6-54
冬の、それも夜の海だ。
気温は低く、気圧も湿度も高い。
不快感を高める要素の多い天候であるが、煌煌と月明かりが空を照らしていることについては悪くないように武蔵には思えた。
「月が浮かんでいるのです」
「そうだな」
太陽ほどの光量がないからか、夜空に浮かぶ月はまさに天体らしさがあった。
まるでスポットライトが浮かんでいるかのような錯覚。月光に照らされた海面に、瞬く白いシルクロードが描かれている。
甲板の手すりに手をかけ、武蔵は空を見渡す。
星座表がおおよそ頭に入っている武蔵だからこそ、すぐに気が付いた。
「セルフ・アークが見える」
「え? 本当ですか?」
「ああ。月の左下に見慣れない星があるだろう。たぶんあれは宇宙コロニーだ」
こうして肉眼で見ると、なるほどかつて宇宙開拓時代に天文学者が激怒したのも判るというものだ。
今でこそ多くのコロニーが破棄されたが、かつては肉眼で見る星は倍にもなった。
肉眼で見えない星まで含めると、当時の世界人口より多くなる。
ケスラーシンドロームのリスクは常に叫ばれていたが、その前に世界は滅亡してしまった。
「……よく判らないのです」
眉間に皺を寄せ、目を細めるアリア。
視力はアリアの方がいいので、単純に発見出来ていないのだ。
「おや。そうか、よく判らんか」
「な、なんなのです。気持ちの悪い言い方ですね」
「相変わらず天測は苦手なんだな」
「……UNACT相手には必要ない技術なのです」
なるほどと武蔵は納得した。
近代空軍が天体観測するのは、無線などを使用せず飛ぶ作戦があるからだ。
UNACT相手に無線封鎖する意味はない。
「詳しくは三笠に聞けばいい。俺より正確に教えてくれるだろうさ」
「私は今、武蔵に聞きたいのですよ」
ふてくされたように月に背を向け、天頂を仰ぎ見るアリア。
はらりと流れる髪と白い喉に、今更動揺しつつ、武蔵はそれを隠す。
「ベスの名前が出て、ちょっと思い出したのですが」
「なんだ?」
「気になっていたことがあるのです。ベスに聞いたのです」
「まーたアイツは俺の悪口言ってたのか」
「はい。そうなのです」
否定されなかった。
ちょっと切ない武蔵である。
「聞けば、武蔵は前回のループで麻薬を使ったそうじゃないですか」
ギクリ、と武蔵は肩を震わせる。
「空中勤務者をシャブ漬けにして特攻させたとか」
「ちょ、ちょっと集中力を高めるお薬を使っただけだし……ちょっと強いカフェインみたいなもんだし……」
アリアの冷めた目に、武蔵は半歩引いた。
そのまま正座の構えである。
「申し訳ございませんでした」
「いえ。作戦上、非情に徹しなければならないこともあると思います。だからそれはいいのです」
武蔵、正座し損である。
「ただ私が聞きたいのは、どうして今回は麻薬を使わなかったかということです。武蔵は何度もこれが最後のチャンスだと言っていたのに」
「ああ、それは……スポーツマンシップに則ってだな」
「戦争にスポーツマンシップ持ち込まないで下さい」
適当に誤魔化そうとした武蔵であるが、アリアはそれを許さなかった。
「ベス曰く、今回もちゃんとお薬は用意していたそうではないですか。なのになぜ、使用を中止したのです? ベスも不思議がってましたよ」
「……前回とは、前提条件が違う。これまではとにかく亡霊戦艦を撃破することを目指していたが、今回は更に地上作戦も考慮されている。この時点でパイロット達がラリってしまったら後に支障をきたす」
「パイロット達、全て使い潰しましたけどね」
武蔵はアリアと視線を交わした。
アリアは多くの知り合いや友人が、自衛隊の空中勤務者にいた。
それらを使い潰したことについて、思うところはある。
だが、武蔵としてもここで視線は逸らせなかった。
先程までのふざけた問答とは違う。
これは、散っていった英霊達の名誉に関わる問いだ。
「まあ、感傷だよ」
「感傷……なのですか?」
「俺は、自衛隊を信用していなかった。少なくとも未来の自衛隊ははみ出し者の集まり程度に考えていた」
これは馬鹿にしているというより、軍隊とは本来そういうものだという認識あってのことだ。
軍人が品行方正であったのは、歴史上ごく最近の、ごく一部の国でのみの話だ。
古今東西、多くの軍隊は人を殺し、人を犯し、人を奪った。
場合によっては、国家の承認を得た賊、と言ってもいい。
というより、盗賊や海賊が国家承認の元で他国に略奪行為をしたことなど枚挙に暇がない。
軍隊とは、そんな蛮人の延長線上にいる。
どんな理由であれ、人を殺して飯を食おうなんてロクな奴ではない。
どれだけ国民に愛される組織を演出したところで、本質的には悪なのだ。
国防の為、人の為と綺麗事を並べることは出来る。
だがどうであっても暴力で問題を解決する時点で隊員は相応の業を背負っている。
真っ当に、生産的に生きている者達の方がよほど立派だ。
その存在意義をどういい繕おうと、軍隊とはGDPを数%食い荒らす寄生虫の粋を出ない。
