1-3
船内を周った武蔵は、おぼろげながらこの船の使用用途に目処が立てていた。
「別荘というか、世捨て人の棲家だこれ」
長期間ここで生活する為の設備や道具がおおよそ揃っていた。
シアタールームや紙媒体の図書室、無重力化での体力低下を防ぐ為のトレーニングルームなど一式揃っている。
他にも発見されたスペアパーツや物資から見て、この船の乗員は寿命まで完全に独立して生活する気であったことが伺えた。
「そして船内に時折残っている血痕……クローズドサークルで殺し合ったのか」
まるでSF風味のサスペンス映画であった。
血痕その他様々な形跡のみで殺し合いの舞台になったとは断定出来ないが、物資の残り具合や、出来たはずの修理が不完全に留まっているあたり、どうにも世捨て生活が上手くいったようには武蔵には思えなかった。
「目下一番の謎は、どうしてそんな火星サスペンス劇場の舞台に俺がいたか、ってことなんだが」
それでもこうして生きている以上は試行錯誤せねばならない。
有機物の朽ちた腐乱臭を感じるたびに婚約者達の甘い匂いを嗅ぎたいなあ、と思いつつ武蔵は発電機の修理を試みた。
工業用400ボルトで出力される発電機だったので、なんとか変圧器を組み込んで家庭用電源に落とす。
こうして、武蔵は発見したパソコンを起動させることに成功した。
「死ぬ前にハードディスク消してたりするなよ……」
世界的スタンダードなオペレーションシステムが立ち上がる。
パソコンほど使用者の技能や性格が出る道具もないが、武蔵の発見したパソコンの使用者はあまり詳しい人ではなかったらしい。
小賢しいそれっぽい名称の偽装フォルダを突破してサクサクと捜索し、エロ動画コレクションに辿り着いて歓喜しつつも武蔵は遂に発見した。
『我が闘進 虚偽、愚鈍、臆病に対する我の30年間』
ちょっとアレなタイトルだが、そのファイルはこの船の船員の日誌であった。
数字の小さな文章ファイルから開いていく。
『2045年9月12日』
『起業家として大成した私だが、もう戻るべき場所はない。地球が滅び、このコロニーに私が強権を振るう基盤などないのだ』
「どうした」
思わず武蔵は呟いた。
初っ端からとんでもないワードの連続で、ちっともこの船の経緯を察する足しにはならなかった。
『2045年9月18日』
『私は決断した。このコロニー内の資産を売却し、ありったけの物資を船に積み込んであの化物から逃げるのだ。
迷いはあるが、この人工の大地にてさして権力のない私では資産の保証などない。強制徴発されては終いだ。
物資も高騰が止まらない。これ以上値上げしては、私達一家が生涯暮らすだけの食料が確保出来るか判らない。
最後のチャンスは、こんなにも早く来てしまった』
『2045年9月25日』
『脱出への出港に際し、私達旅行に来ていた一家の他に、数人の技術者を連れてゆかねばならない。
当然といえば当然だが、専門的な知識を持つ人間は必要だ。
技術や医学のプロを集めたが、時間がなくあまり厳選は出来なかった』
『2045年10月1日』
『私達の二度と戻らない旅路が始まった。経済とは幾つもの群体が密接に絡まりあったものであり、あのコロニー セルフ・アークも遅かれ早かれ経済破綻するのは確定している。多くの住人はその現実から目を逸らしているが、生活を守る為には時に辛い選択も必要なのだ』
武蔵は文章ファイルを閉じて、溜め息を吐いた。
この日記が始まるのは9月から。武蔵の記憶にあるエアレース レジェンドクラスの3回戦開催は7月中旬だ。
だが、それはあの事件で零戦が大破してずっと昏睡していた、などとどうとでも辻褄は合わせられる。
問題は、なによりその内容に他ならない。
「地球が滅んだ? 怪物、経済破綻……」
怪物と聞いて思い出すのは、やはりあの巨大怪獣だ。
とはいえあれを、現代技術で撃破出来ないとは思えない。なにせ、初見の際には非武装の航空機と飛空艇でも撃退出来たのだ。
そもそも、あの怪物は人の手で捕獲されていたものが脱走した……らしいことはおぼろげながら調べがついている。
「いや、セルフ・アークじゃなくて地球だからな滅んだの。別個体か? そもそも怪物は別件か?」
