第10話

おそるおそる入ってきた舞夜を撫でてから立ち上がり、時計を見る

いつもより少し長く話してしまい、今は午後10時を回ったところだ


「どうした」

「夕飯できたけど…」

「ああ、すまん。食うか」


最近では家事をやるようになった舞夜

腕を上げ、病院の職員用食堂より美味いものを作れるようになっていた


「日に日に腕を上げているな。既に俺を超えている」

「そう?多少勉強したかいがあったかも」


小さく笑う舞夜に目を取られ、無意識に目を逸らす

その視線の先にあるのは、兄と夜斗に唆されて撮ったツーショット


(俺もあまり兄貴のこと言えんな。何故飾ったのかわからん)


今まで何も置いていなかったダイニングには少し広めのテーブルが置かれ、キッチンは舞夜がやりたいように拡張・カスタマイズされた

リビングには舞夜のためにとテレビが置かれ、何気なく見るときに使うソファーまで揃えた


(この1ヶ月程度で俺の生活は変わった。帰れば舞夜が出迎えてくれて、飯も作ってある。洗濯や掃除まで完璧にこなすようになっているな)


食事を取りながら思考を回す

食べている間は2人とも全く喋らないため、静かな食事になってしまうのは相変わらずだ

むしろ変わらないのはそれくらいで、他のことは大抵変わってしまった


「ごちそうさま」

「おそまつさま。そういえば、私がくるまでってどんな食事してたの?」

「病院の食堂だ。あれは安く手軽に栄養バランスの取れた食事が3食摂れるようにしてあるからな。ただ、安くしてるとはいえ自炊したほうが経済的ではある。その点いつも助かっているぞ」

「そうなんだ。私どうだったっけなぁ」

「…?覚えていないのか?」

「うん。なんか帰ってきたら食事ができてたような気がしたけど、妹がやってたのかな。親は夜仕事だったし」


その妹の足取りは未だ追えていない

夜斗や探偵社が探しているものの、痕跡すら見つけられないのだ


(…夜斗ですら見つけられない場所となると、海外である可能性が高い。つまり、人身売買であることも考えられる)

「どうしたの?」

「…いや。片付けはまた任せていいのか?」

「うん!それくらいしかできないからね」


舞夜を働かせるという案も夜暮の中にはあった

しかし、正直働かせる必要がないほどの稼ぎがある

今の状態で毎月10万円近く貯金ができるほどだ


(それも、舞夜が節約術を身に着けた影響が大きい。俺だけの頃のほうが生活費は高かった)


洗濯にしろ掃除にしろ人に金を払い頼んでいた夜暮

家事の費用だけでも10万はかかっていたほどだ

その対価として10万円を渡そうとしたところ、舞夜は少なくていいと言ったため7万円を小遣いのように渡している


(…まぁ、働かせている間に深夜を利用されるよりはマシか)


人前で寝ることはないと本人は言うが、深夜に殺しをやらせる方法を知っている人がいれば薬を使ってでも眠らせるだろう

そういった意味では世間から切り離すのが1番の解決策だ


(…否、実際は俺の感情でしかないのだろう。舞夜と深夜を他に渡したくない、触れさせたくないとどこかで感じている)


その自覚を得たのは3日ほど前だ

子供の頃から人に物を取られるのを極端に嫌がる傾向があり、ここ数年では対象が大切な人まで移っていた

故に、夜斗の結婚や兄の同棲を聞いた時の嫌悪感は異常だったのだ

今ではようやく夜斗の妻と天音を家族として認識できている


(その理論なら、俺はもう既にこの2人を家族と認識している。悪いことではないが、俺にしては信用するのが早すぎる気もするな)


今まで人を信用するまでに要した時間は長くて5年、短くても2年

今回は1ヶ月と極端に短い

それに疑問を感じているのは夜暮を含めた全員だ


(おそらく接する時間は同等なんだろうな。橘…否、夜斗の妻と会話した時間は総合で117時間。舞夜と深夜それぞれ会話した時間はほぼこれに等しい。平均的に120時間の対話を要するということか)


楽しげに鼻歌を歌いながら皿を洗う舞夜

食洗機を買うといった夜暮を止めてまで自分でやることに意義は感じない

が、それは理屈ではないと夜暮でもわかる


(…なるほど、確かに信用するまでに5年要した緋月との会話時間は150時間。会わない期間が長いと必要会話時間が増加するという理論なら、俺の信用を得るには多くの会話を短い期間に行えばいいわけか)


自己分析を超えた自己分析を行う

今の自分は客観的に見れば、舞夜を深く信用している年頃の男にしか見えない

その深い信用は、夜斗が弥生に感じているものと似ている


(つまるところ、俺は舞夜に対して恋愛的な興味を抱き始めた。…医学的には恋愛など脳が引き起こすバグでしかないが、俺が当人になった今はわかる。これは、直す必要のないバグ。人生を謳歌するためのバグだ)


そう結論づけて満足気に笑みを浮かべ自室に入り、ベッドを軽く殴りつけた


「…違う」


その言葉には多少の怨嗟が混ざっていた

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