1-17



 秋津洲が割れた海に沈んでいく。

 巨大な船舶用のエレベーターを降りて、セルフ・アークの外殻を抜けるのだ。

 この巨大な船が地球に向かう、その第一歩である。


「むっさ。むさくっさっ」


「仕方有りまへんわ。秋津洲の船体に気密性なんてないんでっから」


 顔を顰める武蔵に、隣に座った扶桑野が肩を竦めた。

 地球に降りる為には宇宙を航行せねばならない。だが、秋津洲に宇宙用の装備も機能もない。

 純然たる、海上航行を主とした艦艇である。

 追加された浮遊機関によって飛行能力を獲得しているが、それとてあくまで補助機関。基本的には海に浮かんで行動する船なのだ。

 そんな海上船である秋津洲が、0気圧にして有害な光線や電磁波が飛び交う宇宙空間を進むにはどうすれば良いか。


「これから1週間、この部屋で生活するのか」


「しょーがないでっせ。この部屋が唯一、秋津洲で気密されとるんです」


 今現在、200人もの秋津洲の乗員は、数名の例外を除いて気密区画に押し込められていた。

 秋津洲唯一の、気密・放射線シールドされた区画。

 ここにすし詰めになり、1週間かけて地球へと降りるのである。


「まるで奴隷船だな」


「ドレイセン、ってなんでっか?」


 そう問う扶桑野に、武蔵の方が戸惑った。


「ええっと、昔、船が風の力で動いていた頃の話だが。南アフリカの人間を拉致して、ヨーロッパや北アメリカに労働力として運び込んでいたんだ」


「ええっ? 拉致って、犯罪やんか!」


「その歩留まりを上げる為に、出来るだけ拉致した人間はぎゅうぎゅう詰めにされたんだ。身動き出来ないほどの狭さで」


「そんなん、気が狂ってしまいますわ。ホンマに昔、そんなことがあったんでっか?」


 ドン引きする扶桑野。

 この作戦が失敗したらセルフ・アークでも同レベルの人権軽視が始まるぜ、とも言えず武蔵はただ頷いた。


「気が狂ったかは知らないが、何ヶ月も押し込まれて何割かは到着までに死んだそうだ。それでも採算は合ったんだろうな、かなり長期的に貿易が成立していたから」


「はぁーっ、昔はけったいな奴らがおったんですなぁ。その、何でしたっけ、ヨーロパやキタメリカ、って連中とんでもないでんな」


「おおうっ」


 武蔵は今度こそ驚愕した。パイロットになれるほどの人間が、地球の地理を理解していないのだ。

 この時代に歴史の授業はないんだろうか、と考え、もしかしたら本当にないのではないかと気付く。

 歴史についての研究というのは、混迷の時代より安定した時代の方が深く行えるものだ。

 例えば第二次世界大戦とてそうだ。戦後直後は時間的にさほど経っていないというのに日本軍についての情報は錯綜しており、対して21世紀となれば多くの研究家の成果がインターネット上に溢れている。