仮に地球が滅んだとすれば、セルフ・アークが経済的に行き詰まるのは不思議ではない。
外部からの供給を必要としない完全なスタンドアローン運営を可能とするのが次世代型宇宙コロニー
出来るからといって貿易まで鎖国すれば、あらゆる国家はその文明レベルを維持出来なくなるのだ。
「そんで、この船の持ち主は家族と技術者を連れて逃げ出したと」
地球を襲った怪物とやらが宇宙まで進出してくるとは思えないが、少なくともこの船の主はセルフ・アーク内部に留まるよりは逃げた方がマシ、と考えたのだ。
大量の物資を載せて宇宙船に引きこもるのは、実は資産家にはよくある話。別に無茶な行為ではない。
武蔵は荒唐無稽な日誌の内容に辟易しつつ、だが確かな不安を感じつつも読み進めていった。
『2056年1月1日』
『新年明けましておめでとう、と一応書いていこう。
とはいえ、それを言う相手は家族と船員達しかいない。とりあえず裏側を晒す月、その横周辺に向けて言っておくことにする。
船員の1人が電波を拾って探っていたが、どうやらセルフ・アークは未だ人が住んでいるらしい。地球との交易が失われた状態で生活を維持出来ているのは、さすが人工知能により統制された最新式スタンドアローン型コロニーと言えよう。
脱出を早まったかと後悔もしたが、充分な娯楽を詰め込んで安全に暮らせているので別に完全な間違いとも言えないはずだ。
予想通り、セルフ・アークの生活は困窮しているようなのだから』
『2056年10月1日』
『この船での生活が始まって11年目だ。運動不足のせいか、どうにも節々が痛い。
そもそも私も歳だ。医者も乗り込ませたとはいえ、充分な設備もないこの船では何歳まで生きられるか判らない。
運動プログラムを使って、健康に気を使った生活をすべきだろうか』
『2056年12月25日』
『言わずと知れた、今日はある人物の誕生日だ。
この太陽圏内に彼の生誕を祝おうという人間がどれだけいるだろうか。そう考えると、私くらいは祈ってやってもいいかもしれない。
そういえば、火星には某国の軍事基地があるはずだ。セルフ・アークほど完全な自給自足体制ではないはずなので困窮してるだろうが、それでも軍事基地だけあってある程度は自立出来るはず。もしかしたら、火星にはそれなりの生き残りがいるかもしれない』
『2057年3月21日』
『今日はくそったれな1日だ。私のかわいい孫娘と、機械技師のガキがデキてやがった。
まず大前提として、孫を誑かしたことについては許さない。
アイツは青野菜が嫌いだったはずだ。しばらくはベジタリアン週間としよう。
そう提案したら、医者に無駄に栄養面を偏らせるなと怒られた。細かい奴だ』
『2057年3月25日』
『孫娘が妊娠してた。アイツいつから関係持ってやがった。
どうしようというのか、この船には俺達が生き延びる分の物資しかないっていうのに。
ひ孫となる赤ん坊が生き延びるには、物資が足りない。冷たい方程式なんてものが現実味をちらつかせやがる。
この船を再稼働させて、セルフ・アークに戻るべきだろうか』
『2057年5月5日』
『核融合炉取扱主任が死んだ。
こいつも孫娘に惚れていたらしく、機械技師の奴と口論になった末に突き飛ばされて吹っ飛んで首の骨を折ったらしい。
どんな理由であっても人殺しだ。彼にはしばらく謹慎を命じておいた。
だが、考えようによっては1人分の物資の消耗が減ったとも言える。セルフ・アークに戻る必要性はなくなった』
『2057年5月11日』
『機械技師がとんでもない報告をしてきた。
核融合炉を制御する技術者が不在となり、炉が常時フル稼働状態に陥っているらしい。
過電圧は船内の設備を幾つか破壊し、リニアエンジンへの電力供給も困難になっているとのこと。
このままでは、そもそも船を動かすという選択肢自体がなくなってしまう』
『2057年7月3日』
『核融合炉の復旧は絶望的、という報告を受けた。
これからは補助動力で船の設備を動かすことにしたらしい。
もう少し頑張れと怒鳴りたいが、彼以上の技師はいない現状においてはそれも出来ない。
燃料の節約の為、船内の電灯がかなり暗くなってしまった』
『2064年1月24日』
『祝! ひ孫生誕祭!
