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『2045年7月15日』







「《この日がやってまいりました。第43回全国高校航空体育大会、レジェンドクラス地区予選、第三試合》」


 翌日、レジェンドクラス第三試合。

 県代表校を決定すべく、最後の試合が行われる日。

 武蔵にとって2度目の7月15日が始まった。


「《旅客機、爆撃機、偵察機―――多くの目的に沿って作られた航空機の中において、もっとも異質な存在。それこそが、戦闘機です》」


「異質ってなんだ?」


「さあ、小さい飛行機だからか?」


 戦闘機は異質、という主張に首を傾げる観客。


「《ほとんどの飛行機の仕事は何かを運ぶこと。それは人であったり、貨物であったり、観測機器であったり、そして爆弾であったり。しかし、戦闘機だけは違うのです。果敢に機敏に空を飛び回り、敵の背後に回り銃弾を叩き込む―――多種多様な航空機がその運用目的を果たすべく、空を守ることを目的に作られた唯一の飛行機!》」


 司会者の声色に熱が籠もり始める。


「《戦闘機の真骨頂はただ1つ、『敵に打ち勝つこと』! その時代の最高の技術を惜しげもなく投じられ、1人で動かす兵器としては類稀な戦闘力を発揮する人造の神として戦場に翼は舞い降りたのです!》」


