第十二話:初陣

 青白い月光に照らされ、空中で弾けた真っ赤な血が煌めく。

 見上げるほど巨大な植物型の【魔物】が操る、無数の蠢く太い蔓によって拘束されていた赤髪の男は、その四肢と頭を蔓でもって力強く異なる方向へ引っ張られ、あまりにも容易く、まるで果実を毟るかのようにして引き千切られた。

 その光景を寸前の眼前で見せつけられた青髪の女は、全身に鮮血を浴びながら、喉が張り裂けんばかりの勢いで大きな悲鳴を上げる。

 しかしその声は、【魔物】が発する嘲笑うかのような不快な鳴き声によって掻き消されてしまっていた。


「な――――」


 突然の出来事に、一瞬だけ思考が止まる。

 赤髪の男だった五つの肉塊は適当に放り捨てられ、そのうちの一つ――頭が俺の方へと転がってきた。

 下顎は砕かれ、赤い体毛と髪は血と土埃で汚物のようにドロドロになり、表情は元の整った顔立ちの面影が残らないほどに歪み、瞳孔の開ききった眼がコッチを見ている。

 その部位に残っていた血液が首の断面からトロトロと流れ出て、少しずつ大きな血だまりが形成されていくというのに、麻痺してしまっている嗅覚はそのニオイを一切捉えようとしない。

 そのせいだろうか、今しがた起きたあの出来事と眼前にある頭の存在が、どこか非現実的のように感じられて、それでも聞こえてくる泣き叫ぶ声が現実であることを確かに突き付けていて。

 クラリと、眩暈がした。


「カイルさんっ」


 不意に、【魔人】の女が俺を呼んだ。

 ハッとして顔を上げると、すぐ眼前まで迫り来ようとしていた一本の触手を視認し、その場から飛び退くことで慌てて回避する。

 余計な思考は後だ、今はこの場を切り抜けるのが先決だ。

 この場にいる【魔物】は、中央を陣取る巨大な植物型が一体と、その周囲に同じような形状の小さなヤツが九体。

 根のような足が六本、でっぷりと膨らんだ丸い身体は分厚い葉に包まれており、頭と思われる部分には鋭利な牙を生やした大きな口しかなく、目は見当たらない。

 身体と頭の接続部分から生えている最大の特徴である蔓は、見るだけでは数えきれない程に多く、持て余している蔓がウネウネと伸び縮みしているところを見るに、さらに数を増やすことができるのかもしれない。

 身体強化の【魔法】を扱えるはずの赤髪の男アイツですらついぞ抜け出せなかったんだ、万が一でもあの大きな蔓に捕まってしまえば間違いなくおしまいだろう。

 【魔物】共通の弱点となる魔晶石は、空気中の【魔力】を吸収するために必ず露出しているそうだが、一見した限りでは見受けられない。

 となれば、他に弱点になりそうなのは頭と身体の接続部分、人でいう所の首にあたる場所か。

 現状で想定すべき敵は眼前のヤツらだけでよさそうだが、戦闘が長引けば他の【魔物】も寄ってくるかもしれない。

 植物型であれば炎が弱点というのが定石だが、あの蔓の表面の硬さは生半可な炎を通しそうにない。

 かといって手持ちの武具では火力が高すぎるあまりに調整が難しく、周囲の樹々諸共に燃やしかねないため、今回は使えなさそうだ。

 ……だったら、草は草らしく根元から綺麗に刈り取ってやろうじゃねぇか。

 手に持っていた二丁の銃を手放し、身の丈よりもずっと巨大な一振りの鎌を両手で握る。

 すると、奔る閃光に気づいた【魔物】共が一斉に俺の方を向いた。

 何年も前に草刈り用の鎌として造ったはいいが、若気の至りで無駄に性能とカッコよさを求めた結果、あまりの大きさ故に本来の用途で使用するには不向きとなってしまったしまい、使い道がなくずっと仕舞いこんでいたモノだったが、まさかこうして手に持つ日が来るとは。

 【魔物】の持つ十数本ものうねる蔓の先端が俺へと狙いを定める。


「■■■■■――――ッ!!」


 【魔物】による、思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い金切り声を合図に、俺は一直線に駆けだした。

 まるで槍のように四方八方から迫り来る蔓を躱し、すれ違いざまに草刈り大鎌を横一文字に振るう。

 植物系統の【魔物】への強い特攻効果を付与してあるおかげで、軽く弧を描いている巨大なその刃は三本の蔓を容易く一刀両断、すると、その切断面から透明な液体が勢いよく噴き出した。