世界一可愛いひ孫の、6歳の誕生日である。
この狭い世界で、同年代の人間もいない彼女は悲しい人生を送るのかもしれない。
せめて、おじいちゃんとして精一杯可愛がっていこう』
『2065年5月3日』
『医者がひ孫に手を出していた。
まだ7歳のひ孫に欲情して、検査と称して身体を触ったりしてたのだ。
許さない。このような卑劣を許すはずがない。
あの医者は殺そう』
『2065年5月6日』
『医者を殺せたが、私も反撃で足の骨を折られてしまった。痛い。
治療を頼むべき医者はもういない。データベースからなんとか治療を試みることにする』
『2065年8月24日』
『足が変な角度でくっついてしまった。動かない上に、しびれたようにずっと痛む。
無重力だから移動は可能だが、頭がおかしくなりそうだ』
『2083年4月22日』
『妻も、孫夫婦も、みんな死んでしまった。
エアロックを開く手順ももう分からず、下手に空気が抜けたらそれで全滅だ。
死体を宇宙へ投棄するわけにもいかず、生ゴミと一緒に1つの部屋に放り込んでいる。
残されたのは美しく成長したひ孫だけだ。せめて、彼女に恥じないように規則正しい生活をせねば』
『2100年2月5日』
『ひ孫の病気が深刻だ。
もう彼女と私しかいないのだ。核融合炉を復活させ、セルフ・アークに戻るしかない。
あの時医者を殺さなければまだ対処法があったのかもしれないが、その場合ひ孫は奴のおもちゃにされた。
どうすれば良かったのか、考える時間も惜しい。
なぜ私だけが、こうもしぶとく生きていられるのか』
それ以降の日誌には、日付も何も書かれてはいなかった。
日誌というよりは、書きなぐった独白の類であろう。断片的な文章は、彼の心情を端的に表わしている。
『ひ孫が死んだ』
『この宇宙の片隅で、私は何をしているのか。こうなることは判っていたはずなのに、1人で死ぬのはこんなに苦しいのか』
『この老人はなぜここにいるのか』
『持ち込んだ娯楽など意味はない。自分を慰める足しにもならない』
『さびしい』
それで、日誌は終わっていた。
「船内に老人の死体はなかったよな、まさか自分であの部屋に入ったのか?」
まったく医療を受けられない環境で、推定およそ115歳まで生きたようだ。
船内で一番高齢であった彼が、現代医学の限界レベルまで長生きしてしまったのはなんという皮肉か。
―――そも、この日誌が本物であるのなら。
「今は、少なくとも西暦2100年以降? そんな馬鹿な」
武蔵が生きていた時代から、少なくとも55年経っていることになる。
タイムトラベル、という言葉が脳裏を過るも、頭を降って否定する。
「時間を移動する技術なんてない。そんなもの、何度も否定されてきた空想科学だ」
もっと原始的で、現実的なタイムトラベル方法。
武蔵は最初に目を醒ました部屋へと戻り、それを確認する。
「詳しくないけど、やっぱ医療用ポッドの類だよな、これ」
最初は暗くてよく判らなかったが、武蔵が目覚めたのはポッドの中なのだ。
となれば、1つの仮説が浮上する。
コールドスリープ。もっとも簡単に、未来へと旅立つ方法。
その概要を今更説明する必要などあるまい。ようするに、人を冷凍して、遠い未来で解凍すれば擬似的なタイムトラベルとなる。それだけだ。
時間や空間へ干渉するタイムトラベルと比べれば、技術的難易度は遥かに低い。低いが、困難な技術であることは間違いがない。
「2045年の時点でコールドスリープって実用化してたっけな……?」
武蔵は工学分野では優秀だったが、医学分野は専門外なのだ。
断片的なニュースの情報程度しか知らず、その実用性について論じれるほどの知識はない。
あっても不思議ではないが、聞いたことはない。その程度の認識であった。
「仮に普通にあったとして、どうして俺はこの世捨て人の船に積み込まれて、55年後の今になって眠り続けていたんだ」
55年。口にして、不快な気分になった。
妹の信濃は双子で同い年なので、今は71歳のはずだ。
他の恋人達も、皆おばあちゃんである。
「よし、考えないどこう」
あまり深く考えたら心が保たない。
武蔵は精神衛生上よろしくない考察を切り上げることにする。ここが未来の世界であるというより、超盛大なドッキリである可能性の方がはるかに現実的なのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます