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『2143年11月20日』
翌朝。
しっぽりと愛を確かめ合った夜を超えて、2人はハカセの工場へとやってきた。
「おお、懐かしのゼロ!」
大日本帝国海軍において空戦可能機を示す、明灰白色の翼。
太陽光を反射して白銀に輝く21型の長い主翼は、製造から200年経った今も尚美しい。
黒いエンジンカウルは本来ならば栄空冷エンジンを収めているが、この機に限ってはT700ターボシャフトエンジンを積んでいる。
殺人的な運動性能を発揮する為の、推力偏向カウルフラップや高揚力装置の数々。
オリジナルとはほぼ別物と化した、武蔵の為の、武蔵の為だけの怪物は、小さなガレージの地下にて眠り続けていた。
「モスボール状態からの回復は終えています―――試験飛行、しますか」
「飛行許可を申請してない」
「昔みたいに、あちらこちらで航空機が飛んでいるわけではないので―――申請義務は、有名無実化しています」
「ええぇ……」
つまり、思い立ったら飛んでいいのだ。
いや駄目なのだが、それを取り締まる体制は当の昔に崩壊しているのである。
ケロシンの燃焼が、タービンブレードを叩きベアリングをかき回す。
22世紀においてはロストテクノロジーと化した、ターボシャフトエンジンの嬌声が地域一帯に鳴り響く。
減速された高速回転はプロペラへと伝わり、スマートな零戦のフォルムとは不釣り合いなほどに冒涜的な大型4枚プロペラを猛然と胎動させる。
それは、風の暴力であった。
有り余るパワーが軽すぎる機体を揺さぶり、隙あらば横転させてしまえと吹き荒れる。
《飛べそうですか、お兄さん―――?》
「大丈夫だ、ここから離陸したのは1度や2度じゃない」
工場空き地の、ほんの小さなスペース。
回転翼機ならばともかく、固定翼機なら本来とても離着陸出来る空間ではない。
だが武蔵の零戦は、推力重量比が1を超えている。
主翼がなくともプロペラの推力のみで飛べるだけのパワーを持っており、パイロットの技量によってはヘリコプターのように最低限の距離で離着陸が可能なのだ。
これをSTOL能力と呼ぶが、ゼロセカンドの場合は意図的に設計されたわけではない。結果的にそんな能力が確保されただけだ。
「下手に壊したら直せないからな」
言いつつ、しかし不敵なほどに堂々と零戦は浮かび上がった。
僅かな向かい風を捉え、推力偏向装置で機首を持ち上げて、そのまま力ずくで飛び上がったのだ。
エンジン出力の発達により似たことが出来る機体は21世紀にはそれなりにあったが、それでもやはり違和感の強い離陸方法だと由良は思う。
しかしそこに不安定さなど微塵もなく、悠然と零戦は上昇していったのであった。
『2143年12月6日』
武蔵が零戦と再会してから3週間後。
「君かね、最近の自衛隊で動き回っている工作員というのは」
「お言葉ですが司令官、このご時世でどこの回し者だと仰るのですか」
「フン、くだらん」
武蔵を見据え、男は鼻を鳴らした。
男とて、武蔵が諜報員ではないことは判っている。極力目立たないように立ち回るのが工作員であり、活発に活動する武蔵はとてもそれらしいとは思えない。
だが、得体の知れない怪しい人物であることは疑いようがなかった。
「君は若葉空尉の親戚だそうだが、2人揃って宇宙遭難者とはな」
忘れがちだが、若葉とはアリアの名字だ。
アリアは信濃に親戚という名目で被保護下に入ったので、書類上は武蔵とアリアは親戚となったのである。
「宇宙船で生活してきた者や、そういった世捨て人の子孫が発見されることは時折ある。だが、君達はそういった者達とは違うだろう」
そう言って、ブルドッグのような男は武蔵を睨んだ。
というか、常時誰かを睨みつけるような目をした男であった。
弛んだ顔の皮が重なり、目は小さくぎょろりと動く。
一見すれば小太りの冴えない老人であったが、眼光だけは鋭かった。
樽のような肥満体はのっそりと鈍重であり、とても軍人らしくはない。
ただただ、目だけは人殺しのそれであった。
「何分、世間知らずなもので」
武蔵の勘が、この男は警戒すべきだと叫んでいる。
敵でも味方でもないが、この男は味方であっても喰らいつく男だという気がしてならない。
その警戒をおくびも出さずに愚者を演じ能天気に笑う武蔵に、老人は再び鼻を鳴らした。
「食えん奴だ」
「恐縮です」
「クソめ」
そう言い捨てて、男―――
武蔵は決して内心を表に漏らすことはなく、少し目を伏せるだけで溜息を吐く。
「やれやれ、厄介そうな男に目を付けられたみたいだ」
軍隊は無能が出世出来るほど甘い場所ではない。
よく某弧状列島帝国軍の将兵は無能のやり玉にあげられるが、それは敗軍の将の常というもの。敗戦国も戦勝国も、一定の割合で変な将兵はいたのだ。
実務能力とある種の野蛮さの両立を求められる士官クラスともなれば、誰もが一癖ある人物ばかり。
