第十三話:束の間の休息
生き物の気配が全くなかった行き道とは異なり、帰り道は数えるのもうんざりするような数の【魔物】が舌なめずりをして待ち構えていたが、そのほとんどが〈
そうして何度も行使する様子を目にしたことで少し理解できたのだが、やはりコイツの扱う【魔法】の正体は、よくよく目を凝らさねば視認できないほどの極細の糸であるらしい。
その糸を何十本、何百本と生成し、周囲に網のようにして張り巡らせることで対象を捕らえ、恐ろしく強靭なその糸でもって絞めつけることにより切断しているようだ。
つまるところどうやら、見えない斬撃の種はそういうことだったらしい。
加えて、生成される糸は手足のように、あるいはそれ以上に精密な操作を行えるようで、樹々の陰に隠れて機会を窺っていた【魔物】すらもしっかり捕えて始末していた。
【魔法】の発動には詠唱が必要不可欠だと話に聞いていたが、どうやら人外にはその法則は適応されないみたいだ。
こんな芸当ができるのなら、行き道ももっと楽なものだったろうにと思わず考えずにはいられないのだが、こればっかりはもう何を言ったって仕方がない話なのだろう。
元はといえば、慎重に進むように指示したのは俺だし、であればこれもまた俺の責任という訳だ。
きっと……というよりは確実に、青髪の女が目を覚ましたら罵詈雑言を浴びせられるに違いない。
その時は大人しく、それらの言葉を甘んじて受け入れることにしよう。
その程度で償えるなど微塵も思っていないが、俺にできることなんてそれぐらいだしな。
「……やっとついた」
緩やかな下り坂だったため、行きと比べれば体力的には随分と楽であるはずなのだが、それでも視界と足場が悪いことには変わりなく、そんな場所を人一人を担いで進むのは結局のところ中々に骨が折れた。
……恐らくは全身の至る所の骨が折れているであろう者を背負いながら、およそしてもいい表現じゃないのは百も承知だ。
山を無事に下りきると、【魔物】が追ってきている様子がないのを入念に確認してから、俺たちは金髪の男が待っている小屋へと向かう。
やはり鼻は完全に使い物にならなくなっているようで、村全域に漂ってるはずの腐敗臭は全く感じられない。
果たしてそれが良いことなのかはなんとも微妙ではあるが、疲労しきった現状に限っては少しばかりありがたくはあった。
たどり着いたその小屋は、こんな惨状と化した≪ヘデラ≫のなかで数少ない綺麗な建物であり、戸や窓の施錠がしっかりできるということで、事前に拠点として決めておいた場所だ。
あらかじめ決めていた通り、固く閉まっている玄関の扉を、三回、一回、四回の順で素早く叩く。
すぐさま中からガタガタという騒がしい物音が聞こえ、金髪の男が勢いよく扉を開いた。
「アル! マリ!! ぶじ――――ぁ…………っ」
人が一人足りないことに即座に気が付いた金髪の男は、言葉の後半を萎ませて息を呑む。
それでも俺と青髪の女が負傷していることを察すると、そっと俺たちを小屋の中へ招き入れた。
「カイルさん、フレイシスさん、アルは――アルフレッドは……?」
「死亡しました。四肢と頭部を【魔物】によってもがれて、亡くなりました」
分かってはいながらも聞かずにはいられないといった様子で恐る恐る尋ねる金髪の男に、【魔人】は容赦も配慮も一切なく間髪入れずに返答する。
その言葉を聞いて脚から力が抜けたのか、男はヘナヘナとその場に座り込んだ。
耳と尾は完全に伏せられ、黒い唇がワナワナと震えているその姿は、金髪の男が抱いている感情を容易に想像させる。
気持ちは察するが、今はすでに死んだヤツよりまだ生きているヤツを優先すべきだろう。
「オイ、ヘタってないで自分の荷物の中から手当てに使えそうなモンを全部出せ。テメェもこっちへ来て手伝え」
前半は金髪の男へ、後半は部屋の隅で縮こまっている商人へ向けて言葉を放つ。
「とりあえず最低限の処置を施したいところなんだが、何をどうしたらいいのかさっぱりわからん。知識はあるか」
「本当に最低限のものであれば、まぁ……」
