第68話 反撃

 三体のケレヴは、ルークに獰猛な視線を据えたまま、一定の距離を置いて周りを徘徊している。獲物を狙う獣の動きそのものだ。彼らの霧に霞んだような黒い体躯はしなやかで、つかみどころがない。だがその口からは二本の猛毒の牙が伸びており、三つに分かれた尾は、黄泉の冷気を迸らせている。ルークは舌打ちをした。


(ケレヴが三体……! 相手にできないこともないが……クソっ、面倒だ! 早くクレアのところへ行きたいというのに!)


 サイラスは、冥府から召喚した犬を前に、優雅に言った。


「すまないが、そう易々と行かせるわけにはいかないな、ルーク。お前には、例の、魔女ヴァネッサがもらい損ねた黄金の箱……『いにしえの塔の鍵』を、こちらに渡してもらわねばならんのでな。さあ、聞かせてもらおうか。我らの偉大なる師ミラーが残した、忘れられた賢者に至る唯一の秘宝。お前はそれを、辺境の屋敷に持ち去ったのだな? そして死の魔法をかけ、独占している……全てはお前が、この世のものならぬ力を手にするために!」


「違う! サイラス、お前は誤解しているんだ!」


「誤解? 便利な言葉だな。古の塔……この地より天界へと続く、唯一の道。その遥か高みに生きるというカエルムの賢者は、この世のことわりを全て知る……それこそが、ミラー師匠が生涯をかけて探し続けたものだったろう? ミラー師匠は、カエルムの賢者から、力を授かるつもりだったのだ。『全知全能の叡智』という、何にも勝る究極の力を。師匠はそのために命を落とした……古の塔の最上階へと至る手前で、天から降り注ぐ雷に貫かれて、な。全く、哀れなことだ。だから私は言ったのだよ、古の塔に赴くのは、師匠ではなく、この私にするべきだ、と。師匠を凌ぐほどの力を持つ私ならば……賢者から力を得るのは容易かったろうに!」


「まだそんな寝言を言っているのか、サイラス! お前も読んだはずだ、師匠の最後の手紙を。あれにはこう書いてあった、『人の子たる我らに 賢者のことわりを求めることは出来ぬ この鍵は地上にあってはならぬもの 深き海に沈めよ』と。それをお前は、破ろうとしている。ミラー師匠の言いつけに背いて、己の欲望のために力を得ようとしているのは、貴様の方じゃないか! 僕はあの鍵を、師匠の言いつけに従って、ロマ海峡の深みに人知れず沈めるつもりだったんだ。だが、そう簡単には行かなかった……お前が、何度も僕の邪魔をしてくるせいでな!」


「口では何とでも言える。……さあ、下らない昔話は終わりだ、ルーク。鍵をこちらに寄越せ。簡単なことだ、今すぐ貴様得意の転移魔法を使って、辺境の屋敷に戻りさえすればいい。あとは、私の配下のアゼルをお前の元へと送ろう……地底の道を通れば、転移魔法と大差なく移動できるのでね。さあ、早くしろ。このケレヴ達が、貴様の妻とかいう奇妙な女の喉元を食い破るのを見たくはないだろう? 知っての通り、ケレヴは黄泉に属するもの、地底の道を自在に行き来出来る……お前の妻の元まで移動するのも、その息の根を止めてこの場に戻って来るのも、瞬きする間に出来ること。広間の連中には、何が起きたかすら分からないだろうな」


 サイラスは優雅に微笑んだ。テラスの上を亡霊のように徘徊するケレヴ達は、抜け目のない視線をこちらに向けている。クレアを守るために、今この場で絶対にケレヴの息の根を止めねばならない。だが、魔術院の長として、この場でサイラスを攻撃するわけにはいかない。狡猾なサイラスは、そこまで見越してケレヴを召喚したに違いない。と言って、脅しに屈して鍵を渡すわけには、断じていかない……。


 ルークは、じっとサイラスの顔を見つめていたが、やがて、フン、と鼻で笑った。そして、ゆったりと仮面を取り、それをテラスの床に投げ捨てる。サイラスがピクリと右眉を上げた。


「ルーク? 何の真似だ」


「懐かしいだろ? 7年ぶりの再会だ、僕の綺麗な顔を存分に拝めよ」


 傲岸に言うルークに、サイラスは眉を潜めた。ルークはケレヴを一瞥し、胸を張った。


「そんな脅しに、僕が怯むとでも思ったのか? ははは! だとしたら、貴様自慢の目も随分曇ったものだな。貴様はこれで僕を言いなりにするつもりだったのかもしれないが……とんだ見込み違いだね!」


「なんだと?」


「サイラス、昔からお前は、自分の力を過信しすぎるきらいがある。同時に……他人の力を過小評価する悪癖も、な。見せてやるよ、貴様お望みの、転移魔法をさ!」


 ルークは素早く印を結んだ。


「『古の盟約に従い 我ここに命ず 巡りゆく時の環よ 今そのあぎとを開き 黄泉の使者を呑み込め 時空転移ワープ!』」


「なっ……」


 ルークの詠唱が完了するのと同時に、目の前がまるで飴細工のようにぐにゃりと歪んだ。サイラスがバランスを崩してよろめくのが見える。ケレヴ達がテラスの床を蹴って飛び上がろうとしたが、もう遅い。彼らはルークの放った時空魔法の重力に囚われ、なすすべなく地へと引き戻される。


 時空魔法は、術者の周囲一帯に影響を及ぼす。そしてその影響範囲は、術者の魔力によって決まる。ルーク程の魔力があれば、このテラス一帯に効力を及ぼすことも不可能ではなかった。


 通常ルークは、単に自身が屋敷へ転移するためにしか時空魔法を使わないが、今回は話が別だ。ケレヴを、そしてその召喚者であるサイラスを、この場から排除せねばならない。しかも全員同時に、騒ぎを起こすこともなく。それには、別空間に彼らを捕らえてしまうしかない。時空魔法の特性上、転移は相手のみならず、術者である自分も巻き込まれてしまうのが残念なところではあるが。


「メイルバード!!」


 転移する間際、ルークは大声で相棒の鮮やかな鳥を呼ばわった。けたたましい声と共に、極彩色の鳥が夜空を舞い降りて来る。ルークはいつもと同じようにメイルバードに思念を送り、そのままふつりと姿を消した。テラスの上には、ルークの脱ぎ捨てた魔術師の仮面が、夜風に吹かれて転がっていた。

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