1-11
『2143年11月8日』
武蔵が
彼は自衛隊の外人隊員として、他の新人と共に教育隊の訓練を受けていた。
「まさか2週間で初期訓練が終わるなんて、ちょっと弛んでるんじゃないか」
「私、最初の訓練で死ぬほど苦労したのですが」
自衛隊員としての最低限の生き方を叩き込む教育隊の訓練は、ただの人を軍人に作り変える為にとても厳しいものとなっている。
時間厳守、絶対服従、自己管理、整理整頓。組織の中で歯車となるべく、個性を徹底的に潰して兵士を作り上げるのだ。
かつてアリアも、右も左も判らない状況でこの苦しい訓練を懸命に乗り越えた。孤独感と訓練の辛さで、声を押し殺して布団の中で泣いたのは1度や2度ではない。
だからこそ、彼女は納得いかなかった。
「武蔵、どうしてそんなにケロッとしてるのです」
「身体は日頃から鍛えてたし、整備の現場では整理整頓は基本だし……というか、アリアはあの程度できつかったのか」
武蔵は深々と溜め息を吐いた。
「むしろ指導基準も色々とルーズになってて、全体的な練度が下がってる。教官があのレベルなんて嘆かわしい。この程度でひーこらしてたアリアちゃんに関しては、俺の指導が甘かったと反省しています」
「くっ……!」
アリアは拳を握って歯ぎしりを噛んだ。
彼女は高校生の空部員として武蔵にしごかれた訓練が、自衛隊の訓練に通じるものだと思い知っていた。
そして、武蔵が女子高生のアリアに対して、口で色々言いつつも、それなりに手加減や遠慮をしていたことも。
「こんなご時世だ、少しでも隊員を確保したいからと水準を下げてるんだろうな」
そもそも自衛隊の訓練は、当然厳しいが、しかし人間の限界を追い求めるほど苛烈ではない。
過酷というイメージの付きまとう教育隊の訓練過程だが、それでも誰でもギリギリ通過出来る水準に抑えられているのだ。
特殊部隊の通過試験ならばともかく、一般隊員になるのに飛び抜けて高い能力など自衛隊側も求めないのである。
普段から本格的にスポーツに打ち込んでいたり、厳しい労働に勤しんできた者ならば、教育隊の軍隊式訓練を「思ったより大したことなかった」と嘯いてみせるのは意外とあるあるネタなのである。
これは世界中の軍隊で見られる傾向だ。実例としては上げるならば、身近なところでは旧日本軍。
現代の価値観では上下関係が厳しくとにかく過酷なイメージがあるが、その割には当時の日本軍には貧しい者が多く入隊希望をしていた。
それは、食事もままならない当時の薄給な肉体労働より、厳しいながらも休憩と充分な食事を保証される軍隊のほうがよほどマシという事実があるからである。
もっともそれは軍隊の健全さを示すわけではなく、国がどれだけ貧しいかの指標でしかないので、あまり褒められたことでもないのだが。
「私みたいなか弱い美少女が教育隊を突破出来たのは、遺憾ながら武蔵の練習があったからなのでしょう……ですが!」
アリアは武蔵を指差し、偉そうに、というか階級的には事実偉い立場から忠告した。
「言葉遣いには気を付けるのです! ここでは先任士官は神様なのです!」
武蔵はアリアの耳元で囁いた。
「お前の尻の蒙古斑、宮沢曹長に教えるぞ」
「や、やめるのです! あの人の口の軽さはヘリウム以上なのです、そんなことがバレたら私はっ!」
アリアの華奢な肩に優しく手を置き、武蔵はアリアに微笑みかける。
「ご指導ご鞭撻ご配慮ご融通ご贔屓、よろしくお願い致します」
「この男、100年前から何も変わってない……!」
武蔵はこの1ヶ月、訓練を受けつつ自衛隊の現状を把握することに専念していた。
自衛隊は軍事組織であり、人の集まりだ。
である以上、やはりマニュアル通りとはいかず臨機応変な逐次対応が必要となる。
誰がコミュニティの中心であるか。誰が組織を回しているか。誰が規律を取り締まっているか。
そういった、外からは判りにくい人の集まりの本質を見極めんと活動していたのである。
「私、ここで生活して知ったのです」
