第17話

――お母様は、お父様のどこを好きになったの?


 温かな腕に甘えながらで尋ねた私に、母は少しはにかんだような笑みを浮かべた。


――最初は、苦手だったのよ。周りは怖くて厳しい人だって言ってたし、お顔は素敵だったけど、黙っていると怒っているように見えたの。会話や行動も、うまく噛み合わなかったしね。申し訳ないけど、失礼にならないよう何度かお会いしたあとでお断りしようと思ってたわ。


 母は抱き寄せた私の肩にショールを掛けながら、深い青の瞳を暖炉の火に輝かせた。


――でも二度目にお会いした時に、せっかくだから素敵なところを探してみようと思ったの。そしたら、ふと「緊張してらっしゃるんじゃないか」って思ったのよ。一見しては、とてもそんな風には見えなかったけれどね。だから聞いてみたのよ、「緊張してらっしゃるんですか」って。そしたら、真っ赤な顔で頷いた。その時のお顔を見て、恋に落ちた。大好きになったの。だからオリナ、あなたも。


 視界がゆらりと大きく揺れ、母の笑顔が暗がりに沈んでいく。


 あなたも……なんだったか。


 記憶に答えを探りながら目を開くと、白い天井が見える。良い香りに誘われて視線を向けた先には、白い花がたっぷりと飾られていた。見覚えのある光景とこの寝心地は、自室だ。教会の。ええと、何があったんだっけ。


 体を起こすと、長い髪が肩先から滑り落ちる。不意にドアの向こうで声がして、ノックもなく開かれる。向こうに現れた職員と兄は私を見て驚き、また悲鳴のような声で私を呼んだ。



 兄曰く、私は何者かの火魔法で胸を貫かれて半日ほど眠っていたらしい。犯人は今も捜索中だが、捜査を撹乱させる目的だろう。実際、皇宮の事件捜査に参加「させられた」聖女が魔法に倒れたと民と教皇派が騒いでいる。


「まあそちらは、夕拝に顔を出せばいいでしょう。捜査には明日から復帰します」


 傷はもうすっかり塞がっているし、体調になんら変化はない。でも、と兄が不安げに零した時、遠くから荒い足音が聞こえ始める。少しずつ大きくなったその音はドアの前で止まることなく、勢いのままにドアを開いた。


 予想どおりのエメリヤは息を弾ませ、眉を顰めて私を見据える。少し待っても、最初の一言が聞こえなかった。


「お兄様、少し外してください」


 まだ不安げに私を見る金色の瞳に願い、柔らかな毛を撫でる。兄は私の手に顔をこすりつけたあと体を起こし、エメリヤの傍をすり抜けて出て行った。


「エメリヤ検事正、ドアを閉めてこちらに」


 掛けた声にはっとした様子で背後のドアを閉め、ベッド脇の粗末な椅子に腰を落とす。ぎしりと鈍く軋んだその音を最後に、部屋は静まり返った。何か言えばいいのに、エメリヤは何も口にしない。


「傷痕のことなら、大丈夫ですよ」


 思い立って肩を覆う髪を後ろへやり、ガウンの肩を落とす。一瞬慌てたようだった視線は、露わにした私の胸元を見て驚愕へと変わった。あるべきはずのものがないのだから、そうなるだろう。皇后が私と悪魔と呼んだのも、これがあるからだ。


「神力が発現した十二歳の時、私は神に娶られ人としての命を終えました。以来、神力で生かされているのです。ですから小さなケガは負いませんし、今回のような傷も時間を置けば完璧に修復されます。まるで人のように老いますが、役目を終えるまでは死にません。ですから」

「だから、俺の代わりに魔法を受けたと?」


 ようやく口を開いたが、とても納得したようにはない。再び険しくなった表情に苦笑する。これを言えばもっと機嫌を損ねそうだが、嘘をつくようなことでもない。


「いえ、あの時はそんなことは考えていませんでした。気づいたら、体が動いていただけです」

「それが聖女の役目だからか」

「いえ、そんなことも何も。でも何も考えなくても動く人間だからこそ、聖女に選ばれたのかもしれませんね」

「それでいいのか。神に命も人生も奪われて!」


 身を乗り出して訴えるエメリヤを、じっと見据える。

 でも、それが神力の真実なのだ。聖下や私を始めとした強い神力を持つ者は皆、神に選ばれてその命と引き換えに力を注がれている。文字どおり「神に生かされている」のだ。その選択に私達の意思は必要ない。でも、もし必要だったとしても、だ。


 両親を喪い兄が狼になった十二歳の私に、ほかの選択肢があっただろうか。聖女以外の道を選んでも、大人達は、国は許してくれただろうか。ありえない。


 苦笑してガウンの前立てを整え、澱む胸を整える。


「でも奪われなければ、今も多くの血が流れていたかもしれません。そう考えてはくださいませんか?」


 こう言えば、何も言えなくなるのは分かっている。私の心を黙らせるのにも、これ以上の言葉はないからだ。


 予想どおりエメリヤは黙り、苦渋の表情を浮かべる。願った結果ではあるが、心地よいものではなかった。

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