6-56



「――――――。」


 いったい、何ヶ月ぶりであろうか。

 こうして生きて、動く彼女を見るのは。

 艷やかな黒髪。生気溢れる健康的な色の肌。

 驚愕に目を見開く武蔵を見て、時雨は不思議そうに見つめ返す。


「どしたの? 私が可愛いからって、そんなに見ないでよ」


「あ、ああ。そうだな。時雨はとっても可愛いな」


 ぎこちなく答えてみせると、時雨は気味が悪いものを見たかのようにあとずさる。


「え、なに? 変な物でも食べた?」


「……どうだろうな」


 武蔵は教室から一歩出て、現在の学年を確認した。

 2年生。季節はいつ頃だろうと考え、面倒になり時雨に確認する。


「時雨。今日は何月何日だったっけ?」


「5月21日だけど……ねえ、ほんとにどうしたの?」


 訝しげに武蔵の顔を覗き込む時雨に、武蔵こそ困惑する。


「どうしたって、何がだ」


「なんで急に、私のことを名前呼びするようになったの?」


「……この頃は名前で呼んでなかったか? まあ、気にするな」


「えぇ……あんた、理屈っぽいようで、結構適当な性格してるわよね」


 武蔵は自分がかつてどのような性格だったかを思い出そうとするも、どうにもピンとこない。

 中学生の頃はあまり精神的に余裕がなく、ひたすらストイックに競技に打ち込んでいた。

 いっそ、未来世界の方が悠々と過ごしていたかもしれない。

 武蔵達は自然と横並びになり、部室へ向けて歩く。


「今日は部活は?」


「なんで他人事みたいに言ってるのよ。普通にあったから。サボったあんたを迎えに来てあげたんでしょ」


「2年生の5月というと、疾風の修理が終わった頃か」


「あれ、知ってたの? 気にしてないと思ってたけど、実は気になってたり?」


「それなりには」


 これは一度未来を経験しているからではなく、当時から変わりない事柄だ。

 国籍メーカー問わず部品をかき集めての修理は、当時の武蔵としてもハラハラさせられたものだ。

 構成パーツの中には航空機用ですらなかったり、家電製品から部品取りした箇所すらあったのだ。

 それでもハカセならなんとかしてみせるのだからタチが悪い。


「火力特化のバランスが破綻したセッティングだったな」


「いやどんだけ興味津々なの。ひょっとしてそれなりにライバル視?」


「まっすぐ飛ぶんだろうな」


「フライ・バイ・ワイヤを自作したから大丈夫!」


「……そうか」


 この頃はまだ、時雨がプログラミング方面について天才的な能力を有していると知らなかった。

 いっちょレストアしたての疾風を見にいったるか、と考え、武蔵は愕然としたものだ。

 懐かしくなり、はたと我に返る。

 何をこの時代に馴染んでいるのか。自分は時雨を見付ける為に、彼女の記憶に介入したのだ。


「―――時雨。UNACT、って知ってるか?」


「アナクト? なにそれ、なんかの会社?」


 白を切っているのだろうかと彼女の顔色を伺い、すぐ気付く。

 未来世界でまともに活動していない彼女は、UNACTという名詞を知るはずがない。


「今は何年だ?」


「ちょっとどうしたの? タイムスリップでもしてきた?」


「似たようなものだ。今年は2043年で合っているか?」


「そうだけど。西暦2043年、中学2年生の13歳独身」


「既婚だったらビックリだよ。いやこのコロニーが独立国家になれば中学生の結婚も可能になるが」


 セルフ・アーク独立に際し、婚姻に関するあらゆる成約は解除される。

 とはいえ可能というだけで無条件ではない。仮に中学生が結婚しようとすれば、保護者の同意や家庭裁判所や精神鑑定といった相当な手順を求められる。

 まったく現実的ではない、という程度には無茶だ。

 それでもハーレム婚よりはハードルが低いのだが。

 13歳と聞いて、武蔵はジロジロと時雨を見た。


「子供だな」


