第九話:異界・ヘデラ

 ――『【異界ダンジョン】化』とは。

 【魔物】が一か所に大量発生することで極稀に、周辺の【魔力マナ】の濃度が異常なまでに濃密となり、それによって世界から強制的に切り離された特殊な閉鎖空間が発生する場合がある。

 【異界ダンジョン】や【迷宮ラビリンス】などと呼称されるその空間は、一度入り込んでしまえば通常の方法では脱出することが出来ず、【異界ダンジョン】化した要因を排除するか、空間そのものの破壊、【魔術】などで転移するより他に出る術はない。

 その攻略難易度の高さから、【異界ダンジョン】が関わっている依頼は少なく見積もっても最低が〈白銀アルム〉相当であり、どう間違えても〈黒鉄アフェル〉の依頼書として張り出されていい代物ではない。


「なんていうか、随分と面倒な事態に陥ってるのね、あたしたち」


 カイルとマリシアンが意を決して門へと飛び込むと、意外なことにも景色には何の変化もなく、後ろを振り返っても門とその向こうで困惑している馬の様子がしっかりとそこに存在していた。

 自分たちが転移したような感覚など勿論なく、目の前には先程いなくなったばかりの者たちが地に足をつけてしっかりと立っている。

 どういうことかと首をかしげている両名に、アルフレッドは自分たち――ひいてはこの≪ヘデラ≫という村に何が起きているのかを簡単に説明するのであった。


「【異界ダンジョン】化、ねぇ」


 門の向こうの空間へと手を伸ばすも、その手は見えない壁に遮られるかのようにして境界より先へと進むことは敵わない。

 各々の武具で一斉攻撃し、加えて攻撃の【魔法】を最大火力でぶつけてみたものの、やはり結果は同じで、あらゆる攻撃を用いても何の変化もない透明なその壁は、入る者は拒まず、去ることは決して許さない最悪最低の代物であった。

 しかし、それ以上にカイルにとっては耐え難い要因が一つ存在した。

 それは、【異界ダンジョン】へと足を踏み入れてまず最初に感じた、思わず吐き気がこみあげてくるような濃密な腐臭であった。

 これは他の者もしっかりと確認できているらしく、皆もカイル同様に手や布でもって鼻をしっかりと覆っている。

 【異界ダンジョン】化によって空間ごと断絶された影響で空気の流れが止まり、地形と相まって淀んだ空気がこの村に溜まり続けているのだろう。

 このような空間で生活するなど、とてもではないが出来そうにない。


「なんかねーのか? 消臭の【魔法】とか、いいニオイを出す【魔法】とか」

「そんなくだらない【魔法】ないわよ。我慢しなさい」


 容赦のないマリシアンの返答に、カイルは耳をペタリと倒してあからさまに落胆の様子を見せる。

 仕方がないので応急処置として、手持ちの薬草から香りの強いものをいくつか摘まんでそれを口に放り込む。

 本来なら自殺行為に他ならない所業ではあるものの、腐臭と草の臭いのどちらがましかといわれれば断然後者というものだろう。


「とりあえず、これからの行動をどうすべきか話し合おう」


 植物が一切植えられていない畑、明かりの灯っていない建物、人一人見受けられない広場。

 重苦しい雰囲気を漂わせ、夜闇と静けさに包まれたこの場はもはや、廃村といっても過言ではないだろう。

 【異界ダンジョン】化を抜きにしても、この殺風景な情景を一目見れば、≪ヘデラ≫の現状がただならぬ状態であることは誰の目から見ての明らかであった。

 そのため、現状把握と村人の捜索を兼ねて探索を行うべきだという意見をアルフレッドとカナリアが発したのだが、マリシアンと商人がそれに対して猛烈に反対する。

 本来であれば〈白銀アルム〉の開拓者が担当するような案件に、〈青銅アエス〉の自分たちが下手に介入すべきではなく、大人しく救援が来るのを待つべきだ、という意見が挙げられた。

 しかし、開拓者の行動に関しては放任を貫いている開拓者組合ギルドが、今回に限って都合よく救援を寄越すなどという保証はどこにもない。


「貴方たちにはわからないでしょうけど、この場所、尋常じゃない量の【魔力マナ】が集まってる。多分、【異界ダンジョン】化の影響ね。これじゃあ【魔法】の発動に何かしらの影響が出てもおかしくないわ」

