1-6
ことの始まりは隕石―――流星群であった。
2045年7月25日。その日、多くの人々が空を見上げていた。
宇宙コロニー セルフ・アークで観測された巨大生物は、公式上は存在を否定された。
あらゆる公的機関は生物兵器、あるいは怪獣の存在を誤報と報じたのだ。
しかし今は宇宙開拓時代。複数の宇宙機関や天文組織より、宇宙に脱出したその存在の一挙手一投足は観測され、地球に降下するであろう正確なタイミングは世間に周知されていた。
事前に発見されていた、巨大な謎の生物。明らかに大気圏突入を想定していないであろう外見から大気圏で燃え尽きることが確実視され、珍しい天体ショーが見られると人々は興味深げに夜空に視線を向けていたのだ。
しかしながら、それは燃え尽きることはなかった。
キノコの胞子のように千切れつつ地球全体に降り注いだ謎の生物は周囲の環境を変質させ、生物を変異させ、その勢力を流行病のように世界へと広げていった。
蔦のような、巨大な触手を無数に従える巨大生物。
それは本当に生物なのか、あるいは嵐や台風のような『現象』なのか。
その答えを得る暇もなく、軍隊は人を守る為の物理的な対処を急がねばならなかった。
巨大生物は倒せない敵ではなかった。人類が同胞に向けるべく研鑽してきた兵器は、異形の怪物にも確かに通用した。
ただ、敵は多かった。
世界中に降り注いだ破片はその数だけ分身を作り上げ、怪獣は世界中の海に現れた。
数というあまりに原初の力に、火力を集中させる人間の戦術は対応しきれなかった。
やがて連合国軍は対処可能の限界を迎え、ひたすらに遁走に走る。
それはある種の、地球外生命体なのだろう。
彼、あるいは彼女には世界を、人類を攻撃する意志はなかったのかもしれない。
人が呼吸して酸素を二酸化酸素へと変換するように、それもまた本能・性質のままに地球の環境を狂わせてしまった。
やがて、人は地上から駆逐される。
残されたのは僅かな土地と、青い蒼穹だけだった。
巡視船には牢屋がある。
治安維持を受け持つ組織の船なのだから、犯罪者を放り込む部屋は必要なのだ。
「護衛艦の独房なら見たことあるけど、あれよりずっと広くて快適だ」
武蔵の見た護衛艦の独房は、余ったスペースに柵を取って付けたようなものであった。
設計段階から空間を確保していたであろうこの部屋は、それよりずっと上等といえよう。
だが上等であっても牢は牢。放り込まれた武蔵は、目を閉じるもなかなか寝付けなかった。
さしもの図太い彼とはいえ、この状況は落ち着かないらしい。
「くそ、最近暇でいっつも寝てたからな」
ただの寝すぎだった。
異常な現状で不安がないといえば嘘になるが、体力は有り余っている。
人手不足なのか、見張りはいない。
いっそ脱走でもしてやろうかと牢屋を見渡すも、とても上手くいくとは思えなかった。
「あの女……本当にアリアか?」
顔は間違いなくアリアであった。
貧相な体つきも、武蔵の知るアリアであった。
多少無愛想であったが、口調もさして違いはなかったように思う。
それでも尚疑うのは、その鋭い気配と、そして髪の長さが理由だ。
「あんな、背中までばっさりかかるほど髪長くなかったよなアイツ」
軍隊で長髪が許されるのかも不思議ではあったが、それはおいておく。
「いや、今って50年後の世界だっけ? なら髪の長さが変わってたって不思議じゃないか」
未だ半信半疑であったが、髪の毛が短時間であれほど伸びるとは考えにくい。
あの怪物襲撃事件から、それなりの時間が経っているのは事実のようである。
少なくとも長く髪が伸びる程度には。
「50年後説が事実なら、あいつ今は66歳か。ババアだな」
「事故死したって処理してもいいのですよ」
いつの間にか、アリアが格子の前にいた。
どうにも凄みのある彼女に、武蔵は思わず空中無重力正座をする。
「じゃあ何歳なんだ、俺と同い年で16歳か」
「……貴方は、あれからそう時間が経っていない認識なのですね」
鍵を開き、アリアは牢屋に入る。
武蔵はアリアの服装を注視した。
作業服を着る彼女だが、その服の質はかなり悪い。
作業服を着ていること自体はいいのだ。軍人が常に迷彩服や礼装を着ているわけではない、普段は作業に適した服装をしているものだ。
