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 海軍の洗礼を華麗に回避した武蔵は、改めて船内について見聞していた。


「あー、俺の部屋が」


 少人数で運用していた学生時代は、有り余る部屋を部員全員に割り振れた。

 だが戦闘艦となると、余分なスペースなど有りえない。椅子の下に野菜を詰め込み、魚雷を抱き枕に添い寝するのが軍艦なのだ。

 かつて武蔵の私室であった場所は別の用途に使用されており、新たに設けられた幹部居室は相部屋であった。


「まあ士官だし、すし詰めじゃないだけマシか」


 これが曹士の居室なら、狭い3段ベッドの中だけが自分の空間となっていたところである。

 空部の面子で乗っていた頃は広く思えた艦内が、今では酷く狭く、重い。


「重い?」


 自分の感想に、武蔵は眉を顰めた。

 そう、空気が重いのだ。

 拭いきれないほどの血の匂いが、この船が今現在も実戦投入されている裸猿のタンパク質体を内包する、鋼鉄の棺桶であることを知らしめている。

 そんな感傷を、武蔵は苦笑で振り払う。

 まったく以てバカバカしい勘違いである。そもそも、秋津洲という船は第二次世界大戦の時点で実戦投入され、死者を出しているのだ。

 それから100年後、雷間高校の若者達はそんな歴史的事実を忘却して、あの艦橋を青春の舞台にしていたのである。

 それを不謹慎だと謗る気など武蔵にはない。むしろ、かつての英霊達もその平和利用を喜んでいるとすら思っている。

 ただ事実として、あの場は最初から血が染み付いた古戦場であったのだ。


「そも、この船の立ち位置がよく判らん」


 武蔵はごろんと硬いベッドに転がった。

 第七護衛艦隊などと仰々しい名を関してはいるが、その陣容はお寒い限りである。


「頭数では水雷戦隊にすら劣るなんて、冗談みたいだ」


 海軍において、船は複数隻で運用される。

 その理由は推して知れるであろう。単艦で行動して機関故障すればそれで身動きが一切取れなくなるし、敵に撃沈されれば乗員はもれなく全員海の藻屑だ。

 複数艦であれば機関停止しても牽引という選択肢が生まれるし、僚艦が撃沈された場合、小型艦艇であっても無理をすれば大型艦艇の乗員を便乗させることは出来る。満員電車も真っ青な定員オーバーだが、それでも不可能ではない。

 もしもの時のバックアップ―――その為に軍艦は複数隻を連携させての運用、すなわち艦隊を組みものだ。

 その規模は状況によって様々だが、最低でも旗艦を中心にして4隻程度は集まるものである。

 大規模な連合艦隊となれば何十隻と船先を連ねることとなるが、オアフ島の現状を調査する人員を送り込む為の先触れでしかないこの艦隊の陣容はなんとも寒々しいものであった。







 工作艦 秋津洲(旗艦)

 他、輸送船2隻







 以上、3隻である。


「UNACTを舐めてるのか、日本の国力がそれほど逼迫しているのか」


「両方でっせ」


 武蔵の独り言に、返事があって武蔵は飛び上がるように敬礼した。

 武蔵に充てがわれた部屋の、もう一人の住人が現れたのだ。


「おお、すいませんな驚かせてもうて。わいは扶桑野っちゅーもんや。よろしゅうございます」


 へらへらと笑う男に、武蔵は若干力を抜く。

 階級章を見る限り、彼―――扶桑野は武蔵より1つ下、准空尉であったからだ。


「はじめまして、大和武蔵だ」


 階級が上の武蔵は尊大な口調をしつつも、しっかりと挨拶はしておく。

 この時代の自衛隊について調べていた武蔵は、この男についても情報収集を済ませていた。

 扶桑野 真白。下士官、要するに下っ端からの叩き上げで空中勤務者にまで成り上がった実力者だ。

 本来ならそのまま士官に上り詰めてもいいほどの功績を残しているらしいが、素行不良によって昇進は差し控えられているとのこと。

 とにかく、別に注意せねばならない対象ではないものの、扱いには微妙に困る存在なのである。


「空尉殿、五十鈴技師のコレクションを対価に機体を融通してもらったって聞きましたで。あのお人は秘蔵のコレクションをなかなか出さないって聞きますんに、どうやって口説き落としたんです?」


