6-53



「零戦という飛行機はどうなのかね」


「どうと言われても。深窓の令嬢と言われるだけあって、素直さと凶暴さを併せ持つ女だよ」


「そうなのか。私は空中勤務者上がりでな、見たことのない飛行機はやはり気になるのだ」


「へえ、アンタ元パイロットだったのか」


「うむ。だが幾らかの練習機と、宵龍しょうりゅう以外には乗ったことがない。200年前の飛行機とはいえ空対空戦闘に特化しているのだ、随分と軽快に飛ぶのだろうな」


「まあ、宵龍しょうりゅうより扱いにくいってことはない。俺の機体はカスタムしてるから、逆の意味で扱いにくいっちゃ扱いにくいがな」


「どういうことだ?」


「従順な深窓の令嬢も、育ちがあまりに良すぎると相手には多くを求められるってことだ」


 武蔵の零戦には遊びなどない。

 求めればどこまでも答えてしまう、マシンマキシマムカタログスペック偏重主義の到達点だ。

 ロボットアニメ風にいえば、リミッターなど最初から全て解除されている。


「空自が維持していたジェット機、あれとはどっちが強いのかね?」


「スコーピオンか。スペック上じゃさすがに負けてるな」


 航空自衛隊が切り札として温存しているジェット攻撃機、テキストロンエアランド スコーピオン。

 元が軽攻撃機とはいえ、そこはジェット機。

 トップスピードでは全く零戦では勝ち目がない。

 だがスコーピオンは洋上運用には適していない。デリケート過ぎて、地球降下作戦にも投入出来なかった。

 色々な問題をクリアしたところで、特別圧倒的スペックを有しているわけでもない。

 戦いようによっては、武蔵の零戦でも充分勝利可能。

 少なくとも武蔵はそう信じている。


「だがそれでも持ってきたのだな」


「一応、安定して高性能な機体ではあるからな」


 武蔵は空自に手を回して、スコーピオンを調達していた。

 今は分解状態だが、東京に到着するまでに組み上げる予定だ。


「双子の機体は出来る限り統一したい。3式戦闘機の片方はまだ生きているが、両方乗り換えだ」


 飛蒼多聞も如月姉妹の奇妙な能力については把握しているので、その点については疑問符を上げなかった。

 むしろ疑問なのは、武蔵が妙にスコーピオンの運用に乗り気ではないことである。

 高性能だと認めているのに使いたがらない。


「スコーピオンを大気圏突入可能にすることは出来なかったのか?」


「出来たかもしれないが、どのみち慣熟訓練をする余裕はなかった」


 武蔵はこう考えたのだ。

 スコーピオンのような亜音速ジェット機で亡霊戦艦が撃破出来るのなら、最初から亡霊戦艦は撃破されている。

 亡霊戦艦を撃破可能な戦法があるとすれば、それは個々人の技量と奇策に依存した一発勝負のみであると。

 なんなら、100年の間、由良に依頼して数機のジェット戦闘機を維持してもらうことも不可能ではなかったのだ。

 それでは勝てないと踏んでの、各々の愛機の保護であったのだが。


「それはそれで、そんな機体に彼女達を訓練なしで乗せるのかね? 危険ではないか?」


「そこは彼女達の地力に期待するしかない」


 諸問題をクリアしてスコーピオンを引っ張ってきたところで、では既存の機体より役立つかと言われると難しい。

 武蔵も一度乗り込み、空戦までしたから判る。

 スコーピオンは初心者向けの機体だ。

 誰が乗っても一定の成果が出せるという意味では優れた兵器だが、技量の差が介在する余地がないともいえる。

 だからこそ、武蔵が乗った場合、あの時のようにかなりの弱体化を強いられたのだ。

 ならば双子が乗ったらどうなるかといえば、意外と相性がいいのではないかと武蔵は考えている。

 3式戦闘機と5式戦闘機は、元々陸軍機らしい堅実な機体だ。

 多少手荒に扱ったところでトラブルが生じにくい堅牢さと、数値には現れにくい使い勝手の良さという性能を併せ持っている。

 そういう意味では、零戦などよりよほど傑作機と言っていい。

 というより、この点については零戦が落第点過ぎる。

 海軍のカタログスペック重視思想によって、零戦はスペック表に現れない部分で欠陥が多い。

 そして、コイン機であるスコーピオンもまた、堅牢堅実な機体と言っていい。

 素直な操縦性も機種転換にも有利であり、性格的には彼女達が乗っていた機体に近いものがある。

 そして何より、彼女達のテレパス能力だ。

