6-55
護衛艦秋津島の医務室は、本来の衛生員は追い出され奇怪な装置に占拠されていた。
巨大な医療用カプセルに始まり、寄せ集めたかのような煩雑な機械、そして少女のスプラッター死体。
統一性のない医務室内の様相は、見る者に困惑を強いる。
より詳細に説明するとすれば、室内の登場人物は5人だ。
武蔵、チビ三笠、由良まではまだ普通だ。
残りの二人は謎のスプラッター死体、そして医療用カプセルに収まった長い黒髪の少女―――時雨。
武蔵は備え付けの寝台にベルトで固定されている。さながら人体実験の直前であり、本人もまた目が死んでいる。
死体は武蔵と添い寝している。武蔵はこれほど嬉しくない女性との添い寝を初めて経験した。
チビ三笠は所詮立体映像、自身で作業出来ないので、由良がせかせかと働いている。
この時代に珍しい初見の電子装置に、由良といえど四苦八苦である。
時雨については未だカプセルの中。慎重に解析した末に蓋は開いたが、未だ目は冷めていない。
都合、武蔵と死体と時雨が川の字になっている。
「時雨も仮死状態なんだから、実質死体に挟まれた両手に花状態だ」
「そうだろう嬉しかろう」
「時雨さんは―――死んでいません」
たまらず由良が言った。
世界一物騒な鋼鉄の棺に収まっていた眠り姫は、王子様のキス程度では目覚めない。
彼女の脳は既に正常な演算を行えていない。主観時間で600年間も『人間の脳』として使用されなかったニューラルネットワークは、既に人体を動かせるようには出来ていない。
この眠り姫―――時雨を目覚めさせるには、彼女の脳が壊れる前の状態に戻す必要がある。
やることは簡単だ。現状から過去の状態を計算し、脳細胞を再配列する。
大人の様子を見て子供時代を想像する、それを限界まで高精度で行うようなもの。
鈴谷を検体とした実験では、確かに彼女の意識の逆行が行われた。
しかしこの技術は、活発な脳波が検出出来なければ行えない。
つまり、意識がある状態のみで使用可能なのだ。
眠り姫状態の時雨に使うには、一つ工夫が必要だった。
それが、時雨の脳細胞から読み取った電気信号を他者と共有し、意識の呼び水とすることであった。
充分な検証は行ったと主張する三笠であるが、事例が極めて少ない治療であることも間違いない。
ここで武蔵がリスクを犯すのは馬鹿らしいことなのもかもしれない。。
だが、世には乗るか反るかの2つしかなく。
武蔵は、乗ることにした。
「優しくしてね」
ふざけた様子で武蔵が言う。
「頭蓋骨を貫通する赤外線照射といわず、脳に直接電極刺してやろうか」
「やめて」
記憶の書き換えといえば安全そうに聞こえるが、ようするに脳細胞を焼切り、刺激してつなぎ直している。
「むしろ開頭した方が安全なのだ」
「……必要ならやれ」
「ああいいぞ、その感情と理性のせめぎ合った顔。手術室でならともかく、こんな船での開頭手術などさぞ恐ろしかろう。お前の脳味噌はどんな色なのだろうな」
三笠はニヤニヤ顔で武蔵の頭をペチペチ叩く。
このノリで脳みそ触られるのはとても嫌である。
「心配するな。直接の方がいいとはいえ、リスクに大差はない。我も貴様の脳味噌など見たくない」
「は? ざけんな、俺の脳味噌になんの不満があるっていうんだ。眼福だろうが!」
「うわぁ……―――」
基本武蔵の言動を肯定的に捉える由良がドン引きした。
脳味噌直視して喜べる趣味があるほど彼は特殊ではない。
「ではやはり御開帳するか? 感染症のリスクとイーブンだが、それはそれでアリだぞ?」
「御開帳とか言われると途端に嫌になるな」
「イヤホンでもマウスでも電話でも情事でも、玄人はやはり有線を好むものだ」
「無線情事は―――むしろ玄人向けでは―――?」
「由良ちゃんも、今日はキレッキレだぜ」
三笠は肩を竦めた。
「やれやれ。双子は御開帳どころか大切な部分を全ヌード公開したというのに」
「脳味噌摘出をエロっぽく言うのやめようか」
「男というのはこれだから意気地がない。日本男児など最初からどこにもいないのだ」
「さすが、精神年齢600歳のババアの言うことは貫禄があるな」
