1-20


『2143年12月28日』







 秋津洲の司令官ポジションである飛蒼という男は、訓練大好き人間である。

 寝ても醒めても訓練訓練。平時こそ地獄。実戦より訓練で部下を殺す人殺し艦長。

 むしろ待機中こそが休息と言わんばかりの苛烈さは、武蔵といえど辟易するレベルである。


「訓練飛行って素晴らしい。巡航中はのんびり出来る」


 周囲キロ単位でアリアしかいない空域。武蔵は短距離通信を繋いだままほのぼのと無限の空を見上げていた。


「《アホなこと言ってないで真剣に飛んで下さい。しくじったら怒られる前にお陀仏ですよ》」


 注意するアリアだが、普通は彼女の反応が当然である。

 彼らは今、高度3メートルを飛行していた。


「どんなに時代が進んでも、海上目標への接敵は低空が基本……か」


 雷撃機から対艦攻撃機まで、その原則は変わらない。

 地球が丸い以上は、低空を飛行して水平線の向こうに隠れた方が発見されにくいのだ。

 この原則は、UNACT相手でも変わらなかった。


「計器飛行による超低空の接敵訓練、まあやってることはエアレースと変わらん」


 慣性航法装置というものがある。

 ようするに飛行機を真っ直ぐ飛ばせる装置であり、風や気圧などで進路や高度が変わっても自動で補正してくれる便利アイテムだ。

 それはようするに目隠ししたまま真っ直ぐ歩くようなもの。当然少しずつ誤差が生じてしまうものの、おおよその直進をする分には充分実用的な装置である。

 残念ながら、そんな便利機能が安かろう悪かろうな宵龍しょうりゅうにあるはずがない。

 ならばどうするか。ひたすらに計算によって現在位置を測定し、補正を繰り返して直進するのだ。

 計器のみを見て飛ぶ飛行方法。これを、計器飛行と呼ぶ。

 実際は電波灯台や天測を駆使しているのでこれよりは難易度が下がるものの、やっていることは近い。

 結局何を言いたいかと言えば、GPSなしの飛行はとても大変なのだ。


「《GPSが実用化する前の飛行機は、軍用機から旅客機まですべてこれで飛んでいたのです。やってやれないことではありません》」


 そう言うアリア。

 実は、21世紀にて小型機ライセンスを得る際も武蔵とアリアは同じ訓練を受けている。

 小型機のキャノピーにカーテンを取り付け、周囲が見えない状態で飛ぶのだ。

 猛者ともなればF4ファントム戦闘機のキャノピーを黒テープで完全に覆って、視界ゼロのまま離陸、そして別の飛行場に着地するまでやれるという与太話を武蔵はどこかで聞いたことがあったが、それはごく一部の例外であろう。

 アリアと武蔵の2機編隊。

 2人共に同じ作業をするのは非効率なので本来計算はアリア一人の仕事なのだが、武蔵は不安なので練習を銘打って自主的に見直し計算を行っていた。

 困難と言えど、総飛行時間が4桁に達する武蔵にとっては割と楽な訓練。

 武蔵にとっては未だ慣れぬ、レシプロエンジン特有の咆哮。

 背後から聞こえるエキゾーストの双歌は、音に先行して飛ぶ武蔵にとって独特のドップラー効果を感じさせる。

 武蔵が一番親しんだエンジンは、コックピットの前部に搭載された零戦のターボシャフトエンジンだ。音の発生源も、その音質も全く違う。

 バブルキャノピーの中から背後を見上げ、轟々と回るプロペラを観察。

 そしてふと、平行飛行するアリア機に目を向けた。

 そっとエンジン出力を上げて、繊細なペラピッチ制御により静かにアリア機に接近する。

 アリアの乗る宵龍しょうりゅう。コックピットを覗けば、アリアが操縦桿を股に挟んで固定して、膝の上の地図に気難しげに定規を当てていた。


「パイロットスーツは100年前と変わらないな、相変わらずピチピチのエロスーツだ」


 ぎょっとしたアリアが視線を上げて、武蔵の姿を認めて睨みつけてくる。


「しまった、無線繋いだままだった!」


「《なんですか、忙しいので溜まってるなら1人で処理して下さい》」


「うるせえ背面飛行でマスターベーション見せつけるぞ」


「《セクハラです。ひどいセクハラを受けたのです》」


 武蔵は機体をひっくり返し、2機のコックピットを突き合わせるような姿勢、カリプソパス行う。

 そしてマスターベーションを行うべく、ズボンを下ろした。


「《やめろーっ。貴方が操縦をミスれば、逃げ場のない私が巻き添えではありませんか》」


 怒り口調の割に怒気が緩いのは、武蔵がそんなミスをしないと確信しているから。

 頭に血が登る感覚もなんのその。武蔵は意気揚々とアリアを見上げ、そして落胆した。


「いや、目の保養になるかと思ったんだが……ごめん」


「《その謝罪は私を不埒な目で見たことについでですよね、それ以外の他意はないのですよね》」


「ごめん。一番辛いのは本人だよな。でもまだ16歳なら最後の成長もワンチャン……あっ」


「《あっ、ってなんですか。19歳に未来なんてないと言いたいのですか。武蔵空尉はそのまま背面飛行で巡航するのです。上官命令なのです》」


「そのうち燃料供給が止まるので無理です」


 上下逆さまになれば、当然タンク内のガソリンも上部分に落ちる。

 それでも短時間ならば燃料供給が止まらないように、航空機の燃料タンクにはちょっとした工夫がされている。

 特別な装置でもなんでもないコロンブスの卵のようなシンプルな工夫だが、所詮は短時間のみ担保した設計。ドッグファイト中に多少逆転する程度ならともかく、巡航中ずっと背面飛行をしてもいいものではない。


