2-7



 どれだけ武蔵が健脚であったとしても、人が自動車に敵うはずがない。

 よって武蔵は早々に直接の追跡を諦めていた。

 ならばどうするか。武蔵の選び得る最速の追跡手段など、1つしかない。


「由良ちゃん! 零戦の準備をしておいてくれ!」


「《りょ、了解―――!?》」


 電話越しに事前連絡し、工場へと駆け込む。

 てきぱきとスクランブル発進のように手順を省略し、一気に零戦は空へと舞い上がった。

 21世紀ならばともかく、22世紀の道路は閑散としている。

 この時代において、個人所有のガソリン車は希少。おおよその外見が判っているならば、空からの判別も不可能ではなかった。


「いた」


 幹線道路を呑気に走行する車両を、高度300メートルから発見。

 車両の背後に回り込み、背面飛行でそうっと接近する。

 ナンバープレートの番号は当然のように暗記していた。偽装プレートであることは明らかであったが、この短時間でナンバープレートを付け替えたとは考えにくい。

 番号の照合を済ませると、武蔵は背面飛行のまま高度を降ろして車両に覆い被さる。

 電線や歩道橋を裏返しのまま潜り抜ける、超が付くほどの低空飛行。

 迷わずキャノピーを開放し、武蔵は車両の上部へと飛び降りた。

 低速において高い安定性を誇る武蔵のゼロセカンド零戦だからこそ成せる、狂気の曲芸飛行。

 この時代においてオーバーテクノロジーとなった自動操縦装置も搭載されているので、無人状態となった零戦もちゃんと自立飛行で上昇し自動帰投可能だ。

 武蔵は拉致犯達が事態を察する前に、ナイフで車両の屋根を切り裂いた。

 自動車と航空機の構造は意外なほど共通点が多い。軽くて丈夫であれば優秀、という点において両者の価値観は共有されている。

 セミモノコック構造は技術者である武蔵からすれば『皮』の部分はすぐ判る。そういった外装部分であれば、刃物で切り開くことが出来るのだ。

 X字に切り開いた天井をこじ開け、車両内部に飛び降りつつ車内にいた男達をナイフで刺殺していく。

 武蔵にとって初めての殺人であったが、妹の為とあらば罪悪感は麻痺していた。


「お、お兄……」


「話すな。車を止めるな、首を掻き切るぞ」


 抵抗の間も与えず無力化されていく後部座席の男達。

 中途半端に傷付けて反撃されてもつまらないので、しっかりと喉元に刃を埋め込んでおく。

 食道を駆け上る苦さを飲み込み、無心で作業をこなして行く。


「お、おわっ、なんだよお前……!?」


 突然、走行中の車両に乗り込んできての殺戮をバックミラー越しに見せられた運転手は、武蔵が首元に突きつけるナイフの切っ先に恐怖していた。


「オートマチックのガソリン車か。残ってるところには残ってるんだな」


 そう言って、武蔵は運転手の左太ももにざっくりとナイフを突き刺す。

 悲鳴を上げる運転手。咄嗟にハンドルを握って走行を安定させ、武蔵は運転手を嗜める。


「こらこら、運転中は運転に集中しろ。っていうかオートマ車に左足はいらないだろ?」


「うわぁ、この人メチャクチャ言ってる」


 拉致されて恐怖していたはずの信濃を以てして、兄の行動はドン引きであった。


「なんだよ、なんだお前! クソっ、俺達をどうする気だ!?」