「何をでありますか、空尉?」
「軍隊生活で必要になるのは、真面目さでも優秀さでも勤勉さでもない。要領の良さなのです」
この1ヶ月の武蔵の活動は、清濁合わせ飲む多岐に渡るものであった。
時に贈賄にならない程度の菓子折りを土産に、時に露骨な賄賂を送り、時に後ろ暗い者には脅迫を敢行し。
アリアや家族の立場を脅かさないように、むしろ補強するかのように立ち回った彼は、既に大苫基地の一員として馴染むことに成功していた。
「完全掌握なんてとても言えないが、俺の入り込む余地くらいは確保出来たな。ある程度なら動きまれる下地にはなる」
「三枚舌外交は我々の十八番のはずですが。……そうです、知ってました。本気で行動する武蔵は、時に黒を白と言い張れるだけの交渉力があるのです」
100年前の時点で、彼にそういう部分があることをアリアは知っていた。
武蔵と由良の同性愛を許容する空気を、学校内に作りあげてしまうような人間なのだ。
「『なんで俺が変わる必要がある、世の中が俺に合わせて変われや』って感じですよね武蔵は」
「お前の中で俺はどんだけ自己中心的なんだ」
それくらいの立ち回りが出来ないようならば、いくら法的に可能とはいえハーレム婚を推し進めることなど出来ないのだ。
「それより、今日は駆逐雷撃機の訓練を行うのです。ビシバシ行きますよっ」
「図に乗っておられる……」
アリアが手配したのは駆逐雷撃機1機と、リアカー1台であった。
「これより自衛隊の訓練海域に移動するのです。ハンマーヘッドは私が自力移動するので、武蔵は機付の人達と一緒にリヤカーを引いて下さい」
「出たな自衛隊の人力特殊車両」
陸海空全てで使用され、特に陸上自衛隊においては戦車の代わりとして荒野を駆け抜ける万能車両である。
基地から浜辺まで多少距離があるので、武蔵としては動力車両を使いたいところだ。
しかしガソリンを食う自動車はそう使用させてもらえない。航空機の移動も重量物の運搬も、大抵は人力だ。
「俺の訓練なら、俺も乗せてくれればいいいのに」
滑走路より危なげなく離陸するハンマーヘッドを見送り、武蔵と整備員数名はリヤカーを引き始めた。
T―5 ハンマーヘッドとは、駆逐雷撃機の複座練習機型の愛称である。
正式な名前ではない。スリムな胴体と直線翼から、隊員達はシュモクザメを連想していつからかそう呼んだのだ。
練習機として前身であるT―4の愛称の影響も、多分にあるのかもしれない。
「この機の機付長である高雄3曹であります」
機付整備員。自衛隊の保有する機体全てに割り振られた整備員達のことだ。
戦闘機パイロットは特定の戦闘機、つまり愛機を持っており、それを支える整備員達はそれらの機体を持ち回りで逐次に整備修理している……一般人はアニメなどの影響から、そんな勘違いをしていることが多々ある。
しかし、航空自衛隊のパイロットに愛機という概念はない。愛機を持っているのは、むしろ整備員達なのだ。
そして、「この機は今日使える」「この機は調子が悪い」などと一括管理して、飛行時にそれぞれパイロット達に割り振る。
そうすると、整備員達は特定の機体に集中することで機の癖を理解し、整備チームの連携を密に取ることが出来る。その上、「出撃したいのに愛機の調子が悪い」などといったトラブルも生じにくくなるのである。
「今日はよろしくお願い致します」
「ああ、よろしく」
高雄3曹の敬礼に、武蔵も返礼する。
武蔵の方が上官だが、自分が高雄3曹にまったく信用されていないのは武蔵にも明確に感じ取れた。
1度飛び立てば帰還するまで整備など出来ない航空機、その保守には相応の技量と責任が求められる。
機付長とは整備員達の親玉だ。新参の武蔵が信用されないのは当然であった。
これまでの経緯から高雄3曹を始めとする機付き達に相応の技量があるかは不安があったが、少なくとも武蔵に
ハカセの工場でのバイト経験から割とオールマイティーに整備作業を行える武蔵だが、本来航空機の整備は機種ごとの免許制になるほどの専門職だ。