「なら、コイツのことは頼んだ。何か必要なものがあるなら、ソイツらに指示しろ」
いきなりのことで戸惑った様子の商人を放って、俺は壁にもたれ掛かって座り込んだ。
…………正直言って、体力がもう限界に近い。
今すぐ眠ってしまい所なのだが、俺も俺で先の戦闘でそれなりの負傷をしている。
慌てふためいた様子でゴタゴタと騒ぎながら青髪の女の治療にあたるヤツらを後目に、俺は自分の治療に必要なモノを自分の荷物から取り出す。
回復薬と軟膏に包帯、それから強壮剤だ。
右腕以外に受けた傷は数日もすれば跡も残らず完治するだろうから放っておくとしても、コイツばかりはきちんと処置をしておかないと後が怖い。
酸を被ってすぐに回復薬をかけて外傷部分を洗っておいたので、見た目ほどに実際の状態は悪くないのが、激しく動かしたのもあってか痛みが酷いのは確かである。
左手の手袋を外して、爪でもって皮膚に張り付いた毛や服の繊維を外していく。
それが終われば回復薬をたっぷりかけて傷を消毒し、軟膏をそっと塗ってから包帯を巻きつける。
正しい処置とは言えないのかもしれないが、俺にはコレぐらいのことしかできない。
これぐらいならばまぁ、多少は時間がかかれども跡が残ったりすることはないだろう。
ただでさえ地肌がむき出しになっている傷跡が多くて、これってハゲなんじゃねぇかなって気にしているというのに、ほぼ右腕全部がそうなるのは何としても阻止したいところだ。
「慣れた手つきですね」
「音もなくすり寄ってくんの、止めてくんねぇか」
すぐ耳元で声をかけられる。
俺が懸命に左手一本で包帯を巻いている最中、そっと隣へ来たらしい。
自分よりはるかに強い存在に気配もなく忍び寄られるなんて、なんともゾッとする話である。
「怒っていますか」
「別に。人外に人としての思考を求めた俺が間違ってたってだけだ」
少し離れた位置では、商人と金髪の男が頑張って包帯を駆使しており、真剣なあの様子では俺たちの会話が聞こえていなさそうだ。
「先の出来事で私にも分かりました。今の私には、【
「まぁ、俺もあんまし
人とは何たるかを丁寧に説けるほど、俺は真っ当な人生を歩んでいないし、常人らしい思考回路も持ち合わせていない。
死体の隣で飯を食い、必要に駆られればその死体すらも食い、なんだったらその死体を作ったのは俺自身――なんてことがあり得るのが、カイル・グラウスという
だけど少なくとも、それが人として異端であることは理解できているつもりだ。
コイツもまたそれを理解できたというのなら、これから先、根っこは変わらずとも取り繕うことぐらいはできるかもしれない。
「カイルさんには私に【
そう言った【魔人】の姿からは正確な感情を読み取ることができない。
本来であれば感情に合わせて動くはずの尾や耳は、これまでずっとピクリとも動いていなかった。
「……なんで俺なんだ」
初めからそうだ。
赤髪の男に連れられて、同じ卓に座ったあの時から感じていた。
【魔人】であることを隠して人の中で暮らすため、下手なコトを言ってボロを出さないようにコイツは、不必要に他人と言葉を交わさないようにしていたのだろう。
だというのに、俺以外がいなくなったあの席で、コイツは俺に話しかけてきた。
それからというもの、門前での待ち合わせや馬車の中では物静かでいながら、昨日の夜のように俺の前でだけはずっと饒舌だった。
感情が言葉にイマイチ乗せ切れていない……簡単にいうなら「
「俺とオマエはあの時が初対面だったろ。最初からやけに好感度が高かったのはなんでなんだ」
人に好かれる
大抵のヤツは、青髪の女のように俺と額を突き合わせて取っ組み合いになるのだ。
人外だからと言われればそれまでなのだろうが、それでもコイツに対して、好かれるような何かをした記憶が一切ないのは確かである。
「カイルさんからは良い匂いがするんです。体臭とは全く異なる、魂から香る本能を揺さぶる強い香りが」
今コイツ、サラッと俺が臭いって言わなかったか? 気のせいか?
