第3話
「…久しぶり…でもないな、
『ああ。元気そうで何よりだ』
「皮肉のつもりか」
夜暮にとって紫電病患者は初めて担当した患者だ
それが死んだとなれば心理的負担は大きい
電話相手である夜斗も、それは理解している
『これがわかるだけ理性は残していたか。まぁそんなのはどうでもよくて、お前結婚するんだってな。
「あのクソ兄貴…。だからなんだ?お前と違ってあくまで実験体でしかないが」
『最初はそう言うだろうなとは思ってたがマジで言うのな。お前がその子にメロメロになったときこの録音聞かせてやるよ』
「そんな未来はない。何の用だ」
本当の用事は別にあることをわかっている
前座に付き合ってやれるほど今日は暇じゃない
『実験体について調べたんだが、おかしなことだらけでな。まず担当警官の取り調べは一切行われていない。映像証拠だけで起訴されている』
「…法治国家だからな、それくらいはあるだろう」
興味なさげに言い放つ夜暮
夜斗が電話越しにもわかるほどわざとらしくため息を付いた
『法治国家だからこそ、だ。本来なら容疑者の取り調べを行うのが当たり前。それこそ、多重人格者が発覚した場合は治療をして釈放するのが普通だろ』
「…言われてみれば」
今まで夜暮が研修医として見てきた患者の中には、多重人格治療で来たものもいる
その患者も殺人事件を起こし、取り調べの末治療する判断だった
『だから多分、その子が多重人格なのはわかってんだ。ここからはオフレコで頼みたいんだが』
「…なんだ」
『今の警官は、犯人逮捕で功績になるわけじゃなくて起訴されてはじめて功績になる。だからわざと起訴されるようにしたんだよ、多分。連続殺人事件は結構功績としてデカいしな』
「…そんな私利私欲のために、1人の人間を貶めたと?」
『今の段階では可能性って話だ。まぁこっちでも調べてみるが、お前は犯人囲ってんだから情報を集めて寄越せ』
「…こっちの実験に付き合うなら対価は取らん」
『いいぜ』
交渉成立、とばかりに夜斗が笑う
後ろで夜斗の妻が明るい声で夜斗を呼ぶのが聞こえた
「妻が呼んでいるぞ」
『そうだな。また連絡する』
電話を切るより早く妻の名前を呼び駆け寄る夜斗
ため息をついて電話を切り、ベランダから室内へ入った
「…つか持ち物は?」
「…ない。全部捨てられてるから」
「捨てられてる?」
「…正確には、警察に押収されて戻ってきてない。証拠として、持っていた服も家具も全部」
(……おかしな話だな)
本来押収されるべきものは事件当日に着ていた服や凶器のみ
関連する全ての物品を回収する必要はないのだ
(…警察に…というか、こいつの担当警官は相当やばいな。証拠を隠すことで起訴をやりやすくしたわけか)
舞夜とその裏人格の趣味が全く同じとは思えない
つまり、部屋の中には真逆の趣味が垣間見えたはず
それを調べれば多重人格であることを証明できるのだが
(…まぁいい。俺は俺の実験ができればそれで)
「…どうしたの?」
「…いや、
買い物に行くとして買うものは事前にメモしておくのが夜暮のやり方だ
というより、そうしないと記憶がなくなることがある
メモがないとまともに生きることも難しいのだ
「…実験体ならともかく、
「不服か」
「せめて名前で呼んてほしい。夫婦になるんならなおさら、人前でその呼び名はやだ」
「む…確かに俺の品位を問われるか。…えーと、東雲か」
人の名前すら覚えるのは苦手だ
患者の名前は主に病室前の名札やカルテを見て思い出すのが常であり、数日で忘れてしまう
「東雲って…。私今日から黒淵になるんだけど、ずっとそう呼ぶの?」
「…思いの外主張が強いな。ならば…下の名前はなんだったか…」
「舞夜。名前の意味は、夜に舞う真の桜ってことだけど桜は妹が使ってるから、舞夜」
「ほう。つまりは、真に桜と書く名前を持つ者もいるのか」
「察しが良いじゃん、そういうこと」
少し憂いげな顔をした舞夜がすぐに元の笑顔に戻る
夜斗の妻とは対象的に、常に笑っているのが癖になっているらしい
「なんだ」
「あ…顔に出てた?」
「ああ」
「…妹は、行方不明なの。私が捕まってから連絡が取れてない」
「だろうな。たしかに、俺も兄貴が人を殺したら連絡を取ろうとは思わん」
「残酷だね」
「無論だ。俺と兄貴の職務は人の命を救うことであり、殺すことじゃない。もし殺すことで心が救われるとしても、それは医者の仕事ではないからな」
夜暮とて頭では理解している
殺すことで救える心があるということは、今の世の中に浸透した考え方だ
それでも医者は、命を救う仕事だ。心を救うのは夜暮の仕事ではない
「まぁそれはそれとして、行くぞ。ずっとその服というわけにもいかん」
「そう?割と気に入ってるけど」
「…明日の服がなかろう」
「あ…。たしかに」
「金はひとまず俺が持つ。給料天引きだ」
「給料とかあるの?」
クスッと笑う舞夜に目を取られぬよう自室に向かう
舞夜はその背中に向けて小さく舌を出した
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