「達、っていうか生き残りはお前だけだけどな。質問に答えろ、彼女を拉致してどうする気だったんだ? 答えてくれたら生き残れるかもしれないぞ」


 運転手の頬に複数人の血糊が付いたナイフをペシペシと当てる武蔵。

 恐慌して言葉を失う運転手。武蔵はとりあえずカウントを開始した。


「じゅーう、きゅーう、はーち、なーヒャッハー我慢出来ねえゼロだ!」


 ざくり、と武蔵は運転手の耳を削ぎ落とした。

 そのリアルな感触にこっそりと肝を冷やしたが、そこはなんとかアレな人を演じ続ける為に我慢する。

 痛みに悶える運転手。武蔵は彼の耳元(もうない)でそうっと囁くように尋ねる。


「ところでアンタ、耳かきはよくする方か?」


「な、は、いえ、しないです……やめて……」


「そうか、じゃあ俺がやってやろう。ちょうどここにいい感じに尖ったものがあるしな」


 ナイフの切っ先を運転手の目の前にちらつかせる武蔵。


「許して下さい、もう、反省してます、やめて下さい」


「大丈夫大丈夫、脳みそって多少削れても死なないから。ちょっと機能に問題が生じて自分が自分じゃなくなるだけだから。……はぁ」


 ここらが武蔵という人間の限界であった。

 事態を優位に進めるべく相手を追い詰めることに終始していたが、別に武蔵は他者の痛みに疎いわけではない。

 人を傷付ければ、幻痛を共有してしまうような小市民的感覚の持ち主だ。

 ここまで脅せば嘘は吐かないだろうと踏み、武蔵は運転を続けるように指示してから問う。


「それで、これってどこに向かってるの?」


「港です、大苫港の漁船に行く、手はずでした」


「あー、じゃああと10分くらいかかるか。とりあえずそこに向かって」


「はい」


 相手が旧世代を拉致している件のヤバイ組織ならば、その組織力は限定的であるはず。

 正規軍相手でないならば、多少のごまかしは効くと武蔵は判断する。


「どうして彼女を拉致したんだ?」


 関係性を疑われれば弱みにされかねない。

 信濃が他人であると印象操作しつつ尋問する。


「知り、知りません、俺は指示に従ってるだけです」


「なるほどなるほど、今回が初めてじゃないんだ?」


「は、い」


 武蔵の声色が低くなるのを聞いて、運転手は怯えを滲ませた。

 いかんなーやっぱ根っからの善人な俺にはこういうの向いてないわーと自己評価しつつ、武蔵はこれからどうするべきか思案する。

 武蔵という人間は別にヒーローでも何でもない。

 それほど善人でもないし、それほど強くもない。

 こと戦場を空に限定するならばF―15戦闘機を零戦で撃墜し得るような最高峰のパイロットではあるが、信濃の身を脅かした敵はこの人工の世界に溶け込んだ非正規武装組織。

 さてどうしたものか、もう自衛隊に丸投げしてしまおうか。だが、それでは足りないとも彼は考える。

 この男や車両を差し出した程度で、総理大臣に対する交渉カードにはならない。もっと大きな影響力を左右する状況でなくては、総理大臣には届かない。

 そして、それは決して『成果』でなくとも良いのだ。


「よし、決めた」


 武蔵は運転手の肩から真っ直ぐ下に向けてナイフを突き刺した。

 肩甲骨を避けて深々と侵入した切っ先は、心臓に達して致命傷となる。


「この犯罪組織を乗っ取って、この世界セルフ・アークを恐怖に陥れよう」


 ただ一点。

 総理大臣朝雲花純にメッセージが届けば、武蔵の勝利なのだ。

 ならばその過程に意味などない。その末路に興味などない。

 犯罪集団であっても、組織には違いないのだ。

 なりふり構わずその力を振り絞れば、この小さな世界を脅かす恐怖の大魔王にもなれるはず。

 一般人が被害を受けるなら武蔵とて抵抗がある。だが、この組織を使い潰したところで不利益を被るのはどうしようもない連中のみ。


「っていうわけで、手始めにこの車両について見聞するぞ。工場に連絡して工員を帰宅させてくれ」


 運転席に乗り込みつつ、武蔵が信濃に指示する。


「この車に何かあるのかな。犯罪組織だってそこまで杜撰じゃないと思うけど」


「この手の拉致を何度もやってるんだ、何かしら気の緩みはあるはずだ。それに、この車両は彼らにとっても虎の子だろう。後生大事に整備して使ってるんだろうさ」


 武蔵は知っていた。本物の技術者ならば、ビス一本で戦闘機のスペックを予想出来ることを。

 由良ならば何かしらを読み取れる。そう信頼しているからこその、工場行きであった。

 助手席に投げ出された運転手の死体をざっと調べて、すぐにバッチを見つける。

 手の中で弄ぶそれは、沙羅双樹をモチーフとした人類涅槃開放軍の一員であることを示すものであった。


「涅槃……輪廻転生のループから外れた楽園、か。ループしてる俺に対する嫌味かよ」







「人工島―――だと思う」


 車両を工場に入れ、死体を引き摺り出した後。

 色々と調べていた由良の結論は、敵の本拠地が海の向こうであるというものであった。


「塩害がかなり侵食してる―――海風が常時吹く場所じゃないと、こうはならない。タイヤのすり減り方や痕跡を見る限り、あまり土の上は走ってない―――コンクリートで固めた人工島となると、意外と少ない」


 説明しつつ、工場の休憩室にて地図を広げる由良。

 紙の地図か、と若干不安になった武蔵は印刷年度を見やる。

 10年前であった。


「大丈夫です―――最近は、こういう工事なんて行っていません。土地不足以上に、人が不足していますから」


「末期ぃ」


 瞬きする間に店が入れ替わり、道が生き物のように伸びていく21世紀において地図の更新頻度は極めて高い。

 それはまさに、情報化社会の写し絵というべきか。病的なまでに、有機物のように変わりゆく町並みを反映していた地図という世界の縮図は、22世紀においてはある程度の差異を許容したローテクな概要図と化していた。


「でも海が近いコンクリートの土地ってなると、本土の港でも該当するんじゃないか?」


 この場合の本土とは、当然ながら日本本土ではなくセルフアークにおける最大の陸地のことである。

 そもそも宇宙コロニーにそれなりの規模を誇る海が存在することがナンセンスだが、これはセルフ・アークの人工知能が人工世界を巡回させるのに必要と判断したものなので仕方がないのである。


「燃料タンクの内側の跡を確認しました―――水平な土地で運用していれば燃料の跡も水平に刻まれます。でも、この車は角度が安定していません―――坂の多い土地で使われています」


 海沿いの街で暮らす者として、武蔵もその説明には納得出来た。

 海が見える街というのは大抵坂が多い。だが、こと港となると整地は徹底されている。

 着工時に僅かに妥協した段差などが、長年の港湾作業において大きな障害となるのだ。


「でもお兄ちゃん、敵の本拠地を特定したところでどうするの? 迫撃砲? 艦砲? 絨毯爆撃?」


「それはそれで楽しそうだけど、今回は侵入が目的だ。土地が判れば流通の流れが読み取れる。逆算していけば組織の人間と穏便に接触出来る」


「接触して―――どうするんですか?」


「組織っていうのは、常に新人を入れて育てていくことを考慮しなくてはならない。……って、工場経営者のお前らに講釈垂れても餅餅か」


「そういえば餅つきしてないねー」


 ねーっ、とひっそり笑い合う信濃と由良。

 2人の頭をぐしぐししつつ、武蔵だけは悪役のように口角を吊り上げて嗤っていた。


「新人として紛れ込むぞ。内側に入れば、後は好き勝手やるだけだ」







『2143年11月4日』







 車内に残っていた拉致犯の死体を木にぶら下げて人類涅槃開放軍をおちょくりつつ、武蔵は情報の精査の末に末端の人間を特定するに至る。


「お前らはゴキか。こんなところにまで入り込んでいるなんて」


「なんだ、貴様っ! エルフか!?」


「俺が美形だからってそんなに讃えるなよ、照れるだろ」


 武蔵が見つけ出した人類涅槃開放軍の末端。

 それは、ハカセの工場にて働く壮年の工員であった。

 椅子に縛り付けられた男は、周囲をくるくると回る武蔵に尋問されている。

 こういった場面は廃工場と相場が決まっているが、本日は絶賛稼働中の自前の工場の稼働終了後時間である。


「何あんた、ウチの信濃と由良ちゃん目当てで入社したの? 草の根活動なの?」


「貴様ら―――ッ! 判るものか、老いる恐怖が、自分の可能性が失われていく絶望が!」


「怖いでちゅねー? 泣いちゃいそうでちゅねー? えーんえーん! うっわ大の大人がきんもーっ!」


 ゲラゲラと爆笑する武蔵。

 工員の男は血管がブチ切れそうな憤怒の表情となっている。


「ねえどんな気分? 老いるってどんな気分? 天国へのカウントダウンってどんな音?」


「やはりかっ! やはり貴様らは、そういう奴らなんだな! エルフなど人にあらず! 生まれるべきではなかった、人でありながら人を辞めた背徳者共めっ!」


 ちなみにエルフとは、彼らの中でのテロメア伸長化措置を受けた者の隠語らしい。

 最新技術による遺伝子治療の恩恵だというのに、随分とメルヘンな解釈である。


「それは告発じゃなくて免罪符だろ。人じゃないから拉致していい、人じゃないから人体実験してもいい? 世界崩壊後の世代って禄な教育受けられなかったんだな、言うことがいちいち幼稚だ」


「うるさいっ! いつもそうやって見下して―――!」


「論点逸らすなよ、こうやって話し相手になってあげている時点で俺達の立場は対等だろう。福沢諭吉知らんのか、人間皆平等だってアイツも言ってるぞ」


 教養がある風を装ってマウントを取っているが、完全に誤用な上に論点をずらしまくっているのは武蔵である。

 だが筋が通っているか否かは横に置いていくとして、結局この手の口論の優劣を決めるのは頭の回転の速さなのだ。

 相手を言い負かすことに慣れている人間は、完全に不条理な理屈を積み重ねて、完全に不利な状況を覆し得る。

 世の中に詐欺師が横行するわけである。

 こうやってしばし言葉で追い詰めていき、ふと武蔵は思い出したように優しく微笑みかける。


「―――わかるよ。辛かったよな、理不尽だと思うよな。そうだ、それは当然の結論で、当然の権利だ」


 どかり、と老人の縛られた椅子の隣に胡座をかいて座る武蔵。


「聞かせてくれ。誰かに軽んじられていいはずのない、お前自身の思いの丈を。お前の、人生を」


 いや、これまで散々詰ってきたのお前じゃねえか。

 そうツッコみたい老人であったが、それ以上に追い詰められていた心は弱っていた。

 大和武蔵という男、人を追い詰めることに関しては天下一である。

 どうしてこんな男がハーレム作ってるのか、とこっそり見守っていた信濃と由良は溜息を禁じえなかった。







「というわけで、人類涅槃開放軍の内部情報や入隊方法を色々とゲットだぜ!」


 サクッと老人を絞め殺し、海に沈めつつ武蔵はサムズアップした。


「お兄ちゃん、本当に100年前のお兄ちゃんからの引き継ぎだよね……? 人殺しに躊躇なさすぎなんだけど」


「僕達も―――世界崩壊後に色々と見てきましたけど、ここまでは出来ません―――」


 元々必要ならば手段を問わない男であることは、信濃と由良も知っていた。

 だがそれにしても、あまりにもサクサクと人を殺しすぎである。

 殺された相手に対する気遣いというよりは、武蔵の精神について2人は心配していた。


「お兄ちゃん、ループの中で疲れてきてない?」


「困ったことがあれば―――話、聞きますから」


「かわいい! 俺の嫁かわいい!」


 堪らず2人を抱きしめる武蔵。

 こりゃアカンかもしれない、と2人はそっと危惧を深めた。



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