第18話

「捜査の状況は、いかがですか」


 話題を切り替えた私に、エメリヤは一息ついて官服の詰襟を緩めた。初めて見る姿に、なんとなくどきりとする。


「魔力量が上レベルでNの条件に当てはまる官吏は五人いた。今、犯行時刻前後の行動を聞き取りに向かわせている。あと、タイプライターの件を侍者に確かめた。Nが滲むことはなかったから、あれは殿下のものでないと言っている。ただ、侍者が提出した部屋に出入りする者のリストに最初に挙げた五人はいなかった。誰かを使ったと考えて、こちらも探らせている。御婦人方は数人、証拠として回収しないのを条件に手紙を見せてくれた。証言は全員拒否したが、無実の可能性は高まった」


 淡々とした捜査の報告は、どれも問題なく進んでいることを伝えるもので安堵する。


「最後に魔法痕精査の結果だが」


 最も気になっていた内容に、エメリヤを見据えた。こちらが無理強いをした形になったあの精査だ。


「あの数値は、肋骨の干渉がない位置で出ていたことが分かった。波長グラフでも、明らかに揺れ幅が大きくなっていた。犯行時刻をずらす細工が行われた可能性はある」

「やはりそうでしたか。でもあのような揺れを見せる魔法痕を残すには、どうすれば?」

「単純に考えるなら、低位魔法を打ったあとに中位か高位魔法を打ち込んだんだろうが」

「組み合わせも含めて検証が必要ですね。再現できなければ証拠になりません」


 望んでいた結果が出たのはありがたいが、問題はこれからだ。犯行時刻をずらした証拠として採用されるには、検証でその裏づけを取らなくてははならない。


「明日から捜査に復帰いたしますので、検証に参加します」


 明日からの捜査復帰を告げた私に、エメリヤは諦めの息を吐く。


「止めても無駄なんだろうな」

「よくお分かりです」


 にこりと笑うと、エメリヤはしばらく私を見据えたあと腰を上げる。美しいが冷ややかな造作だから、間近で見下ろされるとなかなかの迫力だ。


――だからあなたも苦手だからって終えないで、素敵なところを探してみて。


 母の言葉を思い出した時、エメリヤが手袋を引き抜く。ゆっくりと伸びた指先が、頬に触れた。


「だから、こんなに冷たいのか」

「あなたは、温かいですね。兄ほどではないですが」


 熱を吸うことはできないが、温かさは伝わる。エメリヤは鼻で笑い、ベッド際に腰を下ろす。指先を滑らせ、今度は手のひらで頬を包むように触れた。


「『全てを与えられている』などと言って、すまなかった。調べていると言っていた事故とは、両親のものか」


 大人しい声に頷くと、手のひらもついてくる。滑らかで、優しい手に思えた。


「ええ、そうです。当時はいくつか似た事例があったのに、両親の事故を最後に起きなくなった。カリュニシン家の惨劇が知れ渡って、皆が車軸のチェックを十分行うようになったからとも言えますが……子供心にそれが不審に思えたのです。そして車軸には、氷魔法の凍結が残っていました。警察は、折れた車軸を父が凍結で修復しようと試みたのだと判断しました。私も、当時は納得しました。でも大きくなって疑問が湧いたのです。車に詳しくなかった父が『これは車軸が折れたせいだ』などと、すぐに気づくものだろうかと」


「じゃあ、『犯人』が氷魔法で破壊したと?」

「最初はそう考えたのですが、走行中の車の、しかも車体裏にある車軸に遠方から氷魔法を当てるなんて至難の業です。そこで考えたのは、予め折れた車軸を氷魔法で固める方法でした」

「それなら確かに、融解とともに車軸は折れた状態に戻る。ただ、折れた車軸に凍結が残っているのが不自然になるな。融解は一瞬で起きる」


 そのとおり、氷魔法は一瞬で凍結して数時間持続したあと一瞬で融解する。現実の氷のようには凍るにも溶けるにも時間が掛かることはない。


「そうなのです。そこが分からなくて……だから今も探し続けています」

「それで捜査の知識があったわけか」


 穏やかに返して、エメリヤはようやく手を下ろす。表情もいくらか穏やかに、こうして見ると検事総長とよく似ている。


 エメリヤは一息ついて腰を上げ、私を見下ろした。


「あの魔法は俺を狙っていた。一応言っておくが、次は守ろうとするな」

「でも、あれがあなたに当たっていれば死んでいました」

「気にするな、俺の命は聖女様より軽い」


 諦めたような自嘲の言葉に、思わずその腕を掴む。


「そのようなことを言わないでください。あなたまで私に絶望を抱かせるのですか。何度祈っても戻らない熱を、開かない瞼を私が何度……!」


 滲んだ涙に視界が歪み、エメリヤの姿もぼやける。瞬きをすると涙が伝い落ちて、視界は再びはっきりとその姿を映し出した。


「すまない。俺は、聖女様の機嫌を損ねることしか言えないらしい」


 抑えた声で返し、温かい指先で私の涙を拭う。指先はゆっくりと離れたあと、再び手袋へと収まった。


「あなたの無事を祈っています」

「いや、それはいい。俺は神と相性が悪いんだ。今日また、一段と悪くなった気がするしな」

「私が、あなたのためにできることは何もないのですね」


 洟を啜りつつ零した私をしばらく見つめたあと、エメリヤは踵を返す。


「そんなもの、ない方がいい」


 呟くように答えて踵を返し、振り返ることなく部屋を出て行った。


 溜め息をつき、なんとなく頬に触れてみる。当然もう熱は残っていないが、あんな風に触れられたのは初めてだった。素敵なところ……ではない、何を考えているのだ。


 噴き出した冷や汗に胸を押さえ、動揺を収めるべく深呼吸を繰り返す。私は、聖女は神に娶られた存在だ。そんなものは探さなくていい。


――あなたは、どんな方と結ばれるのかしら。


 愛おしそうに私を見つめる母の視線を思い出せば、自然と胸は暗くなる。母は私が神と結ばれる日が来るなど、思いもしなかっただろう。自分のように出会い、恋をして結ばれ、家庭を築くものだと信じていた。私も。


――それでいいのか。神に命も人生も奪われて!


 久し振りに痛む胸の奥に、ベッドへもぐり込む。小さくなって膝を抱え、もう少しだけ泣いた。

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