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『2143年12月23日』
今や秋津洲は、ドラム缶星人に纏わりつかれて占拠されている。
本来、宇宙服とは高度な人体工学と職人的な縫製技術により、安全性と身軽さという相反する要素を両立させた高度な技術力の結晶なのだ。
安全性を優先すれば動きにくい。動きやすさを重視すれば安全性が危ぶまれる。
それを両立する為に、21世紀の宇宙服は惜しみなく最新素材を組み込んだ高額なものとなっていた。
宇宙での船外活動は、それを許容するほどに過酷なのである。少しでも良質な宇宙服を求めたのは当然であった。
……そんなかつての努力を鼻で笑うような、このチンケなドラム缶型宇宙服。
これこそ、現在の自衛隊正式採用宇宙服。合理性とヤケクソの結晶たる『99式宇宙服』である。
「疲れた。超疲れた」
一週間の間、37回の起爆による加速を行いながら地球至近の衛星軌道に進入する。
加速は大雑把に6回の起爆、減速は慎重に11回の起爆。
それに加えて、衛星軌道への進入という液体ロケットでも困難な精密作業を達成する為に20回ほどの小規模な起爆を実施。
ようやくそれっぽい、でもなんだか不安を拭えない微妙なラインに突入した秋津洲。
曳船と秋津洲を繋ぐワイヤーを手作業で外していく。
単純かつ堅牢な仕組みで繋がれたワイヤー、言ってしまえばただの紐だ。
だが一本一本に数十トンの
「《大和空尉、ご武運を》」
「ああ、帰りも頼むよ」
武蔵と曳船の作業員は敬礼して別れる。
1週間の重労働で、彼等には奇妙な絆が生まれていた。
この昼も夜もない1週間、武蔵達はひたすらに薬袋を運び続けた。
風呂に入ることも出来ず、汲み取りトイレの底のような自身の汗や排泄物の悪臭に絶えつつ、クソ不味い保存食を無理矢理に飲み込みながらの作業であった。
「狭くて不衛生な環境……1週間で済んだからいいものの、過酷さではそれこそ奴隷船に匹敵したのかも」
やっと終わると意気揚々な心地で秋津洲の気密区画に戻る武蔵。
「ただいま戻りましたー!」
怒られるギリギリアウトな域でフランクな声を上げ、武蔵は気密区画へと入る。
そして宇宙服を脱ごうとして、周囲の人間に飛びかかられて制止された。
「くさそうだから脱がないでくれなのです」
ぴしゃりと告げるアリア。
1週間ぶりの再会の挨拶が「くさそう」である。
武蔵はうぐぐと呻き、言い返した。
「そ、そういうアリア……先任とて大概かと!」
呼び捨てにしそうになって、なんとか敬語に進路修正する武蔵。
「この1週間、風呂に入ることもせず引きこもっていたアリア先任も割とくちゃいです」
「く、臭くないのです! というか宇宙服の中から判るわけないでしょう!」
「いえ、その、言いにくいのですが、臭さが醸し出されてます」
「かもっ……!?」
口籠って、言い淀む演技が様になっていた。
武蔵の名演に、アリアも自分の体臭が視覚的効果を伴うほどに達しているのではないかと危惧してしまう。
自分の服をくんくんと嗅ぐアリアに、武蔵は肩を竦めて問う。
「くちゃかった?」
「死ねっ!」
アリアが武蔵を殴った。
宇宙服という名のドラム缶は、女子の手には硬すぎた。
「son of a
「この美少女、臭いかはともかく口汚ねぇな」
英単語で書くと判りにくいが、所謂「サノバビッチ!」である。
「仲がいいようだな」
のっしりと達磨が現れた。
正しくは達磨のような巨漢の男だ。
「司令官」
びしりと敬礼して、武蔵は困ってしまった。
自衛隊において、帽子やヘルメットを被った状態では一般的にイメージされる手刀をこめかみに当てるような敬礼を行う。