――それはさておいて、いいニオイだなんてコトは産まれて初めて言われた。
自分で自分のニオイを嗅いでみるが、ソレらしいモノは全くしない。
無論、全くもって臭くもない。
そこまでして、今の俺の鼻は相当バカになっていることを思いだした。
…………まさか本当に臭いのか?
「【魔物】にとっては悪臭極まりないその匂いは、【
「は? 【魔物】にとって悪臭? なんだソレは」
「ご存じなかったんですか。先の戦闘でも、【魔物】は私を差し置いて執拗なまでに貴方だけを狙っていたでしょう」
てっきりアレは、コイツが【魔物】の血を引いているから、仲間だと認識されて狙われていないのだと思っていたのだが……どうやら原因は俺の体臭だったらしい。
今度、香水でも作ってみようかな。それでマシになるモンなのかな。
「特に貴方が【異能】を使ったときは匂いが強くなります。それはもう、【魔物】が強く興奮してしまうほどに」
これまでも、武器を換装した瞬間から【魔物】が凶暴さを増した、なんてことが何度もあったのだが、どうやらアレはあまりの不快極まりない悪臭にブチギレていたというワケらしい。
そりゃあ、そんなヤツに大事な玩具を盗られたとなっては、あの植物型の【魔物】も怒り狂うというモノだ。
どうやら、俺の【異能】と、【魔物】だけが感じ取れる『ニオイ』というのは強く結びついているようだ。
であれば原因など分かり切った話なのだが――――
まぁ、そもそもとして俺がそこまで丁寧に説明をする義理もないし、今の時点でわざわざ話すことでもない。
「なるほどな、色々と合点がいったわ」
話が一段落着いたところで、ずっと手に持っていた強壮剤を俺は一息に飲み干した。
まるで炎に包まれているかのように、全身がカッと熱くなる。
……コレでもうしばらくは何とかなるはずだ。
青髪の女の方も一段落着いたようで、金髪の男と商人は大きく息をついて座り込んでいる。
当の青髪の女はと言えば、やたらめったらに包帯で巻かれており、その姿はマミーと呼ばれる白い魔物を連想させるが、肝心の状態は落ち着いているらしく呼吸は安定していた。
万全――とは到底言えないものの、とりあえずの現状は一段落着いたといっても差し支えないだろう。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
赤髪の男というまとめ役がいない現状では、率先して
しかし、その眼は揃って俺を見ており、視線からは判断を窺うかのような感情が感じられる。
そこでふと、そういえばこの
まぁ、成人したてのガキや人外に、このメンツを束ねろと言っても到底無理な話だ。
「とりあえず、俺とコイツで見張り番をする。オマエらは青髪の女が起きるまで休め。ソイツが起きたら今後の方針について話し合うぞ」
この拠点の防衛は、ハッキリ言って【魔人】一人いればどうとでもなるだろう。
しかし、今のこの状況でコイツが【魔物】の血を引いているということが露呈するのは、下手をすれば
だったら金髪の男や商人には休んでもらって、その間に【魔人】は小屋の外で小屋を守り、俺はその【魔人】を監視しておく。
俺が思いつく最善の案はこれぐらいだ。
一つ懸念材料があるとすれば、俺のニオイが【魔物】を引き付けかねないということだが――これに関してはもう、どうしようもないと割り切ることにしよう。
最悪、【魔物】に囲まれるような事態になったとしても、俺が囮になればとりあえずは何とかなるだろうしな。
「カイルさんもフレイシスさんも、交代したいときはいつでも言ってほしいっす。さっきまでみたいに、少しのあいだなら俺一人でも見張りは出来ると思うんで」
俺が貸した剣を手に持ち、努めて軽快に金髪の男は笑った。
その表情の裏で、俺や【魔人】に対しどのような感情を抱いているのかは、俺には知る術もないもなければ、これといって興味もない。
「俺たちは外にいる。ソイツが起きたら呼んでくれ」
【魔人】を連れて外に出た俺は、何気なしに空を見上げる。
雲一つない上空では、不気味なほど大きな満月が先刻から一切変わりない位置で輝いていた。
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