 視界の端で、液体に触れた地面の草木が白い煙を上げて瞬く間に溶けていく。


「うぉっ、マジかよ!?」


 足を止めることなく駆け抜けたために運よくかからなかったから良かったものの、もしあの時点で足を止めて完全な迎撃態勢に入っていたらと思うと、思わず背筋に冷や汗が流れる。

 迂闊に斬るとどうやら、強い酸性の液体を周囲にばら撒いてくるなんとも嫌らしい種族のようだ。

 とはいっても、かかりさえしなければどうということはない。

 次々と襲い掛かる蔓をバッサバッサと切り刻んでいくと、一体身体のどこにそれほどの量の液体を蓄える器官があるんだと言いたくなるほどの酸の量でもって、あっという間に周囲一帯の地面は荒野へと変貌を遂げた。

 これだけ斬っても手数が減った様子はないところをみるに、やはり蔓の増殖は自在らしい。

 取り巻きの【魔物】に関しては、蔓を伸ばしたりするような遠距離の攻撃手段もなく、動きも緩慢で率直にいってトロいため、〈青銅アエス〉相当といったところだろうか。


「チッ、クソが」


 ただ一点、厄介な点があるとすれば、致命傷を負った際に自爆をするという点であった。

 俺の腰ほどの背丈しかないその体躯を真っ二つに両断すると、身体がみるみると膨れ上がり、盛大に爆散して広範囲に例の強酸をまき散らすのだ。

 咄嗟に背を向けて外套で全身を覆ったために何とか大きな損傷は免れたが、完全に庇いきることはできず、右腕と右足の一部に酸がかかってしまう。

 足に関しては少々痛むが走るのにはそれほど問題ないものの、右腕は溶けた服の繊維がドロドロになった皮膚にくっついており、赤黒く爛れたその見た目はかなり気持ち悪いモノとなってしまっていた。

 後方へ下がって【魔物】との距離を取り、腰の小物入れからは回復薬を取り出すと、口で蓋を開けて右腕へバシャバシャと振りかける。


「……っ」


 正直言ってかなり痛むが、溶かした金属の中へ手を突っ込んだ時に比べたらまだマシだ。

 とはいえ、流石に武器を握るのは難しく、この草刈り大鎌を振るうのは些か厳しい。

 近距離での戦闘は分が悪いと判断し、鎌から一丁の猟銃へと換装する。


「――――っっ!!」


 直後、【魔物】のものとは異なる、人のくぐもった悲鳴が上がった。

 それは、蔓によって雁字搦めに拘束されている青髪の女が発した声のようで、全身を締め付ける蔓の力が強くなっているらしく、その悲鳴は喉を潰さんばかりに悲痛なものであった。

 人の体をいとも簡単に引き千切るような力だ、握り潰すことなど容易いだろう。

 ――このままじゃまずい。

 すぐにでも救出へ向かいたいところなのだが、取り巻きの【魔物】共が邪魔をしてくるために動けそうにない。


「おい【魔人】! 手を貸せ!! オマエならなんとかできるだろう!?」


 先程から一向に戦闘へ参加する気配のない【魔人】。

 【魔物】共の意識は俺へと向かっているためにヤツへの注意は逸れているらしいのだが、俺が戦闘をしている最中、あろうことかヤツはずっと同じ場所で立ちぼうけしていた。


「おいッ! 聞いてんのか!?」


 あの見えない斬撃と、対象だけを燃やし尽くす炎を用いれば、この場を一瞬で収めることなど容易なはずだ。

 だというのに、【魔人】は【魔法】を行使する素振りを全く見せない。

 それどころか、俺の声に対して一切の無視を決め込んでいる。

 ヤツの聴力は俺と同等かそれ以上のはずなので、流石に聞こえていないということはないだろう。

 青髪の悲鳴がさらに上がる。


「■■■■■、■■~~~」


 その声を聞いて、【魔物】は心底愉快そうに笑い声を上げていた。

 およそ人や動物が発するモノとはかけ離れているというのに、どうしてかその声を俺は笑い声だと認識できてしまった。

 まるでおもちゃで遊ぶガキのように、【魔物】はその巨躯を揺らしている。

 どういう意図かは分からないが【魔人】が何もするつもりがない以上、俺がなんとかしないと、これ以上は青髪の女の体が持たない。

 どうにか追加で二体を処理できたが、全ての【魔物】から一定の距離を保つように動き回りながら銃を用いるのは中々難しく、この方法では時間がかかりすぎる。

 やはり、我が身可愛さに近距離を避けている場合ではなさそうだ。

 銃を戻し、次に取り出したのは軽量化の【魔術】を付与してある魔装の大槌。

 これまた俺の身長ほどもある大きさなのだが、見た目の割に非常に軽く、片手でも十分に扱える代物である。

 死に際に爆発するというのなら、その身体を文字通りペシャンコに叩き潰して爆発できないようにしてやる。

 それでも酸は飛び散るだろうが、爆裂四散されるよりかはだいぶマシな筈だ。


「オ――――ッッラァア!!」


 回転しながら大槌を横に振るい、三体の【魔物】をまとめて殴打する。

 こうして手に持てば軽いこの大槌だが、実際に軽くなっているワケではなく、あくまでも所有者が軽く感じているだけなので、実際の重量には変化はないために与える衝撃もまた変わらない。

 そんな超重量が棒切れような扱いで勢いよく振るわれれば、小物の【魔物】なぞいとも簡単に肉片と化す。

 【魔物】は酸と体の一部を撒き散らしながらあらぬ方向へかっ飛んでいき、遠くでベチャリと地面に落ちる音が聞こえた。

 残る取り巻きは三体となったが、律儀にソイツらの相手をしている余裕なんて当然なく、大槌を仕舞うと俺は全速力で駆け出す。

 走りながら続けて取り出したのは、外縁が余すことなく刃となっている極薄のこれまた巨大な飛去来器。

 先程の大槌とは違い、見た目よりもずっと重い素材でできており、片手なんかでは到底扱えない代物だ。


「クソがぁぁあああぁぁぁッッッ!!!」


 先端の側面に設けてある取手を両手でしっかりと握り、大きく跳躍した俺はそれを全力で放り投げる。

 激しく動かしたことで右腕から軽く血飛沫が上がるが、そんなことは気にしていられない。

 ブォン! という風を切る重い音を発しながら投擲された飛去来器は、大きく弧を描いて巨大な【魔物】へとすさまじい速度で迫ると、青髪の女を拘束している蔓を根元からバッサリと切断していく。

 切蔓の断面から大量の酸がぶちまけられるが、青髪の女を拘束しているのは切断された根元からは離れた先端部分であったために、誰かに被害を与えるわけでもなく、地面に落ちて白い煙を上げるだけに終わる。


「■■■■■■■■■――――!?」


 思わず耳を塞ぎたくなるような不快音が、【魔物】の巨大な口から発せられた。

 それと同時に、蔓によって宙へと高く持ち上げられていた青髪の女は、受け身もまともに取れずに地面へと落ちる。

 急いで駆け寄り、ピクリとも動かない女の状態をすばやく確認する。

 ……気絶しているだけで、死んではいない。

 どうやら全身に絡みついた蔓が緩衝材の役割を果たしたようで、落下によってどこかが怪我した様子はなさそうだ。

 生憎と怪我を診る知識もなければ時間もないのでそれ以上のことは分からないが、とりあえず生きていることを確認できたため、絡まる蔓を外して女を左腕で担ぐ。

 玩具を取られたからか、はたまた傷を負わされたからか、どうやら怒り狂った様子の【魔物】はこれまで以上の数の蔓を生やし、怒涛の攻撃を仕掛けてきた。

 右腕が使い物にならず、左腕で人一人を抱えている以上、今の俺に迎撃する術はなく、この身一つで後退しながら何とか回避をしていく。

 どうにかして女を安全な場所に置けさえすれば、まだ何とかなるんだが…………逃げる先々に取り巻きの【魔物】が先回りしてくるために、一呼吸置く暇すらない。


「もしかして彼女、意識がない状態でしょうか」


 すると、離れた位置で傍観に徹していた【魔人】が、不意に声をかけてきた。


「だったら何だってんだ!」

「質問に答えてください。重要なことです」

「そうだよ! 気絶してるが死んでねぇ!!」


 答える俺の声は、喉が痛むほどに張り上げられており、空気を読まない質問に対する強い怒気を孕んでいた。

 こちとら、必死こいてを抱えて逃げ回っているというのに、気を散らすようなことをしてくんじゃねぇっての!


「――であれば、もう構わないな」


 その言葉と共に、【魔人】はパチンと指を鳴らす。

 やけに響くそのきれいな音の直後、四方から迫る触手の動きが一斉に止まった。


「……糸か?」


 月明かりを反射して僅かに煌めくその存在を視認したのも束の間、その糸らしきモノによって拘束されている眼前の蔓が、何の前触れもなく急速に萎れていく。

 それは本体である巨大な【魔物】や取り巻きも同様で、苦し気な鳴き声と共に暴れようとするもまともに身動きを取れず、身体を揺らすことしかできないヤツらは徐々にその動きが緩慢なものになっていき、やがてピクリとも動かなくなった。


「切断すると厄介のようだからな、少々時間のかかる手だがことにした」


 この不気味な現象の元凶はやはり、【魔人】らしい。

 前衛職にとっていささか相性の悪い相手だったからというのも確かにあったが、俺が苦戦していた相手をこうも呆気なく処理してしまうとは……。

 ――――いや、今はそれよりも、だ。


「それが出来んなら、なんでもっと早くにしなかった!?」


 気がつけば俺は、大声で怒鳴っていた。

 指慣らし一つで【魔物】を一体残らず殲滅できるというのなら、俺が到着するよりも前にすでに事態を収拾出来ていたはずだ。

 そうすれば、赤髪の男もあんな惨い殺され方をされなかったはずだ。

 人の死を悔やむような性分ではないが、かといって、失う必要のなかった命に対して無関心でいられるほどに俺は人としての性根を捨ててはいない。

 自分ではできなかったことを他人に求めるなんて、本来であれば間違っているのは百も承知だ。

 他人の力を頼るのもおかしいってのは分かってる。

 【魔人】が最初から最後までこの戦闘に関与しないのなら、俺だって恐らくは何も言わなかった。

 しかし、手を出したのなら話は別である。

 今よりもっと前に、手を出すべき場面があっただろう、という話だ。


「『部隊パーティの仲間には正体を明かすな』」

「……あん?」

此方こなたにそう言ったのは君だろう、カイル」

「――――はぁ?」

「だから此方こなたは『私』として彼女らに言葉を投げかけ続け、戦闘を行える君の到着を待っていたのだ」


 なんの冗談だと疑ったが、【魔人】の目は真剣でふざけている様子はない。

 ――そんなの、時と場合を考えれば誰だって優先すべき事柄の分別がつく話だろう。

 正体がバレた際に発生する面倒事と、人一人の命を天秤にかけたら後者に傾くなんてこと、ガキでも即答できる問題以前の当たり前の常識だ。


「そして、彼女マリシンが気絶しているのなら、此方こなたが【魔法】を使用しても問題ないと判断した」

「な――」


 思わずまたも怒鳴りそうになるも、どの言葉を最初に出すべきかが分からずに全てが喉でつっかえてしまい、結局何も出てこない。

 ――――結局のところ、人外に人の常識を求めるのは間違っていた、という話なのだろう。

 コイツは俺の言ったことを愚直に守っただけであって、すべての責任は俺にある。

 【魔人】が人としての常識を持ち合わせていないことなど、これまでのやり取りで十分に理解できたはずのことだ。

 加えて、俺の目が人並みのモノで夜道を迅速に駆け抜けることができていたら、間に合っていたのかもしれないのだ。

 ……元を辿ればまぁ、迂闊に山に近づいてまんまと攫われた二人が発端なのだが、まぁそれはさておいて。


「はぁぁぁぁ…………」


 詰まった言葉は大きなため息として吐き出され、向けるべき矛先を定められない怒りを発散すべく、俺はガシガシと左手で頭を掻く。

 そもそもとして、今はこんなところで言い争いをしている場合じゃない。

 早いところ、村へ戻って青髪の女を治療しなければならない。


「もういい。過ぎたことを言ってたってしょうがねぇからな」

「君は他人に対して淡泊だと思っていたのだが、存外にも情が深いのだな」

「るせぇ。空気が読めねぇんならちっとは黙ってろ。村へ戻るぞ」

「承知した。今は静かにしていよう」


 何故かは分からないものの、それこそ文字通り指一つで始末できるような存在である俺の言葉に、【魔人】は素直に従うようだ。

 道中での戦闘を【魔人】に全て押し付け、俺は肩に青髪の女を担ぎ、そうして俺たちは元来た道を戻るのだった。

 ――その場には、【魔物】と赤髪の男の死体だけが残る。

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