第13話

 初めて足を踏み入れた検察部は予想よりむさ苦しい場所ではなかったが、職員のほとんどが聖女を初めて見る者達だ。遺体の詳細な情報を聞きに検死室を訪れた時には、背後の見学者がとんでもない数になっていた。「聖女の捜査を拝見したい」とは、体の良い理由があったものだ。


 消毒薬の臭い漂う検死室は、事務作業を行う事務室と検死を行う作業室に大きく分けられていた。ガラスで仕切られた隣の作業室では、物々しい防護服に身を包んだ検死官達が忙しなく行き交っている。皇宮で起きる事故・事件の死因は毒から薬、魔法まで多岐に渡る。残されたそれらの害を防ぐためには、あれくらいの防御策が必要なのだろう。


「フードは下ろすな」


 フードへ手を掛けた私に、隣のエメリヤが不機嫌そうに言う。背後で壁になってくれた兄のおかげで彼らの目に入ることはなさそうだが、ここは従っておいた方がいい。


「はじめまして。聖下の命によりこの度の事件捜査に加わりました、オリナ・カリュニシンと申します。こちらは兄のドルフです」

「どうも、ドミトリー・オルジロフです。気高い聖女様が、わざわざこんな血腥いところまでお越しとは」


 差し出した手に応えて握り返したのは五十過ぎの室長だ。官服の前は閉じられないのだろう、収まりきらない膨れた腹にシャツのボタンも弾け飛びそうになっている。肉厚な手もフードの中を窺うような視線も、あまり心地よいものではなかった。


「ウルミナ様の精査結果は出ましたか」

「ああ、出てるよ。これだ」


 エメリヤの問いに、室長は手元のバインダーを差し出す。受け取ったエメリヤに身を寄せ、私も結果を覗き込んだ。


 死因は氷魔法で、推定死亡時刻は今日の午前一時頃。七時間の持続により高位魔法によるものと考えられる、とまとめられたところまではエメリヤに聞いたものと同じだ。


「この図はウルミナ様のご遺体と魔法痕を現したものですよね? この数字はなんですか」


 分析結果の下にはうつ伏せの人体と、胸を貫くように描かれた魔法痕の図があった。ただ、その魔法痕にはいくつかの地点に線が引かれ、それぞれに細かな数値が書き込まれている。


「魔法痕を分析したものだ。これまで起きた似たような死亡例の平均値を、ウルミナ様の条件に当てはめた場合との差を示してある。各地点での向きのブレとか強さとかな。簡易計算でも七時間だから高位魔法だろうってのは出せるが、それを証拠として提出するためにはこれが必要だ」

「そうなのですね」


 数値で解析できる魔力だからこそできる技だろう。神力は強弱関係なく一切数字には現れないから、目に見える結果が新鮮だ。


「この地点の、数字の差が大きいのはなぜですか? マイナス0.9のあと次の地点ではプラス1.4となっています。それぞれの地点で考えれば誤差かもしれませんが、連続した地点として考えると2.3です」


 気になる数値に魔法痕の途中を指差して尋ねる。これまでは概ね0.5で収まっていた数値が大きく揺れていた。エメリヤも、ああ、と気づいて視線を上げる。


「室長、これは?」

「ああ、肋骨に干渉したんだろう。お気になさらなくてもよくあることですよ、聖女様」


 室長も「素人の捜査ごっこ」だと思っているらしい。軽くあしらうような笑みを浮かべて、手を払った。


「室長、この魔法痕の波長グラフを提出してください。あと、計算上でなく『本当に』肋骨に干渉していたのかも精査願います」


 予想外の援護射撃に、驚いて隣を見上げる。私の疑問を認めてくれるのか。でもエメリヤの指示を受けた室長は、途端に顔中で不機嫌を表現した。


「遺体はもう棺に収めた」

「お手数をお掛けしますが、お願いします」


 引かないエメリヤと私を、室長は厭わしげに睨む。


「『穢れた血』が、偉そうに」


 蔑む小声に応えて、フードを下ろす。室長は、露わになった「血塗られたカリュニシン」を驚いた様子でじっと見据えた。


「重ねてお願いいたします、ドミトリー室長。もし見落としがあれば、無実の罪で裁かれる者が生まれてしまいます。この度は特に、采配を間違えれば我らカリュニシンが再び国土を血に染める事態になりかねません」


 隣に並んだ兄と揃って見据える私に、室長は縋るような視線をエメリヤへ向ける。なんとなく釈然としない反応に隣を窺うと、エメリヤは溜め息で応えた。


「いつ、提出できますか」

「明日には」

「分かりました。よろしくお願いします」


 答えて踵を返したエメリヤに倣い、私達も振り向く。途端にどよめく集団に、思い出してフードへ手を伸ばした。


「もう遅い」

 素っ気ない声に苦笑し、視線を前へと向ける。


「検察部の皆様、初めてお目に掛かります。聖下の命によりこの度の捜査に加わりました、オリナ・カリュニシンです。こちらは兄のドルス、私の護衛を務めます」


 若い者からそうでない者まで、緊張した面持ちを全て確かめながら挨拶をする。にこりと笑むと、応えた表情がうっとりと夢に漂う色を浮かべた。教会で見る表情はもっと陶酔しきったものだが、人の心が求めるものはどこでもそう違いはない。


「この度の事件は皆様の力を借りずには解決できぬこと、どうかお力をお貸しください。そしてお気づきのことがございましたら、私までお声がけください。お待ちしております」


 続けた願いに群れはあっという間に解れ、皆が居場所を思い出したかのように去って行く。


「聖女の威力は凄まじいな」

「いえ、今のは美の威力ですよ。聖下は『美は恩寵を開く鍵になる』とおっしゃいましたし、皮一枚めくれば消えるものでも使えるものは使い倒します」


 うんざりしながら返した私に、小さく噴く音がした。見上げると、エメリヤがごまかすように咳払いをする。


「じゃあ、取り調べの状況を聞きに行くか」

「はい。お願いします」


 エメリヤを追って部屋を出る前に、振り向いて改めて頭を下げた。何かを言い掛けて諦めた室長は気になったが、詫びられたところで私達の立場が変わるわけではない。この色に背負わされたものは、永遠に消えることはないのだ。祖父を恨みたいわけではないが……今はまだ、難しい。


「さっきの『穢れた血』は、カリュニシンに向けた言葉じゃない。叔父が紛らわしい口を利いたことを詫びる」


 少し前を行くエメリヤが、私を見ないままぼそりと告げる。では、と聞き返すまでもない。私達でないのなら、エメリヤだ。とはいえ他家の問題に口出しはご法度だから、これ以上突っ込むのはよろしくない。そのうち、と思ったがどうだろう。この感じだと、打ち解けるまでに教会へ帰還しそうな気はする。そうなってから、聞いておけば良かったと悔いるのだろうか。無言で寄り添う兄の毛を握り締めながら、細長い背を追った。

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