飛蒼という男は特にその傾向が顕著であった。
「あれが、今の秋津洲の主ねえ」
部室船秋津洲。
かつて武蔵達が空部の部室として使用していた第二次世界大戦の生き残りだが、100年後の現在においては護衛艦の一隻として運用されていた。
戦闘艦として、航空機運用母艦としては小型艦艇とはいえ、必要な機能は一通り揃っている。
何もかもが足りていない自衛隊が徴用しないはずはなく、雷間高校の秋津洲のみならず、他校の部室船もことごとく自衛隊に奪われてしまったのだ。
「まあ恨みこそすれ否定は出来んわな、そうやって今まで市井の銃後は生活を保ててるわけだし」
ハワイのオアフ島を目指す旅、その最も長い第一歩として真珠湾へと上陸する当作戦。
その先遣隊として投入されることが決定したのは、第七護衛艦隊と呼ばれるたった3隻の艦隊。
奇しくも、武蔵とアリアが乗り込む母艦はかつての彼等の家であった。
武蔵は上位士官に挨拶を終えると、次に石川と名乗る飛行長に紙を渡される。
「これは?」
「スタンプラリーだ。貴官の最初の仕事は、船の中を把握することだからな」
なるほどと武蔵は納得する。
つまりは船内の各部署を回り、それぞれの責任者から署名を受け取って艦橋へ戻れという指示であった。
暗記を遊戯感覚で行うのは勉学の常套手段だが、存外この時代にも遊び心は残っているらしい。
「10分以内に回れたらタバコを1つくれてやろう」
にやりと笑う飛行長。
秋津洲は居住性に難のある日本海軍艦艇らしく、5000トンという軽巡洋艦クラスの船体の割になかなかに迷路な構造となっている。
土地勘ならぬ船内勘がない者なら10分で一通り周るなど不可能だが、残念ながら武蔵はこの船について熟知していた。
「普通に周ったら流石に10分は無理だな」
脳内で効率的な通路を選定し、増築や改造で塞がった場所を避けつつ、時に武蔵しか知らない抜け道をすら突破して責任者達にサインを貰っていく。
無論丁寧な自己紹介と、「真っ先にここに来ました」というさりげないアピールも忘れない。
下手に「ここで最後です」などと言えば、意図的に足止め妨害されることは目に見えている。
そして艦橋の扉前で時計を確認すると、既に9分30秒を超えていた。
残りの20秒、呼吸を止めて待機。わざと息を荒げつつ帰還する。
相手を納得させるには、こういう演出も必要なのである。
「はあ、はあ……どうでしょう、か?」
艦橋に戻った武蔵に、石川飛行長はぎょっとした目を向けた。
「むうっ。ギリギリだが、間に合ったな。ほら、持ってけ」
「恐縮であります」
武蔵は特に要らなかったが、せっかくなので貰っておく。
見るからに低品質な茶色の紙箱に収まった、武蔵にとっても見慣れた紙タバコ。
1つというからカートンかと考えた武蔵だが、さすがに10本入りの一箱であった。
タバコは言うまでもなく嗜好品であるが、この簡素なタバコは実は自衛隊の支給品である。
軍隊において酒などの嗜好品を振る舞うことで士気高揚を狙うことは多々あったが、21世紀の軍隊においては多方面からの目も厳しいこともあり、こういった物資が無料で供されることなどなくなっていた。
だが、22世紀においてはもうそんなことは言っていられないのだ。この時代の自衛隊は若者の命を砲弾に変えて戦う人命消耗前提の組織であり、狂っていなければやっていられないのである。
むしろ、危険な薬物ではないことがまだ上層部に良心が残っている証明なのかもしれない―――武蔵はそう思った。
一礼して立ち去ろうとした武蔵を、石川は引き止める。
「待て、大和空尉」
「はっ、如何しましたか?」
訊ね、武蔵はまずいと思った。
要領が良いのは軍隊において美徳だが、目を付けられる場合もある。
出る杭は打たれるのだ。
「貴官の態度が気に食わん、気合を入れてやる」
自衛隊名物、理不尽教育である。
自衛隊名物というか、軍隊はこうして理不尽を叩き込むものなのだ。
理不尽だからといって命令を拒否する軍人など、組織には必要ないのだから。
精神注入棒を手にした石川飛行長。
「そこに手を付いて、尻を出せ」
武蔵は即座に対応してみせる。
「石川飛行長……自分には、五十鈴技師という心に決めた人がいるのです」
「は?」
「ですがご命令とあらば抗えません。どうぞ」
ズボンを下着ごと降ろし、ギンギンに起立した大口径砲の砲身を露出する。
騒然とする艦橋。堂々と仁王立ちする武蔵。
そして尻を突き出し、武蔵は問うた。
「ちなみに自分は受けも攻めもイケます」
「も、もういい! 行け!」
「はっ! では失礼してイカせていただきます!」
主砲に手を掛けた武蔵に、石川飛行長は泣きそうな顔で訴えた。
「そうじゃない! 出ていけ!」
「はあ、そう仰るのでしたら……」
釈然としない様子で艦橋を退室する武蔵。
色々なものを失いながら、彼は体罰を回避するのであった。
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