三笠は武蔵の額をグリグリと指で突く。
「口を慎め。貴様の脳味噌をポジドライブドライバーでファックされたいか」
「すきものめ。いつかお前の生殖機能が本当に生きているか動作確認してやる」
「我の精神年齢はたった400歳だ、間違えるな」
由良は600年も400年も大差ない、と指摘するのを堪えた。
この小さな化け物相手に喧嘩をする度胸は彼にはない。
「悪趣味に次ぐ悪趣味だが、極めつけはこれだ」
武蔵は視線でバラバラ死体を示した。
「これとはなんだ、これとは。可愛い女の子だろう」
少女のバラバラ死体に見えるそれは、三笠の義体であった。
全身の筋肉、圧電素子アクチュエーターを外した残り、つまり義体の残骸である。
筋肉がないので動けないが、それでも動力や演算装置は生きている。元来搭載されている人間の脳とアクセスするための電磁波照射装置は残っているのだ。
「また脳味噌焼かれたりバックアップ復元されたりするのか……」
過去幾度か時雨の脳へのアクセスを試みている武蔵であるが、その如何は不明だ。
完全にどうしようもなく失敗したのか、それとも惜しいところまでは行ったのか、それすら判らない。
ただ、最終的に脳が破壊され、バックアップから復旧したということしか判っていないのだ。
「そもそも可能なのか、この他人の記憶を追体験する技術って。記憶というか、映像って認識すらなかったんだが」
「健常者による臨床は成功している。この技術の基礎は頭部が繋がったシャム双生児が、個別の自我を持ちながら意識や感情を共有していたという研究結果から端を発している」
「……ええっと。人間の脳の記憶フォーマットは共通、ってことか?」
「ある程度は、だが」
もう少し解りやすく話せと訴える武蔵に、三笠はやれやれと肩を竦める。
「よくある疑問だろう。赤い花を見た時、その『赤』という色は本当に他人と同じ色なのか。情熱的な色、炎の色、血の色、どれだけ表現しても、自分にとって赤く見えている色は、他者にとって青なのかもしれない」
「だが違ったんだろう? さっきのシャム双生児の話から考えるに、色の認識は万人共通って見解だと理解したが」
「いや、色覚異常や錐体細胞の個人差がある。色は万人共通ではない。ある程度の方向性は共通だが、個体差、個人差がある以上は直接的な記憶の移植は出来ないのだ」
「色味の差がそんなに重要なのか?」
「色程度の誤差ならどうということはない。だがファイル形式が違うのだ。拡張子が一人ひとり違う上に、圧縮方式も若干違う」
「ああ、面倒くさい奴」
「そうだ。ガラパゴス携帯の頃は、そういうことがよくあったものだ」
武蔵と由良は首を傾げた。
「ガラパゴス……なんだそれ?」
「島の名前では―――ありませんか?」
三笠は愕然とした。
ガラパゴス携帯は2045年時点で完全な死語であった。
「と、ともかく。だからこそ、他者の記憶の閲覧は不可能と思われていた。だが、先程の双子の……いや、ここは如月姉妹の方が明確だな。あいつ等のように、他人同士で記憶や情報の共有が可能な事例があったのだ」
そう考えると、なるほど如月姉妹は脳医学的にとても貴重なサンプルだ。
つい脳味噌取り出されてしまうわけである。
「人はそれぞれ異なる記憶形式を持つが、同時に共通のパルスパターンを持った識域も存在することが明らかとなったのだ。そこを探り当てれば、人は他者の記憶の海にダイブできる」
「つまり、他人の脳に入り込む入り口があると?」
「なんて残念な理解なのだ。これだけ説明して、結局それか。失望を禁じ得ない」
諦めたように項垂れ、作業(と言っても監督役だが)に戻る三笠。
しかし武蔵としては気になることもあったので、会話を続行する。
「どうにもピンとこないんだが、一つの入り口から入って、脳の隅々まで走り回れるものなのか?」
奇妙な説明をされたからか、武蔵は脳を国家のようにイメージしていた。
港から入国し、国中を調査する旅に出る。
自動車を使っての陸路の旅としても、途方もない労力を必要としそうだ。
「記憶というのは、側頭葉に保管されると聞きます―――脳の全体をスキャンする必要は、ないのでは―――?