「……本当にタイムスリップしてきた?」


 時雨の過去の精神を再現するというのならば、現状を見る限り、それは既に達成されている。

 やや若返り過ぎではあったが、時雨は見事に正常な精神状態として目の前にいた。


「いや、まだ完璧ではない、のか?」


 この世界は世界滅亡の2年前。

 武蔵達がORIGINAL UNACTが取り込まれた時、時雨の時間は停止した。

 そのタイミングこそ、武蔵達が得ようとした、在りし日の時雨そのものだ。

 記憶を追体験して、彼女を取り戻すということは―――


「ここで2年過ごせってこと……なのだろうか?」


 武蔵は目眩を覚え、思わず廊下で立ち止まった。

 不思議そうに振り返り、武蔵の顔を覗き込む時雨に「立ちくらみだ」と誤魔化し、再び足を進める。

 かつて生きた、中学から高校にかけての2年間を再度繰り返す。

 その労力の大きさはさておいて、そもそも完璧に同じ状況へ持っていけるかも疑問である。

 目標が鋼輪工業に進学した高校1年生の時雨を作り上げることならば、それは容易く覆る未来だ。

 時雨を別の学校に進むように促せばいいし、なんなら殺してしまえば即座に追憶体験は破綻だ。

 殺すのは極論だとしても、蝶の羽ばたき一つで、2年後の時雨は如何様にも変わってしまう。

 果たして武蔵は積極的にかつて経験した現実の2年をなぞるべきなのか、それとも所詮は記憶の中、何をしても現実に即した修正力のようなものが働くのか。


「どうしたものかね……」


 武蔵は時雨の横顔を見た。

 やや幼いが、やはり美人。

 愛おしいと思ってしまう。


「どうしたもんかねぇー……」


 武蔵と時雨が交際を始めたのは今年の終盤だ。

 未だ新学期。4分の3年ある。

 今すぐ押し倒したい。

 手を握り壁に追い詰めて愛を囁きたい。

 そんなことをすれば、完全にキャラ崩壊だ。

 いや、それ以前に片思いでやれば性犯罪者だ。

 男性側からの強引なアプローチが許されるのはイケメン特権なのだ。

 ギギギと歯を食い締める武蔵に、時雨は流石に訝しむ。


「さっきからどしたの?」


「人生のままならなさを噛み締めていた」


「なにそれ。中間テスト前でダウナーってる?」


「時雨、髪を切った方がいいんじゃないか?」


 武蔵は唐突に仕掛けることにした。

 攻撃のコツは初期動作を見破られないことである。


「え? なんで? 伸びてる?」


「パイロットはあまり髪を伸ばさない方がいい」


「えーっ? でも、先輩とか普通に髪長い人いるじゃん」


 渋る時雨。それは当然だ。

 彼女の髪は立派な黒髪ロング。ここまで伸ばすのも大変であった。

 それを切れというのだから、この男、まさに無粋である。


「それは……正直それがこの学校の空部の程度というだけの話だ。ガチ系の空部では、髪を短く切るように指定することも多い」


 嘘である。


「どうして髪を短くすんの?」


「脱出装置の兼ね合いとかだな。射出座席で飛ぶ時に、頭皮が剥がれて大怪我とかしたくないだろう」


 大嘘である。

 ゼロゼロ技術射出座席はそこまでいい加減なシステムではない。


「そりゃ嫌だけど……短くした方がいいのかなぁ」


「俺としては強くおすすめする。強要はできないが、安全上は必須と言っていい」


 爆大嘘である。

 この男、あの手この手で時雨の髪を切ろうと画策している。

 武蔵はこの異常事態において、検証実験を行おうとしていた。

 果たしてこの世界、どうあがいても武蔵の知る2年後に到達するのか、それとも武蔵が積極的に進路修正しないと歴史が変わってしまうのか。

 それを確認する一助として考えたのが、時雨の髪を切らせることであった。

 先程は極論で殺すと表現したが、ようするに取り返しのつかない方法であればいいのだ。

 時雨の髪は腰辺りまで伸びている。これをバッサリ切れば、30センチは短くなるだろう。