 この奇妙なループ世界に囚われる以前からその傾向はあったが、如月姉妹は戦術で戦うパイロットだ。

 巧みなエレメント戦術によって敵機を捉え、蜘蛛のように追い込んでいく。

 武蔵ほどの武芸者ならばすぐに追い込まれていることを察して蜘蛛の巣から逃れられるが、下手に術中に嵌まれば逃げることは叶わない。

 これから対峙する『敵』に彼女達の連携がどこまで通じるかは判らないが、この手の戦術で重要なのは、味方の兵器を統一することなのだ。

 機種混合編隊は、編隊飛行すら難しい。

 プロペラ機とジェット機ともなれば、相当やりにくい。

 ならばいっそ、不安材料を抱えるとしても双子を両方共にジェット機に転換した方がいいのである。


「まあそれも、彼女の力あってこそ、だがな」


「彼女?」


「五十鈴技師だ。まったく、あれほどの技術者をどうやって口説いたのだ? どれだけ自衛隊がアプローチしても、民間を離れなかったというのに」


 武蔵は色々言いたいことがあった。

 どうやって口説いたかといえば情熱的にだし、由良が民間を離れたのは一重に100年前からの計画だからだ。

 だが、何よりツッコミたいのは―――


「五十鈴由良は男だぞ」


 飛蒼多聞は豪快にむせた。







 武蔵はハヤシライスをかっ喰らった後、出港前より用意しておいた個室で仮眠していた。

 いつどんな時どんな環境でも仮眠出来ることを兵士の条件とするなら、武蔵に兵士の適正はあまりない。

 パイロットとしての実力はともかく、武蔵のバイオリズムはやはり一般人に近いのだ。

 よって武蔵達は、必要な休息を取る為の手段、地球降下後の自己管理にも気を遣う必要があった。

 それこそが、個室の確保である。

 なぜ武蔵が、慣れない環境で比較的容易に睡眠出来たかといえば、やはりこの部屋がかつて武蔵の部内の私室だったから。

 かつて部屋が有り余る部室船の秋津島において、全員に個室が与えられるという贅沢が行われた。

 少数の部活動だから可能な荒業であり、部員達は秋津島の部屋を第二の私室として好き勝手利用していた。

 無論、100年も経てば面影はだいぶ薄れている。

 だが、それでも収まる場所に収まったという安心感があった。

 今現在、狭い秋津島で部屋を独占するなど割と反感を買いかねない。

 それでも尚、我儘を通した甲斐があった。武蔵は一時の安寧の中、夢のまどろみに囚われつつそう思っていた。


「―――武蔵、武蔵。寝ているのですか?」


 まどろみ妨害警報発令である。

 瞼を閉じたまま、声だけで武蔵は誰かが来たことを察する。

 声は確かに脳に届いていたが、脳は外部入力を処理出来る状態ではなかった。


「うぅん……信濃、自分の部屋で寝なさい……」


 真っ先に連想したのは、歴史上最も武蔵に多く夜這いをかけたであろうクレイジーシスター信濃である。

 むしろ信濃の夜は武蔵の部屋に突入してからが本番といったほうがいい。

 深夜12時を過ぎた時、信濃は武蔵の部屋でパーティーを始めるのだ。

 一人酒盛りをするくらいなら可愛いもの。

 武蔵の寝顔を肴に一人餃子パーティーでノンアル酒乱化した時は、武蔵は絶縁を本気で考慮した。

 時計の針が右上を刺す頃合いに、ホットプレートを部屋に持ち込んでの一人宴会。

 武蔵の好む肉餃子ではなく、油少なめの野菜餃子であることも彼には気が食わなかった。

 夜中に不摂生極まりないことしているくせに、女子感丸出しで健康に気を使うなと。

 もぞもぞと毛布に入ってくる小柄な気配。

 武蔵にとって、就寝中に寝台に入ってくるくらいは無害の範疇だ。

 しばしして聞こえてくる吐息。

 同衾くらいで何を言うわけでもなく、武蔵も休息を優先する。

 ふと、声が聞こえた。


「信濃ちゃん……夜中に餃子は命取りなのですよ……」


 武蔵は刮目した。

 目の前にいたのは、信濃ではなくアリアであった。

 なぜアリアが寝台に浸入しているか、などといったことはどうでもいい。

 武蔵は一つの事実を知り驚愕していた。


「アリア、お前も真夜中餃子パーティーの被害者だったか」


「だ、駄目なのです……夜中にお肉たっぷりあんかけ揚げ餃子なんて、致死量なのです……」


 しかも野菜餃子ですらない。

 餃子にカロリーを増し増ししたモンスター餃子だ。

 見るからに細身のアリアだが、ひょっとして隠れ肥満なのだろうかと彼女の腹に手を触れてみる。