「そうはいっても、助けが来る可能性だってずっと低いだろう? それに、待つといったってずっとこの位置から動かないというのも無理があると思うんだ」

「だったらせめて、この依頼を受けた他の開拓者が来るのを待たない? 行動を起こすのはそれからでもいいと思うの」


 同じ依頼を違う部隊パーティが似た時期タイミングに受注してしまうことはままある出来事であった。

 とはいっても、開拓者組合ギルドとしても同日に被るという事態は最低限避けるべく、受注を受けた依頼書は数日の間を開けて再度張り出されるといった対処は行っているのだが、時間がかかる依頼となると依頼場所で部隊パーティ同士が鉢合わせしてしまうことも少なくはない。

 ましてや〈黒鉄アフェル〉の討伐依頼などは強い人気を誇っているため、数日も待てばすぐに別の部隊パーティがやってくるだろうと、マリシアンは考えていた。

 例え開拓者組合ギルドの職員に戦力外の烙印を押されていようとも、最低限の基礎は積んでいる開拓者の端くれである。

 ある程度の人数が集まればそれだけ対処できる事態も増えるというものだろう。

 その様なことを、この場の全員が理解できるように丁寧に落ち着いて説明をし、アルフレッドとカナリアを何とか説得できたところで、今度はフレイシスが異を唱えた。


「いや、それは止めておいたほうがよろしいかと」

「どうしてよ」


 意見がまとまりかけたところで水を差され、マリシアンは思わず憤りの声を上げるのだったが、そんな彼女には目もくれずにフレイシスは空をそっと指さす。


「四方が山に囲まれているために薄暗く、気づくのが些か遅れてしまいましたが――皆さん、この村に入る前はまだ日没前であったことは覚えていますか」


 一行が揃って上空を見上げれば、そこには一片も欠けていない美しい満月が爛々と輝き、村と山々を薄暗く照らしていた。


「加えて、次の満月は十日後のはずであり、今夜の月はまだ欠けている状態のはずです。これは、時間の流れが通常のものではないとみていいでしょう」


 月の満ち欠けはあらゆる【魔力】に強い影響を与える。

 そのため、魔法使いであれば、月の形状変化の周期を知っておくことは常識であり、マリシアンもフレイシスの発言には異を唱えなかったところをみるに、彼女の発言は間違いないのだろう。

 時間が止まっているのか、早く進んでいるのか、遅く進んでいるのか、それはまだわからないものの、時間の流れが通常と異なる可能性がある以上は、救援や増援を待つという選択肢は得策ではない。


「カイルさんはどう思いますか」

「まあとりあえず、手分けして探索したらいいんじゃねぇか」

「でも……」


 普段の強気な態度と性格から一転して、いざ事態に遭遇すれば極めて慎重となるらしいマリシアン。

 フレイシスの意見に同意したものの、探索を行うことに関してはまだ不安が残っているようだった。


「少なくともこの辺りに【魔物】の気配はねぇよ。荒らされた様子もなければ足跡の類もない。それらしいニオイ――はちょっとわからんが、音も特にしないから、山付近に近づかなければ大丈夫だろうよ」


 先程から周囲へと聞き耳を立てていたカイルが、ピンと立てていた耳から力を抜きながらそう言った。

 ここまで意見を固められてしまえば、いくら頑固といえども折れるよりほかなく、マリシアンは極めて渋々といった様子で探索に賛同することとなった。


「動くと決まったはいいものの、光源が月明かりだけってのは流石に心許ないっすね」

「いざというときのために【魔力オド】は極力消費したくないし、仕方ないでしょ」

「松明用意するからちょっと待ってろ。ここらに生えてる樹ならすぐに作れる」


 先程、一人で軽く様子を見ていた際に、周辺で自生している樹の種類は確認していた。

 幸いなことに焚き木などに適した燃えやすい種の樹が多く、それらの枯れ枝を使えば楽に光源を確保できそうだ。

 五人分の松明を作成し終え、手持ちの火打石で火を灯していく。


「あ、あの……私は…………」

「そこで荷物番な。大人しく言うことを聞いてるうちは俺たちで安全を保障してやる」


 すっかり蚊帳の外となっていた商人が恐る恐るといった様子で声を上げ、カイルはそれに対して面倒くさそうに返事をする。

 改めて、視界が十分に確保できたところで、五人は村の探索を開始することとなった。


「それじゃあ、僕、カナ、マリの三人は村の東側を。カイルとフレイシスは西側でよかったかな」


 まとまって探索を行うには、五人という人数はいささか多い。

 このように何が起こるか分からない場面において、人員を割くという行為は一定の危険リスクを伴うことを承知の上で、一行は情報収集を優先して二手にわかれることにした。

 アルフレッドの采配に、残る四人は揃って頷く。


「松明の二つ目の結び目まで火が来たら、門前この場所まで戻ってくること。もしどちらかが戻ってこなかった場合、探しにはいかず、すぐさま守備防衛に作戦を切り替えること。それから、山にはもとより【魔物】が出没するという情報がある。くれぐれも近寄らないように」


