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『2143年12月18日』







 上官に対していい加減な敬語を使う扶桑野であったが、面倒見は良いらしく、彼の助けを借りて武蔵は短時間で秋津洲での生活リズムを掴むことが出来ていた。

 アリアも協力的ではあったが、女性ということで勝手の違うことも多く、また武蔵や扶桑野ほど要領が良くないのであまり暇ではないのだ。


「手伝おうか?」


「結構なのです」


 組織で一番忙しいのは、やはり中間管理職である。

 平の武蔵より隊長のアリアの方がやることは多く、暇を噛みしめる武蔵にアリアは思わず胡乱な目を向けてしまっていた。

 ところで、軍艦は整備、訓練、配備のローテーションにて運用される。

 それぞれが1年ずつなどといった長期のスパンで回るのだが、戦時下となると犠牲になるのはやはり訓練だ。

 整備を適当に行えはしないし、配備せねば意味はない。

 そうして、訓練がおなざりとなって練度が下がってゆくのだ。

 これが短期戦であれば練度の低下もある程度まで我慢出来るのだが、戦争が常態化した国家においては軍隊としての統率が緩んでゆくのである。


「俺、発艦訓練すらやってない」


「安心して下さい、我々の司令官は配備中でも思う存分訓練するので」


 今日は出港の日。

 武蔵が軍艦へと返り咲いた秋津洲に乗って、未だ2週間弱。

 細々とした打ち合わせやマニュアルの読み込みでこの時間が浪費され、一度も訓練を行ってすらいなかった。

 出港準備となれば色々と慌ただしいものだが、飛行隊に関しては我が道を征くものだ。

 まして空中勤務者ともなれば、完全にやることなどない。邪魔にならないように大人しくしているくらいであった。

 甲板縁の手すりによりかかり、武蔵とアリアは港を眺めてぼんやりと時間を潰していた。


「人が働いている時にサボるのは気分がいいな」


「否定はしないのです」


 ごそごそと懐を探るアリア。彼女もようやく仕事が一段落し、こうして駆け回る者たちを睥睨していた。

 取り出した小さな箱を見て、武蔵は眉を顰める。


「体力が減ると判りきってて、どうしてそんなものを吸うかね」


「いいじゃないですか、みんな吸ってます」


 アリアが吸い始めたのは、軍用の紙タバコであった。

 スポーツ医学という点から見れば空中勤務者の喫煙は愚かとしか言いようがないが、たった一人でこの時代に迷い込んだアリアにとって必要な精神安定方法だということも武蔵は理解していた。