 腹筋が割れていた。


「ん、ふ、むさし?」


 アリアが寝ぼけ眼ながら覚醒する。


「……むさし、お腹触ってませんでした、か?」


「俺達の子供が出来てないかなって」


「えへへ」


 頬を擦り寄せてくるアリア。

 知能指数が著しく下がっていると武蔵は分析した。


「小さい」


 先程まで信濃と勘違いしていたこともあって、アリアの華奢さは顕著であった。

 信濃のがたいがいいわけでもないし、信濃が特別大柄なわけでもない。

 しかし西洋の血のなせる技というべきか、彼女が単に異端であるのか、その全体の細さは尋常ではなかった。

 自衛隊員なのだから、拒食症のような細さではまったくない。

 しっかりと肉が付いているというのに、作りからして細いのだ。

 よく判らん生物だなと思っていると、アリアもまた武蔵を不思議そうな目で見つめていた。


「起きるぞ」


「はい」


 身を起こしてみれば、彼女は下着のみ着用していた。

 下は履いているが、上は完全に裸である。

 アリアは一度吹っ切れると、羞恥心がオフになるタイプであった。


「普段からこんな格好で寝てるのか?」


「はい」


「まだ寝ぼけてるな」


「はい」


「ローの反対は?」


「はい」


「サメをドイツ語で」


「はい」


「性奴隷契約ってまだ続いてる?」


「いいえ」


「くっそキッチリ反応しやがった」


 寝起きなので、返事が先程から簡潔である。

 別段色仕掛けを目的としておらず、アリアは普段から寝る際はほぼ全裸であった。

 自衛隊員に就寝時の服装に関して規定はないが、一般的に半裸で寝る者が多い。

 職業の都合上、常に招集をかけられ出動する可能性がある。

 とはいえ、毎晩制服(この場合は迷彩服なども含む)で寝るわけにもいかない。

 一度指令があれば即座に着替え、部屋を飛び出す必要がある。

 よって、寝間着を脱ぐという工程を省ける半裸が一番楽なのだ。

 最盛期と比べ様々な面で劣化している自衛隊だが、一度は男女平等の時代を経ている。アリアも普段は女性用の区画で生活しており、半裸での活動に支障はなかった。


「どうしたんだ? お前の方から潜り込んでくるのは初めてだ」


「いえ。私達、恋人なのですよね? なら、入ってもいいですよね?」


 武蔵は思った。

 こいつ、面倒くさい女の気配がする。


「当然だ。いつでも来て構わないぞ」


「へへ……」


 はにかむアリア。

 どう解釈したものかと悩んでいると、緩慢な動作でアリアは武蔵を押し倒しにかかった。

 低い天井を背に、アリアの短い金髪が武蔵に向かって垂れる。

 小さい割に明るいLED電灯が生む陰影が、アリアの表情にどこか昏さを纏わせていた。


「証がほしいです」


 武蔵は口に出しそうになった。

 これはいよいよ面倒くさいぞ、と。

 武蔵は強く理解している。

 避妊は大切なのだ。


「そうはいっても、ここで証を残したところで、ループすればやり直しになるが」


「そうですね……。では、過去に戻った時に、過去の私に証を刻んで下さい」


「目を醒まさないお前に何をしろっていうんだ」


「……入れ墨?」


 重い。

 感じる体重は極めて軽いが、発言はウルトラヘビー級である。

 アナログタイプな認識では海外はタトゥーに寛容であると考えられがちだが、それは国による、というのが正しい。

 多くの国ではタトゥーは反社会的イメージが根強いし、就職で不利になるのも珍しくはない。

 アリアの祖国でもそれは変わらず、日本よりは寛容だが、それでも入れようとすればまず反対される程度には市民権がない。

 だというのに、若い娘が自ら入れ墨を望む。

 ろくでもない男に引っかかるとこうなるのだ。


「道具も時間もねえよ」


「では、焼印でも入れといて下さい。武蔵の家ならガスバーナーくらいあるでしょう?」


 武蔵は理解した。

 どうやらアリアは寂しさのあまり、夜這いをかけてしまったらしい。

 タチの悪い構ってちゃんであるが、これを受け止められるか否かはまさに甲斐性の差。

 武蔵は時間をチラリと確認する。

 まだ、多少時間は余っていた。


「いいかアリア、そういう証は魂に刻むものだ。身体に刻んだ証なんて、見た目だけの上っ面だ」


 古来より決まっている。

