第十話:序章の終わりと物語の始まり

「カイルさん、気づきましたか。この村の家はいずれも、食べ物が一片たりとも残されていませんでした」

「……当たり前だろ」


 カイルが実際に気づいていたのかはさておいて、フレイシスが調べた限りでは、どの家屋にも食料や調味料の類は一切存在しなかった。

 また、家畜小屋と思われる建物の中ですら生き物は一頭もおらず、そこにあったのは、確かに驢馬や牛などが買われていたであろうという痕跡だけであった。


「畑にも野菜は植えられていなかったんでしたっけ」

「あぁ。さっきチラッと見たが、全部掘り返されていたな」

「【魔物】の仕業でしょうか」

「いや、あれは人の手だろうな」


 家に食料は無く、畑にも野菜は無く、家畜もいない。

 それでいて、確認できる限りでは生存者はなしと来た。


「つーことは、村のヤツら全員が餓死ってコトか?」

「全員ではないでしょうが、その可能性はありそうですね」


  状況から判断した結果、二人が立てた予測は『餓死』であった。

  【魔物】が山に住み着いたせいで食料の確保が難しくなり、やがて村の備蓄がなくなってそのまま――などと想像してみたものの、カイルは「そんなまさか」と頭を振って自分の考えを否定する。


開拓者組合ギルドが依頼を受けてからまだ七日も経ってないんだろ? いくら腹を空かせてたとしても、さすがにそれだけの期間で飢え死ぬってのはあり得なくないか?」

「ですが食事というのは生物が生きる上で必要不可欠なものです。加えて【新生民ノヴァ】には【六つの罪種ざいしゅ】という教えがあるではありませんか」

「だからなんで神についてはなんも知らねぇくせに、そういう知識はあるんだよ」


 【六つの罪種】とは、【天地創造の五柱の神】が人に植え付けたとされる、人が罪を犯すに至る感情のことを指す。

 一つ。あらゆる物を欲し、卑しく強請り、強奪する【貪汚】の罪種。

 二つ。妬み、恨み、不信を募らせ、他者を疑う【猜疑】の罪種。

 三つ。情欲に溺れ、本能の赴くままに誨淫にふける【淫蕩】の罪種。

 四つ。偽を是とし、悪意を持って他者を欺く【欺瞞】の罪種。

 五つ。節操を失い、努力を怠り、思うがままに怠惰を貪る【堕落】の罪種。

 そして、六つ。飢えを良しとせず、卑しく、見境なく貪り食らう【貪食】の罪種。

 教会はこれら六つの感情を『罪の源』として悪しきものであると定め、≪レンゼリアカイゼ≫中にその教えを広めた。

 とはいっても、言い換えてしまえば【淫蕩】は『性欲』、【貪食】は『食欲』とも解釈でき、どちらも人が繁殖するには必要不可欠なものであるため、今となっては廃れつつある教えであった。

