6-60




 アリアに親の敵のように睨まれ、泣きべそかいて逃げた武蔵。

 長々と時間を使った割に成果なしである。


「これは何かしらの意思が働いた結果なのか?」


 夕焼けに染まった教室の窓際、疲れのあまり床に腰を降ろしてポツリと呟く武蔵。

 三笠の意見を聞こうとしたにも関わらず、結局話の流れは脱線してしまった。

 素直に間が悪かった、そう断言するにはこの世界は胡散臭い。

 再度三笠に接触すべきか、悩む武蔵に思わぬ返事があった。


「いや、アンタが話を引っ掻き回した結果でしょ」


「うおっ。お、おう、時雨か……どうした」


 ロボットのようにギクシャクカクカクと返答する武蔵。

 赤い夕日で強いコントラストに包まれた、黒髪の少女。

 時雨の言葉は、あまりに看過出来ない内容が含まれていた。


「どうしたじゃないでしょ。彼氏が別の女の子と長話してたら気になるっての」


「束縛が強い女は嫌われるぞ」


「だから1時間以上我慢したじゃない」


 武蔵の眉がピクリと動いた。


「聞いていたんだな」


「まあねぇー……」


 武蔵の隣に腰を下ろす時雨。


「この世界が、私とアンタの記憶の世界って本当?」


「そのはず、だ」


「私の精神が壊れて、ねえ。私はこうして、普通にしていられるわよ」


「そう、なんだよな」


 その通りだと武蔵も思っている。

 これだけ平然と受け答えが出来ているのだ、精神の再構築は既に完了しているとしか思えない。

 だというのに、世界が終わる様子はない。


「っていうか……この世界が作り物だなんて、思えないんだけど」


「そのはずは……」


 二人の肩がコツンと触れる。

 武蔵は最近、ここが記憶世界であるという確信がいよいよ持てなくなってきた。

 より正しくいえば、記憶世界であろうがなかろうが、意味がないのではないかと思えてきた。

 要するに水槽の脳だ。それが自前の視神経を通して見た景色であるか、電極を通して送り込まれた画像データであるかなど意味はない。

 目の前の現実に向き合わなければ、武蔵自身の心が保たない。

 武蔵という男は非情な行動に徹することは出来るが、非情な心に徹することは出来ないのだ。


「終わりを待ち望みながら生活してたら身が保たないわよ。現にこうして私は復活してるんだから、あとは気軽に生活してみたらいいじゃない」


「気軽に、か」


「そうそう。いつまでも気張っていることなんて出来ないわ」


 世界が終わるには条件があるのかもしれない。

 しかし改変はあれどまったく破綻を見えないこの世界に、武蔵はこれまで条件らしい条件を見出すことは出来なかった。

 世界の処理限界を突こうにも、例えば見たことのない町に行くとか、時雨から物理的に天文単位で離れてみるとか、そういったことをしたところでそれらしく演出されるだけな気がしている。

