第16話

「さっき、気づいたことがあるようだったが」


 足を止めて切り出したエメリヤに、過去の蓋を閉じて立ち止まる。


「はい、タイプライターのことです。これからもう一度従者に」


 それなりに大きなロビーの片隅でも、私達の姿はよく目立つ。


「俺が行ってくるから、今日はもう休め」

 フードの前を下げる指が、ふと止まった。


「お気遣いはありがたいですが、大丈夫です。普段はもっと働いておりますし」

「なら、なおさら休め。あいにく、宮廷ここには押し掛けてくるような信者はいないしな」


 相変わらずぶっきらぼうで皮肉交じりではあったが、気遣われているのは分かる。敵ではないと理解してくれたのだろう。


「分かりました。気になっているのは、タイプライターそのものです。侍者はいつでも使えるように手入れしていると話していました。長らく使われていないのに、インクリボンを変えるほどに。そんな侍者が、Nの滲みをそのままにするでしょうか」

「なるほど、別物の可能性か。ただ『侍者が別物だと言ってます』だけじゃ、裏づけにはなるが証拠には弱いぞ」


 確かにそのとおりだ。すり替えられた本物を見つけられたらいいが、タイプライターは支給品だ。皇宮だけでも百台以上あるだろう。


「なんだか、そういうところをうまく突かれている気がしませんか。犯人は多分、自分が捕まりたくないのではない。殿下に罪を着せて裁判で有罪にするのが目的です」

「皇宮裁判部は相手が皇族だろうと手心はないからな。無罪の証拠が揃わなければ、余裕で有罪だ」

「そうでなければ困りますが、今回ばかりは障壁ですね。殿下の起訴まであと何日ですか」


 叔父の口ぶりでは、そう遠くなさそうだった。まさか殿下に自白を無理強いすることはないだろうが、黒幕が分からない以上は油断できない。


「タイプライターの証拠と犯行時刻の行動証明がないだけでも起訴はできるが、裁判で主張するには弱い。今、別働隊がほかの証拠を探しているところだろう。もう一つ証拠が見つかるか自白があれば、おそらくその日のうちに起訴される」


 出口へ向かい再び歩き始めたエメリヤに、私も続く。このまま、侍者へ話を聞きに行くのだろう。


 外へ足を踏み出すと、途端に寒風が吹きつける。風除けになってくれた兄に礼を言い、辺りを見渡した。神力に満ちていた頃には年中咲き誇っていた花や豊かな緑はなく、荒涼とした原っぱが広がっている。以前に比べれば民は皇帝や皇宮を身近に感じているが、その分畏怖や神々しさは失われてしまった。気安く皇族の愚痴や文句を言えるのは、良いことばかりではないだろう。


「殿下の弁護人は、もう決まったのでしょうか」

「どうだろうな。陛下がお声がけされているだろうが」


 頷いて、曇天の下に雪山を眺める。


――私は嵌められたようだ、オリナ。私が失脚して歓喜の声を上げる者達を探ってくれ。


「何か、胸騒ぎがします。まるで大きな渦に巻き込まれてしまったような」


 苦笑して前を行くエメリヤを見上げた時、その肩越し遠くに小さく何かが光るのが見えた。ざわりと肌を撫でる感覚に、駆け寄ってエメリヤを突き飛ばす。胸に鈍い衝撃と熱を感じたのは、声を発する前だった。


 時は急に緩やかになり、光景は大きく歪む。ゆっくりと後ろへ崩れ落ちながら、遠くに泣き叫ぶような兄の声を聞いた。

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