駆逐雷撃機は武蔵にとって未知の機種。手伝う程度ならともかく、依然として勉強不足は否めなかった。
「壊さないで下さいね」
「壊す前提では飛ばないさ」
未知の機体を見極めるには、やはり訓練で多少の無茶をせねばならない。
これからの為に手は抜けない。武蔵は練習機の破損は覚悟していた。
その後、嫌味を言われることも。
駆逐雷撃機はその運用上、揚陸能力を有する。
浜辺のような緩やかなスロープがあれば、水上滑走からそのまま陸上に乗り上げられるのだ。
よって、ハンマーヘッドでの訓練において無駄に広い浜辺を利用するのは珍しいことではなかった。
「やっと来たのです」
「コイツ……」
基地近辺の浜辺に、ハンマーヘッドは既に着陸していた。
ぼんやりと待っていたアリアに、武蔵は苛立ちを覚えるも文句を言うことはしない。
彼女は上官である。人目のある場で馴れ馴れしい振る舞いは出来ない。
「それでは大和空尉、飛行前点検をするのです」
「了解」
武蔵はくるくるとハンマーヘッドの周囲を回り、可動部などの点検をこなしていく。
大規模な可変機構を組み込んでいるだけあって、見るべき箇所がやたらと多い。
「高雄3曹、油が漏れているのですが」
「油がちゃんと入ってる証拠です」
武蔵は眉間に皺が寄ることを自覚した。
高雄もまた、眉を大いに顰める。
「仰っしゃりたいことは判りますが、これでも最高品質のパッキングを使用しているのです。ほぼ新品の、良品です」
「……そっすか」
武蔵は財布から硬貨を取り出して、機体フレームを叩いてみる。
飛行前点検の項目にはないが、どうにも不安が拭えなかったのだ。
なお財布の中身は信濃にもらったお小遣いである。
「何か、ご不満でも?」
「いや、君達の仕事を疑うような真似をして悪かった」
おおよそ見た限り、ハンマーヘッドに不調はなかった。
強いて言えば不調を誤魔化しつつ運用しているらしかった。
彼の目からしても、これ以上の小手先の誤魔化しは出来そうにない。武蔵は不安を感じつつも、アリアに点検結果を報告する。
「3尉、点検完了しました。問題ありません」
「うむ、なのです。それじゃあ、さっそく飛ぶのです」
武蔵が前席に、アリアが後席に潜り込む。
練習生の手元まで見えるように、後部座席が若干高くなったレイアウト。
いつかとは逆な立場に、チグハグさを感じつつも燃料ポンプを始動する。
スタータースイッチを探し、そんなものはないことを思い出した武蔵は外の整備員達に腕を振って合図した。
「回せーっ!」
整備員がクランク棒をエンジンカウルに差し込み、ぐるんぐるんと力ずくで回す。
内部のイナーシャーが高速回転を始めると、整備員は慌てて機から離れた。
クラッチを繋ぎ、タイミングよく点火プラグを作動させる。
咳き込むような音の後、すぐに火星エンジンはアイドリング状態に突入した。
「あれ、一発で成功するのですか」
レシプロエンジンの点火は、アリアが戸惑った部分の1つだ。
かつてのアリアの愛機、百式はアナログ制御の多い機体でこそあったが、エンジンコントロールまで機械式なわけではない。
エンジンスタートの難易度は、雲泥の差なのである。
「こちとら、バイトでロータリーエンジンからリニアエンジンまで何でも扱ってきたんだ。レシプロエンジン特有の『儀式』だって承知してるさ」
気難しい旧世代のエンジンを動かすには、特有の手順が求められることがある。
それを揶揄し、人は『儀式』と呼ぶのだ。
メーターをチェックしていく武蔵。
計器は航空機全体の縮図。それを見れば、武蔵ほどの知識なら多くのことを理解出来た。
「油圧ユニット、この練習機は電動なのか」
重量や出力の問題からガスタービンを使用していた
そもそも電動式に出来るのかよ、と疑問を抱くが、その答えが高雄3曹が無線機越しに答える。
《練習機に搭載された油圧用のモーターとバッテリーは、旧世代のスペースシップナイトという機体を解体して捻出したものです。再生産は出来ないので、もし墜落しても徹底的に捜索、回収されます》
