第20話
「七二四五年十月十八日、ウルミナ・ナタルスク殺害事件に関する検証を検死室にて開始する。遺体に残された氷魔法の痕跡に平均値よりやや大きな波長の揺れを確認したため、遺体と同じ痕跡を再現することを目的とするものである。検証はエメリヤ・オルジロフ検事正、聖女オリナ・カリュニシン、マルク・セヴィック検死官の三名で行う」
エメリヤは手にした魔鉱晶に向かい淡々と伝えたあと、模型の映る位置に据える。
「まずは、低位魔法のあと高位魔法を打つ。成功した場合は推定の七時間より一時間長い八時間となり、犯行時刻は午前〇時前後となる」
顎で指図したエメリヤに、マルクはウルミナの模型を立たせるように上から吊るす。
捜査に利用される模型は、遺体から取った型の中に模型用の骨や粘土を詰めて固めたものだ。今はまだ、魔法捜査においても遺体への複製魔法使用が許されていないから致し方ないことではある。
ただ、これをエメリヤが早急に上限の十体準備するよう言ったせいで、検死官達はみな死にそうな顔になっていた。遺体同様、模型にも複製魔法は厳禁なのだ。
もっとも私の祈りを受けた今は皆、英気を取り戻していきいきとしている。
「うん、いいですねえ。その角度のままでお願いします」
マルクはエメリヤに立ち位置と角度を細かく指示したあと、OKサインを出す。エメリヤが少し目を細めてぼそりと呟くと、一発目が模型を大きく揺らした。その後二発目を打ち込んだが、すぐに「ないな」と言ってこちらを見る。
「一発目で体勢が崩れて向きを変える。同じ魔法痕はなぞれない」
エメリヤの声に、マルクは計測器から視線を上げる。レンズの分厚い眼鏡が、鼻筋を滑った。
「そのとおり、一致しません。入り口から既に魔法痕にズレがありますねえ」
隣から覗き込んで確かめた波長グラフは、確かに遺体のものとは大きく違っていた。
「今度は、一度で打ちこんでみてください」
私の指示にマルクは腰を上げ、二体目の模型をセットする。消去魔法を掛けて、再び計測器へと戻ってきた。
「消去魔法をこまめに掛けるのは、なぜですか?」
「ああ、これは癖みたいなもんですよ。模型の材質的に、まあこういうとこもですけど、触ったらべたべたあとがつくじゃないですか。美しくないので」
マルクは眼鏡のブリッジを押し上げて、デスクに消去魔法を掛ける。途端に天板の曇りは取り除かれ、姿が映り込むほどに美しくなった。なるほど、魔力量が少ないと疲れるだろうが、掃除にも応用できそうだ。
どうぞ、と掛けたマルクの声に、エメリヤは低位魔法と高位魔法を一つの文言にまとめて打ち込む。あっさりとやってのけたが、簡単な技術ではない。いくら魔力を持っていても変換能力がなければ宝の持ち腐れだ。犯人も変換能力に優れているのだろう。でもそうなると、宮廷であってもそれほど多くはないはずだ。Nの当たりは既についていても良さそうなのに、未だ報告がない。あのNは、「名前ではなかった」のかもしれない。
「どうだ」
エメリヤの声に、マルクと波長グラフを確かめる。
「形自体は似てますねえ。ただ、切り替わったと思われる位置が結構ずれてますし数値の揺れも小さいです。あと、計算上は普通に八時間持続してますからダメですよ」
マルクの声にエメリヤは溜め息をつき、手袋を外して官服の上着を脱ぐ。長丁場になると察したのだろう。
「文言を変えて調整する」
襟元のボタンを外しシャツの袖をまくり上げた時、ガラスの向こうで大仰な声がした。揃って視線をやると、固唾を飲んで見守る職員達と兄の向こうに、見覚えのある男が現れる。うわあ、と聖女らしからぬ素直な感想を漏らした私に、二人の視線が注がれた。