 今回、フレイシスが指しているのは【貪食】のことだろう。


「【新生民ノヴァ】というのは、食事のためなら罪すら犯す【貪食】な生き物なのですから、食べるものがなくなれば、案外すぐに死んでしまうかもしれませんよ」

「ソレとコレとはまた話が違うだろ。現実的な話、俺は絶食状態でも二十日以上は生きてられたんだ。大人数が十日足らずで死体が腐敗するまでに至るとは到底思えねぇ」

「この空間では時間の流れが異常な状態となっている可能性があることをお忘れですか」


 冷静なフレイシスの物言いに、カイルははたと気づく。

 だとすれば、現実での七日程度の時間経過で、村中の食糧が底をつき、村の人々が飢え死に、皮膚が解け落ちるほどに腐敗が進行するような時間が流れていることになる。


「となればやはり、自力で脱出するより他はなさそうですね」

「まぁ、俺はもとよりそのつもりだったけどな」


 【異界ダンジョン】化した要因の排除――つまりは、この空間内に巣食う【魔物】を始末する。

 そう考えれば行うべきことは開拓者の仕事からそれほど逸れているようにも思えず、存外、簡単に終わりそうな気もしてくる。

 勿論、それほど単純な話でもなく、【異界ダンジョン】化するほどの数の【魔物】ともなれば、指で数えられる程度の数では済まないだろう。

 それでも、助けを求めて何十日もこの空間で待つことを考えれば、随分と気が軽くなる話ではあった。

 合流地点であるところの門前へ戻ると、アルフレッドたちはまだ戻っておらず、商人が小さく丸くなって荷物の陰に隠れている姿だけがそこにあった。


「お、おかえりなさいませ……いかがでしたでしょうか?」


 恐る恐るといった様子でそう訊ねる商人だったが、親切に答えてくれる者はこの場にはいなかった。


「遅いですね」


 カイルたちの移動はゆっくりとした足取りであり、目安の時間となってからそれなりの時間が経過している。

 松明によっては燃焼具合にある程度の違いがあれど、ここまで明確に差が開くことはないはずである。

 あの青年たちが時間を破るような真似をするとも考えづらく、この場合は彼らの身に何か起きたと見るのが順当だろう。

 「どうしましょうか」とでも言いたげな顔でフレイシスに見られ、その視線を頬で受け取ったカイルが顎に手を当て、しばし逡巡していると。


「――ルさん、フレ――――っ!」


 かすかに聞こえてくるこちらを呼びかける声と共に、遠方で激しく揺らめく小さな明かりが見え始めた。

 それは、至極慌てふためいた様子で、カイルたちの元へと駆け寄ってくる最中のカナリアであった。

 引き締まった体躯の男が必死の形相でこちらへと向かってくるその様は、傍目から見れば中々に恐ろしい絵面ではあるものの、そのような冗談を言えるような雰囲気ではなく、珍しく空気を読んだカイルは出かけた言葉を飲み込む。


「――さ、ん……! フレ――――スさ…………!」

「いかがなさいましたか」

「――――、――っ! ――――、マリとアルが――山に……【魔物】に――ッ」


 息を切らし、狼狽していることもあってか発言内容のほとんどが聞き取れずにいたが、おそらくもっとも伝えたい部分であろう後半だけは何とか聞き取ることができた。

 マリシアンとアルフレッドの二人が、【魔物】によって山の中へと連れ去られた、ということなのだろう。

 どうにか息を落ち着けて、改めて話を伺うに、カナリアたちは東側の奥地に何軒かの家屋を発見し、それらの探索を行っていたところ、山から降りてきた【魔物】と遭遇してしまい、戦闘になったそうだ。


「交戦したんすけど、マリが捕まって……それを助けようとしたアルも…………」


 依頼の内容ではゴブリンと推測されていたが、どうやらまったく別種の【魔物】が群れを成しているようで、【魔物】単体の強さはそれほどでもなかったが、いかんせん数が多く、多勢に無勢で隙を突かれて捕まってしまったらしい。

 カナリアの話を聞く限りではやはり、【魔物】は山の中を縄張りとしているらしいが、人がいると知った以上はまた村へと降りてくる可能性がある。

 捕らわれた二人を救出しに行くにしても、商人一人で荷物番をさせておくのも限界があるだろう。

 安全地帯の確保もかねて、戦える者が最低一人はこの場に残ったほうが良さそうだという形で、開拓者たちの意見は纏まった。


「俺が残ります。遠距離主体では、月明かりの届かなさそうな山の中では役に立てそうにないっすからね」


 意外なことに、真っ先に留守番を名乗り出たのはカナリアであった。


「オマエも待ってろ」

「私も向かいます」

「治療要員のオマエに万が一のコトがあったら、この部隊パーティは壊滅するんだぞ」


 そしてさらに意外なことに、フレイシスが捜索への参加に何故か乗り気なのだ。


「私であれば、探知の【魔法】でもって、アルフレッドさんたちの居場所を特定できます」

「でもオマエ――」

「加えて、もし仮に彼らが重傷を負っていた場合、私を同行させることでその場で即座に治療に入ることができます」

「だから――」

「最低限の身を守る術は身につけているつもりです」

「……」

「私であれば、今のカイルさんの補助を行えます」

「…………」

「…………」


 カイルとフレイシスの無言の睨み合いが続く。

 先に折れたのは、これ以上は時間の無駄だと判断したカイルの方だった。

 この場で頑固な者を言葉だけで説き伏せることができるほど語力は持ち合わせていないし、こういった輩は何をいったところで勝手についてくるだけだと骨身に染みるほど理解している。

