第19話
翌日予定どおり皇宮法務局へ向かうと、官服達が慌ただしくロビーを行き交っていた。昨日の件を踏まえての警備強化だろう。殺人事件に続いて殺人未遂事件まで起きたのだから、責任者は引責を免れない。ただ、後者には不可解な点がある。
エメリヤが襲撃対象になっていたのは、間違いなく事件の捜査責任者だからだ。でもそれは、「殿下が犯人ではない」ことを自ら明かすようなものだろう。犯人はなぜ、そんな行為に出たのか。
聖女様、と呼ぶ声にフードの前を少しもたげ、駆け寄ってきたイワンを迎える。
「もう大丈夫なんですか?」
「ええ、もうなんともありません。心配をお掛けいたしました」
「聖女の力ってほんとにあったんですね。俺、ずっと教会が大げさに言ってるだけだと思ってました。すみません」
すまなげに頭を掻きつつ詫びるイワンに、緩く頭を横に振った。国教とはいえ、今は神への誓いを求められない時代だ。礼拝への参加も祈りも全て、個人に委ねられる。
「この慌ただしさは、警備強化のためですか」
「いえ、いや、そうです、それもあるんですが」
イワンは慌てたように返したあと、私の隣へ来て少し身を屈めた。
「実は、殿下の犯行を後押しする証拠が出たんです。若かりし頃、諜報部にウルミナ様の殺害指示を出してたそうで。皇宮入りが決まって遂行されなかったみたいですね。理由は黙秘されています」
殺害依頼。驚いて顔を上げると、すぐ間近にイワンの顔があった。薄い青の、澄んだ瞳が美しい。
「イワン!」
背後の鋭い声に、揃ってびくりとする。振り向いた先にいたのは、予想どおりのエメリヤだった。
「暇そうだな。頼んだことは済んだのか」
「いえ、いってきます!」
イワンは慌てたように答え、戸口へと駆け出していく。
「タイプライターの運び屋が職人である可能性を考えて、ここ数日の間に殿下の部屋に入った職人を確かめさせる」
ああ、と頷いて、目の前に辿り着いたエメリヤを見上げる。……大丈夫だ、なんともない。一晩中胸の辺りでうずくまっていた感覚も、今は消えていた。
「もう大丈夫か」
「はい、問題ありません」
エメリヤは頷き、私を見つめたまま少し間を置く。
「昨日は、見舞いらしからぬ言動をしてすまなかった。目覚めたら、もう少しまともなことを言うつもりでいたんだが。正直、自分でもなぜあんな態度を取ったのか、よく分からない」
「気になさらないでください。それに昨日は、目覚めなくても来てくださるおつもりだったのでしょう?」
そうでなければ、魔鉱晶車でもあの時間には辿り着けていない。エメリヤは、ああ、と答えてまた少し間を置いた。
「心配だった」
視線を外して、ぼそりと呟くように言う。聞き慣れたはずの言葉なのに、また胸の内がかき乱される。「聖女」ではなく、ちゃんと「私」に与えられた気がした。
「ありがとうございます。とても、嬉しいです」
どことなくぎこちなくなった礼に、エメリヤは安堵した様子で頷く。
「では、今日は魔法痕の検証ですね」
「ああ。俺の魔力量は上の中だから、俺が打つ。実験体は、検死室にウルミナ様の模型を準備させている。正確さの面では遺体が最適だが、検証に回せるような名無しは皆痩せこけているからな」
垣間見えた民の生活に頷き、歩き始めたエメリヤの隣を行く。肉付きの良さは豊かさの象徴でもある。好きなものを食べられる暮らしを送る国民は、恐らく一握りほどしかいないだろう。五十年の内乱で荒れた国内は、まだ元通りとはいかない。
「殿下は、おそらく今日中には起訴される。裁判は多分三日以内には始まるだろう。うちの裁判部は、速いのだけが取り柄だ」
「急がなければなりませんね」
足早に進むエメリヤに合わせて、私も小走りでついて行く。不意にひょいと背中を引っ張り上げられて、気づくと兄の背だった。
「乗るか? 早いぞ」
「結構です」
兄の誘いを冷ややかに拒み、エメリヤは速度を上げる。兄は鼻で笑い、軽やかに跳ねた。
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