「司教長官が噂を聞きつけて来たようですね。行って参りますので、検証を続けてください」
小さく咳払いをして聖女に戻り、にやつく笑みを向ける男の元へ向かう。この大事な時に、面倒くさすぎる客だ。司教長官、つまり教皇庁のトップだけはエメリヤ達のような官服を着ていない。私や聖下と同じ、たっぷりとした白の衣装だ。この男も、一応聖職者ではある。
「ああ愛しのオリナ、相変わらず麗しい」
芝居がかった物言いをして、司教長官は大きく腕を広げる。
「ご無沙汰しております。長官」
「そんな野暮な呼び方はよしてくれ、私と君の仲じゃないか」
抱擁の誘いを無視して手を差し出すと、司教長官は両手でがっちりと包み込んだ。すぐ間近まで迫る膨れた腹に苦笑する。
「本当はすぐにでも駆けつけたかったし昨日も見舞いへ行きたかったのだが、聖下から仕事を言いつけられてしまってね。全く、人使いが荒い」
もちろん意図的に仕事を回してくださったのだろう。人間性は雲泥の差だが聖下は司教長官の伯父で、共にヴァリネノフ家の人間だ。でも未だに、同じ血が流れているとは思えない。
「せっかく宮廷に来ているのだから、夕食を楽しもう。席を用意させる」
司教長官は肉の余った顔に意味ありげな笑みを浮かべて、片手を私の腰に回した。一瞬顔に出た嫌悪を抑え込みそれとなく離れようとするが、小娘の力が叶うわけもない。
「残念ですが、私は捜査のために参りましたので」
「付き合ってくれるなら、来年度の予算に多少の都合をつけてあげてもいいんだが」
周りの目を憚るように私を抱き寄せて耳元で零した時、ぎゃ、と短く気持ちの悪い声がして体が離れた。
「司教長官ともあろう方が聖女に手を出し、あまつさえ予算をエサに言うことを聞かせようとは。恥の感覚をお持ちになっていないらしい」
救いの声に急いで離れ、その背後に逃げ込む。司教長官はエメリヤの手を振りほどき、眉根を寄せてエメリヤを睨みつけた。
「無礼な真似を。どこの者だ」
「エメリヤ・オルジロフ検事正です、司教長官」
名乗ったエメリヤに、司教長官は気づいた様子で鼻で笑う。
「恥にまみれた『穢れた血』が、似合わぬ物言いだな」
蔑む口振りに言い返し掛けた私を制し、エメリヤは司教長官に魔鉱晶を見せた。
「さっきの一幕は全て記録しましたので、上に報告します。追って処分をお待ちください」
「……覚えておくぞ、オルジロフ」
恨めしげに言い残して部屋を出て行く司教長官を、慌てた様子で室長が追う。少しくらいフォローできればいいが。兄が噛みつけなかったのは、強権を発動して私の傍から引き離す可能性があるからだ。
「大丈夫か」
振り向いたエメリヤに苦笑して、視線を伏せる。
「あまり大丈夫ではありませんが、あなたの方が大変でしょう。司教長官に睨まれては、仕事がやりにくくなります」
「気にするな。俺が働かなければほかの奴が働く」
「でも、それでは」
問題を解決したことにはならないだろう。ただそのまま伝えれば言い争いになりそうで、言い淀んだ先が続かない。責めたいわけではないのに、うまい表現が浮かばなかった。エメリヤも何か言えばいいのに、黙ったままだ。意を決して見上げると、すぐに視線が合う。エメリヤの瞳はイワンより少し深い、吸い込まれそうな青だった。
「すみませんが、そういうのは全部終わってからにしてもらえませんかねえ」
向こうから軽くガラスを叩くマルクの声に、はっとする。咄嗟に赤くもならない頬を押さえて、エメリヤを窺う。背を向けて戻って行くエメリヤの耳は、寒風に晒されたかのように赤くなっていた。
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