ちなみにパイロットスーツは特殊服装という部類である。
だが、その質が低いというのは違和感であった。それはつまり、銃後の生産力が衰えているということだから。
「元気そうで何よりだ、というべきか」
「どうも。それで、貴方は今まで何をしていたのです」
「答えるのは構わんが、お前も話せよ」
アリアの首肯を確認し、武蔵は情報のすり合わせをすべく、これまでの委細を語った。
とはいえ、多く話すようなこともない。
「……というわけで。ようするに気付いたら船にいて、サバイバルしてた」
「平和な時代に生きていたというのに、相変わらずバイタリティは有り余っているのですね」
呆れた様子のアリア。
武蔵は、少なくとも現在は平和ではないという楽しくない情報を得た。
「次はお前の番だ。最後の寝しょんべんから初体験まで全部話せ」
「地獄に落ちろ、あと私は処女なのです」
「え?」
首を傾げる武蔵。
アリアは無言で武蔵の首根っこを掴んだ。
「おいなんだ今の、え、は?」
「いや、お前あの夜のこと覚えてないのか? 」
「なんだあの夜って! いつのことだ!」
「まあ酒の勢いもあったしな。ノーカンだノーカン」
「ざけんな!」
彼女は武蔵の知るアリアより、随分と粗雑になっているようであった。
なお武蔵とアリアに一夜の過ちがあった事実などない。得体の知れない存在となったアリアに優位を確保すべく、揺さぶりをかけているだけである。
まんまと引っかかったアリア。その流れのままに、武蔵は再度問う。
「今はお前の膜の有無なんてどうでもいい。それより、お前視点では何があったんだ。本当に今は50年後の世界なのか」
アリアは訝しむ。
「50年後ではないのです」
「そうか、まあそうだよな。そう簡単にタイムトラベルしてたまるか、ってな」
「今はあれから100年後なのです」
『2143年10月2日』
「そうきたか」
武蔵は指折り計算する。
「ええっと、俺の認識だとあの時代は2045年だから、今は2145年だな」
「今指折って数える必要あった?」
武蔵が現在が50年後だと推測した理由は、航海日誌の最後の日付からだ。
だがその日誌自体、最後まで丁寧に付けられたものではなかった。終盤は適当な書きなぐりに終始していたのである。
よって、あの日記から更に50年経っていたって不思議ではない。
「あの船は燃料でずっと姿勢維持していたからな、それが図らずとも俺のコールドスリープのタイマーになっていたんだろう」
何せ、武蔵が目覚めた理由が生命ポッドの電源供給の途絶なのだから。
「お前もどこかで冷凍食品にされてたのか?」
「……意味が分からないのです。私が発見されたのは、東京の瓦礫の中だったそうです」
「東京って、地上の?」
首肯するアリア。
未来に飛ぶ現象について安直に結論を出すのは避けたほうがいい、と武蔵は考えた。
「あと、現在は2143年です」
「ちょうど100年ではないのか」
「私が目覚めたのは3年前なのです。つまり、私は今や貴方より3歳年上なのです。敬え」
「乳が育ってないから気付かなかったぜ」
アリアは武蔵をぶん殴った。
「殴り慣れてるな」
「私も新兵時代は散々殴られたのです」
この時代の自衛隊は、指導における暴力が許容されていた。
「目覚めたアリアちゃんは、どうして自衛隊に入ったんだ」
「空を飛べたからなのです」
「なるほど」
武蔵はその一言でおおよそ察した。
2045年頃においてエアレースが盛況だったのは、それを行えるだけの地力があったからだ。
この時代の日本の国力は未だ不明。だが、パイロットの育成は常に多くの予算を必要とする。
その点、アリアは最初からパイロットライセンスを持っていた。
「まあ俺が鍛えたからな」
「ふん。アマチュアである貴方程度が何を、実戦を生き延びてきた私の前であまり調子に乗らないことなのです」
「いい度胸だ、たかが数年研鑽した程度では覆せない実力差を思い知らせてやる」
がるるる、と唸るように獰猛な笑みを浮かべる武蔵。
アリアは怯む。武蔵の凄みには、あまりに率直な説得力があったのだ。
別に彼は、根拠もなく自分の技量に自信を抱いているわけではない。