 タイミングを合わせ、試合会場上空をフライパスする戦闘機。

 多種多様な戦闘機が観客の上空を通過していくのを、武蔵は無機質な目で見上げていた。


「……現状、ほとんど記憶のままだな」


 武蔵にとって4ヶ月前の記憶である。詳細など覚えていないし、完全に一致している確信などない。

 取り立てて大きな珍事が起きたわけではないのだ。昨晩の夢が本当の夢であったとしても、この程度の未来予想は脳が充分に行える範疇である。


「《者共よ、刮目せよ! 熱狂せよ! 今日、セルフ・アーク最強のパイロットが決まります!》」


 今日起こるかもしれない、最大の珍事。

 人類を滅ぼす災厄。Unidentified nautical objects、UNACTの乱入が起こる。


「お兄さん……」


「ん、どうした由良ちゃん?」


 声をかけられ、武蔵は視線を向けた。

 声の主は五十鈴由良。その幼さを残す容姿に、武蔵は違和感を禁じ得ない。


「由良ちゃん……だよな?」


「えっ。あ、はい?」


「いや、すまん変なことを言った。えっと、なんだ?」


「あの……何か、忘れていません、か?」


 不安げに上目遣いで武蔵を見上げる由良。

 なんでこの子男なのにこんなにあざといんだと戦慄しつつ、武蔵は記憶の洗い出しに取り掛かる。

 だが流石に無謀であった。4ヶ月前の機能の約束事など、思い出せるはずがない。

 平時ならばともかく、22世紀の記憶が鮮烈すぎた。21世紀の出来事の大半が淘汰されてしまっていた。


「えっと、あれだよな。覚えてる覚えてる。あー、その件に関してはまた後日ということで」


「そんな……お兄さん、今日プロポーズしてくれるって、言ってくれたのに」


 その一言で武蔵は思い出した。

 主観時間で4ヶ月前、実時間で昨日、武蔵は指輪を用意したのだ。

 ハーレムに加えようと考えた者達全員への、形ある約束の証。

 大切な覚悟だったはずなのに、見事に忘却の果てであった。

 涙目の由良を見て、武蔵は決断した。

 即決こそ彼の真骨頂である。


「ちょっと仕切り直してくる」


 そもそも、武蔵は今日この試合会場に指輪を持ってきていなかった。

 試合開始まで数時間あるので、取りに戻る時間は十二分にある。


「家から出るとこから始めるから、一旦おうち帰ります」


「そ……そこまでしなくて、も」


「頼む。今日の俺は若干支離滅裂な部分があるかもしれないが、大切なことなんだ」


「あ、やっぱり……そうなんですか。大丈夫ですか……? アリアちゃんもいないし……棄権した方が、いいんじゃ……?」


 武蔵が平静ではないことなど、近しい者からすればバレバレであった。

 だが武蔵は平静でいたかったのだ。普通の高校生らしい日常を辿り、その結果何事もなく今日という一日を終えて証明したかったのだ。

 あの未来の記憶が、ただの与太話であると。


「それじゃ、また後で」







 大和宅に一時帰宅した武蔵は、ふとアリアの家に目を向けた。

 100年後の世界。再会した知人達はテロメア伸長措置によってほとんど老化していなかったが、なかでも異質なのはやはりアリアだ。

 唯一の、武蔵と同じく100年の時を超えた人物。

 いったい彼女はどのような経緯で未来に飛ばされたのか。


「いやまあ、俺だって眠ってた経緯は不明瞭なんだが」


 地区予選中の大一番だというのに、熱を熱を出して寝込みやがったおバカさん。

 21世紀で彼女を最後に見たのはいつだったか、と思い返す。


「確か、部室で弁当食ったのがこっちでの最後だっけ」


 どうしようもなく普通の思い出だった。

 ここで『普通の記憶』ではなく『普通の思い出』と自然に単語を選んでしまった自分が悲しかった。


「何が思い出だ。明日も普通に学校で飯を食うんだ。あの面白可笑しくて頭の悪い未来日記なんぞクソ喰らえだ」


 帰宅しようとしていた進路を修正して、未だ新築という称号を捨てていないアリアの家に突貫する。

 ピポピポピポニャーン、とインターホンを連打。

 即座にダッシュして茂みに隠れる。


「……出てこない」


 熱で寝込んでいると聞いたが、まさか身動きが取れないほど重病だったのだろうか。

 あるいは一人暮らしの常、物資補給のために無理して買い出しに出ているのか。