「ああ、なるほど」
乗ったこともあるスペースシップナイトがオーパーツ扱いされていることに違和感を感じつつ、武蔵は納得する。
スペースシップナイトは地球圏内における利用を前提とした、弾道飛行を得意とする宇宙往還機だ。
リニアエンジンという新技術を導入しているものの、それ以外は手堅い技術で纏められた安価で堅牢な機体構成が特徴の航空機である。
この機は燃焼によって消費する推進剤、いわゆる燃料を積んでいない。完全な電動化によって運用コストと安全性を向上させている。
よって搭載されているバッテリーは100年前において最高性能の品であり、それこそガスタービンに匹敵するパワーウェイトレシオを叩き出すのだ。
「何にせよ、匍匐飛行形態……油圧の使用時間に制限がないのは有り難い」
練習するのに、残り時間など気にしてはやっていられない。
急に油圧がダウンするのは、航空機にとって割と身近な悪夢なのだ。
「制限時間はあるのです。発電機は積んでいないので、バッテリーは回復しませんよ」
「ええぇ……なんでやねん」
「知らないのです。重量軽減の為では?」
「モーター積めるなら発電機兼用しろよ……いや、出来ないか」
油圧ユニットは機体中心に、エンジンは機体後部の両脇にあるのだ。
ここまで完全に切り離されているとなれば、モーターと発電機を別々にレイアウトする必要がある。
そして、航空機用の軽量な
「いいから飛ぶのですよ。水上機に乗ったことはあるのですか?」
「ない。強いて言えば鋼輪工業の二式大艇くらいだ」
二式大艇は飛空艇であるし、操縦したのは武蔵ではない。
深々を溜息を吐くアリア。
「それじゃあ、私が手本を見せるのです。ちゃんと見てるのですよ」
アリアの物言いはなかなかに生意気であったが、武蔵はそれどころではなかった。
呼吸を整え、頭を冷やす。
水上機の離着陸は、陸上機より遥かに難しいのだ。
「匍匐飛行形態においては、手動で水中翼の角度を調節します。滑走速度域によって水中翼、フロート、地面効果翼と特性が変化していくので、逐次最適な引き上げ角度を維持するのです」
「手動とかピーキーすぎるだろ」
なかなかの変態的な離水工程。
武蔵は駆逐雷撃機という慣れない存在に、完全に翻弄されていた。
「操縦桿を引きすぎです、離水速度を稼ぐには水平滑走を心がけるのです」
「アンダーパワーすぎる!」
武蔵とて事前にマニュアルは熟読いていた。
だが、そもそもマニュアル通りに動かして飛ばせない飛行機とはどういうことか。
セルフ・アークの人工海を走り抜けるハンマーヘッド。作り物の海のくせに、この水面には波が存在する。
平時なら風流なそれも、離水を試みる武蔵にとっては障害物でしかない。
「ほら、波頭を読んで! 避けるか乗り越えるかするのです!」
「サーイエッサー!」
ヤケになり気味に叫ぶ。
どうにも、駆逐雷撃機と武蔵の相性は悪かった。
なんとか、機体が跳ね上がったタイミングを逃さず離水に成功したハンマーヘッド。
しかしながら、その後の飛行もあまり順調とはいえなかった。
「高度が上がらない」
双発機であり、様々なギミックを積み込んでいるハンマーヘッド。
その機体は鈍重であり、武蔵からすれば非力な火星エンジンということもあって常にパワー不足を感じさせた。
「いや、パワー不足っていうより、これはむしろ」
第二次世界大戦を戦った大戦機、まさにその操縦感覚であった。
エアレースの為にカスタムされ、充分な余剰出力を持つレストア機ではない。
強引な機首上げをすれば簡単に失速する。推進力に頼っての姿勢の立て直しが出来ない。
当時の技術の限界点を思わせる飛び方、それがこの世知辛い機体なのだ。
「せめてもっと機体が軽ければ、俊敏な機動性が期待出来そうだけど」
