第一部
第1話
『お前達が捜査に加わることは、先方に伝えておいた。迷惑にならないよう後ろに控えておくように。 A.K』
出立前に届いた横柄な手紙の主はアルチョム・カリュニシン、私達の叔父で今は法務長官を務めている。カリュニシン家はクーデター以後その座を与えられた皇帝派の一族で、父亡きあとは兄が継ぐ予定だった。ただやはり狼の姿では任務遂行に困難が伴うため、「兄が人の姿に戻るまで」叔父が代理で就いている。同じ理由でカリュニシン家当主の座も叔父が務めているが、息子キリムのために私達を追い出そうと絶賛画策中だ。
――どうして、お父様、お母様!
両親と叔母を乗せた
手紙を畳んで馬車の窓に凭れ、薄く映り込む自分を眺める。編み込んでまとめ上げた白銀の髪と金色の瞳、磁器のように白い肌は「血塗られたカリュニシン」の象徴でもある。祖父は、先帝の右腕として共にクーデターを起こした人物だった。
クーデターでは現在の皇帝派が結託し、教皇派の少年皇帝と一族を殺して家門を消し去った。新たにその座に就いたノルヴィリエフ家は国名を「神聖ツァナフ帝国」から「ツァナフ帝国」へと変え、国教でもあるミシェルチ教の保護を撤廃した。政教分離を強力に推し進める先帝に教皇派と民の反発は強く、鎮圧を繰り返す中で伯父は命を落とした。二十一と若かった伯父に代わり、次男の父が後継ぎの座に就いたのは一歳の時だ。
叔父が産まれたのはその二年後、祖母の生家であるセメラヴィチ家に多い
「大丈夫か、オリナ」
足元に伏せていた兄が、心配した様子で私の膝に顔を載せる。多分、沈んだ表情をしていたのだろう。大丈夫よ、と毛並みを撫でると、心地よさそうに首を伸ばして目を閉じた。狼になって六年、仕草はすっかり堂に入っている。
両親は私が神力を発現する前に死んだが、生きていたら何を感じただろう。皇帝派筆頭だった自身の嫡女が、「血塗られたカリュニシン」の末裔が聖女になった事実に。
「着くまで、少し眠るわ」
今日の帰宅は午前二時。教会の朝は五時に始まるから、あまり休めていない。あくびを漏らす私に、兄は足元から隣へと移動する。ふかふかな首に手を回し、毛並みへ埋もれるように体を寄せた。
「あー……落ち着く……幸せ……」
頬ずりしながら、長い息を吐く。ここはいつも温かくて柔らかくて、天国のようだ。兄が笑うと、心地よく揺らされる。滲むように浸されていく眠気に逆らわず、身を預けた。
*
殺人現場となった皇宮は首都の中央にあり、内閣府の建物と並列している。
内閣府の中には皇帝直下の教皇庁と軍司令部、内閣官房長官をトップとする七省が置かれている。またそのどちらにも属さない公安局と皇宮法務局もあり、後者には裁判部と検察部が存在する。共に宮廷で起きた事件を担当する部局だ。傲慢で鼻持ちならないとの噂は教会へも届くほどで、正直事件の捜査よりも人間関係の方が気が重い。
「まさか聖女様とドルス様にお会いできるとは、光栄に存じます」
皇居入り口から案内役となった兵士が、興奮した様子で喜びを口にする。宮廷内は当然のように皇帝派が優勢だが、彼のような教皇派も少ないながら存在する。ウルミナはその筆頭だったから、これでまた宮廷が揺れるかもしれない。
「ウルミナ様は、どのような御方でしたか」
「お見えになった頃は明るく、ダンスのお好きな方だったと伺っております。ただ、やはりユーリ皇子を亡くされてからは塞ぎ込まれて……教会へお出掛けになる以外は、お部屋に籠りがちに」
少し声をひそめた兵士に、次を尋ねるのは躊躇われる。皇后と犬猿の仲だったのは周知の事実だが、そのままぶつけるのはなんとなく気が引けた。
「ウルミナ様のお部屋は、ずっと同じ場所だったのでしょうか」
「はい。皇后陛下のお部屋は三階に、ウルミナ様のお部屋は二階の同じ場所にございます」
返答に頷き、頭を低くしてすれ違う職人を見送る。
「職人の出入りが多いですね」
「ええ、三日ほど前から宮廷の補修が始まりまして。しばらくは落ち着きませんが、お許しください」
兵士の声に頷き、窓枠だけは豪華な窓の向こうに荒涼とした庭を眺める。教皇派が皇帝の座に就いていた時代は、庭の向こうにある皇后専用の宮殿も機能していたのだろう。神力により宮廷内の温度は一定に保たれ、庭には常に美しい花々が咲き誇っていたらしい。しかしクーデターにより状況は一変した。
皇后の宮殿は贅沢だと使われなくなり、政教分離すべく神力の供給も排除された。かつては美術品や花で豪奢に飾られていたであろう皇宮内は、今やあっさりとしたものだ。当時の名残は金色の窓枠や手すり、壁などに見るだけになってしまった。
とはいえその改革により宮廷維持費用が大きく抑えられ、民の暮らしが少しだけ楽になったのは事実だろう。「少しだけ」に留まったのは、浮いた費用はほぼ軍事力増強に充てられているからだ。
大陸の北方に位置するツァナフは、東西南に三つの国と隣接している。食物の自給自足がほぼ不可能で輸入に頼る一方、魔力を持つ魔鉱晶の輸出で財を得ている国だ。魔鉱晶の鉱山は、ツァナフにしか存在しない。それは、戦いを仕掛ける大きな目的になり得る。相手の善意を信じる教皇派の「お花畑外交」では有事に国を守れない、というのが先帝達がクーデターを起こした最大の理由だった。
「御自身のお部屋でお亡くなりになりましたが、ご遺体は午前のうちに運び出されました。現在は残像で捜査が行われています」
「残像で、ですか」
さらりと告げた兵士に驚いて聞き返す。魔法で残像を残すのは、簡単なことではない。再現の精度は唱える者の視覚情報に頼られるため、ぼんやりとした情報ではぼんやりとした残像しか作れないからだ。捜査に使うレベルの残像なんて、写真並みの精細さが必要だろう。だから捜査では、すべきことをし尽くすまで遺体に保存魔法を掛けてその場に留めておくのが一般的だ。さすが皇宮法務局、と言ったところか。
感心する私の少し先で、兵士が規律正しく足を止めた。大きくドアを開かれたその部屋が、現場らしい。
「聖女様がお見えです」
戸口で発された兵士の声に、濃紺の官服達が一斉に振り向く。体格も肌や髪の色もばらばらなくせに、私を見る視線の鋭さは一致していた。ああ、もう帰りたい。部屋で兄を抱き締めて、顔を埋めて癒やされたい。
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