 だからこそ、多少苦言を呈する程度で済ませるのである。


「ストレス発散したいならせめて食え。それはそれで問題だが、まだマシだ」


「太るじゃないですか」


「お前は痩せっぽっちすぎる。スポーツ選手と違って動き回るわけじゃないんだから、もう少し脂肪を付けた方がスタミナは伸びる」


「疲れたら黒砂糖でも舐めてますよ」


 まったく聞く耳を持たないアリア。

 武蔵としても本気で辞めさせるつもりではないが、スポーツ医学に基づいた食生活のイロハを教えたのは武蔵であった。

 疲労回復に糖分をとれとは教えたが、それを喫煙の言い訳にされても困るというものである。


「ほら、これやる」


「おや? なんです、そういう貴方もちゃっかり吸っているのではないですか」


「違う、艦内スタンプラリーの景品だ」


 タバコを投げ渡す武蔵。

 それを受け取ろうとしたアリアだが、直後の第三者の奇声に驚いて取り落とし、タバコは甲板に転げ落ちてしまった。


「おにーちゃああぃぃぃあああぇあぅぅぅぅぅんっ!!」


「今のどうやって発音した」


 声に目を向ければ、埠頭にて手を振る2人の姿があった。







 全ての軍艦には特定の母港が存在する。

 ということは、その港を監視しておけば、軍艦の動向はほぼ完全に把握されてしまう。

 よって、海軍において作戦行動での出入港は基本的に秘密裏に行われるものだ。

 更に諜報の専門家ともなれば物資や株価の変動から船の動きまで読み取るが、文明が滅んだ22世紀においてそこまで警戒する必要はさすがにない。

 とかく、今回の出港は間違いなく有事としてのものだ。出港の際に大々的に別れをする機会など自衛隊側は用意しない。

 出港は粛々と行われ、家族との別れは、各々で済ませるものだ。

 そんな身内である信濃と由良が軍港内に入れたのは、一重に2人が自衛隊にとっても重要人物であるからに他ならない。

 突然の訪問であったが、組織はこの2人という個人をないがしろには出来なかったのだ。


「おでぃーじゃあぁーん」


 グスグスと泣きじゃくり、武蔵の腹を色々と体液で汚してゆく信濃。

 武蔵も答えるべく彼女の頭を撫でていると、背後に回っていた由良が武蔵にそっと首輪を付けた。


「いやナチュラルになにやってんの君」


「いけない人―――ずっと、そばにいてくれるって言ってくれたのに―――」


 由良の目がぞっとするほど静かな光を湛えていた。


「おい由良ちゃん何のつもりだ、俺は犬は好きだが犬になるつもりはない」


「お兄ちゃんが望むなら犬プレイでも野外プレイでもなんでもするがらー!」


「歳考えたらキッツいな今の発言……」


 信濃は這いつくばり、その場でワンと吠える。

 周囲の隊員達の視線が最高に痛かった。


「とりあえず立ってくれ、信濃」


「チンチン! チンチンすればいいんだね!」


「曲がりなりにも軍事施設だ、ほんとやめてくれ怒られる」


 武蔵は焦った。

 自衛隊内で武蔵は非常に危うい立場だ。実力主義な航空自衛隊の所属だが、実情は年功序列が強い海上自衛隊に借り暮らししているのだ。

 強引な方法で居場所を構築した武蔵には疑念の目を向ける者も多く、周囲に隙など見せられない。

 こんな奇行をされては、弱みに成りかねないのだ。


「曲がりチンチンすれば愛してくれますか?」


 武蔵は信濃を抱き上げて、海に落とした。


「今日は見送りの挨拶にくれてくれたのか、ありがとうな由良ちゃん」


「お兄さん―――行っちゃうん、ですか」


 うるうるとした瞳で武蔵を見上げる由良。


「ひゃ、百年ぶりに会えたのに―――どうして、また居なくなってしまうんですか」


「それを言われたら困るんだが」


 武蔵には、妻にすると明言していたにも関わらず100年間も放置していたという負い目がある。

 テロメア伸長化措置によって寿命が長くなっている21世紀の人間にとっても、それは全く以て短い時間などではなかった。

 だが、武蔵は合理主義者であり、リアリストなのだ。


「この時代に来て、色々調べた」


 武蔵はこう見えてエリートだ。

 その知識は多方面に及び、あらゆる方面の情報を有機的に解析出来る。

 この2ヶ月間、武蔵はひたすらに情報収集に努めてきた。


「この世界は、ほとんど積んでいると言っていい。これからセルフ・アークというゆりかごは苦境に陥る。いや、もう陥った結果が現状なんだけど」


 技術力の衰退、経済の悪化。

 生活レベルの大幅な低下は、だがまだ許容範囲なのだ。


「120万人もの人口を支えるほどの力は、セルフ・アークという宇宙コロニーにはない」


 かつては地球や他コロニーとの経済活動によって、この数字を充分に支えられた。

 だが、ほとんど完全に孤立してしまった22世紀のセルフ・アークにとって、120万人という人口はあまりに重荷だった。

 この100年は様々なリソースを食い潰すことによって、そして多くの若者の命を消耗しての地球上からの物資供給作戦によってなんとか誤魔化せてこれた。

 だが、もう限界だった。


「ここから先は、死人が出る」


 むしろ、100年間もよく凌いだと武蔵は評価していた。

 既に食料品の値は上がり尽くし、そもそも商品の供給が乏しい。

 地球上からの物資供給が途絶えれば、近代農業を行えなくなる。


「近代農業を行えなくなれば、飢饉だ。飢えれば国が乱れる。歴史上、大規模な動乱のきっかけはいつも飢えだった」


 フランス革命からソ連崩壊まで。

 思想や社会形式などどうでもいいのだ。民衆は、なにより飢えることを恐れる。

 そして、飢えれば狂う。

 八つ当たりのように誰かに責任を求め、それを口実にリソースを奪い合う。


「セルフ・アークという箱庭の中で、内戦か革命が起こる。そして救いのない話だが、それは何の解決にもなっていない」


 強いて言えば、このセルフ・アークで自給自足出来る数にまで人間が減るまで闘争は続く。

 そして安定期に入った時、あらゆる秩序は崩壊しているはずだ。

 地球上であれば他国からの支援や介入なども考えられる。

 とんでもない話だが、完全な無政府状態であれば大国の介入による安定の方がまだマシという状況も有りうる。

 だが、この地では立て直しも自分で行わなければならない。


「その時点で日本という国家は終わり、中世は始まる。たぶんそれがきっかけだ」


 混乱は数十年、禍根は数百年続くかもしれない。

 そして、一度中世に堕ちたセルフ・アークは二度と近代には戻れないのである。

 あるいはコロニー内に複数の原始的国家が生まれ、剣と弓で戦う時代となるかもしれない。

 琵琶湖ほどの箱庭で殺し合いを始める人類。

 悪夢だった。


「それだけは避けなきゃいけない。俺は、お前達の人生に責任を持つと誓った。だから、お前達の未来を守るべく行動する」


 それが、今の武蔵の行動指針であった。

 もしこのタイムトラベルが未知の技術であれば、その技術を探し出して100年前に戻り、人類滅亡を回避するという指針もあったかもしれない。

 だが武蔵が100年を超えたのは、コールドスリープという最も原始的なタイムトラベル手段によるものと推測される。

 どうやっても、もう100年前には戻れないのだ。

 だから、彼は最善手を打ち続ける。

 それしかないのだから。


「だから、待っててほしい。俺は必ず由良ちゃんの元へ帰ってくる」


「お兄さん―――」


「おにいじゃーん、わだしはー?」


 武蔵は海から這いずり出てきた信濃を持ち上げ、困ったように苦笑する。


「ずぶ濡れじゃないか、とりあえずこの上着を羽織っておけ」


「お兄ちゃん、優しい……!」


 ポッ、と頬を赤らめる信濃。


「ひどい自作自演を見たのです」


 アリアが愕然とした面持ちで兄妹のやり取りを見ていた。

 塩水に濡れることも厭わず、優しく信濃を抱きしめる武蔵。


「俺のしたいことは、俺自身が果たさなければ意味がないから―――信濃、俺は行くよ」


 武蔵はそっと、最後の熱すら惜しむように信濃から離れた。


「俺のハーレム道は、こんなところで途切れたりしない」


「お兄ちゃん―――! これ、私だと思って使って!」


 信濃が差し出したのは、抱き枕のように巨大な筒状の布であった。


「工場の技術の粋を集めて、お兄ちゃんの為に作ったの。北極二号」


 布を剥ぎ取る。

 女性型の等身大人形であった。


「ありがとうーー!」


 ビシリと敬礼する武蔵。

 信濃は、それに無言で敬礼を返す。

 踵を返し、決して振り返ることをせず毅然と歩く武蔵とアリア。

 2人が乗り込んでしばしして、秋津洲は低く重い汽笛の音を5秒間轟かす。

 信濃と由良は、港から遠ざかってゆく秋津洲をいつまでも見つめていた。







「いらん」


 そう言って、北極二号を海中投棄したのは港を出て5分後である。

 不法投棄だが、アリアはそれを止めなかった。


「100年経っても、この兄妹はちょっとおかしいのです」

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