三笠は武蔵達を出来の悪い生徒を見る目で見た。
「……貴様等、脳というものを、荷物を隙間なく詰め込んだ倉庫のように思っていないか?」
「うん? ……そうなんだろうか?」
「そうかも―――しれません?」
彼等の認識では、例えば新しい知識を覚えるのは、倉庫に荷物を運び込むことだ。
そして思い出すというのは、倉庫の荷物を探し出しダンボールを開く作業に思えた。
しかしそれは間違いである、と三笠は言う。
「まず、仮に別人に記憶を移植したところで、人格をコピー出来るわけではない。先程言ったはずだ、脳は個々人によってオペレーティングシステムが違うと」
まったく異なるわけではないが、細かく見るとやはり個性がある。
記憶の移植だけでは、人間の再現にはならないのだ。
「よって人格遡行に求められるのは、やはり脳幹全体の走査だ。そして、脳の記憶というのはどこに何がある、というものではない」
「そういえば、科学的に魂の存在が立証されているとか言っていたな」
「それとは別の話だ。というかお前達の認識では、脳の手術をした場合何かしらの知識喪失が起こるだろう」
「起きてるんじゃないのか? 些細な情報が失われるだけで、生活に復帰するのに問題がないってだけで」
「……まあ多少なりは起きているんだが、そうではない。脳、というか脳内の情報というのは、木のように枝を四方八方へ伸ばして成り立っているのだ」
脳内お花畑、という単語がなぜか浮かぶ武蔵であった。
「一つの知識で木のように体積をとっていたら、脳味噌なんてあっという間に容量オーバーだろ」
「木の枝はとても細い。それこそ神経細胞の細さだ。そんな細い枝の木が無数に密集したジャングル、それが脳だ」
それは木というよりネットワークだろう、と考え、脳はネットワークだったと武蔵は一人で納得した。
「そんじゃ、脳を一欠片切り取ったところで、特定の記憶が消えるわけではなく幾らかの記憶の細部が消えるわけか」
「そういうことだ。故に、脳は多少物理的に損傷しても大事には至らない。とはいえ気軽に損傷していいものではないが」
「やっぱり駄目なんじゃないか」
「複数の木が絡み合って成長して、一本に見えるような場合があるだろう。脳細胞にも似たようなパターンがあるのだ。下手に伐採すれば、右の木を切ったつもりで左の木を切ってしまうかもしれない」
「するとどうなるんだ?」
「記憶知識のエラーが生じる。脈略のない経過と結論が生じる。饅頭こわい、だ」
「それは少し違うのでは―――」
「由良ちゃん、少しじゃない。だいぶ違う」
「禁煙者が喫煙者になったり、好物の嗜好が変わったりといった些細なエラーならば笑い話で済むが、やはり重要箇所はある。結局は場所によりけり、だな」
武蔵は無言になった。
脳医学の素人である彼等にとって、それは雲を掴むような話にしか聞こえない。
「……脳を木の集まった森とすれば、森には水があり、川がある。川を見つければ、あとは川に小舟を走らせて森を調査するだけだ」
「……なるほど?」
「―――なるほど?」
武蔵に次いで、由良もぼんやりと納得した。
説明しておいてなんだが、こんな説明でいいのだろうかと一番困惑しているのは三笠である。
脳をジャングル探検隊するわけではないのだ。
「そして、森に流れる小川にアプローチしやすい大河が、あの数字なわけか」
脳野座標6―535―873。
確信は誰にもないが、現状唯一のヒント。
これで川でもなんでもない森の中心に入りこめば、晴れて武蔵は再び昏睡発狂である。
「なんていうか、やっぱりおっかないことをやっているんだな」
「準備完了だ。実験開始する」
「ちょおま―――!?」
人によるが、医者は抜糸する際、予告せずいきなり抜いたりする。
どうせ痛いのだから身構えさせるより、さっさと抜いた方がいいという発想だ。
三笠がそういう武蔵の為の気遣いとして、予告なしの追憶実験を行ったかといえば、そんなことはない。
ただ単に騒がされると面倒くさいのでさっさと開始しただけである。
これまでの三笠の細やかな胸に抱かれての意識消失ではなく、バラバラグニャグニャの死体モドキに抱擁されての記憶共有。
武蔵は思った。
貧乳で妥協していいから、やっぱり女の子と密着しての眠りが好ましいと。
武蔵は違和感を感じて、瞼を開いた。
一面の赤。
何もかもが赤く染まった世界に、武蔵は動揺する。
いったい何事か、何があったのか。
努めて冷静に周囲を観察し、やがて安堵した。
なんてことはない。室内が夕焼けに染まっているのだ。
あるいは朝焼けかもしれないが、この部屋の朝焼けというのは見たことがないので、武蔵は咄嗟に夕焼けと判断していた。
そこは教室であった。
なんの変哲もない、ごく普通の教室。
赤く染まり誰もいない教室、時間を確認すると下校時刻が迫っている。
やはり夕方らしいと考えて、時計の配置から、はたと気付いた。
「中学校の教室だ」
武蔵は冷静になるほどに、むしろ驚愕していた。
かつて時雨の策謀によりVR空間に閉じ込められたことがあったが、こうして経験してみると違う。
武蔵の胸に迫る現実感は、あまりに生々しい。
彼の意識は、既に自分が中学生だと納得しかけてしまっていた。
武蔵は自分の席に座っていた。
立ち上がり、鞄を引っ掴んで廊下に飛び出そうとする。
しかし、出入り口で誰かと出くわして正面衝突してしまった。
「おっ、わ、悪い」
「うわっ。あれ、起きてた」
声に、武蔵は目を向ける。
そこにいたのは、長い黒髪の少女―――時雨であった。
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