第2話
「聖女様?」
窺う兵士の声に、口の中で小さく咳をして胸を落ち着かせる。大丈夫、できるはずだ。
一歩進み出て目深に被っていた上着のフードを下ろすと、空気の質が変わった。「血塗られたカリュニシン」は、同時に「美貌のカリュニシン」とも呼ばれる。この容姿に目の色が変わるさまは決して心地よいものではないが、聖下は「美は恩寵を開く鍵になる」と教えてくれた。私が礼拝に参加するようになってから信者の数が格段に増えたのは、そういうことだろう。最初は私目当ての参加だったとしても、いつかは語られた一言が胸に響くかもしれない。苦しい時にふと思い出して、救われるかもしれない。それで良いのだよ、と聖下は穏やかに言った。救いとはその程度のもので、と。
「皆様、はじめまして。教皇聖下の命を受けて参りました、オリナ・カリュニシンと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「教皇庁警護部指導専門官、ドルス・カリュニシンと申します。聖女オリナの護衛を務めます。どうぞよろしく」
ペンダントに触れて挨拶した私に続き、兄も官職らしい挨拶をする。本来なら所属は法務省なのだが、この姿を活かせる職場はやはり私の傍だろうと陛下が決めたらしい。
――やはりカリュニシンは、ただ美しくはおれぬ血なのかもしれぬな。そなたの祖父も父も大変に美しい男だったが、同じように憂いを湛えていた。
聖女になり初めて参じた私をまじまじと眺め、陛下は少し寂しげに言った。武に長け血気盛んだった先帝と違い、物静かな方だ。もちろん先帝亡きあとは皇帝派の総司令官として剣を手にしたが、私が聖女となり内乱が収束してからは、教会や教皇派への力による弾圧はなくなった。ただ財政面での締めつけは本当に、ぎしぎしするほどきつい。
「捜査責任者の方は、どなたですか?」
動きのない群れに声を掛けると、はっとした様子で視線を一点に集中させる。その中心にいたのは、二十代半ばに見える長身痩躯の男性だった。金髪に緑がかった青い瞳で、家門の予想はつく。
彼はうんざりした様子を隠さず息を吐き、諦めた様子でやってくる。詰め襟を首元まできちんと留め、七三の髪はきれいに後ろへ撫で上げられていた。露わな額と凛々しい眉が相俟って、清々しい顔立ちだ。
「皇宮法務局検察部検事正のエメリヤ・オルジロフです。今回の捜査責任者を務めます」
やはり、オルジロフ家か。確か父親が検事総長を務めているはず。その辺りにも一族がごろごろいるはずだ。
「はじめまして、オルジロフ検事正。惑わぬように、エメリヤ検事正とお呼びした方がよろしいでしょうか」
答えて手を差し出すが、エメリヤは冷ややかに私を見下ろすだけで黒い革手袋を外そうともしない。狭い眉間に走る細い皺と固く結ばれた口が、拒絶の意を伝えていた。
「無礼ですよ、検事正!」
たまらず窘めた兵士に渋々手袋を外し、握手に応じる。冷えた私の手に一瞬驚いたように目を見開いたあと、すぐに離れた。袖口にある二本線の刺繍は銀、検事正の印だろう。
「わざわざ教会からお越しのところ申し訳ありませんが、殺人現場なんてお清い聖女様に耐えられる場所ではありません。気でも失われたら我々の仕事が増えますし、教皇庁で温かいお茶でも啜ってお帰りになられては? あと、毛の長い犬は邪魔です」
目を細め皮肉っぽく話すエメリヤに、背後で嘲笑が漏れる。再び窘めようとした兵士を宥め、私より三十センチ近く上にある瞳をまっすぐに見据えた。
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