、顔を突き合わせればかなりの迫力だろう。


「いいのよ、お兄様」


 苦笑して毛並みを一撫でし、ドアで待つ兵士に頷く。兵士は私達の訪問を伝えてゆっくりとドアを開けた。


「大公殿下にご挨拶申し上げます」

「久しぶりだな。まさかオリナの方から会いに来てくれる日が来ようとは。相変わらず、清かな月のように美しい」


 ネストルは朗らかな笑みを浮かべて重厚なデスクから腰を上げ、私達を迎えに出てくる。


「大公殿下もお変わりなきご様子、嬉しゅうございます」


 答えた私に、恭しく手を差し出した。応えて載せると、腰を落として手袋の上に軽く口づけする。ネストルは五十一歳、陛下と同じ色を持っているが、性格は大きく違う。物静かで厳かな陛下に対し、ネストルは社交的で華やかだ。教会まで届く女性遍歴はそれなりのもので、祈りのために教会へ来た時でも私に会えばこの調子だ。もちろん人の見せる顔が一つでないことは承知しているが、ウルミナ一人に執着して挙げ句に殺すとは、どうにも考えにくかった。


「ドルス、お前も変わりないな。いくつになった? 相変わらず魅力的な毛並みだ」

「二十四になりました。大公殿下も、お変わりなく」


 ネストルは私から離れると、ためらいなく兄を抱き締め毛並みに埋もれて溜め息をついた。顔立ちも陛下とよく似ているが、目元には陛下にない笑い皺がある。誰に対しても気さくで、それゆえ国民の人気も高い。王位継承権はセルゲイに継いで第二位だが、今のところ人気はネストルが上だ。


 兄との抱擁を済ませたあと、ネストルは壁際で作業中の職人達を出て行かせる。ヒビの走る塗り壁に、小さく苦笑した。


「それで、どのような用事だ? いや、オリナが話してくれ。君達は、私の恨みを買わない方がいいだろう?」


 口を開きかけたイワンに、ネストルは軽く手を払って先を封じる。予想はできているらしい。ただ足場の組まれた室内を見る限り、タイプライターは置かれていなかった。

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