第20話

楽しげに鼻歌を歌う舞夜が鮮やかな手付きで包丁を操っている

かつてに比べればかなり腕を上げているのがその仕草からもわかった


「夜暮さん?まだできてないよ」

「あ、ああ…たまには、見ていようかと思ってな」


少し上擦った声でそう答え、箱を椅子の上に隠してキッチンに向かう

舞夜の後ろに立ったとき、料理をする舞夜のその動きは洗練された専業主婦のそれと同じだと理解した


(…ああ、かつて母親もこうだったな)


殆ど家にいない父親の代わりに家事をひたすらにやっていた母親を思い出す

専業主婦だった母は、帰れば家にいるのが当たり前だった

しかしあるとき、突然倒れてしまったのだ


(…母親の死因は、ストレスが起因とされる肺気胸。肺に穴が空き、呼吸が正常ではなくなる病気だ。そして親父が担当医として手術に入ったが、まもなく死亡が確認された。肺気胸になってから1年が経過していて、もう治らなかった)


早期段階に見つけていれば治療ができたはずだ、と布団を殴りつける父親の姿が目に浮かぶ

それに気づけなかった自分を責め、さらに仕事へのめり込んでいったのだ

そして母親が亡くなり10年が経過した今、夜暮を含む兄妹は全員病院に勤務している


(…どうやら、俺も影響された側らしいな)

「どうしたの?」

「…いや、かつての母親と同じく洗練されているなと感じただけだ」

「夜暮さんのお母さん?会ったことないね」

「もう死んでいるからな。10年前に」


淡々と話す夜暮に、少し憂いげな顔をする舞夜


「嫌なこと、思い出させちゃった?」

「いや、そうでもない。何故俺が医者を志したかを思い出した。それに、俺はお前を見て想起したが母親と同じとは思わん」

「…母親らしさは求めてないってこと?」

「ああ。俺の母親はあの人だけだ。お前は俺の妻であり、俺は世話されるだけではない」


まな板の上に置かれたキャベツを瞬く間に千切りにする夜暮

その動きを見て驚きを浮かべる舞夜


「すご…そんな早くできるの?」

「まぁな。親父は、全く家に帰らなかった。だからこそ、母親には異常な負担がかかりストレスで死んだ。故に、俺はやれることはやるつもりだ」


包丁をまな板の上に戻し、皿を2枚出してそこへ均等に盛り付ける

舞夜が作ったトンカツをきれいに乗せて米を茶碗に盛り、テーブルへ運んだ


「…まぁ、何が言いたいかというとだな…。俺はお前を妻として見ている。1人の女性として、好きになってしまったらしい」

「え…?でも…」

「最初は本当に、実験体モルモットのつもりだった。俺の理論で、多重人格を殺せるかの実験でしかなかった。ただその中で接する時間が最も長く、俺を否定しなかったのはお前だ」


そこからしばらくの沈黙

この沈黙の間に、2人は食事を終わらせていた


「…まぁ、既に籍を入れている身だ。婚約指輪などでプロポーズともいかぬが」


椅子の上に置いていた箱を出して差し出す


「代わりに、プロポーズはこれでやらせてもらう」


箱を受け取り、夜暮の視線に耐えかねて箱を開く舞夜

中には買ったばかりのブレスレットが鎮座しており、その輝きに目を奪われる


「…これは」

「知ってるのか」

「う、うん。あったら私がどこにいるかわかるやつでしょ?なんとなく、知ってるよ」

「中々流行りに敏感だな」


夜暮とて流行りは多少気にするが、このブレスレットについては知らなかった

澪自身、さして売れないとは言っていたが知ってる人は知っているらしい


「ま、これでプロポーズの代用としよう。離婚の選択肢がない以上受けてもらうしかないが、俺との暮らしが苦だというのなら他に家を用意する。それなりにいい物件を用意するつも――何故泣く」


笑顔を見せながら震え、涙を流す舞夜

その様子はシミュレーションとは異なっていた


「気の使い方が夜暮さんっぽいなって。私、夜暮さんのことは好きだからちゃんと受けるよ。一緒に暮らすのが1番楽しいし、嫌なんて思ったことないから」

「…そうか。杞憂だったわけだな」


初期セットアップはすでに済んでいる

舞夜がそれをつけたことにより電源が入り、夜暮のスマートフォンに起動を知らせる通知が来た


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