 何故ならば、カイル自身がどちらかといえばそちら側の者だからである。


「わかった。俺は夜目が効かない。加えてこの悪臭で頼みの綱の鼻もイカれちまってるときた。道案内は任せるぞ」

「勿論です」


 結果、商人とカナリアが村に残り、カイルとフレイシスが攫われた二人の捜索を行うこととなった。

 普段ならばともかく、不調を極めている今のカイルの身体状況では、非戦闘要員を守りながら戦うなど到底できない。

 護身の術は身につけているとのことで、自分の身は自分で守ってもらい、もし万が一フレイシスが死亡するようなことがあれば、遠慮なく全員を見捨てて単身でこの【異界ダンジョン】を突破してやろう。

 そう心に決めるカイルであった。


「弓だけじゃいざという時困るだろ、コレ持っとけ」


 バチリと黒い稲妻が弾け、カイルの左手に一振りの直剣が現れる。

 放り投げられた刀身むき出しの直剣を、おっかなびっくりといった様子でカナリアは受け取った。


「カイルさん、フレイシスさん。……気をつけて」


 カナリアの言葉を背に受け、カイルたちはアルフレッドたちが戦闘を行ったとされる場所へと向かう。

 ≪ヘデラ≫は東西でそれぞれ農地区と住居区に分かれているらしく、アルフレッドたちが探索を行っていた東側は、ほとんどが家畜小屋と田畑で構成されていた。

 小さな村ではあるものの、村全体を賄えるほどの農作物を作るともなればそれなりの広さとなっており、両手で数えられるほどの建物以外は一面が田畑となっている。

 しかし、その一面の田畑には作物の類は一切植えられておらず、田地は土が乾き、畑地では植えられていたものを乱雑に掘り返したかのような跡が残っていた。

 そんな田畑のど真ん中を、カイルとフレイシスは一直線で突き抜けていく。


「オマエ、なんでついて来たんだ」

「こちらの方が面白そうだから、でしょうか」

「…………」


 想像を絶する返答に、さしものカイルも絶句を禁じ得ない。

 踵の高い靴ハイヒールを履いて動きにくそうな服に身を包んでいるにもかかわらず、平然とした顔で雑談を挟む余裕を持ちながら、こと走る速度においてはかなりの自信があるカイルと並んで走るフレイシス。

 これまでの言動といい今回の行動といい、もしや隣を走るこの女は人外かそれに類する存在か何かなのではないかとさえ思えてくる。

 軽快な姿勢フォームで走るその姿は、単なる直感しかないその予想に妙な現実味を与えていた。


「カナリアさんが仰っていた場所はこの辺りのようですね」


 辿り着いた場所では、地面が抉れていたり矢が突き刺さっていたりと、確かに戦闘が行われたであろう痕跡が見て取れる。

 周囲を探ってみるものの、【魔物】の気配はない。


「それじゃ、その探知の【魔法】とやらを頼む」

「そのことについてなのですが、カイルさん。この村に来た当初、マリシアンさんが仰っていたことを覚えていますか」


 急に話を逸らされ、カイルは嫌な予感を覚えるものの、素直に数十分前の自分達のやり取りを思い返す。

 カイルがあまりの悪臭に悶絶している最中、真面目な三人が今後の方針について話し合っていたはずだ。

 大人しく救援を待つか、探索を行なって最低限の情報を探るかで意見が分かれ、マリシアンは前者の意見であり、その際に『この場では尋常ではない量の【魔力マナ】が集まっており、【魔法】の発動になんらかの影響を与える恐れがある』などと言っていた気がする。

 そこまで記憶を掘り返し、はたと気づく。


「まさか」

「はい。高濃度の【魔力マナ】に阻まれ、【魔力オド】による波動ソナーを放てません」

「まじかよ……」

「この様子だと、治癒の【魔法】をはじめとした、他者に直接影響を与える類の【魔法】も全面的に使用できないと思われます」

「よしわかった、今すぐ戻れ」


 補助師の役割であるところの、味方への支援、敵への妨害、その他全体的な補助の【魔法】が、【異界ダンジョン】の特性によって行使できない状態となっているという。

 そうなってしまえば、率直に言ってただの邪魔者でしかない。

 さしものフレイシスもこのままでは自身の存在意義が致命的なものとなると判断したのか、珍しく慌てた様子で弁明を始める。


「ま、待ってください。これは補助系統の【魔法】に限らず、【新生民ノヴァ】の間で一般的に普及している攻撃系統の【魔法】にも言えることなんです」


 【魔法】には大きく分けて、万人が扱いやすいように作られた世間一般で普及している【汎用魔法】と、個人が研究と研鑽の末に生み出した【固有魔法】、【神歴】時代に使用されていた【古代魔法】の産種類が存在する。

 加えて【汎用魔法】にはそれぞれ、初級、中級、上級、天級の四つの階級が振り分けられており、中級以下で登録されている攻撃の【魔法】は、主に既存の物体に自身の【魔力オド】を注入して直接操作するというものである。

 これは、無から有を生み出すよりも既存のものを流用した方が遥かに【魔力オド】の消費量が少ないからであり、原理としては、補助系統の【魔法】と似通ったものであるため、それらの攻撃系統の【魔法】もまた、この状況下では使用できない可能性が高いのだという。

 ――とは言っても、補助師であるフレイシスにはさして関係のない話であり、だからなんだという話ではあるのだが。


「ですので、マリシアンさんも同様に役立たずということになると思いませんか」

「…………」


 再び、絶句。

 あろうことかこの状況下で、命の危険に晒されている最中である仲間を指して、言外に救出の価値はないと言うその神経たるや。

 ――と、カイルはそう受け取ったのだが、フレイシスとしてはそのような意図はないのか、開いた口が塞がらないカイルを放って話を続ける。


「ですが、私はそうではありません」

「どういうことだよ」

「そうですね――――例えば」


 フレイシスがカイルの後方を見据える。

 一呼吸遅れてカイルがそちらを見やれば、いつの間にやら【魔物】が出現しているではないか。

 人よりも遥かに大きな体躯を音もなく動かす巨大な蛇の姿、およそ王都からほど近いこの場所に出現するようなものではないそれは、〈白銀アルム〉の階級で開拓者組合ギルドに登録されている『ピュトン』と呼ばれる【魔物】であった。

 群れを成すという情報はないはずなのだが、気がつけば周囲はその【魔物】によって包囲されており、これほど迫られるまで全く気づかなかった自分に対し、カイルは盛大に舌打ちする。

 すぐさま踵を返し、バチリと黒い閃光と共に無骨な直剣を出現させ、構える――――が、しかし。

 周囲を取り囲む合計にして六体のピュトンは、瞬きの間に細切れにされ、突如として発生した炎によって跡形もなく燃やし尽くされた。


「この程度の【魔物】であれば、此方こなたの【魔法】でこれこの通り、だ」

「オマエは……何モンだ?」


 背後に立つ女性の姿は、つい寸前までとは全く異なるものとなっていた。

 浅黒い毛並みは一本たりとも残さず消え失せ、同色の地肌が剥き出しとなり、伸びていたはず口吻は正面から見ればペシャンコと変わりないほどに縮んでいる。

 尾や耳も当然のように消え失せ、夜闇に爛々と瞳を輝かせるその姿は、過去に話で聞いた【魔族】のそれと合致しているようにも思えた。

 口をついて漏れ出たカイルの言葉に、不適な笑みを浮かべたその者は、こう答える。


「【魔物】と【新生民ノヴァ】との間に産み落とされたモノ――そうだな、言うなれば【魔人】といったところだろうか。もっとも、【魔物】は【魔物】でも【魔王】と称される【六つの罪種】の名を冠する存在の娘、だがな」




 ―――― 神に祝福された青年と、【魔王】の娘が出会った今この瞬間より、物語は動き出した。

 神による語りこの時点をもって終わる。これより先は、彼らが物語を紡ぐ番だ。

 夢幻の使命を抱く青年は、彼女との出会いを境に、やがて神々と世界の真実を知ることとなるだろう。

 これより繰り広げられるは、夢幻へと辿り着くまでの軌跡。

 いつかへと至るための、彼と彼女が紡ぐ冒険奇譚である。

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