「《海水浴も悪くないのですよ》」


「UNACTの回遊する海で海水浴とか」


 そんなことをすれば、誰も得をしない触手プレイフィスティバルである。


「《とにかく、邪魔をしないで下さい。低空飛行しつつの計算は大変なのです》」


 雷撃機の操縦と航法は本来2人で分担する作業なので、一人乗りのこの機体の設計コンセプトは正気の沙汰ではない。

 それを無理な訓練で補おうとして、実際ある程度は補ってしまうのが自衛隊の悪癖と言えよう。


「了解。黙って見てます」


 武蔵はアリアのパイロットスーツを不躾に観察する。

 優れた対Gスーツであるこのスーツは、マリンスポーツで使用されるウェットスーツのようにピッタリと身体に密着するようになっている。

 グラマラスな美女が着ていれば前かがみ必須であったが、アリアでは色々と物足りなかった。


「《武蔵には目的とか、目標ってあるんですか?》」


 ぽつりと、呟くような問いかけ。

 武蔵は改めてこの会話が外部に漏れていないことを確認してから答える。


「なぜ俺達が時間を超えたのか、その調査だな。俺はこの時代について未だよくわかってない」


「《ふーん……ハーレムを作るとか言っていた気がしますが、妻になることを同意してくれた女の子達のことはどうでもいいのですね。所詮下半身でしたか》」


 どうでも良さげなおざなりな感想。

 それを突かれると武蔵としても痛いのだが、彼には彼なりの優先順位があるのだ。


「彼女達のことは心配だが、もう100年経っているんだぞ。もう亡くなっているか、安定して生活しているかの二択だろう。今はとにかくこの世界が何なのか、情報収集だ」


「《この世界が何なのか、とは?》」


「宇宙人が侵略して人類滅亡寸前、ってアホか」


 武蔵は根本的過ぎるツッコミをした。


「こんな古典SFみたいな状況にタイムトラベルしました! なんていうよりは、この世界が仮想世界のVR空間と考える方がずっと現実的だ」


 流石に聞き流せず、アリアは顔を上げた。


「《私、この世界で3年間生きてきたのですが。今更そんな現実逃避みたいなことを言われても困ります》」


 それは不抜けたことを抜かす武蔵への糾弾であった。


「あくまで可能性だ。VR空間ではないと判断している、ここは残念ながら現実世界だよ」


 一度仮想世界に囚われたからこそ、武蔵はすぐにその否応判断を実験出来た。


「2045年のVR技術は、もう現実と変わりない水準に達していた。だからこそ、それを内部から見分ける方法も幾つか提示されていた」


 シミュレーターの世界ならば、シミュレートの想定外のことをすれば良い。

 時雨の用意したVRに囚われた際はあっちこっち歩き回っての粗探しをしたが、今回のタイムトラベルにおいてはそんな方法では矛盾は生じなかった。


「《じゃあ、どうしたのです?》」


「仮想現実はマクロの世界を描写するものだ。ミクロの領域までは演算していない」


 VR空間では顕微鏡でミクロの世界を確認出来る。そんな細かい部分までシミュレートされているわけではなく、顕微鏡というオブジェクトは状況に応じたミクロ世界のテクスチャが描写されるのだ。

 だが、これが起こるのはあくまで『顕微鏡』と分類されるオブジェクトだけ。

 武蔵は現信濃保有のハカセの工場にて顕微鏡を自作して、マクロの世界を覗いてみたのである。


「シミュレーターには顕微鏡と分類出来ないようなガラクタでも、きっちりプレパラート上の細胞まで確認出来た。この世界はまごうことなくクソな現実だ」


 異世界だと思っていたら、ただの仮想現実でした……なんて、そんなオチな物語があれば読者は激怒間違いなしであろう。

 その割に現実だと思っていたこの世界が仮想現実だった、というオチは割とある気がする武蔵であった。


「《第701飛行隊、こちら秋津洲管制。訓練内容を変更。同海域における海難救助訓練を実施せよ》」


「えっ」


「《了解。要救助者を捜索します》」


 唐突な訓練の変更に、驚く武蔵に対して淡々と対応するアリア。

 急過ぎる命令に、流石の武蔵も困惑させられる。


「こんな訓練内容の変更なんて聞いたこと無いぞ」


「《そういうことをするのです、あの司令官は。いいから高度を上げますよ。You copy?》」


「―――willあいよ copy.」


 2機の宵龍しょうりゅうは上昇に転じる。

 そして1時間後。

 武蔵とアリアは、海上に浮かぶ小さな筏を発見した。


「あれか」


「《Friendly contact. 武蔵、要救助者は見えますか?》」


 筏の上空をフライパスして、オレンジの筏に乗り込む人影を確認する。

 当然ながらそれは万一発見に失敗しても惜しくないダミー人形であり、そして武蔵にとって見覚えのあるものだった。


「馬鹿なっ!? どうして、どうして奴がここに!?」


「《武蔵? どうしたのです?》」


 その人物に、愕然とさせられる武蔵であった。


「北極二号―――どうしてっ、お前!?」


「《え、まさか。回収されていた―――!?》」


 なぜかリサイクルされていた人形に、2人は機内で頭を抱えた。

 信濃謹製の残念人形。

 何故か彼女は、海難救助訓練用のダミー人形としての地位を手に入れていたのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る