第23話

――ああ、そうだよ。宴で、父の側近達が法務大臣のことをそう呼んでたんだ。訳を聞いたら、若い頃にいつも見た目を気にして鏡を見てばかりいたからだって。


 連れ戻されたセルゲイが渋々白状した内容は、予想どおりのものだった。もちろんそれだけで叔父に絞り込むのは早いが、叔父は定期的に殿下の部屋を訪れる人物のリストに入っている。更にその執務室も、今回の補修を受けている。


「カリュニシン法務大臣のタイプライターをお借りして、侍者に確認させるそうだ。あと、事件当日夜の行動も聞きに行かせた」

「でも侍者が『これに間違いありません』と言ったところで、客観性に欠けて証拠になりませんね」


 また、うまく穴を突かれたような心地だ。溜め息をついた私に笑い、エメリヤはワインを傾ける。質の良さそうなジャケットにシャツの組み合わせは、程よく緩い。官服ではない姿を見るのは、当たり前だが初めてだ。男性と食事をするのは初めてではないが、これまでは大抵聖下やそれに近いお年を召した方ばかりだったから、どうにも落ち着かない。


「それにしても、宮廷内にこのような場所が設えられているとは知りませんでした」


 連れて来られたのは内閣府の二階にある一角で、制服姿の職員達が多く出入りしている。調度品や絵などもそれなりに揃えられた、食事に適した場所だ。出される食事もちゃんと美しい皿に盛られ、カトラリーやグラスは美しく磨かれている。


「職員同士のこういう話を街で垂れ流すのを防ぐためだろ。まあ、雑多な雰囲気が好きで街で飲む奴も多いけどな」


 確かに、通された個室には窓がなく、隣の声もほどんと聞こえない。これなら食事をとりつつの密談、なんてこともできるわけだ。聖女の私がこの衣装で座っていても、じろじろと見られることもない。ちなみに兄は、毛が飛ぶからと入り口で大人しく待機中だ。


「魔法痕の検証、惜しかったですね。もう一つ何かあれば繋がりそうなんですが」

「そうだな。魔法の優位性のように、当たり前の報告すぎて何かを見落としてるのかもしれない。戻ったら、もう一度報告書と検死書類を見直す」


 時間がない以上は、仕方ないだろう。頷いて、グラスに残る痕をじっと眺めた。


「指紋って、個人で違うんですよね」

「詳しいな。指紋と虹彩は人の数だけあると医学の授業で学んだ」


 肉を口に運び、ワインボトルへ手を伸ばすエメリヤを窺いながら思考を巡らす。


「整理魔法は、無機物有機物間では作用しないんですよね」

「ああ。それができれば、今回みたいなケースは一発なんだけどな。そもそも、もっと体系的に魔法が捜査に利用できる仕組みがあればいいんだ。今は個人の裁量に任せすぎだ」


 エメリヤは手酌でワイングラスを満たし、優雅に揺らしたあと口へ運ぶ。深い赤紫が吸い込まれるように消えていく。もうかなり飲んでいるのに、少しも酔ったようにない。


「まだ歴史が浅いですからね。それでも、捜査に魔法が利用できるようになったのは大きな進歩です」

「教皇派がそんなことを言ってもいいのか? 刺されるぞ」


 それでも、少しは酔っているのかもしれない。昼間より気さくな物言いに笑った。


 魔法が捜査に利用できるようになったのは、クーデターで教皇派が失脚したからだ。教皇派は人間と神力の繋がりを重要視しているため、人生の終わりである神聖な死や遺体と魔力を関わらせることを良しとしない。教皇派の時代には、捜査に魔法は禁忌の代物だった。


 ただその時代が終わっても、内乱のために機関はまともに機能しなかった。私が聖女になってようやく、ツァナフは呼吸を始めたのだ。


「指紋は、有機物扱いですよね?」

「皮脂だから、そうなるだろう」


 思考を引き戻し、水の入ったグラスを手にする。確証はないが、可能性はないわけではない。


「じゃあ、タイプライターから指紋だけを取り出すことができれば?」

「それなら本人と紐づけできるだろうが……できるのか?」


 エメリヤはグラスを置き、椅子に預けていた背を起こした。


「たとえば、このグラスに分離魔法を掛けるとどうなりますか?」

「水とグラスに分かれるだろうな。グラスだけなら、継ぎ目があればそこで離れる」

「それはグラスという物体に対して掛けているからですよね。範囲を、グラスの表層に限定することはできますか?」


 私の問いに頷き、エメリヤは椅子ごと私の隣へ移動してくる。手のひらをさすり合わせ、大きく深呼吸をした。集中力を高めるように目を閉じて間を置き、再び開く。グラスを見据え、指先を向けて短く唱えた。途端、ふわりと白っぽい膜のようなものが浮かび上がる。続けて整理魔法を掛けると、それはゆっくりと羽ばたくように私の元へと届いた。


「やった、おい、やったぞ!」


 エメリヤは喜びのままに私の腕を掴んで引く。見上げればすぐ間近にある顔に、揃って固まった。エメリヤはぎこちなく離れて、咳払いをする。


「他意はない」

「大丈夫です、分かっています」


 私の答えを聞き届けて、エメリヤは椅子とともに向かいへ戻って行く。残っていたワインを呷って、荒い息を吐いた。


「聞きたいことがあるんだが」

「なんでしょう」

「……いや、やめておく。知りすぎない方がいい」


 自分に言い聞かせるように答えて、エメリヤはフォークを手に取った。

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