 それに、これは人工知能の人権問題にも繋がる命題だ。

 人工知能に意思はない。中国語の部屋のように、事前に用意された通りにそれらしく反応しているだけだ。

 しかし、その反応や情緒が人間と変わらないレベルまで成熟した時、その人工知能に人権を与えるべきなのか。

 三笠は人間に魂を観測したと言っていたが、人工知能に魂がないと結論付けられてはいない。

 少なくとも、何も知らされていない者は人工知能を見て魂の存在を感じ取るだろう。

 武蔵はそうだ。この記憶世界の全ての住人から、魂の気配を感じ取ってしまっている。

 モブだから殺してもいい、などとは微塵も思えなかった。


「……わかった。しばらくは気を抜いて、様子を見てみることにする」


「よろしい」


 時雨はにんまりと笑い、提案した。


「というわけで、どっかデート連れてきなさいよ。最近アンタ、女の尻を追いかけるばっかりで付き合い悪いわよ」







 高校を卒業し、武蔵達は大学に進学していた。

 かつて恋した女の子達とも道を違え、未だ一緒にいるのは時雨だけだ。

 理系の大学に進んだ武蔵は、かつて幾度か語られた夢を追う為に軌道力学や流体力学を学んでいた。

 基本的な部分は既に修学済みだが、深宇宙を目指すならばより深い部分で理解せねばならない。

 有人惑星探査を目指すならば、むしろ後者の方が重要だ。

 21世紀初頭においては、宇宙ステーションはあっても月面基地はなかった。

 技術的には可能であったが、当時のロケットの性能や予算、政治的都合という問題点から後回しにされていたのだ。

 その問題の一つが、月面基地は宇宙ステーションより技術的に困難が多いという点である。

 無重力で真空状態の宇宙は、これはこれで気楽な環境なのだ。

 微重力で星によっては有害な大気を持つ月面基地の類は、宇宙ステーションより考える要素が多い。

 大気のみならず、地盤の流性なども考えねばならない。

 なにより、流体力学は未解明問題が残っているのだ。

 現状は近似値で茶を濁しているが、より優れた宇宙探索を行うには研究課題が残っている分野なのである。


「でも、宇宙飛行士になったらどこに行くの?」


「それは宇宙機関が決めることだ」


「リクエストとかは?」


「出来るわけないだろう……」


 大学の教室にて、同棲を始めた二人は将来について話し合う。

 中学からの付き合いの二人も、この年頃となると将来について真面目に相談せねばならない。

 とりわけ、武蔵の進路希望については慎重に語らねばならないことが多かった。


「今の宇宙飛行士、星間航行士はかなり実力勝負だ。学歴とか問われず、応募からの試験でとにかく振り落とされていく」


 学歴不問、なんなら中卒でも可。それが今の宇宙機関のスタンスだ。

 しかしその倍率は数千倍。アイドルになるより困難といえる。

 あらゆる知識からコミュニケーション能力まで求められる宇宙飛行士は、まさにエリート中のエリートと言える。


「いきなり応募するの?」


「いや、まずは民間パイロットとして経験を積む。実のところもう話は貰ってるんだ」


「えーっ……企業側からスカウトとかずるくない?」


「エアレーサーとして成績を残して部長やって、学業でもそれなりの成果を残してきたんだ。むしろ来なければやる気がないとしか思えない」


 昔から要領のいい武蔵だが、それでも悩むことはある。

 時雨とのこれからだ。


「時雨、俺と結婚しろ」


 変に回りくどいことを言っても仕方がないと判断し、武蔵は自分の要求を突きつけた。


「そういう時は跪いて結婚して下さい、でしょ」


「俺がそういうキャラに見えるかよ」


「協調性がないと宇宙飛行士にはなれないんじゃないの?」


「強引なのが嫌いじゃないというお前の趣味に強調した結果だ」


「いや別に、普通に紳士的なのが好きなんだけど……」


 二人は無言で争っていた。

 ここで下手に出た方が結婚後尻に敷かれると、なんとなく理解していたのだ。

 「いやープロポーズされちゃったから仕方がなく一緒になってあげたんだしー?」とか言われると直感していた。

 結婚したからには互いに伴侶へ永遠の愛と忠誠を誓う覚悟はある。

 あるが、それはそれ、これはこれだ。

 その程度には互いの絆を確信しておきながら、これである。


「じゃあ同時にプロポーズするぞ。それで公平だ」


「そうね。いいわよ。じゃあいっせーのーで、で言うわ」


「わかった。同時だぞ。言わなかったら軽蔑するからな」


「わかってるわ。私達の仲でしょう。裏切りはなしよ」


「「いっせー、のーで!」」


「…………。」


「…………。」


「「言えよ」」


 その後、手紙の交換、モールス、二人ねるとん、婚前旅行と激戦の末に、武蔵と時雨はようやく結婚したのであった。






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