「耳ざといな」


 どこからそんな情報を得たのか、武蔵は呆れた目を扶桑野に向けた。

 再会を果たした零戦であったが、結局それを武蔵が配属された秋津洲に載せることは叶わなかった。

 当然といえば当然である。地上基地ならあるいはともかく、積荷に余裕のない小型艦艇に員数外の装備を載せるなど無理に決まっている。

 それでも裏工作次第では不可能ではなかったが、後の軋轢を考えれば躊躇われた。

 UNACT相手に零戦が通用するか、という問題もあった。

 だが、とはいえ機体もなく予備搭乗員として船に乗り込むなど、武蔵としては御免こうむる。

 故に、武蔵は駆逐雷撃機を自分で確保することにしたのである。


「融通と言っても、由良が持ってたバッテリーを提供しただけだぞ。機体そのものは練習機のハンマーヘッドだ」


 武蔵が調達したのは、以前訓練に使用したハンマーヘッドであった。

 機体が貴重とはいえ、それそのものは新造出来る。

 今となっては新たに作れない高性能バッテリーを対価に、武蔵は彼のハンマーヘッドの使用権を得たのである。


「そんで、空尉殿は五十鈴技師に何を返したんや?」


「愛」


 平然と返す武蔵。

 何の冗談かと武蔵を凝視した扶桑野は、しばし武蔵を見つめ、そして爆笑した。


「愛! 愛か、そかそかー!!」


「なんか凄い馬鹿にされている気がする」


「そんなことあらへんでっせ、ほんまやほんま!」


 ゲラゲラと笑う扶桑野に精神注入棒の代わりがないかと周囲を見渡す武蔵。

 ちょうどいい感じのパイプレンチを見つけたが、そこで扶桑野が笑いを止めた。


「ちょ、それは勘弁しといて下さい。お尻が回ってまいます」


「回るのか……しかし、由良はやはり有名人なのか?」


「そらそうです。あの人がおらんかったら、今の自衛隊はありまへん!」


 この反応は度々見かける機会があったのだが、武蔵にとっては意味不明なものであった。

 あの性別年齢不詳の恋人が、一体何をやらかしたというのか。

 これも情報収集の一環ではあるが、本人に訊いても答えて貰えないので、今の今まで後回しにされていた。


「あの人は、作れんくなったジェットエンジンに代わってレシプロエンジンを製造、普及させたお人です。あの人がおらんかったら、人類はほんまに空を失ってました」


 なるほどと、事情に通じる武蔵はこれだけで納得した。

 21世紀において、レシプロエンジンはほぼ絶滅していた。それより高性能で軽量なジェットエンジンや、扱いやすい電動機がいくらでも普及していたからだ。

 21世紀初頭まではリノ・エアレースなどでほそぼそと技術継承されていたものの、それとてレシプロエンジンの枯渇からレギュレーション変更され、ターボプロップやターボシャフトが解禁された。

 そう、レシプロは自動車用すら含めて、一度系譜が完全に途絶えてしまったのである。

 まして真新しい宇宙コロニーであったセルフ・アークは、中身も真新しい物ばかりであった。趣味以外で内燃機関の自動車を乗る者など皆無であったし、それに精通した技術者もいなかった。

 とある物好きな仕事を請け負う、小さな工場の従業員を除いて。


「世界が滅亡して、ただの風車だと思っとったジェットエンジンがとんでもない技術の塊だってこのコロニーの住人は気付かされました。わいには詳しいことはよう判りませんが、とにかくもうジェットエンジンは作れんくなあてもうたんです」


 第二次世界大戦に参加した全ての国家が、ジェット機の本格投入を行えなかった。

 それは、ただシンプルに回転するタービンの筒が、決して容易ならざる技術であることを如実に証明していた。


「生き残った技術者達はなんとかジェットエンジンを造ろうとしたんやけど、出来上がるのはすぐ焼き切れる欠陥品ばっか。こらもうあかんって諦めかけた時、あの人は火星エンジンのレプリカを自衛隊に持ち込んだんです」


 コロニー内の冶金技術でも新造可能な、大出力航空機用エンジン。

 その回答は、あえて旧世代の物を復刻するというものであった。


「他にも色んな技術を実用化した、飛行機の神様みたいな人や。あの人に秘蔵のコレクションをポンと提供させるなんて、こいつ何者やって今海自は噂でもちきりなんですわ」


 由良の物は俺の物、とまではいかないが、交渉材料として提供してくれるというので貰ったバッテリーでそこまで大騒動となっているとは思わず武蔵は困ってしまった。

 身一つでタイムトラベルしてしまった割に、金銭的にも物質的にも後援が多数おり贅沢な男である。


「まあ練習機っつーても、スペック的にはほぼ同等や。1機でも多いのは有り難いです」


 自衛隊には珍しく、このハンマーヘッドは武蔵の専用機となっていた。

 希少な高性能バッテリーを降ろし、油圧ユニットを量産型と同じパルスジェット動力に換えた機体。

 元々が複座の練習機である為、若干性能が目劣りしており、しかも爆雷も1発しか積めなくなってしまった。

 専用機と呼べば聞こえはいいが、欠陥品を押し付けられたのである。


「この船は色々と役割を求められとるんで、搭載機がそもそもめっかさ少ないですしね」


「お前はこの船の作戦に参加するのは初めてじゃないんだよな。実際のところ聞いた運用はかなり無理がある気がするんだが、どうなんだ」


「何がです? 上層部批判は処罰されまっせ?」


「こんな小さな船で、母艦と工作艦を兼任することについてだ」


 航空機を運用する空母と工作艦は、一応は元々役割が被っている。

 物資の補充が出来ない洋上で、部品が足りないからと航空機を飛ばせなければ存在意義が問われるであろう。

 故に、空母には高度な工作機械が積み込まれている。部品が無ければ、ある程度は新造出来るのだ。

 よって空母という艦種は工作艦の能力を持っていると言えるのだが、やはり専用艦ではない以上限界はある。


「どうかと問われれば、まあ、貧乏暇無しですわホンマ」


 肩を竦める扶桑野。

 船の能力というのは、やはり特化させた方が効率がいいのだ。

 なんでもかんでも載せようとして中途半端に落ち着くのは、貧乏海軍の常なのである。


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