 アルフレッドの忠告に対し、カイルはヒラヒラと掌を振ることで返答する。

 村の西側は――建物が密集しており、同時に腐臭も濃くなっていた。

 納屋や家屋などの建物は木製のものが多く、さらにその殆どがどうやら松明に使用した枝と同じ種の樹を使用しているらしい。

 腐臭の元は家屋の中にあるようで、いずれの家も扉の前に立つ際には鼻を手で塞いでも臭いがする程であった。


「カイルさん、大丈夫ですか」

「……これぐらい屁でもねぇよ」


 そうは強がっているものの実際は、腐臭が衝撃となって直接頭の中を揺さぶっているかのように響いており、ここまでの臭いであれば最早薬草も効果を為さず、カイルは先程から頭痛と吐き気がやまないでいた。

 とっくに噛み潰して役目を終えた薬草を道端に吐き捨て、眼前の扉についている握り玉ドアノブに手をかけるが、案の定とでも言うべきか鍵が掛かっており、ガチャガチャと揺すってみるものの扉はあかない。


「オイ誰かいねぇのか! いるのは分かってんだぞ、開けろオイ!!」

「なんか居留守を問い質す借金取りみたいですね」

「なんで神について知らねぇくせにンなコトは知識にあんだよ……」


 カイルのドスの効いた声に何かが反応するような気配もなく、手間が増えたといわんばかりに舌打ちしながら、カイルは自身の荷物の中から一つの小瓶と巾着袋を取り出した。

 小瓶の中には銀色のドロリとした液体が入っており、カイルはその中身を鍵穴へと注入器を用いて器用に流し込んでいく。

 そしてもう片方の手で巾着袋の中身を掴み、握り玉ドアノブへと叩きつけるようにして粉上の何かを勢い良く振りかけた。

 すると瞬く間に握り玉ドアノブに霜が降り、鍵穴へと流し込まれていた謎の液体が固まり始める。


「これはなんでしょう」

「俺が独自の配分で作った合金と、ジャック・オ・フロストっつー【魔物】の鱗粉だ」


 端的に言うなれば、限りなく常温に近い温度で溶解と凝固を行う特殊合金と、触れたものに霜を降らせる【魔物】が振りまく鱗粉を用いて、即席の鍵を作成したのだ。

 手袋に付着した鱗粉と霜を払い落とし、柄代わりの注入器を捻ると、カチャンという確かに開場した音が聞こえ、静かに扉が開かれる。

 後は握り玉ドアノブに息を吹きかけながらしっかりと握ることで熱を伝え、特殊合金を液体に戻したら、注入器でそれを回収して後始末は完了だ。


「随分と手馴れてますね」

「まぁ、な。ホラ、入るぞ」


 開けた瞬間から全身を撫でるように通過する濃厚な腐臭に眉間の皺を濃くしながら、カイルは足音一つ立てることなくスルリと中へと入った。

 中も外と同様にこれといって荒らされている様子はなく、パッと見た印象は『平凡な家』であった。

 ――ただ一つ、机に突っ伏している人の死体がある点を除けば。


「やっぱ驚かねぇのな」

「まぁ、神官として、ご遺体に祈りをささげることも少なくありませんので」


 ――――コイツ、神官を理由にすれば何でも許されると思ってね?


「オマエは他の部屋を調べてくれ」

「分かりました」


 フレイシスが他の部屋へ向かう様子を横目で見ながら、カイルは簡単にではあるが死体を調べることにした。

 体格と服装から判断するにこの死体は女性であり、歳はカイルとあまり差はなさそうだ。

 死亡してからそれなりの日数が経過しているのか、肉体はかすかに腐敗し始めており、体の表面には大量の虫がへばりついている。

 ここまで虫が集っていれば触る気にもなれず、知識のないカイルには、傍目から見た程度では死亡した原因まで探ることは出来そうにない。


「少なくとも服に破れた様子はないが……これだけじゃ何とも言えねぇな」


 死体漁りは早急に切り上げて、今度は周囲に何かめぼしいものは無いかと漁ってみるものの、不審な物はやはり何も見つけられない。

 それはフレイシスも同様であったらしく、二人は早々に見切りをつけて別の家屋へと向かう――が、そこもやはり同じような状況であった。

 こちらの家屋では今度はフレイシスに死体を調べてもらうことにしたのだが、何のためらいもなく指を死体へ突っ込もうとした時点で、カイルが怒声を上げながら割って入ることで強制終了。

 その後も何件か建物の中を調べてみたが、五件目で松明の火が二つ目の結び目まで到達し、二人は待ち合わせ場所まで戻ることとなった。

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