 何にせよ、前回の武蔵達が配慮にかけていると考えざるを得ない。


「いや、たまたま手を離せない状況なのかもしれないけど」


 ピンポンダッシュの反応1つで何を読み取れというのか。とはいえ向こうからのリアクションがない以上、武蔵は再度何かしらのアプローチをかけるしかない。

 玄関のドアノブを握るも、流石に鍵がかかっていないということはなかった。

 数瞬黙考し、武蔵は強硬手段に出ることにする。

 試合開始まで時間があるわけでもなく、仮に杞憂であれば笑い話にすればいい。

 そう考え、彼は自宅2階からの侵入を試みることにしたのだ。

 武蔵の部屋の窓から梯子の橋を渡り、アリアの部屋に突撃する。

 不用心というべきかアリアの武蔵に対する信頼の証と考えるべきか、彼女の部屋の窓は施錠されていなかった。

 僅かに躊躇うも、彼はアリアの部屋に押し入る。

 そこには、ベッドで静かに眠るアリアの姿があった。


「……3年前、か」


 幼さを残す容姿、肩口まで伸びた髪。タバコの匂いなどせず、むしろどこか甘い香りすら感じる。

 ひと目で同一人物と判ったものの、比較すると明確に違う。

 何にせよ彼女の姿を見て、武蔵は安堵した。

 熱に浮かされた様子もなく、アリアの寝顔は平時の穏やかさを湛えるのみ。

 これなら大丈夫だろう、と額に手を当ててみる武蔵。

 そして、違和感を覚える。


「あれ、熱なくね?」


 まさか仮病だろうか、と思うほどにアリアの体温は平熱だった。

 だがすぐに思い直す。アリアは誰よりもエアレースの試合に気合を入れて臨んでいた。嫌よ嫌よも嫌のうち、な武蔵とは根底から違うのだ。

 彼女の意志でサボったわけではないはず。武蔵はそう推理した。


「安静にしてたら案外すぐ熱引いちゃった系か?」


 すぐ引く程度の熱であったとしても、試合を棄権するという判断に武蔵は異論はない。

 仮に体調不良に気付いた時点で微熱であったとしても、武蔵は試合棄権を申し渡したはずだ。

 熱っぽい状態での試合になど、出させられるわけがない。


「とりあえずちゃんと体温計で熱確認しとくか」


 自宅から体温計を持ってこようと、アリアに伸ばしていた手を離す。

 不意に、手がベッド側に居座るぬいぐるみに触れてしまった。

 バランスを崩したぬいぐるみはアリアの顔面にダイレクトアタック。


「だ、大丈夫か? ぶふっ」


 思わず笑ってしまう武蔵。

 ぬいぐるみはアリアの顔に抱きつくように丁度乗ってしまい、落ちそうな雰囲気はない。

 せっかくなので携帯端末の写真で撮っておこうとした瞬間、雪崩のようにぬいぐるみ軍団がアリアに襲いかかった。


「……大丈夫か?」


 上半身をぬいぐるみに埋没させてしまったアリアに、流石の武蔵も心配した。

 所詮は布と綿の構造体だが、総重量はキロ単位に達するであろう。

 ぽんぽんとぬいぐるみを放り投げ、アリアを発掘する。

 アリアは依然として爆睡していた。


「なんだこいつ」


 ちょっと図太過ぎじゃないか、とアリアの鼻を摘んだり頬を引っ張ったりしてみるも、やはり起きる気配はない。


「おい、アリア。おーい? ……おい! 起きろ! おーい! 貧乳!」


 頬を叩くも瞼を無理矢理開いて光を当てるも、何をしても反応はなく。

 ただ、静かな寝息を立てるだけであった。

 その様子に、さしもの武蔵も異常を感じる。

 起きない。何をしても、どれだけ揺すっても。

 まるで、コールドスリープされているかのように。


「もしもし、救急ですか。こちら―――」


 あの世界を見る前であれば、もう少し躊躇ったかもしれない。

 だが武蔵は猛烈な不安を感じ、即座に行動に移った。

 杞憂で済めば笑い話にすればいい。先程の決意を胸に、武蔵はドクターヘリを要請したのだ。







 結論からいえば、それは睡眠障害やナントカ症候群といった類ではないだろう、というのが医師の見解であった。


「若葉さんは眠っているわけではありません」


「寝てますけど」


「いえ、眠るというのは意識のオンオフにおけるオフではないのです。睡眠には睡眠特有のプロセスがあり、それ用の脳波が検出されます。しかし、若葉さんの脳波はほとんど発せられていない」


 武蔵は未だにアリアの親族について知らず、保護者の代わりに医師の説明を聞く。

 本来ならば家族以外に話せる内容ではないが、武蔵は「将来を約束した仲です。ほら、昨晩も一緒にいたからこそ彼女はパジャマなわけで」と口八丁手八丁で誤魔化しきった。

 それで誤魔化される医師にも問題があるが、今は目的優先である。


「……つまり、植物状態だと?」


「むしろ、残念ですが脳死状態に近いです」


 奥歯を噛み締め、平静になれと自分に言い聞かせる。

 アリアが今日という日に熱を出して、試合を休むのは初めてじゃない。『2度目』だ。

 武蔵は知らなかっただけだ。4ヶ月前のあの日も、おそらくアリアは脳死状態に陥っていたのだ。

 ならば、22世紀で彼女が目覚めた通り、彼女の脳は完全に止まってなどいない。

 そう考えて、武蔵は皮肉げに自嘲した。

 あの未来の記憶こそが、アリアの生を保証する唯一の情報なのだ。


「現状、判断材料が少ないので断定出来ることはありません。腰を据えて検査をしなければなんとも」


 その言葉を最後に、武蔵は診察室から追い出された。

 さてどうしたものかと困っていると、携帯端末が着信を知らせる。


「《武蔵くん? もう試合が始まるわよ、どこにいるのっ?》」


 足柄妙子であった。

 時計を見れば、確かにもう機体に搭乗していなければならない時間。

 とはいえ、武蔵にはとても試合に挑む気力はない。


「アリアが病院に運ばれました。すんません、棄権しといてください」


「《えっ!? ちょっ、病院って、ちょっと―――なに、あれ》」


 呆然とした声が、電波を伝って武蔵の耳を震わせる。


「どうしました?」


「《え、えっと、海から大きな、ゴキブリみたいなのが……出てきた》」


 ゴキブリ、という表現が正しいのか。

 該当する存在を、武蔵はよく知っていた。


「っ、逃げろ! 航空機で距離を取れ!」


「《武蔵くん?》」


 突然の怒声に、妙子の身が竦む。


「ソイツの本体の速度は35ノット程度だが、触手先端の速度は亜音速に達する! とにかく距離を取るんだ! 飛空艇なら逃げ切れる!」


「《わ、わかった》」


 妙子は武蔵の言葉を信じることにした。

 声色はもちろんだが、電話口で伝えていないはずの『触手』の存在を言い当てたことも、武蔵が怪物を知っているという信憑性を与えていた。

 切られた電話。

 今すべきことはと考えて、それが多くないことを思い知らされる。


「しくじった―――っ」


 武蔵は壁を殴り付けた。

 彼がすべきことはUNACTの出現を夢であったと祈ることではない。

 UNACTが出現しても、せめて最善の行動を取れるように半日間を費やすべきだったのだ。

 もう遅い。既に武蔵に出来ることはない。

 彼は巨大な暴力を前に、ただの生身の学生でしかなかった。

 それでもせめてと思い、足を動かす。

 守られるくらいなら、守る側でありたかった。

 今彼に守れるのは、意識を失った隣人くらい。

 集中治療室に無理矢理踏み入り、アリアに繋がったケーブルを引き抜く。

 とても理性的ではない行動であったが、そうせねばならないほどの脅威が迫っていることを武蔵は知っていた。


「ちょ、あんた何やってるんだ!?」


「あんた等も避難した方がいい―――いや、せめて覚悟しておけ」


 制止する医療関係者を振り切り、アリアを背負って屋上に登る。

 なぜ逃げ場のない上に行ってしまったのかはよく判らない。UNACTに対抗出来るのは航空戦力のみ、という知識からの行動かもしれない。

 なんにせよ、武蔵は彼と2度目の対峙をした。


「―――なんだよ、そんなに俺に会いたかったのか?」


 巨大な、全長100メートルの怪物が病院に向けて猛進していた。

 未来の知識である『海上移動の方が得意』と点は事実らしく、陸を進むUNACTの歩みは遅い。

 だがそれは相手が大きすぎるだけでそう見えるだけだ。手近に航空機のない武蔵には、有効な逃げる術などなかった。

 周囲にいた患者達は恐慌し、慌てて病院内に入っていく。

 武蔵は大きく深呼吸をして、あらゆる可能性を思案した。

 逃走手段。ない。

 やり過ごす。困難。

 戦う。論外。

 諦める。それは……


「ここで死ねば、また100年後に飛ぶのか?」


 それは賭けなどですらない。ただの現実逃避だ。

 だが、他にまともな行動指針も立たない以上は考慮せねばならなかった。

 アリアをそっと屋上の床に降ろし、考える。

 そして、周囲に何かないかを探った。


「リボン?」


 それは、誰かの落とし物であった。

 UNACT出現に際する混乱の間際に落ちたのか、それとも前々から放置されていたのか。

 拾い上げて、武蔵は1つ思い付いたことを試すことにした。

 ポケットに入っていたペンでリボンに文字を書き込み、アリアの手首に巻く。

 そんな悠長なことをしていたからか。

 巻いたリボンをキュッと締めるのとほぼ当時に、武蔵とアリアに塔のように太い触手が突き刺さった。







『このリボンは将来を誓った相手に貰ったものです。極力外さないで下さい。

 私が死んだ時は、燃やさず一緒に埋葬して下さい。』

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