 極論すれば、第二次世界大戦当時を生きた人間以上に、21世紀の人間は戦時中について詳しい場合があるのだ。


「いやまあ、もう存在しない国なんて普通よく判らないか……」


 21世紀の人間に『オスマン帝国はどこにあったか』と訊ね、答えられる人間が何割いようか。

 『帝国』の名を冠したほどの大国が、武蔵が生きた時代には有無すらあやふやな知識になってしまっていたのだ。

 平和な時代ですらそうなのだから、戦時中である22世紀において100年前の国家を知らないのはある意味当然とすら言えた。


「存外博識だな、大和空尉」


「司令官」


 武蔵と扶桑野は、飛蒼海将補に声をかけられ、飛び上がるように敬礼した。

 飛蒼はじろりと武蔵を見据え、口の端を吊り上げる。

 なまはげを連想させるような、あまりに残念な笑顔であった。


「大和空尉、私は若者は様々な経験を積むべきだと考える」


「はっ、至言であります!」


「だろう?」


 ぶっ殺すぞこのやろう、という視線を武蔵に浴びせながら、飛蒼海将補は武蔵に命じた。


「船外作業員が足りていない。手伝ってこい」


 周囲の人間が、驚愕し、武蔵に気の毒そうな視線を向けた。

 武蔵は自分に与えられた指示が困難なものであるとそれだけで察したが、だからといって抗命するわけにはいかない。

 上官の命令ははいかイエスで答えるのが軍人という生き物なのだ。


「はっ! 自分はこれより、船外作業を行います!」


 いざとなれば損得で動く武蔵は必要なら抗命も辞さないが、別に逆らうほどの命令ではない。

 ビシリと敬礼した武蔵に、飛蒼は棒アイスの当たりを引いた時のように微笑んだ。

 彼は慈愛の念で部下を苦しめる人種であった。







 宇宙服。

 文字通りの宇宙空間で着込む服だが、その構造は潜水服に近い。

 20世紀後半に発生した冷戦時代における宇宙開発競争において一応の完成を見た宇宙服だが、その後は人を宇宙に送り込むデメリットがメリットを上回ったこともあり一時発展が停滞した。

 だがその間にも素材などの基礎技術は当然発展していたこともあり、ブレイクスルーを果たし宇宙開拓時代と呼ばれた21世紀には様々な宇宙服が実用化されていた。

 SFに登場するような肌に密着する軟式宇宙服や、軽量な素材と人体工学を駆使したロボットのような外見の硬式宇宙服まで。

 世界崩壊直前においてその進化は頂点に至り、その主流は居住性に優れたコックピットモジュールに入り、作業用のマニュピュレーターを操作するというモジュール式宇宙服であった。

 これは身軽な私服で着込み、機械の手足を操作するという形式だ。手足が拘束されないことで、コックピット内で飲食や喫煙、睡眠すら可能な優れた居住性を得た超小型宇宙艇というべきものであった。

 当然この宇宙服は巨大で重量も嵩むが、大型宇宙船が数えきれないほど就航する時代においてはさしたる問題にはならない。

 安全で快適な宇宙服。モジュール式宇宙服はその1つの到達点であり、武蔵がこれから着込むのもそのモジュール式宇宙服の一種であった。


「一種、だよな?」


 武蔵は目の前に浮かぶドラム缶に愕然とした。

 モジュール式宇宙服―――聞こえはいいが、それは手足の生えたドラム缶であった。

 安全性と居住性の両立。そのドラム缶はどう見ても、そんな心配りから生まれた設計ではなかった。


「このドラム缶、放射線シールドされてんのかなぁ……」


「まず心配すべきは気密性でっせ」


 ドラム缶と呼ぶが、流石に本当にドラム缶を流用しているわけではない。もう少し大きな、自販機ほどの鉄柱だ。

 手はモジュール式らしく遠隔操作のマニピュレーターを採用しているが、これはむしろ腕を突っ込むタイプにした場合、関節部の気密に確信を持てないだけではないかと武蔵には思える。

 その手足の動きとて電動・油圧ではなく、ワイヤーで人体の動きを拡張しているだけだ。

 これでは、むしろ機械的な抵抗や仕事量の増加を筋力で補うことになる。

 マニピュレーターというかマジックハンドのようなそれは少し動かすだけでもクソ重く、武蔵は周囲の同僚があんな目をしていた理由を十二分に理解させられた。

 欠陥品だ、これ。

 武蔵のあらゆる工学的知識が叫んでいた。

 欠陥品だ、これ。


「扶桑野、俺が帰って来なかったらアリア隊長に伝えてくれ」


「なんでっか?」


「昔、お前の部屋からパンツ盗んだのは俺だって」


 扶桑野は無言で敬礼した。

 最敬礼であった。







 秋津洲の外に出た武蔵は、ドラム缶―――ないし、99式宇宙服の操縦性の悪さに四苦八苦しつつも秋津洲の前部を目指す。

 武蔵とて、宇宙空間で秋津洲を見るのは初めてであった。その前方には奇妙な構造物が追加され、秋津洲と幾本ものワイヤーで連結されている。

 その構造物は、れっきとした宇宙船だ。

 宇宙空間で巨大な物体を移動させるための、通称『曳船』。正式名称は2型標準曳航船飛鳥丸である。

 この手の船は21世紀にも当然存在したが、武蔵の知るそれとはやはり差異があった。

 武蔵はちゃっちい機械の手を振り、自分の存在を他の船外作業員達に主張する。


「おーい、手伝いに来たぞー」


 叫ぶも、真空を隔てた作業員達には当然聞こえなかった。

 モジュール内を探すも、無線機らしき装置はない。困った武蔵は、作業員に近付いてモジュール同士を接触させた。

 こうすれば、振動が伝わって物理的に声を届かせられるのだ。


「《どうしましたかー!?》」


「すまん、手伝いに駆り出されたんだが! この宇宙服、無線機はどこにある!?」


 この方法は確実だが、振動が伝わりにくいので大声で叫ぶ必要がある。


「《あ、いえ、この99式宇宙服には、無線機はありません!》」


「はあ!?」


「《意思疎通は、ハンドサインか接触会話でお願いします! 単純作業なので、それでなんとかなるかと!》」


 武蔵は目眩がした。

 当然、宇宙酔いからくるものではなかった。







 船外作業員の動きを真似て作業する武蔵。

 重労働ではあったが、確かに単純作業ではあった。

 かつての曳船は小さな船体に大きなエンジンを積んだ宇宙船であり、その過剰推力で船やコロニーの一部などを運搬するものであった。

 だが、2型標準曳航船という船種にはこともあろうかエンジンすら積んでいない。

 多数の巨大な『お椀』を備えた船。それは当然エンジンノズルなわけだが、内部にエンジンに繋がった噴流口などない。


「えっちら、おっちら」


 武蔵はズダ袋を引っ張り、ノズルの奥に積めていく。

 まるで土嚢を積む作業のようだが、これは火薬袋である。


「安全性どこいった」


 可燃物は軍隊において士官以上に丁重に扱われるもの。

 そんな定説を覆すような粗雑な扱いに、武蔵の額には冷や汗が絶えない。

 否、こうするしかないのは武蔵にも判る。この時代では、船舶を曳航出来るような大出力ロケットエンジンなど作れない。いや作れるが、制御できない。

 そんな状況で考え出されたのが、この褐色火薬式のパルスエンジンであった。

 エンジン、と呼ぶのもおこがましい。船の後部で火薬を爆発させ、その反動で推進するというとんでもないエンジンである。

 推進力の制御は火薬袋の数で調節。セルフ・アーク内で生産可能な低価格低性能な褐色火薬を何度も燃やし、船を進めるのである。

 武蔵は曳船側の乗員室に入り、ドラム缶、ではなく99式宇宙服を壁に固定する。

 狭い室内、意思疎通を取る為であろう、宇宙服は隣の者と接触した状態で固定されている。

 よって、武蔵等は隣同士の相手と会話が出来た。


「《お疲れ様です、飛蒼司令官に指示されて来たのですよね?》」


「そうだ。その様子だと、新人に対する恒例行事なんだな」


「《その通りです。ちなみに、このドラム缶宇宙服は窮窮式棺桶とも呼ばれています》」


「なぜその豆知識を今伝えたし」


 そう言った瞬間、猛烈な加速感が武蔵達を襲った。

 パイロットである武蔵ですらきつい加速。まるでカタパルトで射出されるような、身体に不調を抱えている者なら健康被害を受けかねないほどの衝撃であった。

 火薬が遠隔着火され、お椀の中で猛烈に燃焼しているのである。

 多少でもマイルドな燃焼をするように調節された褐色火薬であったが、それでもかつては銃で使用された火薬だ。

 時間差で背中を打ち付けるような衝撃は、とても身体に悪そうだと武蔵は思う。

 衝撃を必死に耐えていると、やがてその連撃は終わり、静寂が訪れた。


「くうっ……これを減速でもやるのか」


 しかもその前に外に出て、火薬袋を詰め込まねばならないのである。


「《充分な加速を得るまで、何度か繰り返しますよ。減速でも当然同じ回数爆発させます》」


 武蔵は盛大に溜息を吐いた。

 この時代の人々が宇宙船を運用するのは、完全に身の丈を超えた作業なのだ。


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