第66話 因縁
時は少し
ルークは、ロマ王城の暗い回廊を歩きながら舌打ちをした。視線の先には、優雅にマントを揺らして歩くサイラスの背が見える。
(サイラスの奴! 一体どういうつもりだ!)
クレアは、レインと共に大広間に置いてきた。本当は自分が付いていてやりたいところであるが、サイラス本人が出て来た以上、とにかくどんな手段を使ってでも、この男をクレアから引き離さねばならない。
(こいつの視界にクレアが入ると考えただけで虫唾が走る!! クソッ、つくづく忌々しい野郎だ! ぐっ……駄目だ、落ち着け! 冷静さを失ったらこいつの思うつぼだ!)
ルークはサイラスを捻りつぶしてやりたい衝動にかられながら、深呼吸した。
レインはまだ魔術師としての経験も浅く短慮なところもあるが、十分にクレアの護衛は務まるはずだ。なぜなら、この男が何を企んでいるにしろ、『スティリアの外務卿・ウンブラ』の立場がある以上、狡猾な奴がこの場で派手な惨事を起こすはずがないのだから。せいぜい、忌々しいちょっかいをかけてくるくらいが関の山だ。ルークは、身の内で渦巻く憎悪を抑えつつ、深呼吸を繰り返す。
(落ち着け……今こいつに手を出すわけにはいかない。デズも言っていただろう、こいつはよりにもよって、『スティリアの外務卿』なんだ……こいつに迂闊に攻撃を仕掛ければ、ただでさえ緊張が高まりつつあるロマとスティリアの間に、争いが起こりかねない……むしろこいつは、こちらを挑発して、開戦の口実を作りに来たかもしれないのだ……先に手を出した方が負けだ!)
ロマ王国とスティリア王国は、度々大きな戦を経験している。今でこそ大陸をほぼ二分する大国同士だが、それは長い年月の間に
回廊の突き当りは広いテラスになっていた。石造りのテラスを白い月光が照らしている。ここは王城の北の端で、普段から人気は無い。花冠の祭りを祝って華やかに飾られていた広間に比べ、花一つ置かれていないこの場所は、冷たくてもの淋しい。
サイラスが突然振り向いた。
「良い夜だな、ルーク」
ルークは先程から、このテラスに魔力が満ちてくるのを感じていた。サイラスが結界を張ったのだ。時空を歪ませる闇魔法。通りかかった者は、このテラスに人がいるとは気づきもしないだろう。サイラスにとっては造作もないことだ。そしてまた、ルークにとっても、この程度の結界を破るなど容易いこと。それを見越してこの場を設けるとは、何か話したいことがあるということか。
ルークは無言で突っ立っていた。応じる義理などない。サイラスが笑った。
「私と話す気など無い、か。随分冷たいじゃないか、弟よ。かつて幾年だったか……そうだな、ちょうど7年もの間、我らは兄弟として共に暮らしていたと言うのに」
「……黙れ。お前のそのクソ忌々しい声を聞いていると、殺したくなる」
サイラスは再び笑った。心底楽しそうだった。
「ならば、まずは身から染み出るその殺意をひた隠しにすべきだな、ルーク。本当に殺したい相手には、猫のように接すべきなのだ。従属の意思を示して甘えた声で愛らしくすり寄り……相手の懐に入った瞬間に隠していた爪で心の臓を抉り取れ。残念ながら、そこに立っているだけで殺気を発しているようなお前には無理だろうが」
サイラスは欄干に背をもたれて両肘をかけ、フフフ、と目を閉じて笑っている。その態度がさらにルークの
「……相変わらずよく回る口だな、サイラス。その自慢の弁舌で、スティリア国王に取り入ったわけか。外務卿だと? ハハッ、笑わせる。お前なんぞ、そこらを走り回っているドブネズミ以下の存在だと言うのに! ウンブラとかいう胡散臭い外務卿などよりも、皆の靴底で蹴っ飛ばされ、踏みつけられるネズミの方がよっぽどお前にはお似合いだろう!」
「その辺にしておけ、ルーク。お前は昔から、激情で我を忘れるきらいがある。私はデズモンド国王のご招待でやって来た客人なのでね。お前とここでやり合うわけにはいかないのだよ。分かるかね?」
ルークはサイラスの挑発的な声を完全に無視し、言った。
「貴様、何のつもりで今日ここへ来た。いいか、勘違いするなよ? ここではお前は単なるクソ忌々しい客の一人に過ぎず、僕は宮廷の高官だ。つまり僕は、お前をいかなる罪でも宮廷に告発することが出来るってわけだ。お前が我が国におかしな工作を仕掛けてきたとなれば、スティリアに攻め込むいい口実にもなるってわけで、つまりは軍事院や……国王ですら大喜びなんだからな。事と次第によっては……」
「ほう! 告発、か。となれば、私もお前をデズモンド国王に突き出さねばならんな」
「なんだと? 冗談も大概に……」
ルークが眉をひそめると、サイラスは腕を組み不敵に笑った。
「クレア……だったかな? 随分奇妙な存在を身内に引き入れたようだが……ふふ。国王の右腕、権力の中枢にいる魔術院の長の妻が、人間の種族ではない、と公になれば……宮廷はさぞ盛り上がるだろうな!」
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