何も被っていなければ、普通に頭を下げる礼が自衛隊式敬礼だ。
ならば宇宙服ではどうなのだろうか。武蔵の知識では海上・高空保安庁においては特殊な敬礼があったはずであったが、海上自衛隊における規律については知らなかった。
武蔵が受けた教育訓練は、航空自衛隊仕様なのである。
あるいは短期化された弊害か、武蔵が聞き逃していたか。ともかく宇宙服着用時の敬礼パターンは習っていない。
困る武蔵であったが、幸いなことに武蔵の行動を咎める者はいなかった。
「着席したまえ。地球に降下すれば、思う存分身体は洗える」
そう言う司令官、飛蒼多聞の鼻にも塩が吹いている。
ただの鉄塊でしかない今の秋津洲にはクーラーなどない。人の発する熱は宇宙空間という魔法瓶の中で蓄積し、気密区画は今や蒸し風呂と化していた。
それでも、排泄物を隔離出来るだけ99式宇宙服よりはマシであった。
艦長に促されるままに着席した武蔵達は、迫る大気圏突入の時を待つ。
別にこれ以上武蔵に課せられた作業はない。
実は武蔵には地球降下シークエンスの知識もあるのだが、秋津洲クルー内で武蔵が星間飛行士を目指していたことを知っているのはアリアだけだ。
火薬袋の運搬と違い完全な専門職なだけあって、さすがに手伝いを命じられることはなかった。
「ケツが痒い頭が痒い股間が痒い」
「地上に降りれば露天塩化泉混浴水風呂が待っとります。きばりましょう」
「それってただの海じゃね?」
沖ノ鳥島の海ならばそんなに冷たくはないであろうが、落胆は禁じ得なかった。
「海水風呂は海自の名物でっせ」
「せめて沸かせよ、っと、重くなってきたな」
船員達の背中に荷重がかかる。
無重力という夢見心地から現実へと回帰したような、世界の反転する感覚。
普通に寝そべっているような錯覚を覚えるが、それは大気の抵抗が始まった感覚だ。
「凰花の大気圏突入よりは楽だな」
飛空艇である秋津洲は、船体周囲に不可思議な浮力を発生させて空に浮かぶ。
大気圏突入時の断熱圧縮も機関によって防げるし、そのエアブレーキは凰花の翼面積とは比較にならない。
凰花は一気に落ちて終盤で急ブレーキがかかるが、秋津洲は最初から最後まで均等にブレーキを制御出来るのだ。
「たまにあるんですわ」
「何が?」
「船殻が絶えきれんくなって、大気に轟沈する護衛艦の話」
「ちょっと待ってなんで今その話すんの?」
「補修しとるとはいえ200年前の船でっからな。まあしゃーないんですわ」
「降りるー! 俺おうち帰るー!」
戦場で死ぬなら自己責任だが、船ごと沈むなど不服以外の何物でもない。
そんな死に方をする奴などざらにいる。パイロットが空で死ねるなどという保証はない。
「大和空尉の船外作業だって、いっつも数人は死ぬもんです。今回は誰も死なんくて良かったですわ」
「ぶへぇ」
作業中も感じていたが、やはり極めて危険な作業であるらしかった。
「おっかない話ですな。手足動かしとるだけで空気が抜けて、血が沸騰して目ん玉飛び出すんです」
「はい嘘! 真空だからって血は沸騰しないし目も飛び出さない! けどヤメロー!」
耳を塞ぐジェスチャーをする武蔵。宇宙服を着ているので、当然意味はない。
そんな野郎達を見て周囲は思う。
こいつら、結構余裕そうだな、と。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
扶桑野の関西弁が奇妙に感じられたとしたら、それは作者の怠慢や勉強不足ではなく、百数十年の間に日本語が変化した為です。
世界が滅んだのですから、関西弁だって変質します。しますとも。
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