 愛だの友情だの、感情的なものについて証を求めるのは、そこに自信がないからだ。

 自信がないからこそ、物品や判りやすい言葉で形を求めるのだ。

 アリアは怖いのだ。否、怖くなったのだ。

 武蔵はアリアと肉体関係を持った。

 極論だが、現状武蔵はアリアにとって唯一の身内。

 その関係性の名が恋人か家族か共犯者かセックスフレンドかはさておいて、彼女がまず頼るべきは確かに武蔵なのだ。

 今まで寄る辺もなく、数年間未来世界で自衛官として生きたアリアは酷い孤独感を抱えている。

 その恐怖は、早々に信濃等と再会出来た武蔵とは比較にならない。

 記憶を引き継がずとも精神を引き継いでいるというのなら、アリアはもう人生の半分を自衛官として生きている。

 魂に刻まれた孤独感は、もう覆しようがない。

 受け止めてやらねば、アリアが哀れだ。

 哀れだが―――それでも、依存されても困る。

 二人三脚と共依存は違う。

 支え合う、という点については違いない。

 だが、どちらを向いているかは致命的に違うのだ。


「アリア。俺は、お前のウエディングドレスが見たい」


「―――なんてこと、言うのですか」


 驚き、頬を赤くするアリア。

 一線を超えたというのに、裸体を晒すことに羞恥がないというのに、まるで生娘のような反応だ。


「本気、なんですよね?」


「俺が、女に対して無責任なことをしたことがあるか?」


「……………………ない、ということにしておきましょう」


「だいぶ悩んだなコノヤロウ」


 恋人を複数人100年間待たせたという前科は重い。

 とはいえ武蔵は100年の間、文字通りに心神喪失状態にあった為に、当時本人に責任能力はないとアリアも渋々不起訴とした。

 ようするに、武蔵のやらかしは自動車の運転中に突然病気で意識を失った場合のようなものだ。

 その結果事故が起きて誰かを怪我させても、法的に裁かれない場合がある。

 仕方がなかったのだ。被害者の心情はさておいて。


「そうだ、指輪が欲しいです! エンゲージリング!」


「いいぞ。昔多めに自作したから、それで良ければ」


「……ああ、そんなこともありましたねえ」


 アリアは武蔵を軽くポコリと叩いた。

 部内で自分だけもらえなかったことを、何気に根に持っていたのである。


「本当に余ってるのですか?」


「信濃がしっかり保管してたからな」


 かつて節約の為に婚約指輪を自作した武蔵であるが、何を考えているのか恋人より遥かに多い10個ほども指輪を量産していた。

 実のところ生産職に有りがちなランナーズハイ的に時間を忘れたクリエイトの結果なのだが、今となってはそれで良かったとも思うところがある。


「指輪を渡すアテ、他にも沢山出来ちゃいましたからねえ」


 嫌味っぽく言うアリア。


「さて、なんのことやら」


 各々の都合を鑑みて言うべきことを多少前後させていることもあり、武蔵は未来世界で友好を深めた少女達にそういった誘いをかけていない。

 彼としては、非常時に口説くのは卑怯という考えがあるのだ。

 心理学者曰く、吊り橋効果。

 有事にこそ男の地力が現れるというものだが、有事に女を口説くのはフェアではない。

 そんな奇妙なフェアプレイ精神もあって、武蔵は一つの考えを持っていた。

 もし、もしこのループを脱出出来たなら―――彼女達との関係も、少しだけ変えてみようと。


「指輪、ちゃんと欲しいのですよ?」


「なかったら首輪で妥協してくれ」


「それはもういいのです」


 当初よりアリアの顔色も良くなったように見えて、武蔵はとりあえず安心することとした。

 二人三脚と共依存の違い。

 それは過去を見ているか、未来を見ているか。

 未来志向、などと意識の高いことを言うほど武蔵も出来た人間ではない。

 だが、過去に囚われるほどバカバカしいこともないとも考えている。

 だからこそ、武蔵は過去に怯えるアリアに未来の約束をした。

 金銭でも物品でもない、誓いという証を。

 武蔵はアリアを押しのけて、着替え始める。


「武蔵?」


「お前も着替えろ。冬の海なんてロマンチックさにはかけるが、ここでは充分に贅沢だろう」


 いそいそと着替えたアリアを連れ、武蔵は甲板に出た。


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