まして―――貧しい未来世界においては、食詰めて自衛隊の門を叩いた者が大半である。
志願制であるものの、多くの隊員にとって生きる為には他に選択肢がなかったとも言えるのだ。
そんな彼等が、職業軍人として一端のプライドを持っているはずがない。
「……と、俺は思っていた」
「とんでもなくボロクソ言われてましたね、自衛隊……」
武蔵の軍人論に、アリアはドン引きであった。
アリアも税金泥棒とは言われたことがあるが、寄生虫呼ばわりは初めてである。
「だが、この時代にもいた。職業軍人が、自衛隊らしい自衛隊員が」
職業軍事の定義は難しい。
単に徴兵ではない、恒常的な契約を国家と結んだ軍人、というのは安直な答えであろう。
それでも定義を定めるのならば、武蔵はこう考える。
死ねと言われて、死ねる兵士。
それこそ、職業軍人だと。
よくフィクションに登場するが、軍人は「命令だ、死ぬな」などと言ってはならないのだ。
言うべきは「生死問わず提示された目標を果たせ」だ。
そして、自分にお鉢が回ってきたら潔く死地へ向かう。
それが職業軍人だ。
自分の命までもを契約で秤にかけるのが、職業人―――プロフェッショナルなのだ。
「この時代の隊員には彼等なりに、信念があると思えるようになった。ただ思考停止して操縦桿を握っているわけではないと、思ったんだ」
「―――当たり前なのです! UNACTに挑むのが、どれだけ恐ろしいか解ってるのですか!?」
怒鳴り憤るアリア。
想い人相手であっても、とても聞き捨てられなかった。
「自分より遥かに巨大な化け物に挑むのです! プライドがなければ、やってられません!」
「すまん、すまん。その通りだ。俺は軽率だった。すまぬでござる」
「うーっ!」
唸るアリアをどうどうと嗜める武蔵。
武蔵がそう思うようになったのは、伊勢や葛城との戦いがあったからだ。
伊勢は武蔵を試した。どこまでも実直な、武人としてのやり方で。
葛城は信念を貫いた。自分すら手駒と割り切り、すべてを賭して。
それが正しいかどうかは別だ。否、自衛隊員としては領分を逸脱した越権行為と言っていい。
しかしそこに、彼等は自衛隊員としてのプライドを持っていた。
彼等は武蔵の思い描く、職業軍人の絵姿をしていた。
「だから命じてみることにした。薬物なしで、命令に殉じて死ねと」
「人権団体が聞けば激怒しそうなのです」
「逆だ。違うよ。だから、俺は彼等を人として死なせるべきだと考えたんだ」
「……作戦の成功確率が下がってでもですか?」
「解らんぞ。シラフで奮起した方が、薬漬けより成果が出ていたかもしれない。少なくとも俺は、薬なんかに頼らずとも亡霊戦艦を墜とせると確信していた」
アリアは呆れた。
「なるほど、感傷なのです。何より今更そんなことを言ったって、後出しジャンケンではないですか」
作戦の成功確率が多少変じたところで、死にゆく者達の何かが変わるわけでもない。
むしろ実利を見るならば、さっさと薬物投与を行い、死の恐怖も苦しみもなく終わらせてやった方が人道的ですらある。
「で、本音はなんなのです?」
「なんのことだ?」
「私には人の心なんて解りませんが、嘘か本当かくらいは判るのです。武蔵、なんか誤魔化したでしょう」
武蔵はぐうの音も出なかった。
アリアも随分と勘が良くなったものである。
この手の女の勘を得た相手に、武蔵は到底勝ち目がない。
何を隠そう、だいたい武蔵は女の勘に敗北してきた。
アリアは武蔵の肩を掴み、ぐらぐら揺らす。
「ぐらぐらぐらぐら」
「遂に口に出し始めた」
「ねー武蔵? 教えてなのですーっ」
アリア渾身のあざとい仕草での要求。
武蔵はそれを見て、少し冷静さを取り戻した。
如月姉妹と比べれば、そのアザトニウム含有量は微々児戯たるものだ。
一見似た口調に見える鈴谷は、男に媚びようという意図がないからか、さしてあざとさは感じられない。
双子が養殖物なら、鈴谷は天然物。
そしてアリアのあざとい仕草は言わば代用魚。本質的に別物だ。
別物なのだが―――カラフトシシャモがシシャモに劣る、ということはない。
「きゃぴるん」
「わざとらしすぎて失笑ものだ」
「じゃあ何故顔を逸らすのです?」
そこにどんな打算があろうとも。
可愛い女の子が自分の為に精一杯かわいいしていれば、男の子は困っちゃうのである。
「今回は……」
武蔵陥落。
「今回は、アリアも戦場にいた、から」
「……なぜそれが、麻薬を使わない理由になるのです?」
前回も居たといえば居たが、それでもアリアは船上の人だった。
今回は同じ空を飛び、同じリスクで飛んだのだ。
「……あんまり、そういうことをする自分を見せたくなかった」
「……聞かなかったことにするのです」
これは、自分だけは聞かない方が良かった。
そう悟ったアリアは、今の会話をなかったことにした。
未来世界で揉まれ多少なりいい女になったアリアは、男の意地を立てることを覚えたのだ。
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