6-59




 かつて、雷間高校と鋼輪工業が統廃合するという話があった。

 校舎の施工ミスだか老朽化だかが理由であったが、その結末を武蔵は見ていない。

 未来世界に来てすっかり忘れていた事柄であるが、その話がこの記憶世界においてまさかの再浮上である。

 こともあろうかこの記憶世界においては、その統合が武蔵達の入学と同時に行われることとなっていた。

 ここに来て露骨な設定変更。髪の毛が理不尽に伸びることはないくせに、学校という数百人の歴史はあっさりと激変である。

 しかも、しかもだ。

 学校見学に行った際、武蔵はその校舎を見て呆れ返った。

 武蔵は鋼輪工業の校舎に入ったことがある。大まかな構造は把握していた。

 だからこそ判った。2つの高校の校舎が、デタラメに融合しているのだ。

 学校の統廃合ってそういうのじゃないだろ、という感じである。

 さすがに記憶世界というべきか。今までも夢のようないい加減さを感じることはあったが、これはとびっきりのデタラメである。

 むしろ、明晰夢だとすればこれまでの1年が妙に破綻がなさすぎた、ともいえる。

 まるで途中までそれなりにしっかりバグ取りされていたゲームが、洞窟を抜け台地に突入した途端に難易度急上昇によって小学生大号泣みたいな事態である。

 些か作為的なものすら感じる路線変更。ラブコメ漫画がバトル漫画になるような違和感。

 しかしゲームキャラでしかない武蔵に出来ることなどなく、必然的に彼等は同じ高校に進学することとなった。







「ごめんなさい」


 アリアに振られた武蔵は意気消沈であった。

 記憶世界においてハーレムを形成することに意味があるかは疑問符がつくが、ここで怠ければ大いなる野望に対して己が信念を否定することになりかねない。

 大きな目標を持つものは、常に全力投球でなければならないのだ。

 そして学校に多数いる美女美少女に対して全力投球を続けた武蔵は、全て暴投を繰り返したのである。

 武蔵がかつてハーレム入りに了承を取り付けた少女達も、例外なく「ごめんなさい」。

 安全牌であるはずのブラコン信濃まで「ごめんなさい」。

 ハーレム願望が粉砕されるような気分であった。


「よしよーし、たいへんでちゅねー」


 入学後、部室船の一室にて。

 赤城は秋津島より広く、密談の為に個室を探すのも容易い。

 武蔵と時雨はそんな部屋で、こっそりと密談していた。


「むさしくんは頑張りまちたよー。えらいえらーい。ゆうき出せまちたねー?」


 赤ちゃん言葉で最高に馬鹿にしてくる時雨に、しかし唯一の恋人とあって泣きつくしかない武蔵。

 現状縋る相手が自分しかいないからこそ、時雨もこんな態度で武蔵を挑発出来るのである。


「その話し方やめろ」


「はあ。今の時代、ハーレムなんてナンセンスでしょ。別に武蔵の家が大富豪ってわけでもないんだし」


「そんな意見は聞きたくない。愛だ。愛さえあればハーレムも許される」


「許す許さないで語ってる時点で罪なのは自覚してるんじゃないかなあ」


「俺は諦めないぞ。そこに法律の抜け穴がある以上、きっと未来は夢に繋がっている。そう、青空が無限に続くように、俺の夢もこの青空の先にあるんだ」


「このツッコミ何度もしてる気がするけど、コロニーの空は無限に続いてないから」


「閉じた宇宙だ。有限だが果てはない。空も宇宙も本質的には変わりない」


「この有限で狭い空の下に、武蔵の幼稚な願望を受け止めてくれる人がいればいいね」


 そんな奇特な女現れるわけねーだろバーカ、という内心をまったく隠さない上っ面の慰めであった。


「武蔵にはこんなに可愛い恋人がいるっていうのに……ハーレムなんて罰当たりよ」


「簡単に諦められる夢なんて夢じゃない」


「普通に考えてハーレム受け入れる女の子なんていないでしょ。寝言は夢の中で言ってくださいねー」


 あっけからんとあしらう時雨。

 何気なく言ったその言葉に、武蔵こそがキョトンとさせられた。


「な、なによ急に黙って」


「いや……」


 武蔵は一つの可能性に気付いてしまった。

 ハーレムを受け入れる女性なんていない。

 まったくもってその通りだ。仮に武蔵が逆の提案、即ち逆ハーレム要員の一人になってほしいと言われば、到底受け入れられない。

 当然過ぎる話であるし、武蔵もその点について考えが及んでいなかったというわけでもない。

 ないが、それでもゴリ押しでなんとかしてしまったという悪しき前例持ちである。


「夢、夢……か」


 明晰夢などという単語があるのだ。明晰でない夢だってある。

 そして、そういった夢はどれだけ非現実的なことが起きてもそれが夢だと気付けない。

 現実と認識しているから、夢は現実に等しい。

 前提を疑うのは酷く難しい。答えを出そうと思ったら問題が間違っていた、なんて最低の問いだ。

 武蔵は前提を疑う機会を得た。

 そして、こう考えたのだ。

 今までの長いループ世界こそ、夢だったのではないかと。


「…………。」


 無言となる武蔵。

 考えれば考えるほどどつぼにはまる類の思考であった。

 反証はある。この記憶世界が現実ならば、初対面であったアリアや妙子と遭遇出来ているのはある種の『未来予知』となってしまう。

 しかし現実問題程度問題としては、UNACTの出現や世界の滅亡、時間のループのほうがよほどトンデモ話だ。

 予知となってしまっている部分は武蔵の精神疾患が補完しているだけ、といったほうがよほど現実的である。

 武蔵はこの世界において、極端な行動をとれなかった。

 どう言い繕おうとこの世界のリアリティは現実に遜色なく、武蔵は常識を脱した行動を躊躇っていたのだ。

 この世界で生活を初めて、武蔵自身も気付いたことがある。

 彼は存外、ループする世界に疲れていたらしい。

 残り少ないリソースを奪い合い、爪に火を灯すかのような絞り出した戦力を投じての大気圏降下作戦。

 数々の交渉と闘争の果てに辿り着く、亡霊戦艦という埒外の怪物との戦い。

 さもありなん。徹底した合理主義者として立ち回る武蔵だが、人命を軽視した作戦に何も思っていないわけではない。

 絵に描いたような平和。今や歴史の上にしかない豊かな生活。

 重火器を向け合う野蛮人も遥か遠くの地上にしかおらず、恒常的な生活環境が保証されたセルフ・アークは安泰だ。

 この巨大なゆりかごにおいて、武蔵は久方ぶりの安楽な日々を得ていた。

 だからこそ、思ってしまうのだ。

 あるいは、今までのことこそ胡蝶の夢だったのではないかと。


「むうっ……」


 武蔵は唸った。

 そっちのほうがしっくりくる。未来世界など馬鹿馬鹿しい。

 くだらない少年向け漫画ではないのだ、女性側がハーレムに加わることを了承するはずがない。

 なにより宇宙怪獣とはなんだ。特撮だってもう少し説得力のある設定を作る。

 何もかもが嘘。でっちあげ。勘違い。

 それが合理的だった。

 武蔵は不安にかられた。地盤が揺らぐような、根本的な不安だ。

 こういう時に頼りになるのは誰だろうと考え、武蔵は苦笑した。

 この世界が時雨と武蔵の記憶で構成されているのならば、登場人物も同様だ。

 二人が知らない情報は出てこないし、二人に思い付かない展開は生じない。

 ―――しかし、あるいは。

 時間は年単位であるのだ。試行錯誤の猶予はあった。

 武蔵は統合したことで土地勘を半ば失った校舎を歩き、ある人物を探すことにした。







「誰だ貴様は」


「頼みがある」


 フランス人形のような―――などと対岸の文化に例えれば激怒するであろうが―――西洋風の容貌の少女は、武蔵野不躾な言葉に嘲笑した。


「無礼者に語る口はない。やはり知性や品性は遺伝子的要因が強いようだ。劣等人種としての分を弁えることだな」


「ちょっと手足を切断させてくれ」


「やはり極東の猿は……ひいっ!?」


 少女……三笠はドン引きして飛んで逃げた。

 ゴキブリのようにカサカサと四つん這いの逃走である。


「なんだこいつ!? 本当にイカれてやがる!」


「切断は言い過ぎた。すまん」


「そ、そうか。まあそうだな。聞き間違いの類だろう」


「少し皮を剥がすだけでいい」


「もうやだこいつー!?」


 経験の差が如実に出ていた。

 初対面状態の三笠と、対三笠対応を熟知した武蔵。

 武蔵は知っていた。三笠と話す時は、相手のペースなど考えずマイペースでいるべきだと。

 全力でぶつかれば全力で反発してくる奴である。遠慮は無用だと。

 ただ、流石に気の緩んでいた三笠に武蔵の打撃は辛いものがあった。

 当初ナチュラル差別に武蔵を虐めていた三笠も、レベルアップした彼を以てすれば戦国無双である。

 泣きべそをかく三笠の周囲でカバティカバティである。

 3人に分裂して見るほど灼熱しているキャントにアリアがスーパータックルである。


「あばーっ!?」


「この変態、ベスを虐めるなあぁーっ!」


 三笠よりは身長があるとはいえ、やはりチビッ子の西洋風少女その2。

 アリアの突撃により武蔵は吹っ飛ぶ。

 彼はここに、史上初の水平飛行での虫速突破を果たした。

 気分はチェック・イェーガーである。


「ようアリア、俺を振って以来だな」


「何を平然と! 今、ベスに何をしていたのですか! 変態! 変態!」


「ち、違うぞ。私はエリザベスではない、他人の空似だ!」


 わたわたと手を振る三笠。

 どうやら他人と主張する設定は生きているらしい。


「三笠、聞きたいことがある」


「この流れで許すと思いましたか!? 馬鹿なんですか!?」


「お前とこのコロニーに関する、重要な話だ。意味は判るか?」


 その言葉を聞き、ふっと表情を消す三笠。

 自然眼光が鋭くなり、武蔵を正面から見据える。


「貴様―――何を知っている?」


「お前の意見を聞きたい。付き合え」







 二人が向かったのは部室船赤城の見張り台であった。

 密談可能なほど人口密度が低く、それでいてアリアが双眼鏡で監視可能な場所。

 両者の同意見から除け者にされたアリアは、今は物理的な圧力を側頭部に感じるほどに熱視線を30メートル遠方より向けている。


「ここはひとつ、遠近法でキスしてるフリをして、アリアをからかうってのはどうだろう」


「一人でやっていろ」


「よかろう」


 三笠に触れようとしつつも目の前に見えない壁があって触れないというパントマイムをする武蔵。

 三笠は眼前の透明な壁にドンドンと拳をぶつける男を見て思う。

 これに付き合う自分は偉大であると。


「いい加減にしろ。貴様は何を知っている。全て話せ」


「全てとなると多すぎるんだよなあ……」


「全てだ。最初から全て話せ」


「いや本当に長いんだって」


 それから一時間後。

 長い長い語りを終えた後、三笠はこう言った。


「流石に長い。要約しろ」


「理不尽!」


「つまりなんだ。ここはお前達の記憶で構築された世界であり、私は虚構のモブということか」


「そうだ。その上で訊きたいんだが、ここでのお前の設定はどうなっている。お前はアンドロイドなのか。オリジナルのエリザベスは死亡していて、宇宙生物はここに担ぎ込まれているのか」


 三笠は真っ直ぐな目を武蔵に向ける。


「なんかやる気なくなった。もうどうでもいい。裸で町内闊歩しようかな」


 三笠は人生の生きる気力を失った。


「自分を見失うな! お前はお前だ! お前は今ここにいる! まあノンプレイヤーキャラだけど!」


「励ますか絶望に落とすか決めてから言え」


「我思う、故に我あり、だ。お前は今ここにいる」


「だが哲学的ゾンビなのだろう? 貴様の視点では流暢に返事をしているように見えるが、実のところ我の中にクオリアはない」


「ここまで完璧に会話出来てると、もう一個人として成立していると言えると思うがな」


「貴様の言葉を正しいと仮定すれば、貴様の見ていない時間、我は存在していない。我が生まれたのは、貴様が2時間前に我を訪ねてきた瞬間だ。その瞬間にそれまでの記憶と感情を再構築した我がこの世界に生まれ落ちたのだ」


「量子力学みたいだな」


「アインシュタインの苦杯か」


「にしても生後2時間と聞くと背徳的だ。オギャーと泣け」


「おぎゃー。ははっ」


 三笠の目は死んでいた。

 これほど覇気のない三笠を武蔵は初めて見た。


「赤ちゃんなら服はいらんだろう。服を脱げ」


「そうだな。どうせ我など虚構の存在だ、恥など不要か……」


 いそいそと制服を脱ぎ始めた三笠。

 武蔵は正座でわくわくテカテカ待っていると、アリアが殴り込みをかけてきた。

 無言のライダー蹴りである。


「待て。俺は強制していない。こいつが勝手に脱いだだけだ」


「お前は敵です」


 転げた武蔵の三笠の前に立ち、両手を広げガードするアリア。

 完全に敵認定された武蔵であった。





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