「この時代の戦闘機がどんなものかなんて知らない。この時代の戦術がどんなものかは知らないし興味深い。だが、1つ言えることがある。戦闘機パイロットが最も屈強なのは、平時だ」
これは軍隊全般において、勘違いされがちな事柄だ。
軍人は戦場に身を長く置くほどに、経験と勘は磨かれ、実力は低下する。
「第二次世界大戦において数千人いた日本軍戦闘機パイロットと、2045年に数百人いた自衛隊の戦闘機パイロット。どちらがより熾烈な同期との競争を勝ち抜き、より洗練された訓練を受けられたかなんて比べるまでもない」
古びた巡視船、質の低い隊員、低品質な作業服、なぜか自衛隊で採用されているリベレーター拳銃。
そして僅か3年前に入隊したアリアが実戦投入され、1部隊を任されているという状況。
断片的な情報からも、この時代の自衛隊が随分と切羽詰まっているのは読み取れた。
「そんな軍隊がまともな訓練をしているとは思えない。多くの時間を地上施設を利用した訓練で済ませるような、離着陸や航法だけで難儀するようなパイロット達なんだろうさ」
「ほとんど話してないのに、部隊内の実情がバレバレなのです……」
「あれだろ、シーソーみたいな遊具で新兵を振り回して感覚掴む練習とかするんだろ?」
アリアはこめかみに指を当て、頭痛を堪えるように目を閉じた。
そうだった、こういう1を知って10を推測するような人だった。
アリアは武蔵という人間を、3年ぶりに思い出していた。
「ですが、この時代の戦いは2045年とはまったく別物なのです。武蔵といえど油断したら死ぬのです」
「俺がいつ、どんな戦いで油断してみせた。操縦桿を握った時点で油断も怠慢も慢心もない」
「……武蔵、私の部下になるのです。生きるには職が必要でしょう、この時代ツテもなければ最貧民層に落ちるのがオチなのです」
ふむ、と武蔵は悩む。
この場でアリアを今度こそ組み伏せ、船の制圧を試みるという選択肢も考えはした。
ファーストコンタクト時は複数人の警戒を集めていた為に難しかったが、この場でアリアを拘束してこそこそと船内を移動すれば、皆殺しを成功させられる可能性はある。
武蔵は別にその手の訓練を受けているわけではないので、やはり成功確立は低い。
だが0ではない以上、考慮はせねばならなかった。どの道100パーセント安全な選択肢などないのだ。
「承知致しました、隊長」
武蔵はぴしりと敬礼してみせる。
このアリアがどの程度軍人として調教されているかは判らない。
全体にとって害悪ならば、武蔵であっても切り捨てるのか。それとも、アリアにとってあくまで自衛隊は自活の為の1手段でしかないのか。
仮に、アリアが武蔵の味方をしたとして。
船を制圧後、武蔵はどこかに身を隠して。
アリアはその後どうするのか、そのまま彼女を開放したとして。
その場合、アリアの現隊復帰は困難。何せ、武蔵が船内で暴れ回るのを許容したことになるのだから。
ならばアリアを連れて逃げるか、と言えばそれも現実的ではない。
武蔵が船を制圧して船内の隊員を皆殺しにしたところで、部下を殺されたアリアが素直に武蔵に協力するとは思えない。
武蔵の知るアリアという人物は、そこまで情の薄い人間ではない。
武蔵にアリアを切り捨てるという行動を取れない以上、武蔵は彼女の誘いに乗る以外はないのだ。
「……敬礼、出来るのですね」
「経験豊富なんだ」
アリアはかつて、訓練で敬礼について散々怒られていた。
一発で完璧にこなしてみせる武蔵に、アリアは殺意を覚えた。
「貴方が3年早く目覚めれば良かったのに」
この3年間で苦労して地位を得たアリアという少女は、このふてぶてしい隣人が自分の積み上げた経歴であっさりと職を得るであろうことが面白くないのであった。
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あとがき
日曜日で暇なのでロードバイクで業務スーパー行きました。
往復で35キロ。
ローディーは距離感覚が狂っていると言いますが、私もそうなのかもしれません。
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