 髪が伸びる速度は一年におよそ12センチ。

 タイムリミットの2年後では、どうやっても元に戻らないのだ。

 最も手軽な取り返しのつかない行為であり、同時に時雨の人格再現への影響が最小限となる行為。

 それが断髪だと、彼は考えたのである。

 もしこの世界に不可思議な修正力があるならば、時雨の髪は切った翌日にでもロングに戻っているのかもしれない。

 武蔵としてはそうなっていて欲しいところだ。

 この世界に修正力がなく、自由気ままに世界が変遷していくとすれば―――武蔵はこれから、かつての時雨を再現すべく四六時中演技せねばならなくなる。

 武蔵のメンタリティーとて常に変化しているのだ。自他共に痛々しい切れたカッターナイフ状態の自分を演じるのは苦痛であった。

 武蔵は恥じるように言った。


「それに……俺は短髪の女の子、好きだし」


 核爆極大嘘である。

 ハーレムを築かんとする彼は、恋人達の髪を意図的にバラけさせてコレクター心を満たすというゲスな思考を実行している。

 ロング、ショート、ミディアム、金髪や黒髪、おかっぱ風にウェービー。

 キャラ被りをしないように、日頃から誘導し続けた成果であった。

 つまるところ、武蔵は時雨の黒髪ロングヘアーも大好きである。


「じゃ、じゃあ……思い切って切ってみようかな」


 指先で長い髪をもてあそび、照れた様子で身を捩る時雨。

 その仕草が妙に官能的で、ふと武蔵は思い出す。

 そういえば、そういう経験もまた、彼女と共に覚えていったのだと。

 武蔵としては今すぐ物陰に連れ込んでもいいのだが、相手はまだ中学2年生だ。あまり無茶は出来ない。

 武蔵は溜息を吐き、実験結果を待つことにした。








「ただいまっと」


 記憶世界で初めての帰宅に、武蔵は自身で意外なほど浮足立っていた。

 自分の心の正体に困惑し、すぐ得心する。

 武蔵は嬉しいのだ。記憶世界の中とはいえ、長らく帰ることを渇望してきた場所に帰ってこれたことが。

 未来世界の自宅もまったく同一の家なのだが、100年間の老朽化は否めない。

 玄関の雰囲気、床の傷跡、細かな調度品。

 その全てが、過去の自宅を基準に構築されている。


「こうして帰って来るのは何年ぶりか」


 主観時間では既に、あの大会から1年以上経っている。

 度々ループでごく短時間のみ帰還していたが、あの深夜の目覚めからの一連の行動はあまりに忙しくて懐かしむどころではない。

 ゆっくりと見渡すと、やはり未来世界の自宅とは色々と違うことが伺える。

 しかしその全てがしっくりと馴染み、武蔵は帰ってきたのだという実感に包まれた。


「中学生の頃の自宅なんて、そんな詳細に覚えてるもんかね?」


 自分の頭をコツコツと叩き、武蔵は考える。

 昔の自宅と言わず、今現在の自宅すら思い返そうとすれば曖昧になる。

 だというのに、武蔵の目の前には『正解』の光景が広がっている。

 それは


「お兄ちゃん? おかえりなさい」


「ちっちゃい信濃テラカワユスひゃっはー!!」


「きゃあっ!?」


 武蔵は信濃に抱き着いた。

 双子の妹なので信濃は同い年だが、時雨のように発育のいい娘と違い信濃はむしろ小柄な少女だ。


「よーしよしよしルールールー!」


「お兄ちゃんおヒゲ痛いよぉ」


「いやまだ生えてないし」


 頬すりしてくる武蔵を引き剥がす信濃。

 家庭内の家事炊事その他諸々、既に妹に依存している駄目兄貴である。


「お兄ちゃん、中学になったら彼女作るって言ってたでしょう? もうっ、妹じゃなくて彼女さんに甘えなよ」


「……当時の俺、そんなこと言ってたか?」


 ぷんすかと頬を膨らませ立ち去る信濃。

 年頃なのかなと切なくなる武蔵であった。


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