第9話

「…睡眠耐性?」

「ああ。ボクも目の当たりにするまでは知らなかったがね」


夜暮の前にいる妊婦がそう答えた

場所は伊豆長岡という温泉街で、ここには大学の附属病院がある

そこの名誉院長として君臨するのがこの女だ


「多重人格の人間は稀に、夜寝なくてもある程度活動できるっていう個体がいるんだよ。それをボクが睡眠耐性と分類してる。ただ、ある程度というのがキモでね」

「どっかのタイミングでまとめて寝る必要があるわけか」

「そういうこと。普通の人にはできない寝溜めというのが先天的にできてしまう、というのも特徴だよ」


よく聞く「昨日12時間寝たから今日はいいや」というのは本来無意味だ

寝過ぎれば逆に疲れを起こすし、寝なければより疲れる

つまりは疲れに疲れを重ねてしまうだけ


「原理を聞かれても知らないよ。ボクの専門は紫電病と無電病の研究でしかないからね」

「…無電病患者はまだ生きてるのか」

「ああ、生きてるよ。噂をすれば、ほら」


入口のカメラが捉えた無電病患者をモニターで見せる女

手慣れた手付きでロックを開けているのは夜斗の友人の一人だ

無電病は生体電気信号を通す神経の抵抗値が大きくなり、徐々に動けなくなる病気

今のところその様子が見られないのは、脳の防衛反応によるものだ


「ああ見えて末期か」

「そうだね…。現在の脳出力は75%だから、もう5年もすればほとんど動けなくなる。けどまぁ、夜斗君がなにかしたみたいだけど」


知ってるでしょ?と目線で問いかける

無電病を和らげる手法は夜斗が考案し、夜暮が非合法に手伝ったのだ

知らないわけがない


「そうだな」

「さてと、ボクは彼を堕とさなくてはならないからもう暇ではなくなってしまったよ」

「…そうか。あまり無理はするなよ、妊婦なんだからな」

「わかっているさ。これでも、医学生だからね」


その言葉を最後に追い出された夜暮は、すれ違った男を肩越しに見ていた


(…何をしたか知らんが、確かに症状が弱くなっている。専門ではないが、本来強くなる抵抗に対抗して出力は上がり続けるはずだが…)


無電病の恐ろしいところは、体の抵抗を無効化するために脳の出力が常に高くなること

普通の人は必要なときだけ上昇するのだが、無電病は無意識に最大レベルを維持している

ある一定期間が過ぎてしまうと脳が焼き切れ、突然死亡するのだ


(…夜斗。お前は、何を知っている?無電病はまだ研究が始まったばかりのはずだ。何故、軽減する方法を知っているんだ)


部屋の中に消えた男の背を見送り、小さくため息をつく

1階まで直結されたエレベーターを呼び、それに乗り込んで病院を後にした  



その日の夕方、兄とのビデオ通話中


「…元気そうだな、兄貴」

『なんとかやれていますよ。むしろ夜暮はどこか落ち込んでいるようにも見えますが』

「まぁ…ちと色々あってな」

『強制婚姻についてですか?あれは拒否できたはずですが』

「それに関しては俺の研究に役立つから受け入れたに過ぎん。仕事というよりは趣味だ」


持ってきたコーヒーに口をつけながら話す夜暮

兄の前で何かを隠しきったことがなく、今も警戒しながら話している


『どうやらその趣味にご執心のようで』

「ゴフッ…あっつ!?」

『図星ですか…』


手元にあったハンドタオルで吹き出したコーヒーを拭き取り、部屋の入口に置いた洗濯かごに投げ込む

濡れた服を着替えて洗濯かごに入れ、パソコンの前で軽く咳払いをした


『いや誤魔化せませんよその咳払いでは』

「…だよな。まぁ、多少プライベートの興味も出てきたところだ。とはいえ恋愛とまではいかぬがな」

『弟に春の兆候が現れて嬉しい限りですよ』

「…別に兄貴も今は恋人いるだろ。なんだっけ?焔宮ほのみやだっけ?」

『よく覚えられましたね。夜暮のことだから忘れてるかと』

「家族のことは覚えてる。一応、そいつも家族になり得るからな」

『気が早いです』

「そうだろうか…」


画面の向こうの兄の背後にある壁には拡大印刷されたツーショット写真が見える

まさにご執心といった様子だ


『ともかく、夜暮もそろそろ身を固めたということですね』

「半ば無理やりな。意図した結婚ではないし、まさか親の見合いですらないとは思わなんだ」


親の見合いまでは予測していたことだった

成人しているとはいえ立場は跡継ぎ

つまりはまた次の世継ぎを作らねばならないということは理解している

それでも夜暮の中にあった微かな抵抗が結婚を先延ばしにしていたのだ


「見合い断ったことないんだがな」

『成立したこともないでしょうが』

「いやあんな明白に院長夫人の立場狙う女誰が娶るか。という柵があるから兄貴に院長やってもらいたかったんだが」

『無理な話ですね。僕は今、黒淵総合病院の顧問弁護士ですから』


兄は元々病院の外科医だった

しかし黒淵総合病院の顧問弁護士だった男性が定年で辞職したため、別の人を探す必要に駆られた

その結果、兄自ら顧問弁護士になるべく司法試験を受け見事合格

現在は虚偽の医療ミスの訴えを退けたりと忙しく働いている


「ったく…夜架よるかは夜架で事務長やってるし、一族経営すぎるだろこの病院」

『仕方のないことですね。親族の贔屓目を外したとて、僕らの他に優秀な人材がいないので』


夜架は夜暮の妹だ

アルバイトとして医療事務をやっていたのが最近になって正式雇用となり、いきなり事務長をやっている

他の事務員からの反発や嫌がらせを笑顔でねじ伏せたという


『というかよく諦めましたね』

「ん?ああ、夜架がか?」

『えぇ。あんなに夜斗ラブだったのに、案外あっさり身を引いたなと』

「流石にその分別はつくだろう。ただ、代わりに一生恋人を作らない宣言してたが」

『究極夜暮に子ができれば正直構いませんがね。できなければ僕か夜架の子供に託すしかないので』

「舞夜が嫌がらなければ、だがな」


特段夜暮が拒否する理由はない

それどころか子をなす必要性は誰より理解しているつもりだ


『嫌がりはしないと思いますが、まぁ実際会ったことはないのでよくわかりません』

「そうだな。今度家に来ればいい」

『暇があればいきますよ。天音あまねとね』

「…騒がしいから嫌だが言わないでおこう」

『ちょっと!?言ってるじゃん!』


画面に割り込んできた女性に冷たい声をかける夜暮

いつも通りの光景だ


「まぁいい、俺の話すことは以上だ」

『僕もとりあえず以上です。また何かあれば』

「ああ」


通話を切り振り返ると、扉の隙間から覗く舞夜がいた

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