「マングローブ、触手が暴れ狂う領域に突入するのはとても危険なのです。普通の航空機の範疇で俊敏な程度では、どうやっても撃墜されるのです。匍匐飛行での、水面を切って滑る飛び方を駆使しなければとても対応しきれません」
「ん? じゃあ巡航飛行形態では文字通り巡航出来ればいいのか? 空戦技能とかは求められる感じじゃなくて」
「そうですね。私はこれまで、巡航飛行形態でドッグファイトをしたことはありません」
パイロットライセンスを持つ者なら、どんな飛行機でも真っ直ぐ飛ばすことは出来る。
というより、真っ直ぐ飛ばない飛行機はそもそも設計ミス以外の何物でもない。
目下の問題は、武蔵にとって完全に未知な匍匐飛行形態に関してであった。
知らないのなら練習するしかない。もしミスすれば、後部座席のアリアがリカバリーするのを期待する以外にない。
「一旦降りていいか?」
「どうしたのです、トイレですか?」
「お前の操縦を見ておおよそ挙動は掴んだから、頭の中で一度この機体の扱い方を纏めたい。時間をくれ」
「……まあ、いいです」
武蔵の行動に訝しみつつも、休憩を許可するアリア。
滑走路が水面ということで、「どこに降りるか」という点においては陸上機ほどシビアではない。
しかし、その操縦感覚の違いは着水という繊細な作業においては手間であった。
「落ちるっ、失速しちゃうー!」
「この程度では落ちないのです、女々しい声を上げないで下さい。というか零戦のほうが失速しにくいはずでしょう」
「零戦は軽くて落ちないんだ! こいつの重くて落ちない感覚には慣れる気がしない!」
旧日本軍における話だが、零戦や隼に慣れたパイロットは雷電や鍾馗にはなかなか馴染めなかったという。
これは設計思想の違いからくる差であり、何より繊細な作業たる離着陸の感覚の差であった。
零戦では浮かべる速度でも、雷電では重くて落ちてしまう。
離着陸という航空機にとって最も困難な状況では、感覚の違いからつい操作を誤ってしまうのだ。
武蔵の零戦はかなりの低速飛行が可能な飛行機だが、
このようなコンセプトの航空機は歴史上存在しておらず、その洗練の不足もあって違和感は拭いきれない。
駆逐雷撃機は、航空機としてあまりに歪であった。
衝撃、そして急激な減速。
「んげ、もう脚が着いたっ」
予想外に早く訪れた衝撃。未だコックピットは地上から随分離れた高さにあり、小型機でありながら大型旅客機のような接地タイミングに武蔵は恐怖に囚われた。
あまり意識されない飛行機の個性の1つが主脚の長さだ。
主脚は基本、短ければ短いほど優れている。当然である、飛行中はなんの役割も果たさない装置なのだ。短く軽くした方が賢い。
だというのに主脚が長くなる要因はプロペラが地面に接触してしまうことを回避するためだったり、機体下部に爆弾を吊るす為に空間を確保する目的であったりなどと色々とある。
「ビビらないで下さい。主脚を前に出して、つんのめらないように!」
零戦は降着装置からパイロットの目線の高さはおよそ2メートルほど。
今まで色々な飛行機を操ってきた武蔵を以てして、
水上機にとって前転墜落ははよくある着水失敗の事例だ。
よくあるからといって、あってもいいと割り切れるほど気軽な事故ではない。
しかし、この飛行機は脚が長すぎる為にあまりにあっさりと前転しそうになるのである。
「もうやだ、この飛行機」
性能の為に、扱いやすさを犠牲にする。
それは大戦機にはよくある話であり、駆逐雷撃機は思想のその極地であった。
神経が擦り切れそうな感覚。
武蔵は若干涙目になっていた。
着水して浜辺に戻ったハンマーヘッド。
機付き整備員達が機体をチェックしていく中、武蔵はメモ帳に数字を書き込んでいた。
「武蔵って本当、小難しいこと考えながら飛ぶタイプなんですね」
「お前が直感的に飛びすぎなんだ」
航空機とは、気合や根性で高性能を出せるマシンではない。設計された通りの性能しか発揮出来ない、冷徹で厳格な工業製品に過ぎない。
そして、その最大公約数的な限界スペックは数学的に導き出せる。
「アリア先任の操縦は小手先でその最大公約数を超えている。俺の操縦として馴染ませるには時間がかかるが、当面の参考にする分には充分だろう」
アリアの操縦を最適解と仮定して、それを模倣すべく操縦を数値化していく。
様々な状況、気圧や風速によってそれは少しずつ左右される。
だが、これで8割9割はアリアの操縦を真似出来ると武蔵は踏んでいた。
「私の操縦って他のパイロットからは荒っぽいとか雑だとか、色々言われていますよ? それを手本にしていいのですか?」
「お前に操縦を教えたのは俺だ。だから、俺はお前の空の飛び方を信じられる。お前は才能はあるんだ、お前が最適な操縦だと考えたならそれが最高の飛び方だ」
「な、なんですか急に。……100年前は、そんな褒めてなんてくれなかったじゃないですか」
拗ねたように唇を尖らせるアリア。
口にはしなかったが、武蔵はもう1つ信じている実績があった。
『雷撃を3度経験した者はいない』。この言葉は、武蔵がこの時代の自衛隊を調査する上で知った言い回しだ。
UNACTに対する攻撃がどれほど危険かを揶揄する、空中勤務者達の自嘲と自棄を含んだ言葉。
アリアはその苛烈な戦争を、数年間生き延びたのだ。
そんな彼女の操縦が、平均以上に優れていないわけがない。
そのように才気あふれる彼女を、なぜ100年前の部活動の練習で武蔵が褒めるようなことがなかったかといえば―――
「褒めたら褒めたで調子に乗りそうだし」
「なんだとこら」
「それに、当時の時点ではまだまだ俺の方が上だった」
それは逆に言えば、100年前の日々が続いていれば、やがてアリアは武蔵を超えていたであろうという予測。
その可能性を垣間見たからこそ、武蔵はまた飛ぶ気になった。
エアレース界をにわかに騒がせていた無名の新人少女を、誰よりも評価していたのは武蔵なのだ。
「こんなもんか。細かな調節はおいおいやってゆくとして、この数式に変数を代入すれば最適な操縦を得られる」
「こんな小難しいこと考えて飛んでたのですか、貴方は」
メモ帳に記された数字の羅列を見て、アリアは眉を顰める。
機動中にこんな数式を計算しながら操縦するなど、アリアにとっては異質以外の何者でもない。
だが、武蔵は自信を以てメモ帳を閉じてみせる。
「さあ、もう一度飛んでみよう。さっきよりはかっこいいところ見せてやる」
武蔵操縦による二度目のフライトは、宣言通りに差し当たりない操縦をこなすものであった。
「離水から匍匐飛行形態まで、一通り合格ラインなのです。キモい」
「キモいってなんだ、キモいって」
アリアの見解として、それは新人らしからぬ飛び方であった。
「筋の良い
彼の操縦は対UNACT攻撃のエースであるアリアほどではないが、一般的な空中勤務者としては十二分に通用するレベルに達していた。
「なんといいますか、微妙に私の理想のラインからずれてるのが尚キモい」
「言いたい放題言ってくれる、いいから応用とか小技とか全部吐け。今日中に全部掌握するぞ」
「本当に、私の3年間を踏みにじる人ですね貴方は」
3年間のアドバンデージがあれど、それでも尚、アリアの飛行時間は武蔵のそれに遠く及ばない。
実戦経験こそアリアの方が豊富だが、それを武蔵は経験や知識で補っている。
実際に命を賭けていない武蔵の訓練など実戦経験者の自分の前には遠く及ばない……なんて精神論を振りかざすほどアリアは現実が見えていないわけではなかった。
「私より飛ぶのが下手な先輩は沢山いました。皆死にましたが」
戦時の短期教育を受けた空中勤務者より、小型機ライセンスを会得して毎日のように放課後訓練に打ち込んだアリアの方がパイロットとして上であった。
そして、未だに大和武蔵というパイロットはアリアを圧倒しているのだ。
とはいえやはり面白くないので、アリアはとりあえず前部座席をげしげしと蹴っておくのであった。
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